たるの旅日記

ロシア・シベリアの大地編

9月26日 走れバイカル号((モスクワ)〜(イルクーツク))
9月27日 ロシア人と酒((モスクワ)〜(イルクーツク))
9月28日 時間軸を旅する((モスクワ)〜(イルクーツク))
9月29日 雨のイルクーツク((モスクワ)〜イルクーツク)
9月30日 初雪とバイカル湖(イルクーツク〜リストヴャンカ)
10月1日 優しい木(イルクーツク〜(ウランバートル)

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9月26日 走れバイカル号((モスクワ)〜(イルクーツク)) 車中泊

長い長いシベリア鉄道の旅が始まった。イルクーツクまで76時間、車中4泊の列車の旅だ。
旧ソ連の鉄道の総延長距離は14万キロ、なんと地球を3周半できる距離に相当するのだそうだ。この事実だけでもロシアがいかに大きな国であるかが実感できる。

僕たちをシベリアの大地に運んでくれる列車はNo.10バイカル号だ。ロシアにはすべての列車に番号が振られており、番号が若くなるほど所要時間が短い急行列車を意味する。僕たちのバイカル号は10番なので特急列車の部類に入るわけだ。

車内の様子について少しだけ解説しておこう。
古い旧ソ連製の車輌が現役で活躍していると思ったいたのだが、車内の内装は驚くほど新しくて清潔だった。通路には絨毯が敷かれ、車輌の出入り口には電光掲示板があり日付と時間が表示されている。
4人用コンパートメント内もなかなか快適だ。床には絨毯が敷き詰められ、窓際のテーブルには花瓶に生けた黄色い造花が飾られコンパートメント内の雰囲気を明るくするのに役立っている。各車両に給油機が設置されており勝手にお茶を入れたり、インスタントラーメンを作ったりできるのも有り難い。

初日がいくら綺麗でも時が経つにつれて車内は汚れ切ってしまうのではないか。そんな危惧もまったく心配無用だった。各車輌に乗り込んでいる車掌さんが毎日こまめに掃除に励んでくれるのだ。
廊下とコンパートメント内に掃除機をかけ、窓枠や壁は濡れ雑巾で拭ってくれる。トイレも一日数回という頻度で掃除してくれるので、いつでもピカピカに保たれている。どこかの国のようにトイレから悪臭が流れ出してくるなんて事態はロシアではありえない。


途中停車駅のホームに佇む老婆

数日間を列車の中で過ごさなければならない乗客に対する見事なまでの配慮が行き渡っている。これも旧ソ連崩壊後に始まったサービスなのだろうか。はっきり言って西ヨーロッパのイタリアやフランスあたりの列車に比べるとロシアの方がずっと快適だ。

コンパートメントの同乗者にはいささか心配していた。ウッカ好きの酔っ払い、騒々しい若者が乗り込んできたらどうしよう。同乗者のメンツによってはシベリア鉄道の旅を楽しむどころではない。長旅を一緒に過ごすパートナーはとても大切である。
そんな僕たちの心配も杞憂に終わった。一人はスーツを着たビジネスマン、彼は今朝早くに降りていってしまった。もう一人は太っちょのロシア人青年、大人しくて無口で人畜無害の人柄だ。但し、鼾が少しうるさいのが悩ましい。

とにかくシベリア鉄道の旅は順調な滑り出しと言えるだろう。憧れのシベリアの大地には意外なことに白樺の林が続いていた。そして、白樺林が途切れると枯れた草木が覆う荒涼とした大地が広がっている。大地には真っ黒な土が盛り上がっており、くすんだ空模様と合わさって索漠感を僕に押し付けてくる。人間の匂いも僅かしかない。開拓時代を思わせるような粗末な木造民家が忘れた頃に車窓を流れ去っていく。

そんなシベリアの風景にも良い加減飽きがくる。空白の時間を埋めるのは読書と昼寝しかない。今日だけで文庫本を2冊も読破してしまった。五味さんにたくさん本を頂いたので本が尽きる心配は無い。道中は思いっきり読書に耽ることにしよう。

