ローマンを求めて

 無駄に壮大そうなタイトルをつけてみましたけれど別に意味はありません。
 青春18きっぷが余ったので、それを利用して、かつて上越線を見に行った時に発見した、「アプト式に使われるラックレールと思しき物体」を検証しに行って来ました。
 暇人です。認めます。
 
 その写真がコレです。群馬総社駅北側一個目の植野踏切です。
 かれこれ5年くらい気になっていたのが遂に検証できました。
 

 

 
 その後、本当は帰宅するための上り列車を迎えにいくつもりで、お隣の八木原駅にも足を伸ばしてみました。
 そうしたら。
 八木原までの駅間の踏み切りにもう一箇所と、それからなんと偶然立ち寄ったに過ぎない八木原駅前で同様のものを見つけてしまいました。
 
 八木原駅前のものはこちら。
 
 

 
 
 さて。
 アプト式に使われるラックレールのようなものが踏み切りの脇にあった、という私の記憶は間違っていないことがこれで立証されました。
 そこで問題となること、果たしてこれは本当にソレなのでしょうか?
 アプト式といえば国内では大井川鉄道と国鉄信越本線にしか存在せず、大井川鉄道は現役(というか平成になってから登場したもの)ですので、普通に考えれば目的外に転用されているとしたら信越本線のラックレールなのでしょう。信越本線でラックレールを使っていたのは同じ群馬県内にある碓氷峠(碓氷峠は長野県との県境です)。碓氷峠のラックレールがここに転用されているとしても不思議ではありません。
 徹夜でゲームやっていて出かけてきたので、本当は八木原ですら予定外で群馬総社から神奈川県に直帰する予定だったのですが。
 どうせ群馬県内。電車に乗っても乗らなくても料金は同じ、青春18きっぷ。
 睡魔と闘いながら、横川に行くことに決めました。
 ちなみに私が群馬総社にいたのは午前9時頃です。
 直帰していれば昼食を自宅で食べれました。
 
 前置きは長くしたくないんですが「アプト式ってナニよ?」という話にだけは少しだけ触れておきます。
 知ってる人は、その次の話に進んでください。
 
 アプト式とは。
 鉄道車両は一般にはレールと車輪の摩擦で走りますが、あまり強い力で車軸に回転力(あるいはブレーキ)を与えるとその力が摩擦の許容範囲を上回ってしまい、空回りやスリップを起こしてしまいます。
 これは同時に、物凄い急勾配においては例え加速力や減速力に余裕があっても摩擦の許容範囲でしか走行できないことを意味しています。鉄道が勾配に弱いとされるゆえんです。
 だから摩擦の許容範囲内では走行できないような急坂では、車輪とレールの摩擦力に頼らずケーブルによって加減速を行う、ケーブルカーが用いられます。
 で。
 そういうシャレにならない急坂を、ひっきりなしに列車が走る幹線に作らざるを得ない場合がありました。
 それが碓氷峠です。
 技術の発展で後に普通の運転形態に戻りますが、明治時代に開通した時にはそんな技術力はありませんでした。
 かといって、ケーブルカーでは平地を走る普通の列車が直通することはできないし、10両も20両も繋げたらケーブルが耐えられません。
 ではどうしたか。
 そこでアプト式ですよ(この言い回しは古すぎるかな?)。
 ローマン・アプトさん(スイス人)が考案した、鉄道車両を走行させる手段の一つを「アプト式」といいます。
 機関車の床下に車輪と別に歯車をつけて、地面の方にはレールと別にその歯車と噛み合わせるためのギザギザのレールを設置する。
 ギザギザのレールに歯車を噛ませれば空回りやスリップの心配がありませんから、安全に坂を通行することができます。
 あとは平地を走る列車の前後に、歯車つきの専用機関車をやたら連結して峠に挑めばいいわけです。
 普通は1両の機関車で何十両もの客車を牽けるのに、碓氷峠では4両の歯車つき機関車を引っ張り出しても客車は大した両数は連結できなかったそうな。
 
