富士山事故報告書

2000年4月22日

目次

 1     はじめに

2     本山行の計画のあらまし

3     天候・雪質

4     事故発生時までの行動

5     事故の発生状況

6     今回の事故における反省点と今後の対策

7        被事故者の手記(樽家彰宏)

8     負傷者の現況

9     終わりに.

     10 付録(新聞記事/ルート図)



1 はじめに

今回、富士山で登山途中、メンバー1名が滑落し、事故発生後、たくさんの方々にお世話になりました。事故が最小限の状態ですむことができ、メンバー5名、深く感謝し事故報告書とさせていただきます。再度事故を振り返り、この教訓を次の安全対策につなげていきたいと思います。

2 本山行の計画のあらまし

本山行の母体となっているのは「やまくら」である。「やまくら」は正規の山岳会として登録していない同人組織ではあるが3年ほど前より冬季登山を中心にアルパインクライミング、スキー、沢登り等総合的な取組みを積極的に行ってきており、この夏には一部メンバーによるヒマラヤ・ストックカンリ峰、カラコルム・スパンティーク峰への登山も計画されている。今回の富士登山もこれらの計画に向けてのトレーニングの一環として企画された。当日の計画は以下のようなものであった。 日  時:2000年4月22日(土) 計画内容:富士山 富士吉田口5合目から入り、登れるところまで行き、引き返してくるという雪山トレーニングと高度順応を目的とした日帰り山行。

団 体 名:やまくら

メンバー:大場裕美子(33才)   西村俊之(34才)   小泉太史(29才)   樽家彰宏(31才)  樽家愛(31才)

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3 天候・雪質

 事故発生の当日は天候晴れ、標高3000M付近より上では時より突風が吹き付けていたがそれ以外では日中はおおむね無風か微風程度であった。積雪は五合目あたりから目立ち始め、デブリの認められる沢もあったがいずれの沢筋においても雪質は締まっており新たに雪崩の発生する様子は見受けられなかった。 雪質は表面5〜10cmのクラフトした雪面で、下がサラサラの最中状の雪面とアイゼンの先が引掛かる程の雪面が混合した状況であった。沢筋以外のところでは硬い表層の下はフカフカのパウダーのいわゆる最中状態であった。ほとんどの行程は表層を踏み抜いての足を突っ込みながら進む状況であった。

事故当日の8:00頃。強風のため頂上付近は雪煙が見える。

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4 事故発生時までの行動 

3:30 樽家、千葉県船橋市の自宅出発。同じ頃、小泉、西村も荻窪(友人宅)を出発。
4:30 自宅〜談合坂 樽家彰宏運転。彰宏はラーメン、愛はうどんを食べる。
5:30 談合坂〜大月〜河口湖方面 樽家愛が運転。
6:00 パーキングで小泉(二日酔い気味)、西村(仕事で寝不足)と合流。 コンビニで食料を買う。
6:40 樽家の車を駐車場に置き、西村の車に全員乗り換える。メンバーの大場(後行1名)は集合に遅れ、馬返し〜佐藤小屋経由で途中合流となる。
6:50 富士スバルライン入口着。
7:00 スバルライン開通。当初、富士スバルライン新五合目まで自動車で入る予定だったが、前日の雨のため路面凍結していて四合目駐車場までとなる。
7:40 4合目駐車場着。5合目まで車道を歩く。ところどころ凍っていて滑る。
8:00 5合目着。休憩後、出発。先行者は1人だけか。雪に足跡がついている。 雪崩の跡が一個所あり。

9:00

 

佐藤小屋の少し上に出る。 快晴で暑く、大汗をかく。小泉、西村は暑さに弱いのと体調不良でつらそう。 西村やや遅れ気味。(高度障害か)6合目の小屋の影で休憩。 6合目上部で、彰宏がアイゼンをつけようといい、全員アイゼン装着。 雪は、前日の雨で表面は固くつるつる、なかはぐさぐさで足が抜けず、かなり沈み込むところもある。1mごとに状態がめまぐるしく変わる感じ。

