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一昔前に比べると、本や雑誌論文は容易に検索し、入手できるようになりました。しかしそれに伴って、多すぎてどれから手を付けてよいかわからないという状況も年々増しています。一つの解決 策は、手分けして文献情報の編集を行っていくことなのだと思います。

以下は、個人的趣味に大きく規定されたものではありますが、そういう意味で、ジャングルのなかのわずかな手がかり程度にはなればと、学術書や学術雑誌所収の論文も含め、分野別にいくつかお勧めのものを順次紹介していきます。それぞれ簡単に付してる解題(というほどのものではまったくありませんし、結構いい加減なものもあるのでご注意ください)に対する異論・反論・訂正・疑問は枝葉末節的なものでも結構ですので随時歓迎いたします(メール等でお願いします。匿名でも結構です)。

なお、以下の文章は予告・事後報告なしに修正・削除する場合がありますし、すでにそうした例はいくつかあります。関連の高い文献をまとめるために順番の入れ替えもしばしばあります。

 

社会学(社会学一般および歴史社会学)   2013.8.23更新  エスニシティ・ナショナリズム論   2013.8.22更新 

イスラエル・パレスチナ関連  ユダヤ史 ロシア史  2013.3.25更新 その他 語学(英・露・ヘブ・独・日)  

 

【社会学(社会学一般および歴史社会学)】 人間の歴史・社会を分析する上で、社会学は重要な指針を提供してくれます。すでにさまざまな視点や理論の蓄積があり、それらを無視してゼロから始めるのは非効率で、苦労して発掘した独自の視点・理論だと思い込んでいたものが、実は社会学では常識的な話、ということにもなりかねません。とはいえ、社会学もある時代の産物であって、それゆえの可能性と限界を常に携えていることには自覚的であるべきです。日本の社会科学の中で、社会学は名声という面でかなりマイノリティなので、その効用を宣伝しがちではありますが、そこはぐっとこらえるしかありません。

<雑誌>『社会学評論』,『ソシオロジ』,American Journal of Sociology, American Sociological Review, Annual Review of Sociology, British Journal of Sociology, Theory and Society, The Journal of Historical Sociology などが有名です(英語誌では,雑誌の質の1つの指標である影響度(引用回数など)については最初の3つが社会学での御三家という感じのようです。最後の2つ,とりわけ最後のものは歴史社会学に関する雑誌です)。サイト管理者の所属の専攻が発行している(しかし,紀要ではなく査読付きで,誰でも投稿できます)『相関社会科学』も宣伝しておきます。例年半分弱が社会学関連の論文です。

<入門用>

1. 友枝敏雄他著『社会学のエッセンス―世の中のしくみを見ぬく』有斐閣(有斐閣アルマ),1996年

 社会学の基本的な考え方を日常世界に引き付けて平易に,しかし確実に説明しています。社会学に入門するつもりがない人にも有益な本だと思います。入門書らしく章ごとに文献案内もあり,入門書としては十分すぎる出来ではないでしょうか。

2. 倉沢進他編『社会学入門』(新訂)放送大学教育振興会,2003年

 放送大学の教材ですが,コンパクトに社会学のエッセンスをまとめています(放送を聴かなくても理解できるようになっています)。本書に限らず,放送大学の教材は,地味な外観とは裏腹に,入門用としてはなかなかいいものが多い気がします。

3. Richard Jenkins, Social Identity, London: Routledge, 1996

 人はいかにしてアイデンティティを形成していくのか、ということについての突っ込んだ概説書です(専門書とも言っていいレベルですが、ある程度無難にまとめられています)。書名に反して、著者は基本的に個人的なアイデンティティと社会的なアイデンティティを分別しません。人のアイデンティティはある社会におけるthe internal-external dialectic of identification(つまり、個人内発的なアイデンティフィケーションと社会から向けられるアイデンティフィケーションの絶えざる弁証法的な対話)で成り立っているからです。というのが本書の基本的なコンセプトです。人間というものについて考える上で重要な道具となるのは心理学だけではないことが分かるでしょう。

4. 那須寿編『クロニクル社会学―人と理論の魅力を語る』有斐閣(有斐閣アルマ),1997年

 理論社会学の入門用にはこの本が適しています。著名な理論家の理論の要点を簡潔に概観し,章ごとに文献案内を付しています。この本で紹介されている社会学者の中から特にピンと来た社会学者の著作や概説書・研究書を読んでみるというようにすると興味を持って社会学に深入りできるのではないでしょうか。

5. 大塚久雄『社会科学の方法―ヴェーバーとマルクス』岩波書店(岩波新書),1966年

 日本における社会科学の入門書の古典です。やや図式的に過ぎる面もありますが,記述は平易で,社会学の視角を,少し引いた視点で把握することができると思います。非常に出回っている本なので,古本屋にも多く,ブックオフで200~300円とかで売っていることがあります。

6. 野家啓一「実証主義の興亡―科学哲学の視座と所見」盛山和夫他編『〈社会〉への知/現代社会学の理論と方法(下)』勁草書房、2005年.

 現在の社会学においても中心に位置する実証主義を歴史的に概説した論考です。所収されている本は入門用の本ではないのですが、本論文は非常にわかりやすく書かれており、実証主義の基本的なポイントもしっかりと押さえられているので、堅実な入門用としても有用です。理系と文系の違いはいろいろありますが、1つ挙げるとすると、理系の場合は誤りが自ずと(数字などによって)示され、見過ごしたくても見過ごせないことが多いのに対して(多分;理系の事情をよく知らないのですが、文系と比べて相対的にはたぶんそうでしょう)、文系の場合は(実際のところ、文系の中では一見理系に近そうな経済学などもたぶん当てはまります)、研究者が常にかなり自覚的になっていないと大枠での誤謬に気づきにくいということなのだと思います。実証主義を厳格に採用しているつもりで、設定した枠の中では完璧に論理的に一貫しているのだとしても、その枠そのものの適切さについては、それ自体を問う作業をしない限りは、(例えば、自分が部品を担当した機械がスイッチを入れたときに動かなかったというような形で)自動的には問題化されにくいということです。その意味で、文系研究者にとって、実証主義に対する実証主義という姿勢は欠かすことができないものです。そういった実証主義の可能性と限界を本論文で手際よく整理することができるでしょう。下の<その先>の20の文献なんかも、実証主義を考えるうえで有益です。

7. 稲葉振一郎『社会学入門―〈多元化する時代〉をどう捉えるか』NHKブックス,2009年.

 ヴェーバーに始まり、パーソンズを経てゴッフマンやガーフィンケルに終わるよくある社会学の入門書とは異なり、経済学出身の著者らしく、よりメタな次元で社会学とは何であるか(何でないか)について、歴史的に、しかも、単なる学説史的な形ではなく、いわば科学史的な形で解き明かしていく本です。近年の社会学者には、実験心理学のように社会学を普遍的な道具にしてしまおうとする向きも強いように思いますが、社会学がどのような思想・哲学に出自を持つのかを知っておくことも重要ではないでしょうか。そのなかで、経済学と比べて社会学が原理的(問題意識的)に一般理論を形成しにくい背景も明らかにされています。著者は、しかしそれが社会学のアイデンティティでもあり、むしろそうしたいわば中途半端な姿勢で地道にやっていくことが当面重要であると説きます。

8. 木谷信介他編『社会調査へのアプローチ第2版―論理と方法―』ミネルヴァ書房、2005.

 社会学の重要な部門を占める社会調査の方法に関するやさしい入門書です。モデルとなる先行研究の方法を具体的に例示するなど、単なる概念や論理の羅列ではないところに本書の特徴があります。

9. 盛山和夫「量的調査と質的調査それぞれの意義」同『社会調査法入門』有斐閣、2004所収.

 質的研究と量的研究の違いについて、「だいたいみんなこういう風に考えている」という何となくな説明を施す概説が多いなか、あまり教科書ぶらないで著者の考えるところを率直に書いた入門書の一章であるこの論考は、ちゃんと論理的に両者の違いを明記しています。それにより、両者の特徴と限界や注意点、ありがちな偏見を手際よく理解することができるようになっています。ただし、「事例の代表性」に関して、「研究によって事後的に〈代表性〉を獲得する」という指摘はまさにその通りと思う反面、研究に取り掛かる前に、もう少し事例の意義についても深く考えたほうがよいのではないかと思う研究も少なくない気がするので、そのあたりについても一言ほしいところです。というのも、昨今の社会学では、手法の精密性や鮮やかさばかりが注目される傾向があり、取り上げる問題の意義については二の次になっている面もなくはないからです。もちろん、重要な問題を提示しただけでドヤ顔をする人もいなくはないので、そういう人に重要な指摘であることは間違いありません。ちなみに「盛山」は、変換ミスで「森山」になることは絶対にないのでご注意ください。

 

<その先>

1. ピーター・バーガー+トーマス・ルックマン『現実の社会的構成』新曜社,2003(原著1966)

 理論社会学者からは折衷的な本書の議論は物足りないとされますが、初学者には、社会学の基本的な視点、個人と社会のかかわりについての視座を得るのに適した本です。当時の社会学理論の一つの到達点として、社会的に共有された世界観と諸個人との相互作用によって、あたかも社会は客観的に存在するかのように諸個人に感じられるしくみを整理したものです。同じような視点でアイデンティティに特化して考察した概説的なものとしては,Richard Jenkins, Social Identity, Routledge, 1996もお勧めです。

2. 見田宗介「まなざしの地獄」『現代社会の社会意識』弘文堂,1979所収(2008年に河出書房新社より単行本化)

 青森出身の少年が都市に出て「まなざしの地獄」の中で犯罪者になっていくという、永山則夫(本論文ではN・Nとなっています)の社会学的分析です。あるいは、著者も書いているように、永山を起点とした都市の分析です。「都市のまなざしとは何か?それは「顔面のキズ」に象徴されるような具象的な表相性にしろ、あるいは「履歴書」に象徴される抽象的な表相性にしろ、いずれにせよある表相性において、ひとのりの人間の総体を規定し、予料するまなざしである」。

3. ハワード・S・ベッカー『アウトサイダーズ』新泉社,1978(原著1963)

「社会集団は,これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人びとに適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって、逸脱を生み出す」という当時衝撃的な議論を展開した本で、「レイベリング理論」という、いかにも社会学らしい犯罪や逸脱の見方の始祖です。ただ,真ん中から後ろは退屈な気もします。

4. ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』ちくま学芸文庫,1996(原著1977)

 社会学・教育学では有名な本です。どうやって学校の落ちこぼれができ,独自の文化をつくって,それが労働者階級になっていくかという話です。

5. エミール・デュルケム『自殺論』中公文庫など,1985(原著1897)

 社会学の最重要古典のひとつです。一見個人的に見える自殺が実は社会的要因に大きく左右されることを統計を駆使して明かした本です。長いですが、とりあえず第二編だけ読めば要点はつかめます。社会を個人を外在的に規定するモノとして観察するのがデュルケム社会学の特色で、実証主義社会学の古典でもあります。

6. エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』東京創元社1951(原著1941)

 最近社会学ではあまり触れられなくなった,ナチズムの精神分析です。ナショナリズム研究にもヒントを与えるでしょう。

7. フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』みすず書房,1998(原著1951)

 なぜ「黒人は白人になりたいと望む」のか(マイノリティはマジョリティに逆らえないのか)を考察する上で重要な本です。ファノンは当時フランス領アルジェリア生まれでフランスに渡った黒人精神分析家。

8. 山本泰「マイノリティと社会の再生産」『社会学評論』第44巻3号,1993年

 下のエスニシティの項目に入れるべき論文でもありますが,アメリカのエスニシティの状況を社会学的に明快に提示しています。なぜ貧困層は中流階層に上がれないのか,といった階層論としても読めます(エスニシティに関連することについてはエスニシティの項目で説明します)。また,本論文が収録されている『社会学評論』の当該号のテーマでもあるミクロ・マクロ連関を考える際の材料にもなります。読み物としても面白く,この短い長さの中で濃い一本となっています(※著者が指導教員だから言っているわけではありません,念のため。むしろ,この論文が指導学生になろうと思った動機の一つです)。

9. 西平直『エリクソンの人間学』東京大学出版会,1993年

 「アイデンティティ」という言葉を普及させたのがエリク・H・エリクソンです。一時期の流行の反動か,最近アイデンティティという概念が馬鹿にされ始めていますが,心理学的な意味でのアイデンティティ概念はまた少し別のものとして考えなければならないかもしれません。本書はエリクソン論ではありますが,エリクソンの理論の概説としても読めます。アイデンティティに関しては第3部だけ読めばよいでしょう。

10. 石川准『アイデンティティ・ゲーム』新評論,1992

 著者は高校のときに全盲となって,その中で東大社会学に進み社会学者となった人で,その経験の生きた社会学でもあるように思います。自らのスティグマ(否定的なレッテル)をどう管理するか,などに始まる劣等感の問題などいろいろと考えるところは多いです。

11. アーヴィング・ゴッフマン『行為と演技―日常生活における自己呈示』誠信書房,1974年(原著1959年)

 相互作用論の重要な古典です。素材は日常でありながら、それを社会学的に考察することがいかに示唆に富むことであるかがわかると思います。原著はThe Presentation of Self in Everyday Lifeで、「ドラマトゥルギー」と呼ばれるゴッフマン独自の社会の見方が反映されています。人は、社会規範に従って自らをよりよく見せようと演技する存在というのが基本的な考え方です。ただ、本書においてはこの社会規範は基本的に与件となっており、いろいろと発展させる余地は残っています。日本語訳は残念ながら絶版です。

12. アーヴィング・ゴッフマン『スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ』(改訂版)せりか書房,2001年(原著1968年)

 社会的なスティグマ(烙印)についての古典です。スティグマを持った人はどのようにそのスティグマと付き合っていくのかという戦略について分析されています。ゴッフマンのマイノリティ論はどこか希望が持てるものであるようにも思います。

13. ニクラス・ルーマン『信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム』勁草書房,1990年

 ルーマンの社会理論は非常に難解で,しかも完全に実証的なレベルから離れているために,放置されたり,批判されたりすることが多いのですが,今までの社会理論が看過してきた,言われてみれば当たり前のことをずばりと言っているところは痛快です。勝手にルーマンの社会理論がルーマンの希望する世界の反映だと勘違いする人は(そう勘違いする人は,おそらく自分自身が自らの無根拠な希望的観測を研究に反映しているのでしょう),ルーマンが保守的だと批判するのですが,むしろ現実が左派の思うようになぜ動かないのかを考察するにあたって,社会が何によって保守されているのかを考察しているルーマンの議論は傾聴に値すると思います。本サイトの管理者自身,ルーマンの社会理論全体をしっかりと理解していませんが,その中でも,彼の議論はこれまで自分の実証的な研究に少なからずヒントを与えてくれたと考えています。本書はそんなルーマンの入門に(辛うじて)最適な一冊だと思います(それでも抽象的な話が続くので大変ですが)。後ろにある訳者大庭健,正村俊之両氏による簡潔な解説も参考になります。

 なお、ルーマン理論の解説は日本語でも多くありますが、ある程度現象学的社会学(アルフレッド・シュッツという社会学者が創始者とされる重要な社会学の一派です)をかじったことのある人ならば、土方透「ルーマンのシステム理論と現象学―現象学と社会学の相克」『情況』1998年1・2月合併号(特集・社会学理論の現在:現象学とシステム理論)が、ルーマン理論が既存の社会学・哲学に対してどのような位置にあるのかを分かりやすく提示しており、ルーマン理論理解の一助になると思います(多分;ルーマン理論をろくに理解していないと思われるタワシが言うのもなんですが)。

14. マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店(岩波文庫),1989年

 社会学のみならず,社会科学の古典の中で,マルクスと並んで有名なヴェーバーの代表作です。プロテスタンティズムと資本主義の意味連関(因果連関ではなく)を見出した点に本書の重要性がありますが,意味連関と因果連関の分離は,社会(科)学が暫定的でありながら,一定の意味を持った研究を出しやすくする上で重要なものだと言えます。哲学に始まるいわゆる言語論的転回を是とするならば,この意味連関はますます重要性を持つことになるのではないでしょうか。プロテスタンティズムの禁欲の倫理が結果として資本主義的な精神を生み出したという話の筋ですが、それは全く「意図せざる」結果だったという点が、社会学的なものの見方として本書が示唆する重要事項の1つです。

15. 佐藤俊樹『近代・組織・資本主義―日本と西欧における近代の地平』ミネルヴァ書房,1993年

 ヴェーバーの上記の本を有効に発展させた研究と言えます。序章の社会学の方法論に関する議論も有益で,それに基づいてヴェーバーの議論を建設的に再読し,日本の近代を西欧との比較において考察しています。

16. Gerard Delanty and Engin F. Isin (eds.), Handbook of Historical Sociology, Sage, 2003

 さまざまなテーマに関しての歴史社会学の視点を概説した論集で,ボリューム満点です。日本で言う歴史社会学はミシェル・フーコー色が強く,本書のようなマックス・ウェーバー系,アメリカ系の歴史社会学とは違います。前者がミクロ歴史社会学だとしたら後者はマクロ歴史社会学ということになるでしょうか。後者では,チャールズ・ティリーやシーダ・スコッチポル,イマニュエル・ヲーラーステイン,マイケル・マンなどの研究が代表的なものとされています。前者は従来の社会学への懐疑がより強く,後者は比較的古典的な社会学を踏襲していると言えます。

17. カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』中央公論新社(中公クラシックス),2006年(原著1929年)

 本書に代表されるマンハイムの知識社会学は近年の日本の社会学では馬鹿にされることが多くなっていますが,広義での知識がいかに生成したのかを検証するにあたってまず踏まえられなければならない視点であり,彼の議論も,限界はあるものの,当時の社会の分析としては的確な部分も多いのではないかと思います。とりわけ,知識やその基盤が拡散している現代と違い,マンハイムの時代は彼の議論が実際に当てはまりえたという時代性もあるように思います。その意味では,研究対象の時代によっては今でも非常に重要な視角を彼は提供していると言えます。なお,1.の本は,マンハイムの知識社会学を「知識」を人間社会・日常生活全般に関するあらゆるものという定義にして発展させたもの,という位置づけを著者自身がしていますが,マンハイムの議論からすでにそうした部分は示唆されているも言えます。なお,マンハイム自身による知識社会学の整理としては, 「知識社会学」『現代社会学体系8 知識社会学』青木書店,1973年(原著1931年)がいいです。