 はい、結局前置きが長くなりましたが。
 
 そのアプト式という方式は先述の通り車輪を載せるレールのほかに、歯車に噛み合わせるためのラックレールを使います(ラック=欠けている)。
 が、碓氷峠においては昭和30年代に、車輪とレールの摩擦力で走るごくごく一般的な走行方式に切り替えられました。
 この時に大幅に線路を付け替えたので、明治時代開通のレンガ橋やレンガトンネルが廃棄されてコンクリート作りの橋やトンネルの横に残っていて大変魅力的で不気味な雰囲気を醸しだしていたわけですが。
 その時に、レールやラックレールは殆ど撤去されました。
 そして撤去されたラックレールが横川駅前の側溝のフタ代わりに使われていることは、現役時代から碓氷峠に通いつめていた人達の間では誰もが知ることだと思います。
 碓氷峠特集なんて謳った趣味誌には必ず載ってましたしね。
 それは今でも現役です。これ。
 


 
 このレールがいつ製作されたのかは知りませんが、少なくともアプト式の廃止された日には既に現役で使われていて、それが廃止された後に取り外されてここにあるわけです。
 ということは、最低でも50年近く前に作られたレールです。 
 
 もっとも、レールという機材は概して頑丈に作られているものです。
 前に自転車屋で、どこで貰ってきたのか知りませんが国鉄の東海道線のレールを10センチくらい切り出したものを自転車の治具に使っていました。
 自転車屋のおじいさんは「国鉄のレールはさすがにいい鉄を使ってるよ」なんていってました。
 ……いえ、別に根拠じゃありません。個人の感想なんですけど。
 ただ、1900年以前(すなわち1800年代、≒19世紀)に作られたレールが柱に転用されて駅の屋根や跨線橋などに使われていたりしますから、このレールの「最低でも50年程度」も、実はべつに驚くほどのことでもないのかもしれません。
 
 なお、これがラックレールを実際に使用する時の姿です。
 横川鉄道文化むらにて。
 


 
 ついでに横川までの車窓を見ていて気付いたんですが、横川のお隣、西松井田駅を出て少し西側のところにもラックレールを踏み切り脇に、それこそ群馬総社のように使っている場所が確認できました。
 
 さて。
 もはや一目瞭然という説もありますが、一応検証です。
 群馬総社や八木原のものはラックレールだったのでしょうか?
 



 
 
 なんか、良く見ると全然違いましたよね。
 
 うん。
 本当は。
 八木原からわざわざ今日横川行って検証しようって思い立った時点で気付いてたんですよ。
「これ、ラックレールじゃ無くね?」
 って。
 同一の物だと確信してたら確認になんか行きませんものね。
 そもそも並べ方が違うんですよね。ラックレールは同じ向きに並べているのに対し、群馬総社や八木原のものは凹凸を組み合わせて噛ませている。
 そして横川のものは、写真では解りづらいですが、ギザギザの山の部分が歯車に欠き取られたためか山の形が左右非対称になっていて、しかもその時に潰された鉄が側面にはみ出した痕があります。模型のバリみたいなものです。相当強い力で機関車の歯車とぶつかっていたのでしょう。群馬総社のものは山も綺麗だし、そもそも山と谷の比率が横川のものと異なっています。
 ですけど。
 大きさ、幅、そして穴の開き方など、両者が酷似していることも解っていただけたと思います。
 もしかしたらもしかして、群馬総社の方のは使用しなかった新品を流用していたりして……などと思考の悪あがきもしてみますが、恐らく別物であると思われます。残念。
 群馬総社や八木原の物は、恐らくは道路で橋などの継ぎ目の路面に使われる金具なのではないかと思います。二枚を向かい合わせに噛み合わせることが前提の輪郭になっていますので。

 結局、あとは高崎からひたすらグリーン車で爆睡して帰宅したのですが。
 でも帰る前に
せっかく横川に来たのだから文化むらに寄っていきました。

終わり。

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