シベリア鉄道の第一日目が沈む夕日とともに終わろうとしている。紅葉真っ盛りの白樺の残り葉の色彩が西日を浴びてさらに際立っている。すべてが黄金に輝き燃えているようだ。「黄金の秋」と呼ぶに相応しいシベリアの大地をバイカル号は走る。シベリアの旅は始まったばかりだ。

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9月27日 ロシア人と酒((モスクワ)〜(イルクーツク)) 車中泊

昨夜同室のメンバーに変化があった。太っちょの兄ちゃんが降り、丸刈りのロシア人青年が乗り込んできたのだ。僕たちが日本人であることが分かると驚きの表情を浮べ、「トヨタ、ニッサン、ソニー、パナソニック」と知っている限りの日本企業の名前を語り始めた。日本に関する少ない知識を総動員した彼の精一杯の僕たちに対する挨拶であることが分かる。

彼はロシアの軍隊に勤務しているそうだ。それも空軍のパイロットだという。大袈裟に感心する僕たちに気を良くしたのか、証拠写真を取り出して披露してくれた。軍用機の前に立つ彼の写真を僕も確認したのでパイロットの話は本当のようだ。
一通りの挨拶交換が終わると彼はスポーツバックを開けてビール瓶を一本取り出した。「一本だけか」と安心していると後から出るわ出るわ全部で5本のビールがテーブルに勢揃いした。「ウオッカも出るのか」と緊張しながら彼の一挙手一投足に注視していたのだが、ビールだけで打ち止めのようでほっと胸を撫で下ろした。コンパートメント内でウオッカの飲み比べなんかが始まったらそれこそ大変だ。

ロシア人の酒量は尋常ではない。僕たち日本人がどう逆立ちしても敵うはずがない。「ロシア人と酒は切っても切れない仲」「ロシア人はお酒と共に生きている」。そんな事実をロシアを旅していると毎日痛感させられる。
特にロシア人とビールは関係が深い。歩道を歩きながらビールをラッパ飲みする人、地下鉄に座りながらチビチビとビール瓶を傾ける人。酒焼けした赤ら顔のロシア男ならば「なるほど」と頷けるのだが、年若い普通のロシア人青年から若くて綺麗な女性までがビールと大の仲良しなのだ。

ロシア人にとってはビールなんて酒に入らない水のような飲み物なのだろう。実際にミネラルウォーターと比べるとビールの値段の方が弱冠安い。ビールで喉を潤した方が経済的という理由もある。老若男女がみんなこんな調子なのだから「ロシア人が酒に強い」のは当たり前なのだ。
パイロット兄ちゃんの朝もロシア風だった。寝起きに一杯、昨日持ち込んだビールをごくごくと流し込むように飲んでいる。「寝起きにコーヒー」は聞いたことがあるが「寝起きにビール」はロシアならではと断言できる。


買物に群がる乗客

お酒はさて置いて列車の旅の楽しみは食にある。景色も退屈、読書にも疲れてくると、人間の欲求は食い気に噴出するのだ。4泊5日の列車の旅に備えて僕たちもそれなりに食料を買い込んだのだが、はっきり言ってそれほど必要ではなかった。列車の旅の途中で食料調達が充分可能だからだ。

一日に数回は車内販売のおばちゃんが巡回してくれる。スナック、おつまみ、ビール、雑誌、もろもろ何でもお揃いだ。ワゴンを満載して歩いてくるおばちゃんの姿は日本の新幹線の車内販売を思い出させてくれる。
熱々のピロシキを僕たちは気に入った。毎回2、3個買っていると、おばちゃんは僕たちのコンパートメントを通り過ぎるたびに「買わないかねぇ」と一声掛けてくれようになった。一度など眠り込んでいた嫁さんを揺すり起こすという気の使いようである。

その土地土地の名産を食するのも旅の醍醐味だ。一日に数回は比較的大きな駅で20分程度停車するので、その時が食料調達の絶好の機会となる。自家製のペリメニ(餃子みたいな食べ物)、自家製の鳥の燻製、自家製の魚の燻製、自家製のお菓子、どれもがシベリアの味を感じさせてくれる。買い込んだ鳥や魚の燻製を酒のつまみにビールをチビチビやるのが最上の幸せだ。