18. ジョージ・H・ミード『精神・自我・社会』人間の科学社,1995年(原著1934年)

 バーガー+ルックマンの1.の大きな基礎にもなっている社会学(とりわけミクロ社会学)の重要な古典の1つです(1.は,概ね,ミードとデュルケムとマンハイムを,良くも悪くも,折衷したものと言えます)。個人の中の「主我(I)」(自己:はじめからあるものと言うよりは,次の「客我」との関係で蓄積されたものと考えればいいでしょうか)と「客我(me)」(社会を内面化した自己,他者からどう見られるかを気にする自己)の対話を通して個人が社会と繋がり,また自己を形成・維持していくという議論は,程度の差はあれ,多くの社会学が大前提としている理論です。デュルケムの理論は特にそうですが,個人に焦点を当てたミードの理論でも社会は個々人に還元することができず,だからこそ社会の研究には社会学的視点が不可欠であるということがミードの議論は説得的に示しているとも言えます。ちなみに,本書には青木書店から出ている古い方の訳もあるのですが,人間の科学社版の訳者河村望氏が青木訳をこき下ろしたことに始まる両訳者のお若い「論争」が,本書の訳者あとがきも含めて,本書が収録されているデューイ=ミード著作集の中の数巻の訳者あとがきに繰り広げられています(本書の訳者あとがきに河村氏の青木訳批判が載っており,他の巻の訳者あとがきに青木訳の訳者から送られてきた反論の手紙の一部とそれに対する河村氏の応酬が載せられています)。なお、ミード理論の概説としては、船津衛「『自我』の社会学」『岩波講座現代社会学2 自我・主体・アイデンティティ』岩波書店(1995)がわかりやすいです。

19. 佐藤俊樹「言説、権力、社会、そして言葉―「象牙の塔」のバベル」『年報社会学論集』第15号,2002年

 知識社会学と本質的には同じことをしているのにもかかわらず「言説分析」と呼んであたかもパラダイム転換を行ったかのように書く研究が多いこと,学説史に過ぎないにもかかわらず「歴史社会学」と呼ぶこと,著者は日本の社会学に見られるこうした馬鹿らしさに警鐘を鳴らしながら,その上でパラダイム転換を試みています。後半の議論については,著者自身留意しているように試論であって,体系的に整理されているわけではないのですが,少なくとも前半の議論はしっかりと読まれるべきでしょう。公共的な(≒税金を資金源とする)研究は蓄積していくものであって,焼き直して研究者がひと時を楽しむためのものでは決してないことは言うまでもありません。後半の議論は、簡単に言えば、社会学が安易に「社会」なり「権力」なり何か大文字のものを、本当はブラックボックスなのに、あたかも生き生きと存在しているかのように想定してしまってきたことに対する反省です。以下20~21の文献と同じ問題意識を持ったものですが、しかしここで論じられていることを実践するのは至難の業です。「全体性/全域性」を捨て去ってしまうことが、いろいろな意味で難しいからです。ただ、少なくとも、そうした問題意識を持つことで、自らの研究の立ち居地に常に自覚的であるという最低限のことぐらいは、多少なりとも敏感になれるとは思います。その積み重ねで、少しずつ、先行研究をずらしていければ、現実的には上出来なのかもしれません。

20. 佐藤俊樹「閾のありか―言説分析と「実証性」―」同・友枝敏雄編『言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から』東信堂,2006年.

 一つひとつの文に様々な意味が込められているという意味で文学的な論考ですが、「言説分析」が何であるか(というより、何でないか)を考えるには非常に示唆的です。これを読むと、下の21の論考が言っていることもよりよく理解されるでしょう。同時に、実証や近代社会科学とは何であるのかがよく理解されます。実証とはゲームであり、言説分析はゲームではない。これがとりあえずの結論です。

21. 遠藤知巳「言説分析とその困難(改訂版)―全体性/全域性の現在的位相をめぐって」佐藤俊樹・友枝敏雄編『言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から』東信堂,2006年

 以前ここに図式的な整理を書いていましたが、どうもやはりしっくり来ないので消しました。読めば読むほど手が届かないところがかゆくなってくる論文であることは間違いありません。

22. 間山広朗「言説分析のひとつの方向性―いじめ言説の「規則性」に着目して」北澤毅・古賀正義編『質的調査法を学ぶ人のために』世界思想社、2008.

 欲張らない(あらかじめ枠組み、全体といったものを設定しない)言説分析のあり方の一つを提示した論考です。入門書の一章なので、研究としてはそのさわりを提示するにとどまっていますが、ピーター・ウィンチの言にひきつけながら、「規則性を想起させるものとしてのデータ」の一例として、「いじめ自殺」言説を説得的に提示しています。ウィンチによると、社会科学の対象のとらえ方とは、研究者が設定する定義による切り取りではなく、対象の持つ規則性に従ってなされるものです。「近年いじめ自殺が増加した」と近ごろ語られます。これは本当なのか、それとも実態とは別に、単にその事実が人々に意識されやすくなったのか(つまり、昔もいじめ自殺と呼べる現象そのものはあった)、どちらなのでしょうか。「いじめ」と「自殺」というそれぞれの言葉の結びつき方を時代ごとに見ていく著者流の言説分析により明らかとなるのは、そのどちらとも少し違う事態です。いじめが自殺を引き起こすという因果関係図式こそが近年になって人口に膾炙するようになったのです。つまり、いじめだけでは自殺には結びつかない(くわえて恐喝や本人の性格的弱さがなければ自殺には至らない)とする共通了解があった昔日に対して、今日ではいじめが自殺の立派な原因になりうることを人々が自明視するようになったのです。

23. ロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』みすず書房,1961年(原著1949年)

 米国の代表的な社会学者の1人マートンによる社会学体系。「中範囲の理論」や「相対的剥奪」など,社会学の重要な概念が散りばめられており,基本的な社会学的視角を得るのに役立ちます。パーソンズらの一般理論を検証不可能な「誇大理論」として,より下位レベルの実証研究と連結しうる「中範囲の理論」の必要性を訴えており,本書全体がそうした内容となっています。

24. Mark S. Granovetter, "The Strength of Weak Ties," American Journal of Sociology 78(6), 1973

 社会資本(ソーシャル・キャピタル)論の古典の1つです(中心的な古典ではないかもしれませんが)。米国における求職活動において,狭くて濃い紐帯よりも広くて薄い紐帯の方が役に立つことが明かされ,そこから弱い紐帯の強さという可能性が指摘されています。下のエスニシティ・ナショナリズム論の項目の<その先>4.の文献を読む上でも重要な示唆を与えてくれます(実際,本論文は4.論文で理論枠では中心的なものとして引用されています)。要するに,弱い紐帯(つながり)の方が無理がなく,また維持のコスト(経済的なものに限らず,いろいろな意味で)がかからないため,結果持続する,というものです。4.の文献が指示しているのも,がっつりとした共生概念を押し込むのではなく,職場などの緩やかな紐帯でもって無理なく平和な秩序を構築していくという方向性です。なお,本人が,その後の反響などをもとにこのテーゼを振り返ったものとしては,"The Strength of Weak Ties: A Network Theory Revisited," Sociological Theory, 1, 1983があります。

25. G・キング他『社会科学のリサーチ・デザイン―定性的研究における科学的推論』勁草書房,2004年(原著1994年)

 何を持って「科学的」とするか,という哲学的著作は多いのですが,実用レベルに体系的に概観した本は社会科学においては意外とありません。統計データ等を駆使した定量的研究であれば,ある程度数学的に見取り図がとりやすく,少なくとも第三者がその研究を科学的であるか否かを判断しやすいのですが,歴史資料を分析した研究や聞き取り調査をもとにした研究などの定性的研究(質的研究)は,研究者のさじ加減次第なのではないかという疑惑が付きまといます。1つは定量的研究者の側からの偏見というのはあるのでしょうが,もう1つは質的研究をやっている研究者自身が「科学的」とは何かをあまり問うことなく研究を進めているため,要するに論理的に怪しい部分があったり,反証可能性が全く排除されていたり,第三者が研究の是非を判断する諸条件の記述がなかったり,といったように,疑われて然るべきものがあるからでもあります。本書は定量的研究においては比較的常識的な手順を定性的研究にどのように反映させるべきかを提示したものです。定性的研究にはもちろん,定量的研究の基準からはどうしても限界がありますが,だからといって,開き直って好き勝手に研究をしていいことにはなりません。また,これは単に面倒であるだけでなく,むしろ,習慣的にいくつかのポイントを抑えながら研究することによって新たな発見をしやすくなるという積極的な結果をもたらすことにも繋がるように思います。

26. 市野川容孝『社会』(シリーズ 思考のフロンティア)岩波書店、2006年

 小中高の社会科の意味での「社会」のタイトルを持った本を除いて、社会科学関連の本で「社会」のタイトルを持った本は、意外というか、当然というか、ほとんどありません(「社会学」「社会科学」「社会主義」といったタイトルの本は非常に多いですが;webcatで検索すると、それらしき本は数冊しか出てきません)。「社会」という言葉が社会学や社会科学の内外で氾濫していながらその言葉の用法について正面から論じられることがほとんどないことの証左でしょう。本書はその「社会」という言葉(より正確には「社会的」という形容詞)の英仏独日における用法について、この言葉の持つ価値(社会(科)学的には「社会」は価値を持たない中立的というか分析上の概念なのですが)を再考するという方向で論じられたものです。したがって、社会学の本でよく出てくるような「社会とは何か」といった問いの次元とは異なった角度から「社会」に焦点があてられています。社会学や社会思想でよく登場する人物を中心に据えつつ彼らの中で「社会」がいかに捉えられてきたかといった内容ですが、彼らに対して著者独自の時に大胆な解釈を織り交ぜながら「社会」という言葉が何を意味し、いかに変遷してきたかが論じられています。そうした中で、社会学がほとんど見てこなかった「社会」とういう言葉の実践におけるある固有の意味が浮かび上がってきます。中心的なものは、たとえば「社会国家(社会的な国家)」というときに意味されるもので、著者は「社会的」という形容詞が、平等への意志と、その実現に向けた他者への気づかいないし連帯を意味していると指摘します。こうした点は、翻って、「社会とは何か」という問題を考える上でも新たな視座を与えてくれます。

 本書は、いわば西欧における概念史を扱ったものですが、日本に目を向けてみると、本書でも触れられているように、「社会」という言葉は、発端としては、明治時代において西欧から輸入されてきた思想に登場する訳語として普及しました。しかし、今日では、本書が扱うような意味を含めて極めて多義的に用いられつつも、基本的には完全に日常語として日本語圏で独自の意味を持つようになっているように思います。日本の社会学者が想定している「社会」の概念は、欧米社会学理論を主に参照しながら「社会とは何か」を説明している社会学の概説書を除いて、今日の日本でなじみのない西欧的な概念ではない、日本での意味体系に沿ったものである可能性はかなりあります。例えば、「社会に出る」という用法は、欧米ではあまりないのではないかと思いますが、この意味での「社会」は日本での日常語の多くの部分を占めているように思います。「社会人」「社会の荒波に揉まれる」「社会の厳しさを知る」「社会を知らない」という時の「社会」は、「社会的な国家」という時の、何らかの慈愛を感じさせる「福祉」に近い意味の「社会」とは対立する、何か「大人(一人前)」なもの、厳しいもの、あたかも自然現象であるかのように存在するもの(つまり、単に個人では社会をどうすることもできないということだけでなく、社会自身も社会をどうすることもできないとまで含意していそうな)としての意味を持っています(例えば英語ではこの意味ではworld、ドイツ語ではWeltを用いるようです)。こうした日本独自の展開は注意すべきですが、「社会的なもの」が人間を画一化するという本書の最後にも触れられているアーレントのテーゼは、こうした日本語の「社会」をある意味で言い当てているのかもしれません。

 なお、本著者は、医療社会学も専門としていますが、同「医療と社会学―社会学史異説」『情況』2000年8月別冊(現代社会学の最前線[3]:実践-空間の社会学 他者・時間・関係の基層から)は、医療というより具体的な事例に即しながら、「社会」という言葉の持った(持つ)意味についてコンパクトに概観する関連文献で、こちらも社会科学全般の構図を考える上で大変示唆に富みます。また、本書では比較的価値を持たせて論じられている「社会」の両義性(たとえば、「社会」への想像力が優生学につながっていく回路)については、同「社会的なものの概念と生命―福祉国家と優生学―」『思想』908号(2000年)がコンパクトにまとまっています。

27. 長谷正人「『社会学』という不自由」『思想地図』Vol. 5(2010).

 上記の市野川氏の議論と対置させて読むと、それぞれがより立体的に見えるのではないかと思います。ちょうど、上でも言及した日本語の「社会人」というときの「社会」をアレントの「社会」観との関連で、やや否定的(必要悪的に)位置づけている議論です。それは、「『社会』とは英雄の登場しない凡庸な人間たちが形作る世界なのだ」という一文に要約されています。では、英雄の登場する「社会」というのは本当にありえないのか。英雄が登場するということは、それは「社会」ではないということになるのか。なかなか面白い問いです。

28. ゲオルク・ジンメル『社会学の根本問題』岩波文庫,1979[原著1917]

 社会学の三大巨匠の1人(他はM・ヴェーバー、E・デュルケム)であるジンメルです。他の2人に比べて引用回数は少ないのですが(とりわけ、ヴェーバーは政治学など社会科学全般で、デュルケムは人類学での古典にもなっているのに対して、ジンメルは哲学にも関連するものの古典として重要視されるのは主に社会学という事情もあるのですが)、一般的にはゴッフマンなどに繋がる相互作用論の源流にあり、理論的な構図はジンメルがすでに大部分を打ち立てたと言えます。多分、ルーマンのシステム理論に通じるところも多々あり、ルーマンの方がより体系的で、計算づくされているのですが、あまりに緻密で、それに見合う実証が追いつかないのが現状のように思います。つまり、実証の精度からするとジンメル理論でも十分である場合も多いのではないかと思います。本書は本文100頁少々ですが、個人にも、全体としての社会にも還元できない、ジンメルの言う意味での社会学の対象たる社会の形式に特化した視座が明らかにされています。日本語では二巻本の『社会学』が、より詳細な発展編として位置づけられるもので、これは分量が多いですが、目に留まった章や節だけを読んでも、社会学的な視角の何たるかを多く教えられます。

29. Amos Morris-Reich, "Circumventions and Confrontations: Georg Simmel, Franz Boas and Arthur Ruppin and Their Responses to Antisemitism," Patterns of Prejudice, 44(2), 2010, 195-215.

 世紀転換期のドイツにおける3人のユダヤ系社会学者(人類学者)の理論と反ユダヤ主義との関係を論じた論文です。社会学史の分野では国ごとに(ドイツ社会学、フランス社会学、といったように)テーマが決まっているのが通例ですが、ユダヤ社会学、といった線の引き方も可能だとワタクシは個人的には考えています(社会学の4大巨匠といわれる、マルクス、デュルケム、ウェーバー、ジンメルのうち3人がユダヤ人です)。この論文はそのことを示唆しているともいえます。ジンメルとボアスは、一見個人的にも業績上もユダヤ色がほとんどなく、反ユダヤ主義をテーマにすることもなかったのですが、「迂回」することで反ユダヤ主義を相対化しようとしていたというのが著者の見解です。ジンメルの場合は、社会を個々人の相互作用と見ることで、人種やユダヤ人といったものをそうした相互作用の産物として、また、反ユダヤ主義を何か特別なものというのではなく偏見の一種として、脱本質化して見せます。ボアスは、人類学者として、人種的で不変の特性とされてきたものについて、ユダヤ人に関するものに限らず、事実をもって反論していきます。また、彼は西欧の学問が、はじめに西欧の優位性ありきで物事を見ていることに批判的で、当然それは、ヨーロッパの中の野蛮と見られてきたユダヤ人に対する見方に再考を促す志向性も含んでいたわけです。ボアスは、主にアメリカで学者生活を送りましたが、彼の教え子の一人に『菊と刀』で有名な、かのルース・ベネディクトがいます。西洋の価値観・基準で切るのではなく、日本に固有の価値観を見いだそうとした彼女の視線の背後にボアスがいたともいえそうです。エスニシティ・ナショナリズム論の項目でも紹介していますが、人種主義についても彼女は批判的に論じています。最後のルッピンはユダヤ史においてはシオニスト・バイナショナリストとしても有名な、ユダヤ人に関する社会学的・統計学的研究の先駆者です。彼は正面から反ユダヤ主義を取り上げ、他の2者と比べてそれをより特殊視していたとのことで、著者は他の2者と彼をかなり区別しています。ただ、ルッピンも登場する同様の主題のMitchell Hart, Social Science and the Politics of Modern Jewish Identity, 2000で読んだ印象では、ルッピンも、大枠では(といっても社会科学者だったということよりも細かい点で)似たようなまなざしを持っていたともいえる気もします。なお、Patterns of Prejudice誌は、たぶん日本ではマイナーですが、反ユダヤ主義に関する論考をよく掲載する、エスニシティ研究の老舗です。

30. 多田光宏「存在から生成へ―ゲオルク・ジンメルと社会システムの存在論のための予備的考察―」『ジンメル研究会会報』16、2011.

 デュルケムの方法論的集合主義にしろ、ヴェーバーの同個人主義にしろ、どうしても社会(社会システム)は空間として捉えられがちです。それに対して、ジンメルにとっての社会のカギは相互作用です。それ自体としては社会学で常識であるこのことを前半で確認しつつ、後半は社会システム理論に関連づけながら、それを空間ではなく時間としてとらえようというものです。これは、20世紀前半の「社会」のイメージにある部分で合致しているように思います。その点、結論部で言及されているベルクソンの生の哲学へのジンメルの共鳴は非常に示唆深いものがあります。

31.John T. Jost and Biana Burgess, “Attitudinal Ambivalence and the Conflict Between Group and System Justification Motives in Low Status Groups,” Personality and Social Psychology Bulletin 26(3), 293-305, 2000.

