ゴルトムンツ『神無月』
―完成に寄せて―

Goldmunt: ショーイチ(左)、Tom(右)▼
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@夜になるまで Aビッグ・ママ
Bちゃんとするんだ Cきっとくるに違いない
深夜0時。青葉通り三番丁の角から一番丁方面を望みながらぼんやり。ゴルトムンツのCDのライナーノーツを書いてくれなどと言われたからだ、ふとよぎる情景があった。もう十何年前になるんだろう。ショーイチとTomがアコースティックギターを鳴らしながらアーケードの天井に向かって歌っている。こいつらにしてはやけに爽やかなコード進行だ。かけ合いで繰り返し、同じ歌詞が響く。……How are you?……I'm fine. Thank you!同じコードの中で微妙にメロディーを変えながら、やがてマイナーコードに変えたり転調したりしながら、延々と、しつこく、くどくど続く。「人間」はショーイチにとって初めてのバンドだった。渋谷K(g.)に無理やり歌わされた、と聞いたように思う。ショーイチの資質をかいかぶった渋谷Kの「抜擢」である。レイ・マンザレクとジム・モリソンの関係を俺は思い浮かべた。幸か不幸か、ショーイチは27才を過ぎてもまだ生きている。なぜか……?「人間」は大学のサークル内でできたバンドだった。
まずドラムのアベマが卒業したが、彼の就職先は大学と同じ市内、さした問題もなくバンドは存続した。しかし翌年、ベースのRyoが卒業して旅立ってしまった。Ryoを呼び戻してやっと参加するGIG、そしてRecording。活動の場は少々せばまざるをえなかった。
しかしそんなバンド状況は決して「人間」にとって負の方向にばかりは作用しなかった。「人間」にとっての唯一のスタジオ録音アルバム「Great Ningen」にあふれる、ショーイチのルーズさを生かしたままの、サウンド全体にこれでもかと詰め込まれた緊張感がそれを物語っている。「Great Ningen」は最高のものでなくてはならない、とにかく「Great」でなけりゃならない、渋谷Kにとってそれは切実な課題だった。そして自らに課した大重難題を見事にクリアし、Japanese Rock Historyに確実に「隠れた大きな一歩」を刻み、渋谷Kは北海道へと去っていった。
ショーイチは取り残された……ように俺の目には映った。アベマは彼のためにはいつだってあの最高のドラムを叩いてくれる。身近にキムラというベーシストも発掘した。がしかし彼の「うた」に生命力を与えるギタリストがいない。そんなふうに俺の目には映っていた。だがそれは「ショーイチのプロデューサーは渋谷K」と決め付けた俺の単なる勘違い、杞憂に過ぎなかった。ショーイチが自身で立ち上げた新しいバンド・SUPERMADMANで、次々に「人間」の時以上に優れた曲を発表し続ける彼の姿を前にすれば、俺の杞憂など「浅はかな思考回路のうんこ」でしかなかったと言うしかない。
だが、彼が27才を過ぎてもまだまだ生きている理由は、「ショーイチのプロデューサーは実は渋谷Kじゃなかったから」じゃなかった「SPEED」は――こう言ってもTomは怒ったりしないだろうから言ってしまうが――「人間」に歩み寄っていったバンドだった。その証拠はいくつも残っている。しかし同時にショーイチもTomという人間を、一人の独立した孤高の才能を有するアーチストとして認めていたというのも事実だった。そんな目には見えない絆があったからこその「人間」以降のショーイチとSPEEDの一種独特で微妙なリンクなのだ。
申し訳ないが、SPEEDがいつどうして消滅し、Tomの音楽世界がどういう行程を経て「親指トムバンド」へと昇華していったのか、詳しいところは知らない。ハーピストとしてTom自身が、ギタリストとしてSurugaが、SUPERMADMANへと絡みつく間に、Tom自身の中で膨らんでいったものが親指トムバンドへと結実した、と見るのが妥当なところなんだろう。
ともあれ、SPEEDのギタリストSurugaはSUPER MADMANのギタリストとして腰をすえ、Tomはショーイチとは完全に別の場所で活動することとなった。その結果として、SUPERMADMANと比肩しうる数少ないバンド、親指トムバンドが誕生することとなったのだから、何事も、やはり最後まで見てみなくちゃわからないものである。
ショーイチがとある交差点でTomに別の道を歩ませた、と見るのは俺自身のなんともうがった見方でしかないが、「自分の子分」みたいな扱いをしたくなかったからこそ「SUPERMADMANにTomは不要」と決したんだと、そう俺は思っている。SUPER MADMANは一枚のまとまったアルバムを出した。マッドマンどうなってんの?と訊けばいつでも「レコーディングしてる」とショーイチは言う。
親指トムバンドもシングルを発表し、バンド自身のHPにもハイクォリティーな楽曲をアップしている。マッドマン以上に精力的にGIGを行っている。
そんな日々を重ね、ショーイチどころかTomまでもとっくに27才を越えてしまった。いまだに、ジム・モリソンやジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンが27才で到達してしまった地点へとたどり着けないでいるのを、彼らの魂も肉体もわかっているからだ。――俺(たち)はまだ、一つも満足しちゃいねえんだ!
