![]()
(海上保安庁のマスコットキャラクター「うーみん」と)
政治を志すものとして
平成10年
「リープロ住民投票を求める市民運動」代表
(公共事業の是非を問う、迷惑施設以外では全国初の事例)
直接請求による条例制定を目指すが、議会に否決される。
平成11年4月
下田市議会議員選挙 当選
リープロ住民投票条例制定・情報公開条例制定を公約
議員提案するも否決
平成15年4月
下田市議会議員選挙 落選
平成18年~
尾崎行雄記念財団咢堂(がくどう)塾で学ぶ
生涯の師・相馬雪香先生(尾崎行雄三女)との出会い

平成19年4月
下田市議会議員選挙 当選
平成23年4月
下田市議会議員選挙 当選(3期目)、現在に至る。
自民党議員として、下田市議会では自公クラブに所属。
(「ヒゲの隊長」佐藤正久・参議院議員と)
平成24年5月
尾崎行雄記念財団・咢堂塾第14期生(通算4回、歴代塾生最多)
現塾長の森山真弓先生(憲政史上初の女性官房長官、元法務大臣)のもと、相馬雪香先生の遺徳を継承するべく研鑽中。
(森山真弓先生と)
議会での職責など
平成19年5月~
総務文教常任委員会副委員長
平成21年5月~
総務文教常任委員会委員長
平成23年5月~
下田市議会副議長

(議場では、「凛と、毅然と」が信条)
一社会人として
政治の世界のみならず、一貫して社会的弱者への支援を継続して行う。
近年はオレンジリボン(=子供虐待防止)にも注力し、こころの青空基金・坂本博之代表(元ボクシング・東洋太平洋チャンピオン)の活動にも熱いエールを送っている。
(元プロボクサー・坂本博之さんとオレンジリボン運動に取り組む)
一個人として
生まれ育った伊豆・下田をこよなく愛しつつ、江戸下町の文化(=絢爛華美の対極)にも深い興味を抱く。
座右の銘は「いらないものは捨てる、重いものは置いていく」。
好みの絵画は専ら日本画のみ、日本画特有の「岩絵の具」の発色を好む。
「和の、おと」
「和の、おと」 その1
私にとっての三味線の音は、踊りのお稽古や、
父とのお座敷遊びの中で、また地元の祭囃子の中で記憶したものだ。
木造建築のなかでその音を聞いていた。
障子や襖、欄間、柱、濡れ縁、畳、木と紙に囲まれた空間で音は響く。
高温多湿の気候の中で生まれた音は、
それを抱きかかえることの出来る空間でしか響かない。
そういう空間だからこそ、音は響く。
極々必然なこと。
あの音階は洋式の建物の中からは生まれようもない。
和のしつらえだからこその旋律。
「チンテン チンチテツ ツテツトン チチチチン・・・」
絹糸の響きは、皮を伝わり胴で増幅され、天神を突き抜け、
襖や障子の紙を震わせ、柱や天井そして畳が吸収していく。
物事には始まりがあって、必ず終わりがある。
音も同じだ。
出された音は、必ず終息させる。
その始まりと終わりが、和の建物の中では完結が出来るのだ。
「和の、おと」は、和のしつらえを残さなくては残りようがない.
「和の、おと」は、そういう空間でしか響かない。
「和の、おと」は、始まりと終わりを必要とする。
ただひとつだけ、終を必要としない「和の、おと」がある。
それは祭囃子だ。
神に捧げるおとは、天高く届かせればよい。
一年に一度、まちに降り渡御してくださる嬉しさを、
思い切り響かせればよい。
天はすべての音を包み込んでくれるから。
「和の、おと」 その2
岬龍一郎先生訳の『武士道」で、
「茶の湯は精神修養の実践方式」と書かれている。
心の平静さ、感情の静謐さ、・・・
茶道に通っていたのも幼少の頃だったので、
詳しいことは何もわからず、
美味しい和菓子とお茶で胃袋の欲求を満たすことが目的であった。
私が記憶するのは、茶室での「おと」である。
ほとんど言葉を発しない静寂の中で、
畳をすり足で歩くシュッシュッっという音。
湯の湧いてくる音。
挨拶をするときに畳の上扇子を置くときの音。
茶碗に湯を注ぐ時の音。
茶筅でお茶を点てるときの音。
お茶を頂くときに、にじり寄る衣擦れの音。
その「おと」は、和の設えの中でしか存在できない。
「和の、おと」 その3
衣擦れの「おと」は、和服専用の「おと」。
木綿より、やはり絹物のほうがいい音がする。
立ち居振る舞いの中からほんの少し聞こえる音は、
とてもいい音だ。
聞き方によっては、艶めかしい。
着物を脱ぐ時の「おと」も、一つ一つ違う。
絹を固く編み上げた帯締めは、キュッという音やギュッという音。
帯揚げを引きぬくときの音は、軽いシュッという音。
帯を解くときの音は、重いシュルッという音。
着物を肩から外すときの音は、スルッという密やかな音。
畳の上だとその「おと」は、尚一層 艶やかに響く。
「和の、おと」 その4―『ゆきの、おと(井沢満)』より―
――雪はしんしんと降る。けれど、それは音ではないという。
しんしん、はたとえば何かの気配のようなものだろうか。
私が「音」を知るのは手で触れたときの振動・・・・・・「響き」によってだ。――
ごく私的な、けれども私にとっては大切なこと

父がいなければ、そして母がいなければ。
私はこの世に生を受ける事がありませんでした。
母がお腹を痛めてから48年が経った、平成23年11月13日。
不肖の娘からの、せめてもの詫び状です。
お父さん、お母さん。
二人の娘としてこの地に、この世に生を受けた事が。
私にとって、何よりの誇りです。