 社会のなかで地位が高い集団は内集団びいきをするのに対して、低地位集団は外集団びいき(ないし内集団へのためらい)を示す傾向があることはつとに知られてきました。社会心理学の論文ですが、本論文は、そうした研究動向を整理して大学生を使った実験でそのことを再確認しながら、もう一つの興味深い知見を提示しています。System Justificationとは、現状を肯定するために、現状が成立している構造ないしシステム自体も是認してしまうという傾向です。そうした傾向を示した人ほど、低地位集団の場合は内集団に対してためらいの感情を持つそうです。

 

※つづく

社会学(社会学一般および歴史社会学)  エスニシティ・ナショナリズム論   

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【エスニシティ・ナショナリズム論】 近年社会学を中心にエスニシティ・ナショナリズム(とりわけ後者)の議論が盛んに行われています。穴もまだ多く残っているものの、それらからエスニシティ・ナショナリズム現象を見るための基本的な視角を得ることができます。

<雑誌>Ethnic and Racial Studies, Nationalism and Ethnic Politics, Nations and Nationalism, Patterns of Prejudice, National Identities, Nationalities Papers, Ethnopolitics, International Migration Review, International Migration, Journal of Ethnic and Migration Studiesなどがあります。最初のものがエスニシティ・人種研究で最も伝統ある雑誌で社会学的側面が中心、2番目のものは1995年創刊の社会科学・政治学的な側面の強いもの、3番目も1995年創刊で、ナショナリズム理論家の1人A・D・スミスが編集長を務めるもの。4番目は人種主義や反ユダヤ主義が中心。5番目のものはアイデンティティの側面が中心。6番目は中東欧・ユーラシア・バルカン地域と理論に限定した、比較的老舗の雑誌です。7番目は、同じ学会から出ている地域を限らない民族政治に関する雑誌です。8番目以降は移民研究の代表的な雑誌です。残念ながら日本語でのこのテーマの学術誌はありませんが,『解放社会学研究』『移民研究年報』などが関連する学術誌と言えるでしょう。

<入門用>

1. Day, Graham and Andrew Thompson, Theorizing Nationalism, New York: Palgrave Macmillan, 2004

 ナショナリズム理論を論点別にコンパクトに概説しています。

2. 吉野耕作「エスニシティとナショナリズムの社会理論」同『文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方』名古屋大学出版会,1997年

 1.でも紹介されているナショナリズム論の(最も有名だがあまり有益でない)近代主義対永続主義の対立軸を基本に主要なナショナリズム理論を整理しています。これをより詳細に紹介したものとしては,Özkırımlı, Umut, Theories of Nationalism: A Critical Introduction, London: St. Martin’s Press, 2000があります。しかし,この対立図式は,永続主義の議論の意味のなさから,建設的な議論を阻害する対立図式だと思います(ウェブサイト管理者の修士論文第1章第1節参照)。なお,この永続主義(歴史主義)をいまだに主張し続ける「大御所」としてはアントニー・D・スミスがいますが,彼の著作は豊富な事例紹介とは裏腹に,理論的にはほとんど同じことを言っており,どれか1つを読めば事足ります。代表的なものは『ネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察』名古屋大学出版会,1999年(原著1986年)です。

3. トーマス・H・エリクセン『エスニシティとナショナリズム―人類学的視点から』明石書店,2006年(原著2002年第2版)

 エスニシティ理論についてはこちらが標準的な概説書です。

4. 大澤真幸編『ナショナリズム論の名著50』平凡社,2002年

 題名のとおりナショナリズムに関する有名な本を50点を簡潔に紹介しています。社会学者を中心とした第一線の研究者が執筆を分担しており,紙幅の関係で煮詰まらない部分もありますが,それぞれ興味深く書かれています。基本的にはナショナリズム論・国家論に関するものです。

5.  内堀基光「民族論メモランダム」田辺繁治編『人類学的認識の冒険』同文舘出版、1989年.

 「民族」という、国家と共同社会の中間範疇が、「名付け」と「名乗り」によって決まるとする理論的考察です。すべてのエスニシティ・ナショナリズム研究にとって出発点となる視点だと思いますし、社会学の基礎の一つにもなりえます。その応用としては、例えばマイノリティの場合、国家やマジョリティの側からの「名付け」が強く、この二つの均衡点はずいぶん押され気味なものとなる、と理解することが出ぎます。

6. Oliver Zimmer, Nationalism in Europe, 1890-1940, Basingstoke, Hampshire: Palgrave Macmillan, 2003.

 スイス史の若手の専門家による上記時期のヨーロッパのナショナリズムの通史で、近年の理論的な視野を積極的に取り込んだ概説書です。最近日本語訳も岩波から出ました。ナショナリズムは、ナショナリストにおいて世界(少なくとも広域圏)が視野に納められ、そのような論法となっていること、また実際に似たような展開をしているように見えること、こうした点において理論的な切り方が意味を持つ一方で、実践においては生活や人生全体を取り込むことも多いものであることから、局所ごとの特性と切り離せない側面もあります。理論に行き過ぎず、特殊性に入り込みすぎずというブランコの真ん中に立つ姿勢が必要なわけですが、本書はそのような姿勢を持った概説書といえるでしょう。初学者を意識した文献の引用の仕方も入門書としてありがたいと思います。

7. 樋口直人「分野別研究動向(移民・エスニシティ・ナショナリズム)」『社会学評論』57(3)、2006.

 かなりバッサリと当該分野の(特に大御所や中堅の)日本語で書かれた最近の研究を切っている回顧と展望記事です。一部「水準が低い」の一言で切られている研究もありますが、管見の限りでは、それなりに妥当な評価が書かれている部分も多いように思います。基本辛口なのですが、それゆえにこそ、各々の研究の何が本当に意義深いのかがよくわかり、また、どういうところにとどまっていてはダメなのかが明確になっています。そうした意味で、(むろん完璧な批評などなく、これもそうでしょうが)かなり公平かつ誠実な紹介だといえますし、入門としてもよいかもしれません。

8. 安田浩一『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』光文社新書、2010.

 在日コリアンとならんで日本のエスニシティで社会問題化しやすいのが外国人労働者の問題です。本書は、日本企業で労働する中国人「研修生」と日系ブラジル人に関する骨がありながら大変読みやすいルポです。「外国人」であるがゆえの立場の弱さと、「外国人であれば日本人より賃金や条件が低くて当然」とする発想のもと、それにつけこむ雇用者を、外国人労働者の視点から描いています。出身国である中国とブラジルにも行って取材しているため、彼らのリアリティが立体的に明らかになるところも特筆されます。比較的よく知られている日系人の話に対して、場合によっては人身売買に限りなく等しい「研修制度」が表に出にくい構造が浮き彫りになる点でも、完成度の高いルポだと思います。いずれにしても、エスニシティ論としてポイントとなるのは、ここに関わる雇用者が必ずしも「悪徳」というわけではなく、エスニシティを境に「リアリティの切断」が起こることです。

 

<その先>

1. 山本泰「マイノリティと社会の再生産」『社会学評論』第44巻3号,1993年

 社会学の項目でも紹介しましたが,エスニシティの社会学的意味を考察する上でぜひ読まれるべき文献です。エスニシティは何か固有の本質的なものでもなく,かといって単に非科学的な,根拠のない幻想に基づく現象と一蹴することもできない,ある社会学的リアリティをもって存立しているということ,しかしだからといってある社会全体が種類の違いはともかく何らかのエスニシティのリアリティを感じているかというと,ある層ではエスニシティがあまりリアリティを持っておらず,問題はエスニシティ同士の対立だけでなくエスニシティと非エスニシティの対立でもあるということ,こうした様々な重要な視点を1つの事例を基に展開することにこの論文の大きな意義があります。入門用の項目の2.で挙げた歴史主義対近代主義の不毛な論争を乗り越える可能性の1つもここにあると思います。

2. Richard Jenkins, Rethinking Ethnicity: Arguments and Explorations, London: Sage, 1997    

 社会学の項目の<その先>の1の解題で紹介したジェンキンズが,同じ議論をエスニシティの問題に応用した議論(第5,6章など)が収録されているものです。全体としてのまとまりは必ずしもないのですが,internal-external dialectic of identificationの議論は,エスニック/ナショナル・アイデンティティに関する基本的視角として重要なものです。

3. 梶田孝道『国際社会学のパースペクティヴ―越境する文化・回帰する文化』東京大学出版会,1996年

 日本の国際社会学の第一人者だった梶田氏が国際社会学を看板に掲げた最初の単著の研究書です。梶田氏は2006年5月29日に心不全で急逝されました。亡くなられる直前の週も授業をされていたそうで,59歳の若さでした。相当なご多忙の中で過労がたたったのではないかと思います。詳細は省きますが,自分にとっての大きな恩師の一人だと思っており,学術誌に投稿していた諸論文の掲載が正式決定され次第,最初にお会いいただき厳しく叱咤激励いただいた2003年夏以来のようやくの成果の1つとしてご連絡差し上げようと思っていただけにネットで訃報を知りかなりショックでした。日本でエスニシティ・ナショナリズム研究が活性化する上で非常に大きな存在であり,(きっといろいろと無理をされた中で出された)氏の数々の研究は日本のエスニシティ研究,国際社会学研究にとって,ぜひ読まれるべき古典だと思います。実例ばかりに終始するのではなく,かといって抽象的な話でごまかすこともない,「中範囲の理論」のお手本でもあるように思います。本書はやや古いですが,梶田氏の基本的な視点が散りばめられている本です。梶田氏の専門は基本的にはフランスを中心としたヨーロッパのエスニシティおよびいわゆる新しい社会運動研究ですが,日本の外国人問題についても造詣が深く,いくつか本や論文を出されており,それらも日本のそうした問題を考察する上で1つの指針を提供してくれます(その入門用としては『外国人労働者と日本』日本放送出版協会(NHKブックス),1994年がいいと思います)。今思えば,自分が学部1年のときに最初に買った研究書も本書だったのではないかと思います。社会学的視角は氏とは少なからず異なっていますが(いい悪いの問題ではなく,単に方法の問題です),研究者を目指す自分の第一歩が本書と梶田氏にあったのだと改めて思います(これは単なるお世辞ではなく,氏のあのときの叱咤激励がなければ間違いなくはるかに甘い考えで研究をしていました。ご多忙の中,他大の青過ぎた一学部生に惜しみなく時間を割いてくださったことに本当に感謝しています)。先生のご冥福をお祈りします。

4. Paula M. Pickering, "Generating social capital for bridging ethnic divisions in the Balkans Case studies of two Bosniak cities," Ethnic and Racial Studies, 29(1), 2006, pp. 79-103

 民族紛争の議論と社会資本(ソーシャル・キャピタル)の議論をつないだ興味深い論文です。実証面でちょっと定義や測定基準などについて記述が不足している部分がありますが,ボスニアにおけるボシュニク人(ムスリム人)とクロアチア人,セルビア人などが,職場という第三の場を通じて,いわば無難な関係を築くことによって無難な(無理のない)信頼関係を醸成していくことが社会全体の民族融和の方向に向かうことを示唆しています。職場での経済学的な目的に向かって共同で取り組むという経験は主義や信条,習慣,エスニック・アイデンティティの多くを括弧に入れた上で最低限の信頼関係を作る上で有効だということです。こうしたいわば経済学的な媒介項によって異民族が社会学的に融和に向かう方向を示した研究としては,他に在日コリアンといわゆる日本人との関係についてやはりミクロな調査からそうした方向を示唆した谷富夫編『民族関係における結合と分離―社会的メカニズムを解明する』ミネルヴァ書房,2002年。分厚くて焦りますが,こうした理論的考察は結論部でなされています。

5. Robert Miles and Malcolm Brown, Racism, 2nd edn., London: Routledge, 2003

 入門書といってもいいタイプの本ですが,「人種化」の議論など,著者の一人マイルズ独自の論点も入っているのでこちらに入れました。ヲーラーステインの「民族集団化」(ethnicization)の議論を援用して,ある集団を本質的な概念である人種概念でくくることを「人種化」(racialization)とマイルズは呼んでいます。ヲーラーステインの議論は,給与体系を差別化する口実として民族の違いを持ってくることをある集団の「民族集団化」と呼んでいます(この議論は彼の『史的システムとしての資本主義』に出てきます)。いずれも人種概念・範疇に関する極めて社会学的な視点です。

6. フレドリック・バルト「エスニック集団の境界」青柳まちこ編・監訳『「エスニック」とは何か―エスニシティ基本論文選』新泉社,1996年(原著1969年)

 エスニシティ論のいわゆる境界主義の古典です。エスニック集団の内容は変化しているにもかかわらずその「境界」が変化していないことに注目し,エスニシティ研究はエスニックな「境界」に注目すべきであると論じ,以降の多くのエスニシティ研究の大前提を打ち出した論考です。

7. 関根政美『エスニシティの政治社会学―民族紛争の制度化のために―』名古屋大学出版会,1994年

 前半はエスニシティについての比較的古典的な理論の整理です。人種主義について多くの頁を割き、またアメリカ社会学の人種関係研究の成果を多く扱っている点が類書のなかでの特徴です。後半は著者のフィールドであるオーストラリアの多文化主義を中心とした議論です。

8. Liah Greenfeld, Nationalism: Five Roads to Modernity, Cambridge: Harvard UP, 1992

 ニーチェやマックス・シェーラーなどによる「ルサンチマン」(怨念)の概念を手がかりに,英仏露独米のナショナリズムを知識社会学的に分析しています。基本的な視点としては,勃興しだした階層が,自らの実力と身分が合っていないと考え,貴族層などの世襲の階層にルサンチマンを抱き,それに対抗するために,ある範囲の国民ないし民族がみな平等であるという「ネーション」概念を生み出した,などといったものです。そして,そうした平等概念を強いたナショナリズムこそが近代を作り出した,とする議論は,近代がナショナリズムを生んだといった議論とも異なる独自な視点です(これは社会学全体に対する挑戦的な視点でもあり,その視点をさらに発展させたものとして,氏は日本なども事例にした(基本的にはいわゆる近代の後発国に関する議論であり,近代に関する議論を180度転回させるというほどのものでもないのですが)The Spirit of Capitalism: Nationalism and Economic Growth , Harvard UP, 2001を上梓しています)。ナショナリズム研究ではこうした視点がこれまで不足してきたのですが(本書以降もまだ不足しています),本書はそうした意味では非常に刺激的です。

9. ルース・ベネディクト『人種主義―その批判的考察』名古屋大学出版会,1997年(原著1942年)

 かつて日本人論でベストセラーになった『菊と刀』で有名なベネディクトが人種主義の起源を知識社会学的に考察したものです。植民地の歴史と人種主義の発達が深い関係にあることが分かるとともに,人間がいかにある視点から見ればとんでもないことを正当化するために体系的で一見高尚な知識を生産するかが分かります。

10. エリー・ケドゥーリー『ナショナリズム』学生社,2000年(原著第4版,1992年)

 ナショナリズム論の古典のひとつ。カントをナショナリズムの源流の1つに位置づけている点で特異です。賛否両論ありますが,カントがナショナリストだったと言っているわけではもちろんなく,カントの意図せざる結果としてナショナリズムが生まれる方向付けをした,ということを言っています。基本的にはドイツ・ナショナリズムの分析からいわゆるナショナリズム後発地域の分析へと移りますが,シオニズムに関して言えば,かなり当たっているところがあると思います。

11. アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』岩波書店,2000年(原著1983年)

 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』,エリック・ホブズボーム+テレンス・レンジャー『創られた伝統』と並ぶナショナリズム論の最重要古典です(偶然にもこの3著は同年(1983年)に出されました)。本書のタイトルはゲルナーに師事し,彼に反旗を翻したアントニー・D・スミスが立ち上げたNations and Nationalism誌のタイトルにそのままなっています(スミスの主著も1983年に出されています。このスミスの本はゲルナーがそれ以前に出した論文に対する対抗として出されています)。産業化の必要としての均質な国民といった機能主義的観点から西欧におけるナショナリズムないし国民の創出を論じています。ただ,翻訳は,岩波の本に多いように思うのですが,原書にはある文献表や索引が一切カットされており,使いやすさの面から難があります。

12. 福井憲彦「国民国家の形成」『岩波講座 現代社会学第24巻―民族・国家・エスニシティ』岩波書店,1996年

 通例ナショナリズムの起源とされるフランス革命におけるネーションとその変遷については本論文が簡潔にバランスよく概観しています。

13. アイザィア・バーリン 「ロマン主義における意志の賛美―理想世界の神話に対する反乱」福田歓一他訳『バーリン選集4 理想の追求』岩波書店,1992年(原著1975)

 著名な社会思想史家による,フランス革命と並んでナショナリズムの重要な起源とされるドイツ・ロマン主義とナショナリズムの関連を社会思想史的に論じた論考です。そこから浮かび上がるのは,フランス革命におけるナショナリズムとドイツ・ナショナリズムの特質が,その基盤において異なっているということです。この二分法を安易に行うことは近年批判されていますが,全く否定されるべき二分法でもないことは確かです。

14. ヤエル・タミール『リベラルなナショナリズムとは』夏目書房、2006年(原著1993年)

 ナショナリズムを全否定するのではなくて、ナショナリズムの「いい部分」を評価し、「悪くならない」ナショナリズムを構築しようといった、必ずしも新しい議論ではないものの、体系的にかっちりとまとめられることがあまりなかったテーマを扱った本です。タミールは上記バーリンの弟子の1人で、バーリンのナショナリズム論やマイケル・ウォルツァーなどの共同体主義を融合し、規範的にリベラルなナショナリズムの可能性を示したものです。ナショナリズムを全否定するのが現実的には困難な中、「次善の策」を狙った路線だとも言えますが(ただ、彼女の書き方としては、仕方ないというよりは、人間社会にとってのナショナルなものの重要性を認識しようといった感じです)、では非「リベラル・ナショナリズム」が「リベラル・ナショナリズム」と根本的に違うのか否か、あまり変わらないならば、仮想敵として実在しない「悪いナショナリズム」を勝手につくり出しているだけなのではないか、むしろそれゆえに「リベラル・ナショナリズム」がナショナリズムであるゆえに依然として残す重大な問題に対して認識が鈍くなるのではないか、などの疑念は解消されていません。当然、何を持ってネーションとするかという昔から議論されてきた、リベラル・ナショナリズムにとっても根本的な問題は据え置きとなっています。なお、タミールはイスラエルの平和団体ピースナウの創設者の一人であるテルアビブ大学教授で、オルメルト内閣ではイスラエルの教育相を務めている人物です。

 ただ、ナショナリストの世界観を知る手がかりとしては本書は大いに力を発揮すると思います。ナショナリズム全般の評判が悪くなって久しいですが、いろんなナショナリストがいるものの、偏見とは裏腹に、いい悪いは別にして、ちゃんとした信念を持ってナショナリズムを保持している人もたくさんいます。その人たちの中では、自らのナショナリズムはタミールが描く「悪い」ナショナリズムとは違うという自負があるようです。その自負がどのような論理で成り立っているのか。そういった意味で、本書もナショナリズムの必須文献の1つだと思います。

 似たような議論をしたものとして、デイヴィッド・ミラー『ナショナリティについて』風行社,2007[1995]年があります。こちらはイギリスの著名な政治哲学者によるもので、よりナショナルなものの擁護という色の強いものです。

15. Rogers Brubaker, Nationalism Reframed: Nationhood and the National Question in the New Europe, Cambridge UP, 1996.

 ナショナリズム論の重要な文献の1つと言える本です。基本的な視角としては、ネーションが近代の産物なのか、古来からのものなのか、といったことよりも、実際に「ネーション」という政治的・社会的な重要性を持つ範疇が実践においてどのような文脈でどのように用いられてきたかということを分析していこう、というものです。ネーションなるものは、まさにこうした場においてのみ存在しているとも言えるでしょう。その意味で、A・D・スミスが大騒ぎしたことによってナショナリズム論の主要な論点となってしまった近代の産物か否かというあまり有益でない議論とはお別れして、よりネーションの現場に近づく、よく考えれば当たり前のスタート地点に立たせてくれるのが本書だといえます。

16. 小熊英二『単一民族神話の起源-〈日本人〉の自画像の系譜』新曜社、1995年.