今日も一日が平和に終わる。ガタゴトと規則正しく揺れる列車は極上の揺りかごだ。うとうとしながら目を覚ますとバイカル号はシベリア第一の大都市ノヴォシビルスクに近づいていた。大海原にホタルイカ漁船の灯を散りばめたような弱々しいネオンが瞬いている。そんな車窓をしばらく眺めていると、いつの間にか本格的な眠りに陥ってしまった。

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9月28日 時間軸を旅する((モスクワ)〜(イルクーツク)) 車中泊

広大なシベリア大陸を東へ向かうにつれて僕たちは幾つもの時間軸を飛び越えてきた。東西に広がるとてつもなく大きな領土を持つロシアには最西端であるカリーニングラードから最東端である極東(ウラジオストック)まで8時間の時差が存在するのだ。
僕たちの出発地であるモスクワ時間を基準にすると毎日1時間づつくらい夜明けと日没が早くなる。今日の夜明けはモスクワ時間で午前3時、そして午後4時を過ぎるとシベリアの大地は漆黒の闇に包まれていた。

毎日変わる時間軸に僕たちの生活リズムを合わせようとした。モスクワとイルクーツクの時差は5時間、少しずつ体を慣らしていけば時差ぼけに悩む必要もないだろうという配慮である。
モスクワ時間を刻む時計を見るのではなく太陽の高さと明るさに応じて食事を取り寝起きするよう心掛けた。それは僕たちだけではないようで、バイカル号に同乗した乗客全員の行動である。だから、今日の就寝は早かった。モスクワ時間ではまだまだ宵の口である午後6時過ぎには乗客の話し声が絶え車内は静まり返った。

シベリア鉄道の旅で忘れてはならないのが車掌さんの存在だろう。何故か圧倒的に女性が多い。でっぷりと太ったおばちゃんから細身の若い美人までバイカル号では男性の車掌は一人も見掛けなかった。
各車両に2人一組で詰めており24時間体制だ。僕たちの車両はおばちゃんと可愛い女性の組み合わせだった。チケットのチェックから始まり、シーツの配布、給湯器の管理、暖房の管理、トイレやコンパートメントの掃除、下車駅が近づいた乗客へのお知らせ(真夜中であっても起こしてくれるので絶対に乗り過ごす心配がない)、彼女達の仕事は多岐に渡りかなりの重労働だ。
車掌が各車両の絶対の権限を持っており、彼女達に睨まれるとシベリア鉄道の旅もままならない。僕は彼女達とすれ違うたびに愛想笑いを浮かべていたのだが、彼女達からは一度たりとも笑顔が返ってきたことはなかった。職務に忠実ということにしておこう。

今日でシベリア鉄道の旅も最終日だ。もっと長く感じて退屈するのかなぁと思っていたのだが、終わってみれば短い4日間だった。景色も楽しめたし食も楽しめた。毎日ベットにゴロゴロゴロゴロするだけで歩く必要も無い。こんな怠惰な旅の生活をたまに過ごすのも良い。
一番辛かったのはシャワーを浴びれないことだった。秋口の現在はそれほど体もべたつかないが、頭の髪の毛がこってりと固まった感じで痒くて仕方が無い。夏場で暑さ真っ盛りの頃はもっと大変な旅となっていただろう。

今日も変化の無い一日だった。読書、昼寝、酒、そしてパイロット兄ちゃんとお話して楽しんだ。パイロット兄ちゃんのような若者の世代にとっては日本(というか日本製品)は憧れの的のようだ。
「トヨタ、ホンダ、ニッサンを比べるとどの会社が一番上なのだ」「ソニー、パナソニックはどちらが上なんだ。やっぱりサンヨーは少し落ちるよね」などなど各社をランク付けしたがるのが僕には面白かった。

夕方に風邪を引いて咳をコンコンするおばさんが乗り込んできて僕たちのコンパートメントは満室となった。おばさんはモスクワより5時間も早いイルクーツク時間で生活している。モスクワ時間で午後6時過ぎ(イルクーツク時間では午後11時過ぎ)にはコンパートメント内の電気を消して寝入ってしまった。