12:00

8合目小屋。ペースが上がらず12:30をめどに下山することに決定する。 8合目あたりから彰宏が先頭。一番元気がいい。

12:30 8合目半あたり(3200M付近)で引き返す。風が強く時々雪煙が顔に当たり痛い。 下山開始直後、八合目小屋で小休止。

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5 事故の発生状況

13:00

 

西村・小泉・樽家愛・樽家彰宏の順で再度下山開始。滑落事故は標高3000Mあたりの山小屋直下の雪面でのトラバース終了直後に発生した。すぐにピッケルをつきたてて何度か滑落停止姿勢をとったがささらず、すぐに仰向けになってしまい、そのまま滑り落ちていった。小泉、樽家愛の視界からはすぐに見えなくなり、先行していた西村はかなり下まで確認できた。以下は西村の報告である。

●西村の報告

上方(後方)で何か叫び声が聞こえたような気がした。
西村は声には別段気に留めるでもなかったがなんとなく視線を右側に向けると彰宏がすごいスピードで滑落して横を通過していくのが見えた。
西村が滑落を目撃したときは(恐らく滑落開始から1、2秒は経過していたものと思われる)樽家はあお向けの状態であったが程なく滑落停止の姿勢になり1秒程ですぐにまたあお向けの体勢になってしまった。
このとき樽家は頭を上にして滑っていたが、頭を持ち上げて下方の様子をかがっておりかなり冷静さを保っていたようにに見えたので西村は樽家が必ず再び滑落停止の姿勢をとるものと確信した。実際2、3秒後に再び滑落停止の姿勢に入のだがまた1秒ほどであお向けになってしまった。

 樽家の体は非常にゆっくりと右に回転しながらあお向けのまま落ちていったが滑落方向の延長線上にダケカンバ(と思われた)がありぶつかる前に何とか滑落停止をリトライして欲しいと願ったがそのまま木に激突した。今思えばこの激突の時に右大腿部を骨折したのではないかと予測される。その後樽家の体はやや早い左回転へ逆回転しながら、しかし滑落速度を大幅に下げてなおも落ちていった。
 その頃になると滑落当初より傾斜も大分ゆるくなりスピードも落ちたので滑落停止を試みれば止まることができるかもしれないと考えたが樽家の体はあお向けのまま斜面の影に消えていった。すると消えた瞬間に登山靴らしきものがけっこうな高さに舞いあがるが見えた。

 目視で確認できなくなったところで樽家を追いかけ斜面を下っていったが1分ほど降りたところで上ってきた大場と合流した。大場にはただ樽家が滑落したとだけ告げて先を急いだ。  途中スパッツの付いたままのプラブーツが落ちていたので回収した。プラブーツを回収した地点から停止地点までに停止時点でのそれも含めて3ヶ所で素手による滑落停止の痕が見られた。

 樽家が停止した地点まで到着すると樽家の意識はしっかりとしており雪面に座っていたが再び滑り出す恐れがあったので鎮痛剤(バファリン2錠)を服用させてすぐに雪棚の作成に取りかかった。1畳ほどの広さの雪棚の作成完了近くに他の隊員も到着した。

 

滑落現場を下から見たところ(翌週の4/30撮影)  滑落現場を上から見たところ(翌週の4/30撮影)

13:10

7合目小屋の鳥居の辺りで馬返しから登っていた後発の大場裕美子と会う。 樽家彰宏を見たかと聞いたが、彰宏が落ちていったのは見ていないとの返事。 

13:20

 

 

 

彰宏が足を投げ出して座っているのを発見。立ち上がる気配なし、ひとまず生きているのを確認しほっとする。西村、小泉、樽家愛、大場の順で到着する。 彰宏は足を怪我している模様、本人はパニック状態で「足切断だ」と繰り返す。 雪棚に4人で抱えて移動させ、怪我のショックによるかなりの寒気が予想されたのですぐにヤッケの下に厚手のフリース2枚を重ね着させザックを敷いて横たえさせた。靴が脱げていたので靴下を変え、ツエルト2枚でくるみ、両側に2人添い寝して暖める。 彰宏には右足大腿部の怪我については患部を実際に目で確認したいと思ったが出血している様子がなかったこと、彰宏自身患部をオーバーズボンの上から手をあてていたが骨が突き出でいる様子もなかったこと、そしてなんと言ってもあまりにも彰宏が苦痛を訴えるので多少でも体を動かすことに躊躇を覚えてしまいストックを添え木にして固定するだけに留めた。
13:40