 言わずと知れた名著で、著者の修士論文がもとになったものですが、日本のナショナリズムだけでなく、ナショナリズム全般に対して大きな示唆をもたらす文献です。日本のナショナリズムの特質を描いた研究書(もちろん、近代日本思想に関する文献は当然ながら非常に多く、それも広義にはナショナリズムにかかわるわけですが)は日本語でも意外と少ないのですが、本書は境界が可変的であるという意味で緩やかであるという包摂的な側面と、その中で言外の階梯を保持するという側面を持つ日本のナショナリズムの特質を描き出しています。また、良かれと思って生み出された論理がその文脈を離れていわば悪用されていく流れを描いている点は思想と社会のかかわりを考える上でも非常に示唆に富みます。続編として『〈日本人〉の境界』『〈民主〉と〈愛国〉』が同じ出版社から出ています。

17. Jonathan Eastwood, "Positivism and Nationalism in 19th Century France and Mexico," Journal of Historical Sociology, 17(4), 2004.

 実証主義および社会学の創始者コントのナショナリズムと、その影響を受けたメキシコの19世紀後半のナショナリズムに関するものです。一般にナショナリズムは非合理な思想ないし衝動と考えられることが多く、個人主義的な色合いも強く見える実証主義とは対極にあるように思われているのではないでしょうか。しかし、著者はその実証主義の創始者コントがフランスをかなり背負っていたこと、その方向を占う上で実証主義的な方法を援用していたことを提示しています。後半ではメキシコにおいて見られた同様の現象について論じられています。社会学とナショナリズム研究の融合としても非常に好感の持てる論文です。

18. Alexander Maxwell, "Multiple Nationalism: National Concepts in Nineteenth-Century Hungary and Benedict Anderson's ''Imagined Communities'," Nationalism and Ethnic Politics, 11(3)2005.

 19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国下のスロヴァキア人の「多重ナショナリズム」についてです。彼らが、「政治的ネーション」としてのハンガリーと、「文化的(言語的)ネーション」としてのスラヴ人の両方に忠誠を示しており、両者とスロヴァキア人であることに矛盾が必ずしも感じられていなかったということを論じています。したがって、ナショナリズムを国家志向から判断すべきではないと著者は主張しています。こうした帝国空間に合致するナショナリズムについての研究は近年動き出したばかりといってよいでしょう。ただ、アンダーソン理論は、副題に挙げるほど本論文で効いているようには思えないのですが。

19. 佐藤成基「ナショナリズムのダイナミックス―ドイツと日本の「ネーション」概念の形成と変容をめぐって」『社会学評論』51(1).

 「ネーション」をが、それにかかわる諸事情がせめぎあう中で形成され、変容していくものとして捉えつつ、そうした過程の中でのドイツと日本におけるネーション系の概念の比較を行った論文です。例えば、近代日本がドイツから多くを学んだこと、第2次大戦時における同盟関係と、双方ともファシズム体制を築いたという歴史における一般的な位置づけ、血統主義を基本とするネーション系の概念などにより、両者は同類項としてまとめられる傾向にあるのですが、本論文は、ドイツの「ネーション」においては「在外同胞」が鍵となるといった諸事情の相違を比較しつつ、ドイツの「ネーション」が国家や国民国家と区別されたエスニックな概念にかなり徹しているのに対して、日本においては、「ネーション」が国家に従属し、両者の区別が明確にされないという傾向があることが指摘されます。「在外同胞」の有無という点を考えると、確かに違う過程と結果が現れそうです。

20. Beatrice F. Manz, "Multi-Ethnic Empires and the Formulation of Identity," Ethnic and Racial Studies, 26(1), 2003.

 ナショナリズムはヨーロッパ発の運動と捉えられることが多いです。そして、そのヨーロッパ・ナショナリズムはハプスブルク帝国におけるネーション概念に端を発しているといいます。しかし、文化や伝統、法制度や支配の正統性など、多くのことが領土を基盤としていた点でハプスブルク帝国は帝国の中ではむしろ例外だと著者は言います。歴史上のイスラーム帝国、モンゴル帝国、そしてロシア・ソ連帝国におけるエスニック集団の形成過程を概観しながら、領土に基盤を持つわけではないエスニック集団が、ヨーロッパ・ナショナリズムの影響を受ける以前から帝国の構成単位として存在していたことを強調し、ヨーロッパ中心的なナショナリズム形成史観に一石を投じています。なお、著者は中央アジアの専門家です。

21. Sinisa Malesevic, "'Divine Ethnies'' and 'Sacred Nations': Anthony D. Smith and the Neo-Durkhemian Theory of Nationalism," Nationalism and Ethnic Politics, 10(4), 2004, 561-593.

 Nations and Nationalism誌の編集長として、いまだ似たような内容の本を出し続けているアントニー・D・スミスのナショナリズム論の認識論的な基盤をデュルケム的な文脈で解釈した論考です。スミスにとってネーションはデュルケムが社会と名付け、原初的な宗教にその真骨頂を見出した聖なる領域と重なるものとしてとらえられている、といった議論は、最近日本語にも訳されたスミスのChosen People: Sacred Sources of National Identity (2003)に鑑みても合点がいきます。

22. カール・レンナー,「国家と民族」(上・下)太田仁樹訳『岡山大学経済学会雑誌』32(2, 3),2000(原著ウィーン:1899).

 こちらは二次文献というより一次資料として取り上げられることの多い論文ですが、二次文献としてもいろいろと触発される部分は多いです。というか、現在のエスニシティ・ナショナリズム論でこのような論じ方をする議論というのは、少なくとも学界においてはあまり見ないので、ある意味新鮮です。「ルドルフ・シュプリンガー」名で20世紀初頭のロシア・東欧で知られたオーストリアの民族理論家です。政治家であり法律家でもあります。属人原則を掲げたものとして有名で、この点ではオットー・バウアーの方が知られていますが、レンナーが元祖です。この点やバウアーとの相違については、訳者の太田仁樹氏の諸論文をご参照ください(例えば太田仁樹「カール・レンナーの民族的自治論―『諸民族の自決権』を中心に」『経済学史学会年報』第46号(2004))。単に、民族は領土ではなく人単位で見るべし、と説教を垂れているのではなく、歴史的にいろいろな事例を紹介しつつ議論している点が、そしてその議論の仕方が今日ではあまり見られないものであるという点が興味深いところです。例えば、古代の諸帝国においては、基本的に社会的集団の帰属は属人原理によっていたのが、中世においては領地単位になったという説明は、なかなか面白いです(つまり、進化論的に属人主義が説かれるのではなく、むしろ、属地主義が歴史的に一過的なものであるにすぎないとして退けられるわけです)。なお、バウアーを含めたオーストリア民族理論は、近年、多文化主義理論の文脈で一部で脚光を浴びています。

23. 丸山敬一編『民族問題―現代のアポリア』ナカニシヤ出版、1997.

  22に関連して、マルクス主義系、とりわけオーストリア・マルクス主義系の民族理論家に関する論集です。そこと関連の深いレーニンやスターリンの民族観についての章もあります。丸山氏を中心としたグループは、かなり手堅くこのあたりの議論を紹介しており、容易にオーストリア民族理論のエッセンスに触れることができます。一昔前までは、マルクス主義関連は党派的な匂いが伴ないがちな分野であり、本書の諸論文においても、それゆえに不幸な解釈をされた理論、といった紹介のされ方も目につき(というか、同時代的に民族理論は党派的な攻撃にさらされやすい性質のもので、例えばレーニンやスターリンによる一面的な解釈というのは十分にあり得たわけです)、いちいちそのように書かなければならない必然性は現在の若手にはあまりピンと来ないと思いますが、そういう実情があったのだということが透けて見える点、これはこれで興味深くもあります。なお、より歴史学的にオーストリア=ハンガリー帝国の民族問題や帝国の統合問題を包括的に詳説したものとしては、Robert A. Kann, The Multinational Empire: Natoinalism and National Reform in the Habsburg Monarchy, New York: Octagon Books, 1983の2巻本があります。

24. 酒井直樹『死産される日本語・日本人―「日本」の歴史-地政的位置』新曜社、1996.

 独善的な印象を持つ人も少なくないであろう文章で、ある種のフィルターが全体にかかっているような感じもするのですが、それらを差し引いても重要な問題を提起している議論だと思います。第1章の特殊主義と普遍主義の問題は、近代という時代に湧き上がった「半開」意識を持った人々のナショナリズムや、それがなぜか帝国主義と見分けがつかなくなっていくという問題を考えるうえで重要な視点だと思います。

25. Mark Mazower, No Enchanted Palace: The End of Empires and the Ideological Origins of the United Nations, Princeton: Princeton University Press, 2009.

 ナショナリズムの流行を考えるうえで、思想としての国際連盟や国際連合という問題は結構重要です。極論をすれば、コストが低い(道徳的コードに引っかかりにくかったり、それもあって実際に抵抗に遭いにくかったり、あるいは、負の部分を背負い込む必要がなかったり)帝国主義的管理体制といえなくもないわけです。たとえば、イギリスのコモンウェルスという思想と国際連盟が親和性を持っていたことや、難民問題の低コストでの解決を模索したこととのかかわりなど、なかなか黒い感じが漂っています。

26. Ayhan Akman, "Modernist Nationalism: Statism and National Identity in Turkey," Nationalities Papers, 32(1), 2004.

 オスマン帝国末期~トルコ共和国を事例に、ナショナリズム論でよくあるcivic/ethnic二分法に対して、第三の範疇としてmodernist nationalismというものを提唱する論文です。トルコは、完全に植民地化されたわけではありませんが、西欧列強の脅威に置かれた、非西洋圏にあったわけですが、同様の位置づけの国々は、日本をはじめ、世界にいくつもありました。modernist nationalismは、エスニックな遺産を、むしろ意識的に切断してまで国家的枠組みを守ろうとする種類のナショナリズムです。市民の平等が筆頭に上がるいわゆる西欧先進国的なcivic nationalismとも違います。こうした種類のナショナリズムは、明治期の日本にも広く見られたといえるでしょう。

27. 酒井哲哉『近代日本の国際秩序論』岩波書店、2007.

近代のナショナリズムを考える際、その文脈となっている国際秩序観にまで目を配る必要があります。日本のナショナリズムも国際秩序観の変化と連動していました。また、戦前の日本において、「社会」という位相、ないし想像力が、現在では帝国主義的とされる、国境を容易に越える議論を促進したことも本書からは浮かび上がってきます。

28. 安丸良夫 『近代天皇像の形成』岩波現代文庫、2007[原著1992]

歴史学者による研究としては異例なほど社会学理論を応用した議論を展開する本で、興奮して線を引きまくったのをよく覚えています。ピーター・バーガーの『聖なる天蓋』や『現実の社会的構成』がその基軸となっており、民衆がいかにして日常世界から天皇制という抽象的なものに繋がっていったかが鮮やかに描かれています。

29. 吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学―現代日本のアイデンティティの行方』名古屋大学出版会、1999.

 入門編でも本書の第一章を取り上げましたが、本編でもユニークな視点に立つ議論が展開されています。ナショナリズムの消費という観点から、企業人や教育者がどのように巷の日本人論を読んだのかをインタビューから分析しています。そこから出てくる重要な結論は、職業や個々人によってその消費の仕方が異なるということです。「『社会全体』のナショナリズムの存在を想定する〔従来の〕研究者の見方は、それ自体『日本人全体』をナショナルな『想像の共同体』と見るナショナリズムの思考法と親和的であると言えないだろうか」。

30. 小暮修三『アメリカ雑誌に映る〈日本人〉―オリエンタリズムへのメディア論的接近』青弓社、2008.

 おおよそ一世紀にわたってNational Geographic誌などに登場してきたアメリカ版日本人論を分析した本です。むろん、そこにはオリエンタリズムと呼べる表象があるわけですが、本書が同様に強調するのは、それに、「セルフ・オリエンタリズム」という、日本人の側からの戦略的な表象が作用しているということです。序章で触れられている、アメリカ人に対して日本人を「演じる」著者の経験はそのことを端的に表しています。また、西洋の代表選手であるテクノロジーに関して、日本人が模倣の段階を超えて進化していったとき、日本人が精神を持たないロボットのような存在として描かれたりもしたという点も興味深い事実です。オリエンタリズムが単なる偏見なのではなく、欲望の関数であるゆえんです。

31. 朴一『〈在日〉という生き方―差異と平等のジレンマ』講談社選書メチェ、1999.

 様々な著名在日コリアン(いわゆる「帰化」した人含む)の生き様に即して、人間や日本社会を逆照射した本です。韓国の名家に生まれ、エリートコースを進んで自民党政治家にまでなった新井将敬がひたすら「日本化」を求めた末に自害し、幼少期に差別と貧困に苦しんだ孫正義が、民族名にこだわりながら日本国籍を取得し、今日まで社会的に成功を収めているという事実は、一級の皮肉といえるかもしれません。

32. イマニュエル・ウォーラーステイン『史的システムとしての資本主義』(新版)岩波書店、1997.

 世界労働市場における「制度としての人種主義」(労働者の階層化ときわめて不公平な分配とを正当化するためのイデオロギー装置)を正当化するために「民族集団化」が生じるという重要な指摘が含まれている、エスニシティ論としても特筆されるべき本です。つまり、ある人間集団を「民族集団(ethnic group)」として捉えることでも例えば職業や経済的役割の階梯に「伝統」という名の外皮をかぶせて正当性を装わせることが可能になるというわけです。単純な話しでいえば、「外国人」であれば安い給与水準で構わないだろうと考えてしまう思考回路はここから派生しているともいえそうです。

33. Moritz Föllmer, "Was Nazism Collectivistic? Redefining the Individual in Berlin, 1930–1945," Journal of Modern History 82(1), 61-100, 2010.

 ナチズムといえば全体主義、つまりは集合主義、と考えがちですが、ある意味において個人主義の結果であった、とする興味深い論考です。もちろん西欧近代が理想として掲げた個人主義と同じものではありません。しかし、ナチスが個々人の機会の平等による自己実現のようなものを掲げていたことが、諸個人がナチスの構造のなかに取り込まれていった背景としてあったことが示唆されていると思います。ユダヤ人の商業は、機会の平等という観点から(多分に言いがかりなわけではありますが)、煙たがられた、という回路があったようです。また、悪に対しては、個人主義のネガを投影しがちな西側研究者の偏見がこれまでのナチス=集合主義像に寄与していることが冒頭で示唆されている点も刺激的です。

34. 中村雅子「アメリカ人であることと黒人であること―W・E・B・デュボイスの場合―」本田創造『アメリカ社会史の世界』三省堂、1989年.

 デュボイスは、ハーバード大学から黒人で初めて博士号を取得し、公民権運動に尽力した人物です。彼は、黒人が白人のようになることを望まず、むしろ黒人としてアメリカ文化に貢献すること目指すべく、文化の民主主義を唱えました。こうしたブラック・アメリカンの「二重性」を鮮やかに示してくれる論考です。

35. Dubravka Stojanovic, "Unfinished Capital--Unfinished State: How the Modernization of Belgrade was Prevented, 1890-1914, Nationalities Papers 41(1), 2013.

 セルビアの首都ベオグラードは都市計画の欠如のために近代都市としては今日でも大いに問題が残っていると著者はいいます。その原因はいくつかありますが、特に興味深いのが、次の諸点です。まずクランごとに分裂しており、また貧民を一掃するなど必ずしも有権者を味方に付けない大胆な都市計画が立てにくかったこと。これはよくありそうなことですが、さらに興味深いのが、セルビアナショナリストが、民族としての一体感を保つために、近代的な要素として伝統的な農民文化から大きくかい離する新たな要素を創り出す都市化にきわめて否定的だったこと、そして、大セルビア主義を諦められず、都市開発にお金を回さなかったこと、この二つの点です。ナショナリズムは近代的な大都市を作り上げるイメージがありますが、逆にナショナリズムゆえに都市の近代化が疎外されたというのはなかなか面白いです。

 

 

 

 ※つづく

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【イスラエル・パレスチナ関連】 ウェブサイト管理者の専門の関係上,シオニズム関連が中心です。

<雑誌>『日本中東学会年報』,『ユダヤ・イスラエル研究』,Israeli Studies, Journal of Palestine Studies, International Journal of Middle East Studies, Middle Eastern Studies, The Middle East Journal, Jewish History, Studies in Contemporary Jewry, The Journal of Israeli History , Israel Affairsなどが有名です。若干マイナーになりますが、ヘブライ大学から出されているJews in Eastern Europeにも関連論文が載ることがあります。ヘブライ語では、ユダヤ史・シオニズム史に関するציון、シオニズム史に関するהציונות、現代イスラエル史も含むעיונים בתקומת ישראל、テルアビブ大ディアスポラ研究所が出しているポーランド・ユダヤ史に関するגלעד、現在は刊行されていないものとしては、ロシア・ユダヤ史・シオニズム史の雑誌העברがあります。

<入門用>

1. James L. Gelvin, The Israel-Palestine Conflict: One Hundred Years of War, New York: Cambridge UP, 2005

 イスラエル・パレスチナ紛争の歴史をバランスよく概観しています。

2. Gregory Harms with Todd M. Ferry, The Palestine-Israel Conflict: A Basic Introduction, 2nd edn., New York: Pluto, 2008.