日中の昼寝と明日はイルクーツクに到着するんだという興奮で僕はなかなか寝付けなかった。パイロット兄ちゃんも何度も寝返りを打っているので寝付けないのは僕と同じだろう。車内はほどよく暖房が効いており快適だ。僕は未だ見ぬイルクーツクの街並みを想像しながら眠気が襲ってくるのをひたすら待つことにした。明日でシベリア鉄道の旅が終わるのだ。

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9月29日 雨のイルクーツク((モスクワ)〜イルクーツク) Hotel Rus 1537Rb

モスクワ時間の午前4時過ぎ、イルクーツク時間の午前9時過ぎにバイカル号はシベリア横断の旅を静かに終えた。驚愕させられるのはバイカル号の到着時間が時刻表通りだったことだ。76時間という長大な列車の旅の中、数分の誤差で目的地に到着してしまうのは本当に凄い。途中の駅で時刻表から30分前後遅れていたことがあったのだが、バイカル号は頑張って走り抜き最終的には帳尻を合わせたのだ。数時間、下手すれば半日くらいは遅れるかなぁとのんびり構えていた僕は「まさか?」という驚きと共に「ロシアはやっぱり底知れない力を持っている」という思いをあらたにした。

遥々と4日もかけてやって来たイルクーツクなのに、輝く太陽ではなく冷たい雨が僕たちを迎えてくれた。電光掲示板の温度計は5度を表示しているが風が吹かないせいか体感温度はそれほど寒くはない。
バイカル号の乗客は次々と駅舎の外に吐き出されタクシーやバスで各地に散っていってしまった。車内で一緒だった何人かのバックパッカーもそれぞれの道に向かったのだろう。一通りあたりを見渡したのだが、それらしき姿を発見することはできなかった。

「さて僕たちはどうしようか」。新しい街に降り立った瞬間、一番緊張する一瞬であり最もワクワクする一瞬でもある。この街では僕たちが主役、どこに行こうがどこに泊まろうが、すべては僕たちの手の中にあるからだ。
闇タクの運転手からの勧誘が激しいがタクシーを利用する気分にはならない。目の前にはバスや路面電車が走っているのだ。公共の交通機関を利用して移動するのがバックパッカーの本道だろう。苦労して公共交通機関に乗った方がタクシーですっ飛ばすよりも遥かに早く新しい街の概要を掴むことができるのだ。

駅舎の前で思案しているとゴトゴトと大きな音をたてながら路面電車が滑り込んできた。入口に向かってわっと走る人々の流れに乗って何となく僕たちも歩み寄り、女車掌さんにロシア語で行き先を書いた紙片を見せると「ダー」と頷くのでとにかく荷物を抱えて乗り込むことにした。
イルクーツクはアンガラ川によって東西に分断されており、イルクーツク駅は西岸、市内は東岸にある。路面電車は西岸と東岸を結ぶ大きな橋を渡り、5分ばかりすると店が賑やかな繁華街のような地区を走り始めた。

女車掌さんに押し出されるように路面電車を降り、道路名の標識と地図を照らし合わせると目的地から当たらずとも遠からずの場所で僕たちは降ろされたことが分かった。
偶然目に入った一軒の安宿をチェックすると残念ながら満室だと断られてしまった。ロシアでは一極集中的にホテルが固まるホテル街がなく、街中にホテルが散っているのでホテル探しにはいつも苦労を強いられる。しかも安宿(それでも一泊3000円以上は取られる)の数が限られているので安い部屋を確保するのが非常に難しいのだ。

五味さんに頂いた本の重量分だけ確実にザックは重くなり、降りしきる雨がホテル探しの気力を減退させる。2軒目は近場の中級ホテルを攻めたのだが、ここも満室と断られてしまった。フロントの前で僕たちは余りにもがっかりした顔をしていたのだろう。フロントに座る女性2人が話し合った結果、何故か僕たちに部屋が提供されることになった。これもサンクトと同じ現象で、部屋はあるのだが外国人を宿泊させるのが面倒臭いので部屋はないと嘘をつかれたのかもしれない。