大場が携帯電話で山梨県警に110番し、富士吉田署に繋がる。 風は少しおさまってきて視界はよいのだが、警察ではヘリコプターか徒歩の救助隊かなかなか決まらない様子である。その後何度か、位置、怪我の状況、同行者の氏名、などの確認の電話が入る。目印になるように、補助ロープで雪面に×印をつけ、また、銀色のシート(サバイバルシート)を準備する。
15:20 ヘリコプターが出発したとの電話連絡が入り、程なくヘリコプターが現れた。しかし、近くまで来たが、すぐに去っていった。警察から連絡が入り、ヘリが小さくて収容できないので大きいヘリコプターを再度飛ばすとのこと。
15:50
30分後に先ほどより大きいヘリコプターが飛来した。何度も旋回するので、風が強くて収容できないのか、と心配したが、やがて上方にホバリングし、ワイヤーに釣り下がって隊員の方が一人降りてきて、担架に手早く彰宏を収容した。このとき、隊員の方から「市立甲府病院に連れて行きます」と聞く。
16:00 荷物を撤収して下山開始。日が傾き始めている。
16:20 5合目上あたりで徒歩で上がってこられた救助隊の方々(10人ぐらい)と合流。
17:10 5合目駐車場まで一緒に歩き、簡単な事情聴取を受け警察の方々は帰っていった。 ゲートが閉まるまで時間がないため、西村が他の車に乗せてもらい、4合目の駐車場まで 車を回収に行く。
18:00 小泉、樽家愛は樽家の車で市立甲府病院へ、残りのメンバーは馬返しで大場の車を 回収し、後から病院にくる。
20:00 病院着。牽引の処置を受けた彰宏と会う。本人は救助された安心感でかなり落ち着いた様子。
21:00 樽家愛は病院に残り、他のメンバーは解散。

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6  今回の事故における反省点と今後の対策

●危険に対する認識不足

今回の滑落事故の発生地点が当山行中際立って危険箇所だったことを考えてみても通過の際には当然細心の注意をもってして然るべきであった。実際西村はそのルート選択に一瞬躊躇を感じたが、そこよりも遥かに難しいルートを過去に歩いてきたことを思い起こして危険に対する認識を打ち消してしまったように思われる。せめて危険を感じたときに他の者に対して注意を喚起するぐらいの行動は必要だったのではあるまいか。今一度基本行動に対するレヴューを行うべきと考える。

●救急療法の知識不足

今回のレスキューは教本で読んだ知識のみに基づいて行われたものであったので(組織的な負傷者レスキューの訓練等は行っていなかった)その経過は正しいもので占められていたかどうかは疑問の残るところである。ことに患部の目による確認を行い怪我の状況を正しく把握してから処置を行うべきだったはずで、今回開放性の骨折でなかったことは幸いであったと言わざるを得ない。 対応として救急療法の講習を受講して各自のスキルアップを図りたいと考えるが会としても継続的な再確認のアクションが必要と思われる。

●携帯医療品の不足

今回救急医療用品を携行したものがほとんどいなかったため手持ちの用品が足りず添え木の固定には包帯のほかシュリンゲを利用した。 救急医療品に関しては各自が最低限の用具を携行するのは勿論のこと、今回のようなトレーニング山行であっても正式に係を決めて欠品の無きよう心がけることが必要である。

●無線機の非携帯

救助の要請という点においては今回富士山というロケーションから携帯電話での通報でもまったく問題はなかったが我々の通常行っている山行を考えれば常に無線機を携行しているべきであり、今後はアマチュア無線免許の取得者の比率を上げることが重要な課題となろう。

●その他の非携帯用具

今回日帰りの計画で日中かなり気温も高いということでスコップ、魔法瓶、バーナーを携行していなかった。都合雪棚はピッケルで作成し、暖かい飲み物は幸い別のパーティーから分けてもらうことができたが山行の際は常にあらゆる状況を想定した上での装備で臨むことを 徹底する必要があろう。