 薄い本ですが、各章の要点や論争となってることをイタリックで提示したうえで本論に入る形で、よく整理されていてわかりやすいです。

3. 立山良司「パレスチナ問題」同編『中東』第3版、自由国民社、2002.

 政治史を手際よく概観した論考です。

4. 縫田(ぬいた)清二「イスラエルとシオニズム」前嶋信次他編『オリエント史講座第6巻 アラブとイスラエル』学生社,1986年

 シオニズムについて短い頁数の中で非常にコンパクトにかつバランスよく概観しています。しっかりTh・ヘルツル以前の状況について言及している点や「ウガンダ」論争に言及している点に好感が持てます。

5. 立山良司『揺れるユダヤ人国家―ポスト・シオニズム』文藝春秋(文春新書),2000年

 新書なので入門用としましたが,現代イスラエル社会に関する非常に興味深い論点を読みやすく解説しています。

6. 臼杵陽『中東和平への道』山川出版社(世界史リブレット52)、1999年.

 主に第1次大戦からオスロ合意までの時期に関する、政治の世界を中心とした、シオニスト/イスラエル・パレスチナ/アラブ関係の概説書です。政治の流れをつかむのにもってこいです。

7. Michael Brenner, Zionism: A Brief History, Markus Wiener, 2003.

 シオニズム史に関する概説書です。第2章の章題"An International Nationalism"はシオニズムのある側面を言いえており、時々使わせていただいています。

8. David Engel, Zionism, Harlow: Pearson Education, 2009.

 簡潔に、多岐にわたる論点を読みやすくまとめてある入門書です。各章末に推奨文献も説明付きで載っていて便利です。著者がディアスポラ地域(特にポーランド)に関するユダヤ現代史を先行することもあってか、初期の段階から現在に至るまで、世界シオニスト機構を含めて、ディアスポラのユダヤ人・シオニストとの関係を十分に盛り込んでいる点が特徴的です。党派性もこの手の本の中ではあまり感じられない方だと思います。

 

<その先> 以下項目をクリックすると飛びます飛びます。

イ)シオニズムの歴史・思想に関するもの――シオニズムそのものに関するもの アラブ観に関するもの

ロ)パレスチナ/アラブ人に関するもの  ハ)現代イスラエル・シオニズムに関するもの  ニ)紛争に関するもの

 

イ)シオニズムの歴史・思想に関するもの

◆シオニズムそのものに関するもの

1. Arthur Herzberg (ed.), The Zionist Idea: A Historical Analysis and Reader, Philadelphia: The Jewish Publication Society, 1959.

 シオニズム思想に関する最も有名なアンソロジーです。37人のシオニスト思想家の略歴と、それぞれいくつかの代表的著作の中心的部分を英訳したものを載せており、手早くシオニズム思想について原典で知ることができます。

2. Gideon Shimoni, Zionist Ideology, Hanover: UP of New England, 1995

 シオニズム思想を主要な潮流に分けて詳しく概説した本です。なかなかのボリュームですが,既存の概説書の中では最も体系的でバランスが取れており,これを読めばシオニズム思想の重要な部分はかなり理解できるのではないかと思います。基本的にイスラエル建国(1948年)までの時期を扱っています。

3. Shmuel Almog, Zionism and History: The Rise of a New Jewish Consciousness, New York: St. Martin’s Press, 1987

 これも詳細な概説書ですが,1.よりも社会学的な視点で書かれているように思います。また,東欧シオニズムと西欧シオニズムの対立という論点も書かれており,多少違った角度からシオニズムを見ることができるでしょう。

4. ウォルター・ラカー『ユダヤ人問題とシオニズムの歴史』(新新版)第三書館,1994年(原著1972年)

 原書の題名はA History of Zionism: From the French Revolution to the Establishment of the State of Israelで,シオニズムの通史です。日本語訳でおよそ1000頁にも及ぶ大部ですが,様々な観点(アラブ問題なども含めて)からシオニズムの歴史が書かれており,バランスも取れています。

5. Anita Shapira, Land and Power: The Zionist Resort to Force, 1881-1948, Oxford: Oxford UP, 1992.

 シオニズムにおける防衛の精神を中心に、建国前の時期に関して詳細に検証したものです。ポグロムなどに対する防衛など移民前のシオニストの経験、とりわけ、それが無抵抗な伝統的ユダヤ共同体指導層に対する苛立ちや反発を伴ってイデオロギー化していったものが、パレスチナの地でより発展した形で表出したことが窺えます。アラブ人の反シオニズムの暴力がロシア帝国などでの反ユダヤ主義と重ねて見られてしまった不幸などを垣間見ることもできます。

6. Michael Berkowitz, Zionist Culture and West European Jewry Before the First World War, Chapel Hill: The Univ. of North Carolina Press, 1993.

 初期の西欧シオニズムに関しては本書がよいです(シオニズムを猫も杓子も一緒にしないで、西欧に限って分析しているところなど)。ドイツ語圏的な問題関心とシオニズムが並行していた側面などが明らかとなっています。

7. Yosef Katz, "Paths of Zionist Political Action in Turkey, 1882-1914: The Plan for Jewish Settlement in Turkey in the Young Turks Era," International Journal of Turkish Studies, 4(1), 1987.

 そのオスマン帝国とシオニストの交渉過程についてはこちらを参照。オスマン帝国としてはブルガリア独立などの二の舞は御免だということで、パレスチナへのまとまったユダヤ移民には最後まで反対だったわけですが、オスマン帝国全土への分散した移民ならOKするなど、シオニストの交渉は全く成果がなかったわけではありませんでした(ただ、オスマン帝国全土への分散的な移民は、たとえ手段であったとしてもシオニズムの本来の目的と離れすぎているし、ユダヤ民衆がついてこないだろうということでシオニストの中でもほとんど却下だったわけですが)。

8. Mim Kemal Oke, "The Ottoman Empire, Zionism, and the Question of Palestine (1880-1908)," International Journal of Middle East Studies, 14(3), 1982.

 より国際政治的な視点のものとしてはこちらを参照。パレスチナが国際政治的にも、現在と比べるとはるかに低い程度にですが、様々な思惑が錯綜する場所だったことが分かります。

9. Jonathan Frankel, Prophecy and Politics: Socialism, Nationalism, and the Russian Jews, 1862-1917, Cambridge: Cambridge UP, 1981.

 紹介が遅れましたが、ロシア帝国ユダヤ史、とりわけシオニズムを中心としたユダヤ・ナショナリズムに関する古典であり最重要文献です。小さい字で700頁近くあり、様々な論点を含んでいます。主なものは、初期のシオニズム、ブンド、社会主義シオニズム、シオニストのパレスチナ移民の革命のエートス、といったものです。貫くテーマは、副題にもあるように、ロシア帝国出身のユダヤ人における社会主義とナショナリズムの問題です。社会主義の価値を重要なものと考えつつも、ユダヤ・ナショナリズムを捨てることができず、相互をどう折り合いをつけていくかに関する思考の歴史が記述されていると言えるでしょう。今日まで続くシオニズム史で長く覇権を握ってきた労働シオニズムの源泉を考える上で、本書は最初に読まれるべき文献と言えるでしょう。

10. Jehuda Reinharz, Fatherland or Promised Land: The Dilemma of the German Jew, 1893-1914, Ann Arbor: The Univ. of Michigan Press, 1975.

 世紀転換期のドイツ・ユダヤ政治史についてはこちらが古典的です。ドイツ・シオニズムと、それに対抗する形となった、以前からのドイツの枠組みでユダヤ人の統合を目指す動きのせめぎ合いが描かれています。

11. Stephen M. Poppel, Zionism in Germany, 1897-1933: The Shaping of a Jewish Identity, Philadelphia: The Jewish Publication Society of America, 1977.

 ドイツ・シオニズムに関してはこちらも参照。ドイツ・シオニズムに限定された英語の研究書としては現在のところ以上の2つのみです。

12. Jehuda Reinharz and Anita Shapira (eds), Essential Papers on Zionism, London: Cassell, 1996.

 紹介し忘れていましたが、シオニズムに関する主要論文を1冊にまとめた便利な論文集です(収録するにあたってヘブライ語から訳されたものもあります)。計857頁とボリューム満点で、内容は多岐にわたりますが48年前までに限られ、30年代ぐらいまでのものが中心です。それぞれのテーマに関する第一人者が書いている論文ばかりで、まずは参照すべき先行研究ということになります。

13. יוסף גולדשטיין, בין ציונות מדינית לציונות מעשית: התנועה הציונית ברוסיה בראשיתה, ירושלים: מאגנס, 1991.

 ヘルツル時代のロシア帝国系シオニズムを扱ったほぼ唯一の研究書です。さまざまな潮流のシオニズムに目を配っていますが、とりわけ、ヘルツルら西欧系とのイデオロギー的な緊張関係や、ロシア帝国内での活動(いわゆるGegenwartsarbeit)が取り上げられています。

14. יצחק מאור, התנועה הציונית ברוסיה, ירושלים: הוצאת ספרים ע"ש י"ל מאגנס האןניברסיטה העברית

 ロシア・シオニズムの初めからソ連時代初期までの通史です。参考文献が掲げられている程度で脚注がないので十全な研究書とはいえませんが、それでもかなり詳細にロシア帝国内部のシオニズムの諸相をしることができます。ちなみに、若干簡略化したロシア語版がウェブで読めますhttp://jhistory.nfurman.com/zion/maor.htm

15. Ziva Galili, "The Soviet Experience of Zionism: Importing Soviet Political Culture to Palestine," The Journal of Israeli History, 24(1), 1-33, 2005.

 1917年から 1920年代半ばまでのソ連でのシオニズムの動きと、ソ連を追われてパレスチナにやってきたシオニストのパレスチナでの展開についての興味深い論考です。ソ連では1924年にシオニズムは弾圧の方向が決定的なものになりましたが、それまでは、弾圧や逮捕などは散発的にあったものの、意外と活動がある程度公的なところでもできていました。なかでも社会主義系のものは、ユダヤ人の農民化を奨励し、労働者の社会主義国をパレスチナに創設するという点で、ボリシェヴィキの思想やユダヤ人政策に通じるものがあったためです(ボリシェヴィキも一枚岩ではなく、イェフセクツィアという、ブンド上がりも多いユダヤ人部門もあったりとせめぎ合いもあったわけですが)。シオニストの側でも、ボリシェヴィキ体制と擦り合わせる努力をしていた側面もあったようです(1920年代になると非社会主義系のシオニズムはほとんど国外に出て行ってしまっており、社会主義系がほとんどになります)。それでも若者に支持を広げるシオニズムへの警戒があり、おそらくボリシェヴィキ体制が盤石化していくのと連動しているのでしょうが、ソ連においてシオニズムは地下で細々と続ける以外に道はなくなりました。いずれにしても、こうしてソヴィエトの知識を身に付けた彼らのパレスチナでの行動は、ある部分ではソヴィエト的で、ある部分では別の要素が入っていたり、それに懐疑的だったりしたようです。ちなみに、著者の両親がまさに、この流れに位置していた(二人ともハショメル・ハツァイルという青年社会主義シオニスト組織)ので、彼女の家族史でもあることが結論部で明かされていて興味深いです。

16. David Engel, "Citizenship in the conceptual world of Polish Zionists,"Journal of Israeli History, 27(2), 2008.

 同じく、シオニズムの世界観が作られた場の1つとして重要なポーランドと、今日のイスラエルでの市民権概念との連関を見るという視野のもとで、戦間期のポーランドのシオニストの言論を分析した論考です。そこでは、シオニストは、ポーランド国内における民族自治として市民権を主張していました。その後のイスラエルにおける展開と若干意味合いは異なったりしているものの、その名残は今でも見ることができるでしょう。

17. דוד אנגל, "המסר הכפול: הציונות הכללית בפולין לנוכח מדינת הלאום", עלגד, 20, 2006.

 上と同著者による、ポーランドの「一般シオニズム」に関する20年代までの概念・思想史です。ロシア帝国が崩壊し、ロシア帝国で用いていた戦略・思想を持ち込んだ側面があった一方で、政治社会構造がロシア帝国と異なった新生ポーランドでは、それは矛盾をきたすことが多く、結局それがゆえにより極端な派(修正主義やヘハルーツ)に流れを持って行かれ廃れていった、というお話です。政治社会構造の違いとは、ロシアにおいては、エスニック・ロシア人とは異なるロシア国民(帝国臣民)といった理念を掲げることがそれなりにリアリティを持っていたのに対して、ポーランドでは、ポーランド国民とエスニック・ポーランド人が同義であり、一般シオニストは、一方でポーランドを多民族国家として、ユダヤ人もその一翼を担う存在として訴えつつも、それは同化傾向の強かったユダヤ人をシオニズムに引き付けるための戦略としてしかシオニスト自身の中でも意味を持たなくなっており、破綻していったということのようです。しかしいずれにしても、こうした経験がその後のイスラエルの政治社会構造にかなり影響しただろうということがよく分かります。

18. Dimitry Shumsky, "On Ethno-Centrism and Its Limits: Czecho-German Jewry in Fin-de-Siecle Prague and the Origins of Zionist Bi-Nationalism," Simon Dubnow Institute Yearbook, 5, 2006.

 これも、シオニズム思想生成の場とパレスチナでの展開を関連付けた論文です。バイナショナリズムの歴史を考える上で必須文献になっていくのではないかと思います。一方でチェコ・ドイツ・ユダヤ人の置かれた環境を、これまでの安易な図式を超えて見ようとしているのですが、それゆえこそのバイナショナリズムの特性を描き出すことにある程度成功しています。ここの「ユダヤ史」の項目の20の文献(Kenneth Moss)とある意味通じる(といってもかなり抽象的なレベルでですが)のですが、ドイツとチェコの二つの民族および文化に挟まれた中で出たH・バーグマンなどの論者は、ドイツ文化とチェコ文化を吸収する中でユダヤ文化が豊かになったと考え、同じ考え方で、パレスチナにおいてもアラブ文化に開かれることがユダヤ文化を発展させる道であって、アラブを無視するのはけしからん、という論理展開に至ったようです。 言ってみれば、民族と文化を概念的に切り離した、「多文化主義的ナショナリズム」とでもいいうるものだったわけです。つまりは、今日の一国家二民族解決案とは発想が根本的にことなっているわけですが、この時代が持っていたある種の想像力というのはおさえておく必要があります。

19. Michael Beizer, "Zionist Youth Movements in Post-October Petrograd-Leningrad," Jews in Eastern Europe, 2(33).

 10月革命以降、シオニズムは(準)非合法化されていき、中堅どころは国外に退避してしまいましたが、代わりに、逮捕も恐れないユダヤ青年のシオニズム運動が湧きおこりました。ペテルブルクのそうした運動組織(有名な中心人物でいえばトランペドラーなど)に関してはこの論文が詳しいです。シオニズム活動により逮捕された者は、流刑の代わりにパレスチナに国外退去処分となることが多かったようですが、ソ連当局は、むしろそれはシオニズム運動を活性化させてしまう(それによって逮捕されたらパレスチナに行けるので)ということで、そのオプションはなくなっていったようです。

20. זיוה גלילי, ציונות רוסיה הסובייטית 1917-1939, בתוך אלון גל (העורך), הציונות לאזוריה היבטים גאו-תרבותיים, פרק ראשרון: אירופה המזרחית והמרכזית, ירושלים: מרכז זלמן שזר לתולדול ישראל, עמ' 91-133.

 シオニズムの地域性についての論集に収録された、ソ連時代初期のシオニズムに関する通史です。Ziva Galili氏による論文は14でも紹介したように英語でもいくつかありますが、当該時期のソ連におけるシオニズム運動に関してはこれが一番詳しいです。 18の文献でも示されているように、若者が中心となったソ連時代のシオニズムにおいては、理念的な運動ではなく、パレスチナにおいて入植活動をすることが第一に掲げられ、そのための準備や教育に労力が費やされていました。

◆シオニズムのアラブ人(パレスチナ人)観・政策に関するもの

1. Yosef Gorny, Zionism and the Arabs, 1882-1948: A Study of Ideology, New York: Oxford Univ. Press, 1987.

 シオニズムの様々な潮流の「アラブ問題」観を分析したほぼ唯一の研究書です。

2. Neville Mandel, The Arabs and Zionism before World War I, Lonond: Berkeley, 1976.

 シオニズムの対アラブ関係に関する古典です。シオニズムの中でアラブ人の存在が大きな問題として扱われるようになるのは1920年の衝突からですが、その伏線として、当然本書が扱う時期も重要です。まだパレスチナにおけるユダヤ移民の数が大した数ではなかったこと(数万から十数万程度です)パレスチナがオスマン帝国の支配下にあったことなど、例えばイスラエル独立の48年とは様々な条件が異なっているということにも注意しなければなりません。

3. Neil Caplan, Palestine Jewry and the Arab Question 1917-1925, London: Frank Cass, 1978.

 シオニズムの対アラブ政策に大きく影響した第1の1920年のアラブ暴動周辺の、シオニズムにおける「アラブ問題」についてはこちらを参照。

4. Almog Shmuel (ed.), Zionism and the Arabs: Essays, Jerusalem: The Historical Society of Israel and the Zalman Shazar Center, 1983. 

 シオニズムの対アラブ関係に関する論文集です。

5. Abigail Jacobson, "Sephardim, Ashkenazim and the 'Arab Question' in pre-First World War Palestine: A Reading of Three Zionist Newspapers," Middle Eastern Studies, 39(2), 2003, 105-130.