それにしてもロシアのホテル代は頭が痛い。今日もダブルで一泊1500ルーブル(約6000円)も払ってしまった。最近はホテル代の感覚が麻痺してしまい6000円なんか高いとも思わなくなってしまった。まあ、部屋にはテレビあり、シャワー・トイレあり、冷蔵庫ありでそれなりの快適が約束されているので良しとすることにした。これから向かうモンゴルや中国ではもっと財布の紐を引き締めないと旅の資金がすぐに底をついてしまう。

イルクーツクから少し南下するとモンゴルが控えている。そんな地理的な理由からなのかイルクーツクの街中にはアジア系の人々がかなり目立つ。しかも僕たちと同じような顔立ちを持った人々が多い。彼らは絶対にモンゴル系だろう。サンクトやモスクワでは東洋系の僕たちは明らかに浮き上がっていたのだが、イルクーツクでは服装を地味に決めればさらに街に溶け込める。今日も外国人であることをそれほど意識することなく違和感を持たずに街歩きを楽しむことができた。

シベリア辺境の街でも資本主義はしっかり浸透しているようだ。一番の目抜き通りカールマルサス通りにはレストランや商店がずらっと並び、物不足の片鱗さえ感じさせない。食料や日用品などの価格は辺境の地だからといって特に高いわけではない。僕の想像以上の都会振りで街並みが地味なのを無視すれば生活レベルはヨーロッパロシアと大きな差はないように感じる。

イルクーツクらしさを発揮しているのが木造建築だ。1800年代帝政ロシア時代の木造民家が当時のままの姿で残っている。一部は石造りのヨーロッパ風建築に取って代わられているが、少しメイン通りを外れるとまだまだ朽ちかけた木造民家が当時のイルクーツクの姿を物語ってくれる。そして、僕は辺境シベリアの地にたどり着いたと一人感慨に浸ることができるのだ。

冷たい雨が降り止むことはない。肌寒いというほどではないが、長時間外気に曝されていると冷凍庫に放り込まれたような底冷えを感じる。もっと街歩きを楽しみたかったのだが、明日のバイカル湖行きバスの時間調査と明後日のモンゴル行き列車のチケットを手配するという最低限やらなければならない仕事を終えると快適なホテルに逃げ帰ってしまった。

今日も僕のお気に入りのビール「バルチィカ」で喉を潤しているとテレビから明日の天気予報が流れてきた。残念ながら明日も雨、イルクーツク滞在中は天気に恵まれることはないのだろうか。是非晴れたバイカル湖を拝みたいものだ。「晴れ男と晴れ女」のパワーに期待するしかない。

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9月30日 初雪とバイカル湖(イルクーツク〜リストヴャンカ) 安宿 ドミ200Rb

昨日から降り出した雨はまったく止む気配を見せない。イルクーツクの午前7時はまだ日の出前で真っ暗闇だ。数分毎に僕は窓から外を見ながら逡巡していた。出発しようか、今日はホテルで一日のんびり過ごそうか、僕の心はなかなか決まらない。
シベリア鉄道の沿線上にあるイルクーツクで途中下車した最大の理由はバイカル湖を訪れることだった。「シベリアの真珠」と謳われるバイカル湖は避けて通れない。そう思ってモンゴルまでの長い道中をイルクーツクで一息入れることにしたのだ。

自然の美しさの演出は天候次第だ。雨模様の中をバイカル湖に強行突入しても「楽しめない」のは分かっている。それでも僕の心は逸っていた。せっかくバイカル湖を見るためにイルクーツクまでやって来たのに一日を無駄にしても良いのだろうか。それにこんな値段の高いホテルに連泊するのは明らかに贅沢だ。

悩みに悩んで30分、僕は決心して荷造りを始めた。快適なホテルに未練満々の嫁さんも僕が荷造りする姿に諦めを感じたようだ。ブツブツ文句を言いながら散らばった荷物をザックに詰め込み始めた。
暖房が行き渡ったホテルの部屋に居れば分からなかったのだが、今朝は昨日以上の冷え込みに見舞われている。テレビの天気予報では今日も雨が降り続く。気温は氷点下1度を記録していた。9月末で氷点下を割り込むとはさすが「世界の冷蔵庫」シベリアだけのことはある。