で、再会である。……How are you?……I'm fine. Thank you!『神無月』と名づけられたショーイチ とTomの新ユニット「ゴルトムンツ」の四曲入りCDの中には、十数年前のあの夜、アーケードの天井に消え入っていった無為な爽やかさや投げやりなだけの軽さはない。ひねくれた爽やかさと軽さ、そんなものも一つの個性ではあるし、存在する価値のあるものだが、「今さら」である。そんなものを持ち出すために「再会」したわけじゃないのだ。第一、アベマが許さない。ガク・ブルースだって黙っちゃいない。
もちろんこのCDの中にも「爽やかさ」や「軽さ」は存在する。そこらじゅうにちりばめられていると言ってもいいぐらいだ。しかしそこで俺が見たのは、彼らが心の底から滲み出す「真の爽やかさ」だった。彼らが自身の音楽活動の中で自らの肉体に刻み込んでいった「真の軽さ」だった。
はてさて、ここまでショーイチとTomばかりについて書いてきたが、このCDが、両者共に音楽的技量においては一流の部類に属するSUPERMADMANと親指トムバンドの「SUPER SESSION」的作品となっている、ということも忘れてはならない。
まずは、北海道で音楽活動を続けている渋谷Kがいまだに「超一流のリズムキーパー」として敬愛してやまないアベマである。
「『夜になるまで』でのキック、『ビッグ・ママ』のギターのフレーズに呼応するハイハット、『きっとくるにちがいない』の刻み方、うっとりしてしまいます。こんな日本人、アマチュアはおろか、プロのCDでもあまり聴けたもんではありません。アベマさんのドラムを録音の世界で救済するNGOを設立する予定です」……とは渋谷本人の言である。
そしてガク・ブルース。親指トムバンドの演奏を聞くたびに「すっげえカックイイバンドやなあ」などと思うこと仕切りなんであるが、そのタイトさを生んでいるHeartbeatはここでも存分に堪能できる。
マッドマンでも時おりベーシストとしての存在以上に存在感を発揮するキムラほかのコーラス隊も、このCDに見事なまとまりと華を添えている。●夜になるまで
自身の中で渦巻いてる音を自らの手で初めて音盤に刻むという作業にいそしんでるさなか、ショーイチはこんな言い方で自分が作ろうとしているCDの解説をした。
……キースのギターとトム・ウェイツの世界を意識してる。
この曲にこの発言の前半部分が大きく作用しているのは言うまでもない。ひたすら同じコードの連続、その中でこそ歌わせることのできるものを黙々と修行僧のように追及しているショーイチの姿が目に浮かぶ。個人的には「魂」なんて言葉を歌に入れる奴はあまり好きではないが、この言葉がどうしたって必要だったのだ、と思わせてくれた。
最後にぼそぼそぼそぼそ何か言ってるけど、ヘッドフォンで集中して300回ぐらい聞くと聞き取れます。
●ビッグ・ママ可愛い曲だ。聞くほどに「もっと!」と思っちまう。そんなことを思っちまう可愛い自分を、Tomの声が優しく包み込んでくれる。
この曲にはショーイチの発言の後半部分が色濃く出ている、それが〈可愛さマジック〉を生むにいたっている。不思議な歌だ。
dododododo-Wa! で、「do」の回数がなかなか合わず、コーラスのキムラがぶち切れそうになった、らしい。
●ちゃんとするんだ!
渋谷Kもカバーしている名曲。ミキサーのオーヤマ氏が「こんなんでいいの!?」と言ったという。それぐらい何のエフェクトもかかっていない。もちろんこれでいいのだ。ヘッドフォンで聞くとそれがよくわかる。
しかしこのハモり具合ったら、もう「しょーけんブラザース」である。(ちなみに大内屋前での路上GIGで、彼らは「しょーちゃんけんちゃん」だった)●きっとくるにちがいない
「親指トムバンド」のGIGでも「決め」で登場する名曲。ストーンズの「Time Waits For No One」ばりの感動的な仕上がり!そのために大健闘してるのはかつての盟友・Surugaだが、その裏でいろいろ弾きまくっているもう一人のギタリストのくどさも決して聞き逃してはいけない。
ショーイチとは対照的な可愛い系(?)のTomの歌がなかなか切ない。だから、そう、サビのフレーズでボロッと涙がこぼれちまっても何も恥ずかしがることはありません。
クレジットにもはっきり記されている通り、この4曲入りCDは「ショーイチプロデュース」である。
そこんところはっきりさせるために、37才のショーイチはスタジオに足を運び続けたのだ。