 この時点では実質的に中東系(オスマン帝国(旧)支配地域系)ユダヤ人を意味するセファルディームとヨーロッパ、とりわけ東欧系のアシュケナジームのシオニスト機関紙における「アラブ問題」観を提示したものです。例えば、久しくアラブ人(というか、とセファルディームは実質的にはユダヤ教徒のアラブ人ということになるわけですが)と接してきたセファルディーム系のシオニスト紙ではやはりアラブ人(ムスリムおよびキリスト教徒の)との協調を訴える傾向にあったようです。 

 

ロ)パレスチナ/アラブ人に関するもの

1. 藤田進『蘇るパレスチナ―語りはじめた難民たちの証言』東京大学出版会,1989年.

 シオニズムがパレスチナの地で活性化する以前のアラブ人とユダヤ人の平和な関係が,外からのシオニズムに壊されていく様子が描かれています。ここの紛争は,政治学的な視点で,さらには国際政治学的な視点で見られることが多い中で,社会学的な視点で見ていく重要性が実感できると思います(本書や本著者は社会学のバックグランドはありませんが)。ウェブサイト管理者の卒論の指導教官なのですが、今でもそのような視座というのは大切にしていますし、社会学をディシプリンとして選んだのもそれゆえです。

2. Rashid Khalidi, Palestinian Identity: The Construction of a Modern National Consciousness, New York: Columbia UP, 1998.

 「パレスチナ人」というナショナル・アイデンティティの歴史については本書が本格的な研究書です。これも基本的にはイスラエル建国以前までの話です。いわゆるアラブ人の中ではおそらくパレスチナ人(パレスチナ・アラブ人)だけがかなり明確なナショナル・アイデンティティを持った特異な人々なわけですが,それがどのように形成されたかをアラビア語新聞などを手がかりに追っています。本書が明かしているのは、パレスチナ・アイデンティティが一般に思われているよりも、部分的にしろ、やや早くからあった(20世紀初頭前後から)こと、必ずしもシオニズムに対する反応に限らないということです。

3. Samih K. Farsoun with Christina E. Zacharia, Palestine and the Palestinians: A Social and Political History  (2nd edn.), Boulder: Westview Press, 2006.

 政治史、社会史、経済史と様々な側面に光を当てた、詳細なパレスチナ(人)通史です。図表も比較的多く、ハンドブック的にも使えます。

4. Zachary Lockman, “Arab Workers and Arab Natinalism in Palestine: A Veiw from Below” in James Jankowski and Israel Gershoni (eds.), Rethinking Nationalism in the Arab Middle East, New York: Columbia UP, 1997.

 シオニズムにおける「労働の征服」(=労働市場のユダヤ化)によって職を失い、ハイファに流入したアラブ人が反シオニズム蜂起を起こすに至る経緯について書かれています。パレスチナという枠での政治運動やイデオロギーがまだ明確化・洗練されていなかった時期においては、こうした日々の生活への不満というのも、反シオニズムの所在を見る上で重要です。

5. 臼杵陽,「パレスチナ・アラブ民族運動―1930 年代のハーッジ・アミーンおよびその他の政治グループの政治的役割―」伊能武次編『アラブ世界の政治力学』アジア経済研究所,1985.

 パレスチナナ・ナショナリズムが本格化していった30年代に象徴的役割を果たした人物を中心とした政治運動史です。日本ではアラビア語資料を用いたこうした研究が少ない中で、日本語で読める貴重な文献と言えるでしょう。この論文でも、4.の論文で明かされているように、労働市場から排除されていった労働者の不満という側面が重要であることが示唆されています。

6. Rosemary Sayigh, Palestinians: From Peasants to Revolutionaries, with an Introduction by Noam Chomsky, London: Zed Booksm 1979.

 在野の研究者・フリージャーナリストである著者による、1975年から1978年にかけて、レバノンの難民キャンプの元農民のパレスチナ人へのインタヴューに基づくオーラル・ヒストリーです。この種の研究でこの時期に関するものでは、おそらく本書を除いてほとんどないと思います。1の本でも引用されているように、パレスチナ研究には欠かせない一冊です。

 

ハ)現代イスラエル・シオニズムに関するもの

1. 臼杵陽『見えざるユダヤ人―イスラエルの〈東洋〉』平凡社,1998年.

 現在のイスラエルの人口の半分が北アフリカを含む中東出身のユダヤ人です。彼らが,アシュケナジーム(ヨーロッパ系ユダヤ人,とりわけ中東欧系)が主導するイスラエル社会においてどのように位置づけられているのかに焦点を当てた研究(論文集)です。安易に西洋対東洋という図式に矮小化されがちなここの紛争がより複雑に入り組んでいることが分かると思います。ただ、本書は概して言えば「西洋/東洋」という二分法の境目をイスラエル内部において修正したということであり、この二分法そのものは特に問題としていません。「西洋」は基本的に一枚岩のままですし、そこから照射された「東洋」もそのネガという向きが強いです。しかし、本当にシオニズムは「ヨーロッパ」発なのか。ここは主な論点に関して、基礎的な議論は出そろった現在、次のステップとして重要です。

2. 奥山眞知『イスラエルの政治文化とシチズンシップ』東信堂,2002年.

 現代イスラエル社会のエスニシティに関する分断を中心にイスラエルの政治社会を分析したものです。日本語でほぼ唯一の現代イスラエル社会に関する研究書です。

3. Clive Jones und Emma C. Murphy, Israel: Challenges to Identity, Democracy and the State, London: Routledge, 2002

 同様に,イスラエルの公式のアイデンティティと政治社会との関係をエスニシティや対アラブおよび国際関係から分析したものです。一応研究書ですが,薄くて内容が一般的で平易なので,入門的な概説書としても読めます。

4. 臼杵陽「犠牲者としてのユダヤ人/パレスチナ人を超えて―ホロコースト,イスラエル,そしてパレスチナ人―」『思想』第907号,2000年

 1990年代からイスラエルを中心としたシオニズム・イスラエル研究界に見られるようになった,シオニズムを相対化して別の視点から見る研究動向,いわゆる「ポスト・シオニズム」を著者なりの視点から概観した論考です。従来のシオニズムがパレスチナ人をいかに捉え,新たな動向がそれをどう変えようとしているのか,といった観点を得ることができます。

5. Laurence J Silberstein, The Postzionism Debates: Knowledge and Power in Israeli Culture, New York: Routledge, 1999.

 そのポスト・シオニズムに属する研究に関してより詳細に追っているものとしてはこちらがあります。

6. Robert O. Freedman (ed.), Contemporary Israel: Domestic Politics, Foreign Policy, and Security Challenges, Boulder: Westview Press, 2009.

 現代イスラエルに関して概説した論文集というのは意外と少ないのですが、これはその最新版です。扱われているのは、イスラエルの右派、左派、宗教政党、ロシア系を中心とした政党、アラブ政党、最高裁判所、経済、イスラエルとパレスチナ人、アラブ世界との関係、トルコとインドとの戦略的関係、イスラエルと米国、イスラエルに対する外的脅威、2006年のヒズボラとの戦争といったテーマです。その「イスラエルとパレスチナ人」の章は、90年代の和平交渉の失敗の原因を完全にパレスチナ人の側に求めている点で、少なくとも日本のどの論調ともかなり異なっており、それはそれで興味深いですが、少なくとも言えることは、この著者(Barry Rubin)のものの見方はだいぶ単純だということです。ただ、そうした思考はイスラエル/パレスチナをめぐって例外的なものではない(別の結論に至るものも含めて)ので、それがどのような基盤に立っているのかを見極める上ではこうした論考もしっかり読んでおく必要があるでしょう。

7. Jerold S. Auerback, "Jewish Sovereignty" (Review Essay), Society, 46(1), 2008.

 この論文は、Ruth Wisse, Jews and Power (2007)とKenneth Levin, The Oslo Syndrome (2005) の書評論文です。前者は、ユダヤ人がイスラエル建国以前において、周囲と妥協していくことを生きる術としてきたが、それがイスラエル建国後も習慣として続いている(つまり、アラブ国家やテロリストに妥協することで安全を保障しようとしている)と指摘し、後者も、そうした妥協の姿勢を咎める本のようです。この論文の著者は、あるいはこれらの著者よりもさらに強硬派のようで、これまでのイスラエル、とりわけその左派(ポストシオニスト含む)を、敵の見解を採用し、不合理なものを合理化しようとしていると糾弾しています。2段組み3ページ強でこのような議論を、きわめて明快に示しており、ある意味便利です。これは、とりわけシオニスト右派(おそらく労働シオニズム系も少なからずそうですが)の歴史観(ユダヤ史観)の根底にある問題意識なのだと思います。シオニズムやイスラエルの政策を批判する場合、イスラエル政府に直接働きかけるという手もありますが、研究者としては、こうした論者に直接、論理と事実でもって議論を挑んでいかなければならない(それができるのは研究者しかいません)ですし、この手の論者は、アメリカとイスラエルを中心に、それだけで仕事が手いっぱいになるほどたくさんいるように思われます。

8. Larissa Remennick, "Language Acquisition, Ethnicity and Social Integration among Former Soviet Immigrants of the 1990s in Israel," Ethnic and Racial Studies, 27(3), 2004.

 現在ではイスラエルの人口の2割を形成している旧ソ連系移民についての社会学的研究です。彼らの移民のピークがソ連が崩壊した直後の1990年代でした。現在のイスラエルでもロシア語がちらほら聞かれますし、とりわけアシュケロンやアシュドッドなど南部では数割が旧ソ連系であるため、その傾向が強いように、イスラエルの1 つのエスニシティを彼らが形成しています。文化に対する態度で見ると、彼らはヨーロッパ文化の一部としてのロシア文化に誇りを持っている一方で、「中東」文化であるイスラエル文化は、少なくとも羨望の対象ではないことが多い一方で、アメリカに移民した旧ソ連系では、アメリカ文化の方が優れていると感じている、という研究があるそうです。

9. Uri Ram, "Why Secularism Fails? Secular Nationalism and Religious Revivalism in Israel," International Journal of Politics, Culture and Society, 21(1-4), 2008.

 もう一つの近年重要度が増している現象として、なぜ現在のイスラエルにおいて宗教勢力が強くなっているのかという問題があります。著者によると、初めに世俗主義的だった東欧シオニズムが、後にヨーロッパからの難民や中東系ユダヤ人を吸収して変化した、ということではなく、むしろ、始めからエスニックな境界を世俗的なシオニズムも前提としていたために、世俗的な定義を予め排除してしまったことにそもそもの発端があるとのことです。比較的オーソドックスな議論ですが、世俗シオニズムと宗教シオニズムや、今日での宗教派(ハレディームや原理主義的な宗教シオニスト)のイスラエルでの存在感の増大を考える上で外せない視点でしょう。

10. Dvora Hacohen, "Mass Immigration and the Demographic Revolution in Israel," Israel Affairs, 8(1&2), 2002.

 イスラエルは様々なタイプのユダヤ移民を帰還法でもって吸収してきましたが、それについての、社会的・政治的インパクトを含めた概説です。ある程度無難にまとめていて、山場は特にないですが、基礎事項の確認になります。

11. Yoav Peled  and Gershon Shafir, "The Roots of Peacemaking: The Dynamics of Citizenship in Israel, 1948-93," International Journal of Middle East Studies, 28(3), 1996, 391-413.

 イスラエルの市民権(およびそれを持たない西岸・ガザのパレスチナ人)の諸問題と、和平との関係について概観した論文です。イスラエル社会におけるエリートの性質・層の変容(労働シオニズム系から、グローバルな市場に順応した層)の関連もあり、単なるイスラエル・アラブ関係に限られない、いろいろなダイナミクスの中に市民権の問題もあることがわかります。ただ、オスロ合意の余韻のある時期だからか、そうしたエリート層の変容の和平への好意的影響といった、やや楽観的な見通しも論じられています。

12. Moshe Berent, "The Ethnic Democracy Debate: How Unique is Israel ?" Nations and Nationalism, 16(4), 657-674,  2010.

 イスラエルの政治体制をどのように形容するかを巡って議論がありますが、1つの試金石となっているのが、Sammy Smoohaが1990年に提唱した「エスニック・デモクラシー」という概念で、エストニアやラトヴィア、スロヴァキアと同等の体制とされます。それは、一方でリベラル・デモクラシー(米国など)、コンソーシエーショナル・デモクラシー(ベルギーなど)と区別され、また他方で1つの支配集団以外市民権を基本的に持たないヘレンフォルク・デモクラシー(アパルトヘイトの南アなど)と区別されています。こうした形容は、一面で現状をうまくとらえている一方で、いくつかの批判もあります。この論文の著者は、とりわけ、エストニアなどが、より領域的な市民概念を基本法において内包しており、将来におけるリベラル・デモクラシーへのステップアップを、少なくとも目標として想定しえているのに対して、イスラエルの「ユダヤ的かつ民主的」という形容詞付きの民主主義が、将来においてもエスニックであり続けるという点で相違を指摘し、他の批判者に同調しています。

13. Sammy Smooha, “Ethnic Democracy: Israel as an Archetype,” Israel Studies, 2(2), 1997: 198–241.

  12で出てきたSammy Smoohaの「エスニック・デモクラシー」論です。彼がとりわけ注意を呼び掛けているのが、一民族独裁であるHerrenvolk democracy(アパルトヘイト下の南アなど)との区別と、エスニック・デモクラシーの枠内での現在の諸問題の改善という点です。法的な側面に限るということと、占領地を含まないという2点の限定を付ければ、彼の定義は概ね当たっているともいえますし、その線でいろいろと考えてみる利点もあるように思います。ただ、やはり、西岸・ガザを実質的に、そしてとりわけ根本的なところで支配しているのは、そこの住民ではなく、イスラエル国家であることを考えると、イスラエルを語る際、イスラエルへの選挙権のないそれらの地域も勘案する必要がある場合も多いでしょう(彼が比較しているエストニアやスロヴァキアには国家外のそのような実質的支配領域はないわけです)。もっとも、それは一定程度まで、広義での戦争状態という特殊な状況の産物でもあり、原則論とは少し違うことであると論じることもできるのかもしれません。いずれにしても、彼の議論がイスラエルの政治体制に関する議論の一つの踏み台になってきたことは確かですし、いろいろな論点をその基準で整理しているところなど、どのような立場をとるにせよ読んで損はないでしょう。

 

ニ)紛争に関するもの

1. Charles D. Smith, Palestine and the Arab-Israeli Conflict: A History with Document, 7th edn., Boston: Bedford/St. Martin’s, 2010.

 入門の1.よりもさらに詳細にここの紛争を概説したものです(小さめの字で500ページ以上)。章末に有名な文書の英訳を収録しており、このテーマの概説書としては最も優れたものといえそうです。章末に挙げられている問題は最初に見ておいた方が理解を助けるかもしれません。ただ、基本的には政治史ですが、イスラエル建国後は、たぶんに政治的駆け引きの関数として国境の変動やアクターの生成、分離、統合が行われているといっても大きくは外れていないようにも見えます。

2. エドワード・サイード『パレスチナ問題』みすず書房,2004年(原著1979年)

 オリエンタリズム論で有名なパレスチナ・アラブ人であるサイードのパレスチナに関する主著です。西洋対東洋という図式に乗りすぎともいえ、また、シオニズムのナショナリズムとしての側面とそれによる問題がほとんど無視されている問題もありますが、シオニズムがパレスチナ・アラブ人に対して孕んでいるもう1つの重要な問題である近代主義ないしはオリエンタリズムの問題が鋭く指摘されています。むやみやたらと小難しく書いている点は社会科学者としてはあまり賛同できませんが,いわゆる文化人にここの問題に振り向かせるという意味では,貢献しているのかもしれません。

3. Norman G. Finkelstein, Image and Reality of the Israel-Palestine Conflict, second edn., London: Verso

 反シオニスト,さらには一部からは反ユダヤ主義者と呼ばれ(悪)名高い米国のユダヤ人論客によるシオニズムやイスラエル政府の政策を批判的に分析した論集です。実際,全体として少なからずバランスを欠いていることは確かですが,無根拠ないちゃもんというたちの悪いものとは完全に一線を引いており,丁寧に議論が組み立てられています。また,バランスの悪さを差し引いても重要な論点が提示されており,勉強にもなります。全て著名な本の書評論文という形を取っており,例えば第1 章は上記7.を中心に取り上げ,著者独自の分析を加えています(第1章はそうでもないですが,章によっては取り上げた本に対して手厳しく批判を加えています)。なので,研究書というわけでもなく,ちょっと特異な本です。なお,本サイトの管理者は現在この本の翻訳チームに加わって目下翻訳作業中です。 2007年冬の出版を目指しています。

4. Robert I. Rotberg (ed.), Israeli and Palestinian Narratives of Conflict: History's Double Helix, Bloomington: Indiana UP, 2006.

 イスラエル・ユダヤ人(シオニスト)とパレスチナ人それぞれの歴史物語(ナラティヴ)に関するものです。それぞれがどのような内容のものであるか、どのように生成してきたのか、どのように橋渡し(bridge)可能なのか、といったことについて、どちらかに基盤を持つ研究者11人が冷静に分析したものです。

5. Paul Scham, Walid Salem, and Benjamin Pogrund (eds), Shared Histories: A Palestinian-Israeli Dialogue, Walnut Creek: Left Coast Press, 2005.