僕たちのホテルからバスターミナルまでは徒歩でたっぷり30分もかかる。寒空の中を長時間歩くのは辛いなぁと思いながら走り去るバスに目を止めていると「バスターミナル」とロシア語で表示された看板をボディーに掲げるバスを発見した。これ幸いとばかり運転手に行き先を尋ねると期待通りバスターミナル行きだった。乗車賃6ルーブル(約24円)を支払って僕たちは幸せを感じながらバスに乗り込んだ。

バイカル湖はイルクーツク観光の目玉だけのことはある。バスターミナルに到着すると観光客を狙ったタクシー運転手からさかんに声を掛けられた。観光シーズンも終わりしかも雨が降っている今日などは運転手の仕事もあがったりなのだろう。
バスのチケットを買ってベンチで座っているとアジア系の運転手が僕たちに近寄ってきた。顔立ちからモンゴル系か韓国系のおじさんであることが分かる。アジアの同胞である僕たちに親近感を抱くのかおじさんは笑顔満載で喋ってくれるのだが、ロシア語だけなのでさっぱり理解できなかった。「一緒にタクシーでバイカル湖に行こうよ」と熱心にお誘いしてくれているのは雰囲気で伝わってくる。僕たちがすでにバスのチケットを持っていることを知ると残念そうな表情を浮かべて立ち去ってしまった。
そのおじさんの後姿に微笑みを誘われた。おじさんは完全にアジアの体型をしていたのだ。ロシアの男性は足が長くてすらっとした格好なのだが、おじさんは短足胴長の典型的なアジア型。短い足を忙しなく動かしてひょこひょこ歩く姿は鏡に写った僕自身を見ているようだった。

午前9時過ぎにローカルバスはバイカル湖に向けて出発した。イルクーツク市内を通り抜けて20分も走ると僕はさらに憂鬱になり今日の出発を後悔し始めた。激しい雨がミゾレに変わり、枯れた草木が生える大地の隙間を真っ白な雪が覆っているのだ。そして、いつの間にか車窓は吹雪きが舞っている。9月末に早くも今年の初雪を体験してしまった。
車内は僅かな暖房が入っているのだが、外気温の寒さには勝てない。車内は冷凍庫状態で僕は寒くて寒くてしょうがなかった。そして、寒さのあまりお腹も痛くなってきた。おしっこもしたい。 リストヴャンカまでの1時間は尿意と便意との戦いだった。

バイカル湖までやって来ると吹雪きはふたたび雨に戻ったようだ。裏手がフェリーターミナルになっている小さなバスターミナルでバスを降りると強風が僕たちを襲った。あまりにも強い風なので僕も嫁さんも一発で傘を壊してしまった。「大変なところに来てしまった」。降りしきる雨を一身に浴び、寒さで体を震わせながら僕も嫁さんも泣き出したい気分に駆られた。
バスターミナル裏手のバイカル湖には大波が「ザッパーン」という音を響かせて暴れている。陰鬱とした曇り空、強風に大雨、押し寄せる大波、冬の日本海そのものの光景に僕は自分が置かれている立場を忘れて懐かしさを感じてしまった。


バイカル湖のほとりで

リストヴャンカには掃いて捨てるほど民宿があるとガイドブックには紹介されていたのだが、見回したところそれらしい建物はまったく見当たらない。同じバスに乗り込んでいたイギリス人のデビットも「どうしたらいいのだろう」という感じで戸惑っている。
適当に歩き始めるとすぐにホテルが見付かった。3人で避難するようにホテルに転がり込む。冬のバイカル湖に観光客の姿がないのが当たり前でホテルはガラガラだった。ドミトリーで一人200ルーブル、昨日の高級ホテルの四分の一の値段だ。これが僕たちの身の丈にあったホテルなのだ。

ドミトリーには暖房がなく小さな電気ストーブがあるだけなのだが、雨露が凌げるだけでも有り難い。デビットも僕たちもしばらくはぐったりとドミトリーのベットから動けなかった。