●登山届の未提出

最も基本的であり、ある意味においては最も重要である登山届が未提出だったことはおおいに反省しなければならない。繰り返し登ってきたルートであること、トレーニング山行ということで我々に油断があったことは否定できない。ひとたび何かあれば関係各所に多大なる迷惑を及ぼすことを考えれば、登山届の提出は各々が肝に銘じなければならない条件である。

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7 被事故者の手記(樽家彰宏)

当日の体調は良かった。

7合目あたりから小泉が遅れはじめトップを交代する。8合目あたりで12時30分となったので時間切れで下山を開始。
小屋横のいやらしいトラバースを終えてホットする。
ふと下を見ると小泉が雪に足をとられながらも走るように降りていくのが遠目に見える。
少し遅れていたこともあり、急いで後を追う。

雪の状態が不安定だ。
一歩踏み出すたびに膝下まで雪に埋まってしまう。

何歩歩いただろうか。
突然足を取られてバランスを失う。
すぐに滑落停止の姿勢を取る。
初速はたいしたことなかったので確実に止められると思ったが止まらない。
後から思うに雪面に対して体が平行になっておらずピッケルの刺さりが悪かったように思う。(ここまでははっきり覚えている)
その後、信じられないようなスピードが出て体が転がって落ちていく。
意識はあった。確実に死んだと思った。
"死ぬなら早く楽に死にたいな"なんて思いながら体の力を抜いて落ちるに身を任せた
(結果的には体の力を抜いて滑落中にジタバタしなかったのが足以外の負傷を避けられた原因かもしれない)。

途中で左足の靴が脱げ(というよりも、飛んでいった)、いつのまにか右足に激痛がはしって右足がブラブラしているが、それでも体は止まらない。
本当に突然にいきなりスピードが落ちて体が斜めに止まった。
なぜ止まったのかはまったく分からない。
しかし、ボーとしていたのと体勢が悪かったのでまた滑り出す。
2〜3メートルは落ちてまた止まった。
今度は足を下に仰向きに止まったので手を雪面に突っ込んで自分の体を確保する。

負傷の箇所を確認する。右足は当然動かない。顔から出血しているのも分かる。
その他に負傷はないようだったので助かることは確信する。

後ろを振り替えると西村さん他がこちらに向かって降りてきてくれるのが見えた。
猛烈に寒気が襲ってくる。
まずは西村さんが到着。
足を骨折した旨を告げる。バファリンを出してくれたので2錠服用する。
その後に小泉、大場、愛が到着。
西村さんがならしてくれた平らな雪面に移動させてもらいツエルトでくるんでもらって仰向けに寝て救助を待つことにする。
少し余裕が出てきたので右足の負傷状態を確認する。
足首、足指は動くので神経と筋はやっていないと思う。
大腿部に痛みがあるので大腿骨骨折かなと見当をつける。
開放骨折ではないみたいだが(出血もしてないみたいだし)、骨折の度合いが分からないので、
"足の切断"、"完治してまた山に登れるのかな"ていうことばかり考えていた。

救助を待っている間は、ヘリコプターが来れるのかどうかが分からず、
最悪激痛に絶えて担架で下山という可能性もあったので精神的に辛かった。
でも、愛、小泉、大場が横に寝て体を温めてくれて、またみんなも絶えず声をかけて励ましてくれたので安心感はあった。

何時間待ったかは定かでないが、ヘリコプターがやってきたが何回かホバリングした後に帰っていってしまった。
風が強いからやっぱり駄目かと思ったがもっと大型のヘリを再度飛ばすのとのことを聞いてホットする。

さらに時間がたち遠くにヘリの爆音が聞こえてくる。
後はヘリが来れますようにと祈るしかない。
爆音が近くなったと思ったら遠くに消えていったということを何度か繰り返す。
ふと気がつくとヘリが真上にいるような感じ。レスキューの人の声も聞こえる。
やった助かったと思った。

すぐにツエルトがはがされて、担架に移動させられる。
右足の激痛に声も出ない。
そしてすぐにワイヤーで吊り上げられてヘリに収容される。
ヘリのなかでは、名前、住所、生年月日、負傷の状況などの質問を受ける。
10分くらいだろうか、いつも間にか病院の庭みたいなところに着陸していた。
外に運び出された時に、あまりの温かさと春の陽射しに生きてるぞ!助かった!と実感した。