 4.同様に、シオニストとパレスチナ人双方の歴史物語を、どちらかがどちらかを抑圧することがないように気を使いながら記述したものです。研究者やジャーナリストに限られますが、それぞれにおいて中堅どころの人々が、歩み寄るよりもまずはそれぞれがどこで対立しているのかを付き合わせることを目的に、率直にそれぞれの歴史認識を語ったものです。時期に区切ってそれぞれを代表して2人が歴史認識をまず提示し、それについて双方入り混じって議論をするという形式になっています。この紛争に関する議論は、えてして仮想敵を設定しつつどちらか一方が、文字通り一方的に論じるということが多く(傍から見ていると、ほとんど陰口にしか見えないこともたまにあります)、基本的なところで認識が一致しない人々が議論しあうということが少ないように思いますが(実際、それをやると議論の収拾がつかなくなることがほとんどでしょう)、本書に記録されているのはその数少ない試みです。そこでの議論を見ると、基本的な用語の定義で揉めるといったことも見ら、何か建設的な結論が導き出されることはあまりないのですが、いずれにしても双方とも何で対立しているのかを知ろうという姿勢は一応一貫しています。したがって、4.のように、どうすれば橋渡しできるかといったことはほとんど論じられていません。実は、本書の基本的な方向性は、対立する歴史観をそれぞれ等価のものとして共有しようというもので、本書でもって何か建設的な結論を出そうということははじめからほとんど目指されていません。むろん、このように両者を単純に並べてしまうこと自体、議論の余地は少なからずあります。例えば、標準的なパレスチナ人の歴史物語からしたら、そもそもシオニストは侵略者なので、こうした並列は、犯罪者と被害者をどちらも尊重しようといっているのと同じ議論だということになるわけです。ただ、それでも、一般的な裁判というものを例にとると、そこでは犯罪者(弁護士)も検察も等価のものとして扱われ、そのこと自体は、単なる方法であって、価値付けに関するものではないということを考えると、必ずしもこうした論じ方がすなわち何か言外の意味を持ってしまっている、ということにはならないとも言えます。どの道、両者が何で対立しているのかを知ることはお互いにとって、次のステップに進む上で重要なことで、方法として、本書の形式はそうした役割を果たしているともいえるでしょう。ただ、残念ながら、本書の反響は、タワシが知る限りは、これまでのところあまりないようです。

 

※つづく

社会学(社会学一般および歴史社会学)  エスニシティ・ナショナリズム論   

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【ユダヤ史】 ヨーロッパ・ユダヤ人口の中心だったロシア帝国(含ロシア領ポーランド)ユダヤ史を中心とした近現代史のみです(シオニズム史・現代イスラエル史については1つ前の項目参照)。ユダヤ教については、【その他】の項目の一番はじめを参照。

<雑誌>『ユダヤ・イスラエル研究』,AJS Review, Jewish History, Journal of Modern Jewish Studies, The Journal of Israeli History, East European Jewish Affairs, Jewish Social Studies, Jewish Journal of Sociology, Modern Judaismなどがあります。そのほか、ロシア・東欧ユダヤ史に関するJews in Eastern Europe、Shvut(ヘブライ語の論文も含む)、年刊のものとして、ヘブライ大のInstitute for Contemporary Jewryが出しているStudies in Contemporary Jewry, ポーランド近辺のユダヤ史・ユダヤ事情に関するPolin、ドイツ・ユダヤ史に関する老舗Leo Baeck Institute Yearbook、ライプツィヒの東欧ユダヤ史の研究所が出しているSimon Dubnow Institute Yearbookがあります。ヘブライ語のものとしては、ユダヤ史・シオニズム史に関するציון、シオニズム史に関するהציונות、イスラエル史も含むעיונים בתקומת ישראל、テルアビブ大ディアスポラ研究所が出しているポーランド・ユダヤ史に関するגלעד、現在は刊行されていないものとしては、ロシア・ユダヤ史・シオニズム史の雑誌העברがあります。ロシア語では、Judaica Rossicaとエルサレムとモスクワのヘブライ大が出しているВестник еврейского университетаがあります。

<入門用>

1. 手島勲矢編『わかるユダヤ学』日本実業出版社,2002年

 日本の第一線のユダヤ研究者がユダヤ教・ユダヤ史を中心にわかりやすく解説しています。英語を含む類書の中では最も取っ付きやすい本だと思います。

2. ニコラス・デ・ラージュ『ユダヤ教とはなにか』青土社,2004.

 ユダヤ教・ユダヤ人とは何か。一言ではなかなか表現できませんが、ユダヤ的歴史を踏まえた宗教や人々として考えてみるのが一つのとっかかりになります。循環論法のように見えますが、はるか昔に部族的なもの、あるいは地域的なものとして了解されるようになったユダヤ人と呼ばれる人々が積み上げてきたものを自らの歴史として引き受ける――引き受け方は様々ですのでいろいろな立場が生じます――というのがユダヤ教とユダヤ人のアイデンティティであると思います。本書はその主要な伝統を解説しています。

3. Hilary L. Rubinstein et al, The Jews in the Modern World: A History since 1750, A Hodder Arnold Publication, 2002

 ユダヤ近現代史に関する標準的なテキストです。ただし,西欧ユダヤ社会が中心となった記述になっています。

4. 高尾千津子「ロシアのユダヤ人」原暉之・山内昌之編『講座スラブの世界2 スラブの民族』弘文堂,1995年

 数少ない日本のソ連・ユダヤ史の専門家によるロシア帝国からソ連初期のユダヤ史をバランスよく簡潔に概観したものです。主要な論点が概ね触れられており,入門用に最適です。

 

 

<その先> 以下項目をクリックすると飛びます飛びます。

イ)ユダヤ教史・ユダヤ史一般 ロ)ロシア東欧ユダヤ史 ハ)西欧ユダヤ史

イ)ユダヤ教史・ユダヤ史一般

1. 市川裕『ユダヤ教の精神構造』東京大学出版会,2004年

 日本の数少ないタルムード研究者によるユダヤ教やその歴史に関する論文集。後ろの方のユダヤ教と近代との出会いに関する章など,より広い問題を扱っており,かつ示唆に富む論点が出されていてユダヤ教研究者以外でも勉強になります。

2. 手島勲矢「ユダヤ教と政治アイデンティティ―「第二神殿時代」研究の基礎的問題群から」市川裕他編『ユダヤ人と国民国家―「政教分離」を再考する』岩波書店、2008.

 キリスト教的世界観でのユダヤ教理解にいかなる問題があるのかを論じた大変刺激的な論考です。例えば、ヴェーバーに代表される第二神殿時代以前の「古代イスラエル宗教」と以降の「ユダヤ教」という理解や、モーセをカリスマとして位置づける理解が槍玉にあげられています。また、ドグマ化しやすい性質を持つキリスト教に対して、多数決原理に基づくラビ・ユダヤ教という決定的な違いも指摘されています。もっとも、それはキリスト教が普遍宗教であるのに対し、ユダヤ教が民族宗教だから、という通り一遍な片づけ方に収まることであるかもしれません。しかし、「その心」がなんであるかを具体的にかつ明快に論じている点は確実に目から鱗な論考です。

3. 佐藤研「「キリスト教」というアイデンティティ―その形成過程と隠れた問題性―」同上書所収.

 2からは翻って、キリスト教が、ユダヤ教とローマ帝国という二つの存在のあいだでいかに自らのアイデンティティを確立していったかを新約聖書を中心にして概観した論考です。

4. David Biale, Power and Powerlessness in Jewish History, New York: Schocken Books, 1986.

 従来、(H・アーレントもそうですが)近代ユダヤ史は「受身の歴史」として描かれることが多く、常に政治の客体として位置づけられてきました。シオニズム史観も基本的には、そうした受身に対するアンチとして自らを位置づけているため、こうした描き方をすることになります。本書は西欧ユダヤ史を中心に、ユダヤ人も積極的に広義での政治活動を行って自らの状況を改善しようと試みていた側面を描いています。

5. ジョナサン・ボヤーリン/ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力―ユダヤ文化の今日性をめぐる試論』(赤尾光春・早尾貴紀訳)平凡社、2008[原著1993と2002]年.

 2002年に出された2本の論文を収録した日本語オリジナル版です。詳しくは、とある学術誌に紹介を含めた書評を書きましたので、そちらが出たらそちらを参照いただきたいのですが、ラビ・ユダヤ教文化のある側面を、西欧国民国家体系・文化との対比で論じたものです。「女々しさ」を徳としていたラビ・ユダヤ教文化と、「男らしさ」を前面に出していったシオニズムを対比し、後者をユダヤ文化の文脈で批判するという目的も本書には込められており、ゆえにシオニズムに関する記述はとりわけ一面的ではあるのですが、人文・社会科学の用語の中で、あまり語られることのないユダヤ文化の重要な側面を明快に提示したものとして本書は特異な位置にあります。内容はなかなかマニアックなものが多くて議論を見失うことも少なくないかと思いますが、訳注が詳しいので得るものも多いはずです。単なるシオニズム批判にとどまらず、人文・社会科学の諸前提が怪しいものに見えてくる点で、なんともいえない読後感が得られると思います。そういう意味では、よくある左派による国民国家批判とは一味違う議論で、右派と左派両方に影響する(両方から嫌われるという可能性もありますが)爆弾を抱えています。そのため、多分に政治的な見解の表明でありながら、学問的な面白さも持っています(大抵両者は両立しないものですが)。

6. Ezra Mendelsohn, On Modern Jewish Politics, New York: Oxford UP, 1993.

 著者はポーランド戦間期を中心とした東欧ユダヤ史の泰斗です。近代ヨーロッパ・ユダヤ人の人口の中心であったロシア・東欧に軸足を置くという点にとどまらず、その多くが移ったアメリカでの動向にも目を配りつつ、様々なユダヤ政治をバランスよく比較しながら、非常に手際よく概観しています。いろいろと勉強してから読むといい整理になると思います。

7. Jonathan Frankel and Steven J. Zipperstein (eds), Assimilation and Community: The Jews in Nineneenth-century Europe, Cambridge: Cambridge UP, 1992.

 近代ヨーロッパ・ユダヤ史において一方で単純な理解をされており、他方でその実複雑で込み入っているのが、ユダヤ人の同化の問題です。アメリカの社会学では、ミルトン・ゴードンが『アメリカンライフにおける同化』という本で同化(assimilation)と文化的統合(acculturation)を峻別したように、内面的な同化と形式的な同化とはやはり違いますし、また、どのような文脈を踏まえてそうした志向を持っているのかということにも注意が必要です。またある人物や共同体が同化したかどうかは、ユダヤ人でも立場によって判定が変わってきます。伝統的なラビからしたらユダヤ教から疎遠になった時点で同化ですし、ユダヤ・ナショナリスト(その多くは、伝統的なユダヤ教徒は疎遠になっているわけですが)からしたら、ユダヤ教を「宗教」概念で捉える時点で同化である、という判断もなされることがあります。本書は西欧からロシア帝国までの各ユダヤ地域社会における同化に関する諸問題をそれぞれの第一線の研究者が執筆した論文集です。

 

ロ)ロシア東欧ユダヤ史

1. John Doyle Klier, Russian Gathers Her Jews: The Origins of the “Jewish Question” in Russia, 1772-1825, Dekalb: Northern Illinois U, 1986

 ポーランド分割以降ロシア帝国に編入されることになったユダヤ人とその社会に関する詳細な歴史です。とりわけ,帝国側がどのようにユダヤ人を捉えたか,という視点で当時の議論が整理されています。

2. Michael Stanislawski, Tsar Nicholas I and the Jews: The Transformation of Jewish Society in Russia, 1825-1855, Philadelphia: The Jewish Publication Society of America, 1983

 著者は違いますが,上記2.の続編といった感じです。ロシア帝国のユダヤ社会に,いわゆる近代の要素が加わって新たな傾向が生まれてきたのがニコライ1世時代でした。この時代はユダヤ人に対してカントニストという少年兵の厳しい徴兵があるなど,ユダヤ共同体にとってつらい時期でもある一方で,近代化による改革が目指されるようになった時期でもあります。

3. John Doyle Klier, Imperial Russia’s Jewish Question, 1855-1881, Cambridge: Cambridge UP, 1995

 さらに3.の続編という感じの著作です。基本的には2.と同じで,ロシア語世界におけるユダヤ人・非ユダヤ人双方のユダヤ人問題・ユダヤ人改革に関する議論が非常に詳細に紹介されています。以上の3冊の見事なコラボレーションによってシオニズムが運動として始まる1881年までの重要な前史を,とりわけ思想的な部分で体系的に知ることができます。この3つがなかったら本サイトの管理者は修士論文やそこから出した諸論文は書けませんでしたし,基本的な着想を得ることもできなかったかもしれません。

4. Isaac Levitats, The Jewish Community in Russia, 1772-1844, New York: Columbia UP, 1943 & idem., The Jewish Community in Russia, 1844-1917, Jerusalem: Psner and Sons, 1981

 ロシア帝国におけるユダヤ共同体のより制度史的な側面についてはこの2部作があります。

5. Israel Bartal, The Jews of Eastern Europe,1772-1881, Philadelphia: Univ. of Pennsylvania Press.

 東欧ユダヤ史の大家による、シオニズム開始以前までの東欧ユダヤ通史です。最新の研究動向も反映されており、とりわけ、それまで周辺社会や西欧ユダヤ社会に対して受動的な存在として表象されてきたロシア・東欧ユダヤ社会の主体的な側面に光を当てた点が新しいところです。ユダヤ人から見たロシア・東欧史とでもいえるほど、当該地域の歴史に関する示唆に富む書でもあります。

6. Eli Lederhendler, The Road to Modern Jewish Politics: Political Tradition and Political Reconstruction in the Jewish Community of Tsarist Russia, New York: Oxford UP, 1989.

 9.と同様の側面を、シオニズム以前のロシア帝国のユダヤ史に見出したものです。ロシア・ユダヤ史の重要な古典の1つと言えるでしょう。ユダヤ人口が桁違いに多かったロシア帝国では、近代型ユダヤ人(マスキル、pl .マスキリーム)がロシア帝国社会と伝統的ユダヤ社会との間で格闘していた重要な歴史があります。

7. Benjamin Nathans, Beyond the Pale: The Jewish Encounter with Late Imperial Russia, Berkeley: Univ. of California Press, 2002.

 ロシア・ユダヤ人、とりわけ帝国中枢により近いペテルブルクを中心としたユダヤ人に関して、以上の新たな動向をさらに発展させた研究です。シオニズムやブンドの勃興後もそれまでのように、帝国の枠組みでユダヤ人の対等な政治参加を目指す動きがあったことなどが詳細に記されています。理論的にも非常に明快で、完成度の高い本と言えます。

8. 高尾千津子『ソ連農業集団化の原点-ソヴィエト体制とアメリカユダヤ人』彩流社、2006年.

 1920年代を中心とした、ソ連におけるユダヤ人農業に対するアメリカ・ユダヤ人の慈善組織「アグロ・ジョイント」による支援を、そのソ連当局の農業政策への影響を絡めながら詳細に分析したものです。以下のロシア史の項目で書いたように、ソ連史としても大変興味深く、かつ重要な研究ですが、新興ソ連、ユダヤ人の農民化政策、飢餓、反ユダヤ主義、共産主義、米ソ関係、支援先のローカルな民族関係といった時に相矛盾する複雑な条件の下で、ジョイントがトラクターなどの技術面を中心に集団農場をいかに支援したかをさまざまな資料、時にはオーラル・ヒストリーを駆使して描き出したものとして、本書は近代ユダヤ史のひとつの縮図でもあります。共産主義や反ユダヤ主義との兼ね合いから、「ユダヤ」を前面に掲げて支援することも、またユダヤ人に限定して支援することもできない中で、またソ連当局の協力が必要である中で、非ユダヤ人も支援しながら、トラクターなどの当時のロシアでは珍しかった新技術を使った集団農場のひとつのモデルを築くことで、ソ連当局の関心を呼び、それがソ連の農業集団化に影響を与えたことを示唆しています。当時において「ユダヤ」が前面に掲げられることがなかったこと、30年代に入りジョイントの支援がソ連当局から廃止に追い込まれたこと、そしておそらく反ユダヤ主義が関係して、こうした側面はこれまで注目されることはほとんどありませんでした。圧巻は、巻末のイスラエルテレビや新聞などの協力を得て、ジョイント支援の農場に関係した経験のあるイスラエルへの移民に対するインタビューです。1986年頃に行われたこのインタビューは、本編で主に史料によって描き出した歴史を、数十年後の回想という形で一部裏づけつつ、史料からはうかがえない当時の人々の様子の記録としても大変興味深く、貴重なものです。テーマ設定から結論に至るまで、出来合いの物語でごまかさずに、可能な限り真実に迫ろうとする著者の姿勢に感服します。

9. Leonard Schapiro (ed.), "The Role of the Jews in the Russian Revolutionary Movement," Ezra Mendelsohn (ed.), Essential Papers on Jews and the Left, New York UP, 1997[1961-62].

 ロシア帝国の革命運動におけるユダヤ人の役割、位置、態度を概観したもので、大変分かりやすく整理されています。相対的にはユダヤ人意識を強く持ったユダヤ人が、反ユダヤ主義との関係もあってブンドやメンシェビキに傾倒していく構図が基底にあります。

10. 野村真理『ウィーンのユダヤ人―十九世紀末からホロコースト前夜まで』御茶の水書房、1999年.

 ウィーンは第一次大戦後に崩壊したオーストリア=ハンガリー帝国の中心であったとともに、ベルリンとならんで、西・中欧ユダヤ人の文化・経済の中心地でもありました。例えば精神分析家のS・フロイト、シオニズムの父とされるヘルツルが人生の重要な時期をそこで過ごしました。しかし、そうした、いわば輝かしい側面の一方で、西欧ユダヤ社会への玄関口でもあったウィーンには、ガリツィアなどから大量のいわゆる東方ユダヤ人(Ostjuden)が当時流入していました。イディッシュ語を話し、伝統的なユダヤ社会の生活様式を携えていた彼らは、西欧文化に馴染んだものからは奇異に見え、ヒトラーが嫌悪感を覚えたのも、とりわけこうしたユダヤ人だったそうです。そうした様々な顔を持つウィーンと、そこで葛藤したユダヤ人の歴史を絶妙に描いたのが本書です。

11. Steven J. Zipperstein, "The Politics of Relief: The Transformation of Russian Jewish Communal Life during the First World War," Studies in Contemporary Jewry, IV, 1988.

 第一次大戦時のロシア帝国におけるユダヤ人の間での救済活動が、その後の政治的動員(シオニズムやブンド)を促進したとする論文です。ポーランドにおいては、戦時にシオニストによるそうした活動がシオニズムの支持を上げたことがEzra Mendelsohnによって明らかにされていますが、ロシア帝国においても同様の現象がシオニズムを含む政治的潮流の基盤拡大に際して見られたということです。と同時に、ギンツブルクなどの名望家を頂点としたユダヤ共同体の帝国における位置づけの地殻変動が、こうした在野の政治勢力が勢力を増大することで、ますます拡大していったわけです。

12. Kenneth Moss, Jewish Renaissanse in the Russian Revolution, Cambridge: Harvard University Press, 2009.

 1917年革命時を中心とした、ヘブライ語とイディッシュ語(さらに、一部ロシア語)のculturistたちの言論活動について分析した重厚な研究です。とりわけロシア・東欧に関しては、文化は政治の関数、政治の道具として捉えられがちですが、著者は、彼らが「文化」という領域を政治とは切り離された独自の領域にしようとしていたという側面を切り出しています。ソ連時代入り、それが歪曲した形で、微妙に達成されたような、形骸化されたような、そんな切ない後日談にも章が割かれています。

13. Tony Michels, "Exporting Yiddish Socialism: New York's Role in the Russian Jewish Workers' Movement," Jewish Social Studies, 16(1), 2009.