3時間ばかりうだうだ過ごしてからバイカル湖に出掛けることにした。冷たい雨は依然として降り続いており、とても外を出歩く気分にはらない。「バイカル湖を観光しなければ」という義務感だけが僕たちを突き動かした。

はっきり言ってバイカル湖は期待外れだった。横から見ても正面から見ても「シベリアの真珠」と呼ばれるほどには美しくない。世界一の透明度を誇るそうなのだが、それも降り続く雨で濁ってしまっている。バイカル湖は特筆することがない普通の湖だったのだ。
バイカル湖のがっかりとは裏腹に興味深かったのがリストヴャンカの街並みだ。ここでも歴史を感じさせる木造民家が主流、煙突から人の気配をあたたかく感じさせる煙が立ち昇っている風景は旅情を僕に感じさせてくれた。

1時間ばかりの散歩でホテルに戻ってきた。そして同室のデビットとの話に花が咲く。デビッドはなかなかの日本党で日本の食べ物に結構造詣が深かった。デビットの話で興味を惹かれたのが一つ。
「イルクーツクが僕の初めてのアジアなんだ」。デビットの言葉に僕はなるほどと頷いてしまった。僕たちにとってはイルクーツクはまだまだヨーロッパの香りが強いのだが、ヨーロッパに住むデビットにとってはイルクーツクはエキゾチックなアジアと感じるのだろう。ロシアの中央モスクワ寄りにウラル山脈が縦横に走っており、ウラル山脈より西がヨーロッパ、ウラル山脈より東がアジアだと考えられている。デビットの一言はこの通説を裏付けるものだった。

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10月1日 優しい木(イルクーツク〜(ウランバートル) 車中泊

シベリアの大地は木で覆われている。紅葉に色付いた白樺、濃い緑の葉をつける針葉樹、葉をすべて落とした枯れ木、どこに振り向いても必ず木が目に飛び込んでくる。
豊富な木材が周囲に存在するのだからシベリアの建物も木造が多い。イルクーツクからリストヴャンカまでの樹林地帯に点在する民家は100%がログハウスの山小屋調であった。屋根の形が異なったり、窓枠に粋な彫刻が施されていたりと各戸それぞれの趣向が凝らされている。箱型コンクリート製のマンションが多いヨーロッパロシアに比べると木造の民家からはどことなく温かさが伝わってきて目の保養になる。


イルクーツクの木造住宅

大都市イルクーツクでも繁華街こそ煉瓦造りやコンクリート製の建物が見受けられるが、一歩路地裏に入ると並木道の両側に古い味わいのある木造住宅が並んでいる。
落ち葉が重なり「黄色い絨毯」となった路地裏を当てもなく散策していると日本を思い出して懐かしさに駆られる。木の存在は人間に癒しを与え優しい気分にさせてくれるのだ。
ヨーロッパから続いていた「石の文化」も重厚感があり感銘を受けるのだが、日本人である僕にとっては「木の文化」の方が性に合っている。

今朝はようやく雨が降り止んだ。厚い雲が空に垂れ込めてはいるが傘を差す煩わしさから開放されただけでも有り難い。バイカル湖岸を歩いている薄雲の部分から太陽の日差しが降り注ぎ始めた。バイカル湖がキラキラと輝き始めた。昨日は分からなかった湖面の色が一瞬の輝くの中で浮き立った。思った以上に透明感があるのに驚かされる。淡い水色と濃い水色が交じり合ったような湖面は静かな美しさを湛えていた。

青空に映えたバイカル湖はさぞかし美しいだろう。曇った空を見上げながら僕たちは溜息を付き、未練を残しながら午前11時発イルクーツク行きのバスに乗り込んだ。
イルクーツクに戻る途中の小さな峠道、昨日は降り積もっていた雪がすでに溶けてしまっている。気温も昨日ほどは冷え込んでおらず、バスの中で震えを我慢する必要もなかった。