 

反省点

1. 本登山前に仕事が非常に忙しかったが、前日の金曜日は早めに帰宅してゆっくり休養をとれたこと、また当日も体調は良かったことを考えると本事故の原因とは考えられない。

→ 入山までの体調管理も非常に大事。朝起きてみて疲れてるなと感じたら山行を中止する勇気を持つこと。

2. 危険なトラバースが終わりホットして後は単調な下りだけだと思ったことは確か。ここに心の油断があったと感じる。

→ 入山中つねにテンションを持続するのは疲れるし不可能であるので自身の精神コントロールが重要。やばい場所が終わったらホットするのは当然だが、そのホットした気持ちのまま歩きはじめるのではなく、しばらく立ち止まっても良いので、新たな気持ちで歩くぞという気構えを持てるよう精神コントロールすべき。

3. 先行する小泉が走るように斜面を下って行ったのを見て、たいした斜面じゃないなと油断してしまった。

→ よく他人の歩行みて参考にする場合があるが、あくまで参考に止めるべき。それぞれ体格、実力が違うのだから自分で歩いて状況判断するべき。

4. これほど状態の悪いもなか雪(雪の表面が氷化、雪の中がグサグサ)は経験がなく、歩きにくいと感じることはあったが自分に危険度を察知する経験がなかった。

→ 技術上の未熟さを痛感。ピッケルをもっとしっかりと根元までさしていたらこの事故は防げたはず。

5. 冬山を初めて2シーズン目、結構経験もつんだので富士山くらい大丈夫という油断と錯覚が慎重さを欠く原因となった。

→ 変に慣れてしまって危険感知力が落ちていたことは否めない。どんな山にも危険はあるという認識を常に持っていることが大事。

6. 滑落の瞬間はよく覚えていない。一瞬で気が付いたときには滑りはじめていた。推測では勢いよく踏み出して体重をかけた時に不安定な雪にバランスをくずしたのだと思う。

→ 冬山で滑落は死という認識を再度持って滑落しない歩行技術を磨く努力を続ける。

7. 滑落停止でなぜ止まらなかったのか?これも推測だが、雪面と体が平行に落ちなかったのでピックの刺さりが悪かったこと、及び雪が不安定だったのでピックにききが悪かったことの要因が重なったことが考えられる。

→ 滑落する直前の歩行状況により正しい滑落停止姿勢に入れな場合もある。もっと実践的な滑落停止の練習が必要。 また、今回の事故では大腿骨の単純骨折という結果で医学的知識を問われることはなかったが、もし頭を打っていたら、胸を打っていたら、頚椎をやっていたら、現場でのレスキューはまったく異なったものになっていたと考える。少なくても日赤のFirst Aid Rescueの知識は持って入山するべき。極論するとFirst Aidの知識がなければアルパインスタイルで山を登る資格がないという認識でいるべき。元気になったら日赤の講習会を受けてみようと思う。

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8 負傷者の現況

今回被事故者は奇跡的に右足大腿部粉砕骨折及び若干の擦過傷のみで一命を取止めた。
市立甲府病院搬送後の経過はおおむね順調で5月1日の手術、3週間の安静期間、リハビリを経て6月17日同病院を退院した。
自宅にて近隣の病院で週2回のリハビリを重ねつつ職場にも復帰している。今後は通院による治療を継続していく予定である。

9 終わりに

 この報告書を作成するにあたり被事故者が一命を取止め、かつ後遺症も残らずに済みそうな状況であることを考えるとその幸運に感謝せずにはおれない。
被事故者は未だ療養中ではあるがスムーズに社会と登山への復帰ができるよう会全体としてケアしていきたいと考えている。
一方、救助に際してお世話になった山梨県警の方々には多大なるお手数をおかけしたことにお詫びすると同時に深く感謝申し上げる次第であります。
同じ過ちを繰り返さぬよう今回の教訓をメンバー一同肝に銘じより安全なで山行ができるよう努力していく所存である。

10 付録

●新聞記事

●ルート図

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