イルクーツクのバスターミナルに到着する手前でバスを降りて路面電車に乗り換えた。イルクーツク市内に限ればバスも路面電車も結構乗りこなせるまでに慣れ親しんだ。公共交通機関を自由に利用できるようになるとイルクーツクが自分の街になったようで素直に嬉しい。
鉄道駅で荷物を預けて再び路面電車で街に繰り出した。今日の夜行列車は午後8時23分発なのでイルクーツクを観光する時間はたっぷり残っている。

イルクーツクの繁華街カールマルサス通りに戻るとちょうどお昼時だった。最後のロシア料理を楽しもうと思って今日はレストランで食事することにした。ロシアの定番ボルシチとキノコとチーズを絡めたソースを焼いた豚肉に乗せた料理を身振り手振りで注文する。メニューがロシア語だったので僕たちの隣の席で食べている人の料理を指差したのだ。
メニューで豚肉料理を確認すると70ルーブル(約2ドル)だった。だから僕たちは安心して注文したのだが、清算の時には2倍の140ルーブル(約4ドル)が請求されている。このカラクリはすぐに明確になった。ロシアでは料理(特に肉料理)はグラムで頼むそうなのだ。70ルーブルは100グラムの値段、僕たちが2人なのを考慮してレストランのお姉ちゃんが勝手に200グラム注文してしまったのだ。
場末の安いカフェでもちょっと座って食事をすると一人3ドルは簡単に突破してしまう。「お腹一杯食べられる」アジアに早く戻りたい。

ちょっと胃袋に物足りなさを感じながらイルクーツクの街並みを当てもなく歩き回った。午後から急速に天候が回復。空一杯に広がった青空に気持ちは浮き立つのだが、「もうちょっと早く晴れてくれればバイカル湖ももっと綺麗だったろうに」と思うと少し恨めしくもある。

中央市場でモンゴルまでの食料を買出しすることにした。大きな屋内中央市場を値踏みしながら歩いていると、「あれっ」と驚く一角に行き当たった。キムチ、ワラビの煮付け、もやしのサラダ、湯葉、などなど韓国食材を韓国系のあじゅま(おばちゃん)やあがし(お姉ちゃん)が売っているのだ。そう言えば、一昨日訪れたスーパーマーケットには韓国のりや僕の好物の辛ラーメンが並んでいた。
イルクーツクにもかなりの数の韓国系ロシア人が住んでいるようだ。ウズベキスタンを筆頭とした中央アジア諸国と同様にスターリン時代に辺境の地に強制移住させられた人々なのだろう。その責任の大部分が戦前の日本にあるだけに、異国ロシアで頑張っている韓国系の人々の姿を目にするにつけ僕は複雑な気分にさせられる。

閉店の午後7時まで中央市場とその隣にあるグム百貨店でウインドウショッピングを楽しんでから、ロシア最後の街となるイルクーツクとの名残を惜しむためにさらに散歩を重ねた。愛着が湧き出したイルクーツクの街並みを駅に向かう路面電車の中からもしっかりと目に焼き付けた。シベリア辺境の地をふたたび訪れる機会に僕は恵まれるのだろうか。

ウランバートル行き列車はバックパッカーで溢れていた。僕たちのコンパートメントはイギリス人カップルと一緒、隣のコンパートメントはスイス人とオランダ人の男性2人組だ。その他にもオーストラリア人の熟年カップル、イギリス人の男性3人組、これだけのバックパッカーがイルクーツクのどこに潜んでいたのかと驚いてしまう。僕たちの車両の乗客の半分以上が旅行者で占められていた。

イギリス人カップル、スイス人とオランダ人の男性2人組と一緒にウオッカと飲みながらカードを楽しんでいる時だった。ドアを開け放した僕たちのコンパートメントを覗き込んだ車掌のおばちゃんがウオッカを指差しながら怒っているのだ。「ニエット、ニエット」と叫んでいる。
僕は初めて知ったのだが、車内でウオッカの飲酒は禁止されていたのだ。バイカル号の中でウオッカを飲むロシア人が一人も居なかった理由もこれで納得できた。
ロシア人の代名詞のようなウオッカを禁止してしまうなんて、ロシアも大胆な規則を作るよなぁ。僕たち6人で大笑いしてしまった。

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