 ブンドなどのユダヤ労働運動について、通例、ロシア・東欧の運動がアメリカのユダヤ労働運動に影響を与えたとされがちなのですが、この論文は、それと逆方向の影響関係について明かしたものです。

14. יהודה סלוצקי, העיתונות היהודי-רוסית בראשית המאה העשרים, תל-אביב, 1978.

 20世紀のロシア帝国におけるロシア語ユダヤ系定期刊行物に関する詳細な研究です。それぞれの内容だけでなく、それを率いた運動や人物に関しても詳細に触れられており、非常に重要な古典となっています。『ヴォスホート』などを中心とした19世紀版もあります。

15. Daniel Mahla, "Between Socialism and Jewish Tradition: Bundist Holiday Culture in Interwar Poland," Studies in Contemporary Jewry, XXIV, 2010.

 一見すると、社会主義ということもあり非常に世俗的な運動であるブンドにおける、ユダヤの伝統の使用に関する研究です。例えば、シオニストは躊躇なくパレスチナ(エレツ・イスラエル)と解釈する約束された「土地」に関しても、ブンドの場合は社会主義が達成された新たな世界、といった解釈をしていたそうです。こうした要領で、ペサハ(過ぎ越し)や、ユダヤの伝承であるハガダに関しても、社会主義に導く形でブンド版を作っていたようです。

16. Eli Lederhendler, "Did Russian Jewry Exist prior to 1917?" in Yaacov Roi' ed., Jews and Jewish Life in Russia and the Soviet Union, London: Routledge, 1995.

 「ドイツ・ユダヤ人」「フランス・ユダヤ人」よりも曖昧な「ロシア・ユダヤ人」という概念について論じた論文です。もともとポーランド=リトアニア王国のユダヤ人はポーランド系とリトアニア系とに分かれていましたし、その後もしばらく共通の土台が乏しく、また、ロシア時代も大半がイディッシュ語を母語としていました。そもそも、「ロシア」という概念自体が「ドイツ」などよりも不定形なものです。著者によると、帝政期終盤になって徐々に明確化していったようです。 

17. Oren Soffer, "The Case of the Hebrew Press: From the Traditiomal Model of Discourse to the Modern Model," Written Communication, 21(2), 2004.

 19世紀終わりの הצפירהを中心としたヘブライ語誌を素材に、伝統から近代に移行するときの言説の質的変化について論じたものです。前半部はヨーロッパ史の既存の研究を概観したもので、勉強になります。後半部においては、伝統的なヘブライ語文献(タルムードなど)では、インターテクスチュアルで、非経験的な探求の形態であり、分析的・哲学的な方法でテクストに隠されたものを発掘するといったモードだったのに対して(したがって、たとえば、レトリカルに動物が登場するなど)、הצפירהなどの19世紀終わりのヘブライ語誌は、テクストが現実を写し取る鏡である(したがって、文字通りの精確性が追求されるようになる)との認識に基づくようになったといったことが話の筋です。これまでのナショナリズム論において、こうした言説と現実の関係性についての認識の変化が意味するものについては論じられてこなかったが、それが今後の課題ではなかろうか、というのが最終的な含意です。

 

ハ)西欧ユダヤ史

1. 伊藤定良『ドイツの長い十九世紀―ドイツ人・ポーランド人・ユダヤ人』青木書店,2002年

 ドイツ人とポーランド人の間でユダヤ人がいかなる位置にいたのか,近代反ユダヤ主義(反セム主義)の前哨である19世紀のこの地域が,とりわけ民族関係の位相においていかなる流れにあったのかをいろいろな視点から考察することができます。

2. ゲルオゲ・L・モッセ『ユダヤ人の〈ドイツ〉―宗教と民族をこえて』講談社,1996年(原著1985年)

  近代ドイツ史・ドイツ・ユダヤ史の大家モッセによる,20世紀初頭のドイツの〈教養〉(Bildung)を探求してたユダヤ知識人に関しての論考です。ロシア・東欧のユダヤ人からは西欧ユダヤ人は一般に「同化主義者」のレッテルを貼られる傾向にありますが,本書からは,彼らが必ずしもドイツ人になろうとしていたわけではなく,(「ドイツ的」なそれであるにせよ)何か第三の高尚なものに向かっていた側面が少なからずあったことが窺えます。

 

 

※つづく

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【ロシア史】 サイト管理者の専門の時代・地域に関するものが中心で,本ページの項目の中では一番バランスが悪いと思います。

<雑誌>『スラヴ研究』,『ロシア史研究』,『ソ連研究』→『ロシア研究』,『ソ連・東欧学会年報』→『ロシア・東欧学会年報』→『ロシア・東欧研究』,The Russian Review, Slavic Review, The Slavonic ReviewThe Slavonic and East European Review, Soviet Studies→Europe-Asia Studies, Slavic and East European Journal, Nationalities Papers, Acta Slavica Iaponica, Ab Imperio, Kritikaなどが有名です。

<入門用>

1. 和田春樹編『世界各国史22 ロシア史』山川出版社,2002年

 ロシア史を概説し,巻末にブックガイドをつけた入門的な概説書(にしてはかなりの分量ですが)。ただ,山川のこのシリーズの他書にも言えることですが(これまで読んだことのある『イギリス史』『カナダ史』『西アジア史Ⅰ・Ⅱ』『ドイツ史』『ポーランド・ウクライナ・バルト史』などもそうでした),いわば歴史教科書的な支配者の歴史(例えばアレクサンドル1世が云々,后がどうこうといった)が大半であり,しかもおそらく標準的な当たり障りのない概説書を目指しているからか,諸執筆者の個性が消されている感じで,山川の方針か,脚注などもないため,無味乾燥な印象が続き,実際の厚さ以上に厚い本に感じられるような気がしてなりません。もっと言ってしまえば,山川出版社の本は,本当に入門的な本はいいのですが,内容的にはかなり専門書レベルにもかかわらず,脚注や文献一覧などを(おそらく一般向けということを意識して)省いているものが多く,中途半端な印象をぬぐえません。ただ,この各国史シリーズについては巻末に文献案内が載せられていて,初学者には助かります。

2. 藤本和貴夫・松原広志『ロシア近現代史―ピョートル大帝から現代まで』ミネルヴァ書房,1999年

 近代以降に限定したミネルヴァのシリーズのロシア版です。文献案内は日本語中心で、1.の方が充実しています。

3. 横手慎二編『世界情勢ベーシックシリーズ CIS(旧ソ連地域)』自由国民社,1995年

 ロシア革命の少し前からの旧ソ連地域史および現在の情勢(といっても1995年までですが)を概説したものです。こちらは一般向けといういう位置づけがしっかりされており,読みやすいと思います。巻末に文献紹介があります。

4. 中村逸郎『ロシア市民―体制転換を生きる』岩波書店(岩波新書),1994年

 ソ連崩壊以降の市民の暮らしについて書かれた本で,確か学部1年の時に自分で初めて買った新書がこれだったと思います(当時はまだユダヤ史にはまったく興味を持っておらず,偶然単体でロシアに興味を持っていました)。ソ連崩壊後の様子(ロシア連邦に限られますが)が取っ付きやすく描かれています。

5. Geoffrey Hosking, Russia: People and Empire, Cambridge: Harvard UP, 1997.

 ロシア帝国の通史です。ただの通史のほかに、「貴族」「軍隊」「農民」「正教会」などのテーマ史の章もあり、興味に応じて面白く読めると思います。

 

<その先>

1. 塩川伸明『ソ連とは何だったか』勁草書房,1994年

 特に第1章は,ロシア史研究者でなくともお勧めです。ソ連の公式見解は嘘だった→だから崩壊した,という研究者ですら陥りやすい短絡的な発想から,ソ連の公式見解は嘘だった→にもかかわらず案外ましな面もあった→しかしそのましな面も機能しなくなった→だから崩壊した,という一歩先のより深い探索に踏み込む重要性を説いています。また,当時いかにソ連に関する歴史学者の見解がイデオロギーの表明と混同されていたかが,著者の具体的な経験からわかります(今でも少なからずそうですが)。

2. Andreas Kappeler, The Russian Empire: A Multiethnic History, Harlow: Pearson Education, 2001[1992]

 ロシア帝国の多民族状況に関する概説としては最初のものです。最初にドイツ語で出たもので,現在ではロシア帝国の民族に関する標準的なテキストという感じになっています。序章でカッペレル自身が述べているように,ソ連の公式史観=ロシア帝国は諸民族を抑圧していた(レーニン曰く「民族の牢獄」)のをソ連が解放しました史観によって,より緩やかに民族がせめぎあっていた帝政時代の状況に関する研究が遅れていました。ソ連が崩壊して新史料が出ることなども手伝って,従来のロシア帝国観は,今日の帝国論の隆盛も相まって,多民族帝国としての積極的な側面にも注目するものに変わってきています。

3. David G. Rowley, “Imperial versus National Discourse: the Case of Russia,” Nations and Nationalism, vol. 6, no. 1, 2000

 2.に始まる研究の流れで,国民国家のアナロジーで考えられることの多かったロシア・アイデンティティに関して,ロシア人がロシア帝国を担っていたという部分に注目して,ロシア・アイデンティティがより広い範囲を取り込むもの(必ずしもそれがいいというわけではないことは,小熊英二氏の研究などから示唆されているように、注意すべきことですが)になっていた,いわば帝国的なアイデンティティだったことを論じたものです。ただ、そうしたナショナリズムの不在を帝国崩壊の要因とする説明はやや飛躍があるようにも思います。いずれにしても、本論文は多くを英語二次文献に依拠していますが、逆に言えば、情報として、これまでのロシア史研究の成果を掻い摘んで、新たな全体像を描いたものとして読む分にはもってこいです。

4. 高尾千津子『ソ連農業集団化の原点-ソヴィエト体制とアメリカユダヤ人』彩流社、2006年.

 ユダヤ史の項目(12)でも取り上げましたが、本書はソ連史としても大変重要なのではないかと思います。本書により、ユダヤ史を超えたところでのソ連史の一側面を垣間見ることができるだけでなく、同時に、ロシア人中心史観では確実に抜け落ちてしまう重要な史実を描き出しているからです。本研究は、ロシア人中心史観に限らず、いかなる出来合いの物語でも決してたどり着くことのできないものでもあり、歴史学全体にも大きな示唆を与える研究である、とすら言っても過言ではないと思います(ユダヤ人が中心となっている「ユダヤ史学」でもなかなかたどり着くことのないものであり、その意味でこの対象にまとわりつくどの物語からも遠いところにある日本人ならではの研究だとも言えます)。著者がロシア語、英語、ヘブライ語、イディッシュ語、フランス語に堪能であること(おまけに、高水準のロシア史の研究蓄積のある日本語文献・研究者にアクセス可能なことも)も併せて、まさにこの著者でなければなしえなかった研究だと言えるでしょう。そんな研究に触れられることに興奮を覚える一冊です。文章も平易で読みやすいです。

5. Anna Geifman, Russia under the Last Tsar: Opposition and Subversion 1894-1917, Oxford: Blackwell, 1999.

 革命の前史として描かれがちなこの時期のロシア史における、革命の直接的な前史も含めて様々な側面に光を当てた論集です。様々な歴史の偶然や混乱で1917年という時期を迎えましたが、それまではおそらくなかなかそうした方向が必ずしも予測が付かない時代だったのではないかと思います。つまり、いろいろな可能性があり、それが議論されていた時代でもあったということです。

6. 貝澤哉,「複数性の帝国―二〇世紀初期のロシア思想における「複数性」の理論」『批評空間』Ⅱ―21,1999.

 ロシア・ソ連のユーラシア主義につながる統合原理に関する論考です。現在の多文化主義に重なる問題なのですが、同時代の西欧秩序への対抗が強くあった中で、ロシアにおける複数性を称揚すること自体が強力な統合原理となっているということが論じられています(つまり、単に多様性ということに好感を持って終わる議論に対する警鐘が基底にあります)。ロシア帝国やソ連の統合原理を考える上で大変示唆的なのですが、上記3の論文と比較してみると、3は、こうした複数性を採用したことがナショナリズムの発展を抑え、結果、帝国の崩壊につながったという論旨です。そうであるならば、複数性の称揚の裏に統合への志向があったのは確かであるにしても、実際にはあまり統合原理としては成功しなかったということなのかもしれません。あるいはごく単純に、西欧と比べて相対的には多様性が目に付きやすかったロシア周辺にあって、現実的には一元化を推し進めることは不可能で、複数性の称揚しかありえなかった、ということなのかもしれません。しかし、いずれにしても、複数性を理論化しようとしたこと自体、当該地域の歴史の展開に何らかの形で影響したことは確かでしょうし、現実と理論の相互作用が織り成す交響曲の一節を本論文が描き出しているということなのだと思います。

7. Theodor R. Weeks, Nation and State in Late Imperial Russia: Nationalism and Russification on the Western Frontier, 1863-1914, DeKaib: Northern Illinois University Press, 1996.

 ポーランド・ユダヤ関係史が専門の研究者による、ロシア帝国西部国境の民族関係・ナショナリズムに関する体系的な書です。意外とこの時期のロシア・ナショナリズムを体系的に扱う書籍は少ない中で、貴重な文献です。

8. С. М. Сергеев (ред.), Нация и империя в русской мысли начала ХХ века, Москва: Пренса, 2004.

 20 世紀初頭のロシア帝国におけるネーション(ナーツィア)と帝国の概念的側面についてのアンソロジーです。初めに編者による概論がありますが、7同様に、この時期のロシア・ナショナリズムを整理した論考が少ないのでこれも重要です。そのあと、ストルーヴェなどの、ロシア・ナショナリスト/帝国主義者の重要な諸論考が載せられています。

9. Bernice Glatzer Rosenthal, "Nietzsche in Russia: The Case of Merezhkovsky," Slavic Review, 33(3), 1974.

 ロシア象徴主義の先駆的な詩人・思想家のディミトリー・メレシュコフスキーとニーチェ思想との関わりに関する論考ですが、ロシアにおけるニーチェ消費を考える上でも興味深いです。伝統を壊し、身体や生といったものを称揚する思想として、彼はニーチェを消費し、それによって、人民を賞賛し、合わせようとするナロードニキと決別してエリート主義色を強めるのですが、完全な反キリスト教・反規範主義のニーチェと異なり、どうしても規範的なものや信仰といったものを捨てきれません。そしてやがて、キリスト教を全面に出すようになり、ニーチェ的なものとは距離をとるようになります。合理主義の乗り越えとして神秘主義や唯美主義がくるという、ロシア思想の19世紀から20世紀の転換期のある流れを象徴してもいます。彼が後年ヒトラーを支持したというのも、示唆深いものがあります。20世紀初頭には、ニーチェはロシアでもかなり知れ渡っていき、ある程度のファンも得たのですが、こうした宗教的な読み方というのが、ロシアのニーチェ消費の特徴の一つのような気がします。ちなみに、ロシア帝国系のシオニストもニーチェのファンは結構いましたが、一部の例外を除いて、これほどまでは神秘主義的な方向には行きませんでした。

10. 根村亮「ロシア第一革命と右翼」『ロシア史研究』78、2005年.

 20世紀初頭を扱うロシア思想研究は、多くが社会主義、次いで自由主義といった、いわゆる進歩派に関するものが多くを占め、右翼に関する研究はあまり多くありません。しかし、この時代のロシアを診断する上で、右翼の動向はいろいろと示唆深いものがあります。たとえば、右翼の主なターゲットが自由主義者であったことは、自由主義が社会主義に負けず頑張っていたことを物語っています。

11. 麻田雅文『中東鉄道経営史――ロシアと「満州」1896-1935』名古屋大学出版会、2012年.

「中東鉄道」という、中東ではなく満州にあった鉄道の経営史についての本です。ロシア史にとどまらず、中国史や日本史に跨る研究なのですが、「言いだしっぺ」がロシアなのでここに入れておきます。帝政ロシアの極東戦略と市場開拓の観点から建設が決まったものの、露中日を中心とした複雑な関係性の構図で翻弄され、鉄道が大事なのか政治が大事なのかよくわからなくなるさまが描かれています。実のところ、いったい何のための鉄道だったのか、という話は現在の日本でも掘っていけば結構出てきますし、鉄道ファンとしても楽しめます。表向き(?)はもちろん鉄道経営史を通しての極東国際関係史の再検証ということではあるのですが。いずれにしても過去の様々な側面をできるだけ明らかにするという歴史家魂に満ちた作品です。

12. 竹中浩『近代ロシアへの転換――大改革時代の自由主義思想』東京大学出版会、1999年.

 ロシア史における自由主義は、今日から見ると影が薄いですが、19世紀半ばの農奴解放に関する議論や、地方自治機関であるゼムストヴォ設置をめぐって議論が戦わされていました。しかし、いくつかの意味でロシア的制約がかかっていたのも事実で、本書は実際の法制度化の議論と思想としての自由主義が交錯する地点を詳細に描き出しています。ツァーリ支配体制を一気に解体することはできなかったので、可能な範囲でやる、という制約が当然あったのですが、思想的には、ロシアが後進国であるという認識からも議論は形作られていくことになります。議論の方向性は、割と素直にヨーロッパ的な自由主義を取り入れようとする者、ロシアの発展段階に応じて制度を設計しようとする者(以上二者は「西欧派」とされます)、そして、ロシア的な社会文化・共同体文化に応じて自由主義を適用しようとする者(スラヴ派)に分かれることになりました。それぞれ必ずしもあらゆる点で三つに分かれていたわけではなく、それぞれ錯綜していたことを明らかにする点も本書のスリリングな点です。

 

※つづく

 

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【その他】 以上に含まれない分野で,以上のいずれかの分野に関連する文献についての紹介です。

ユダヤ教 中東・イスラーム関係 日本近代史 被差別部落史 歴史学方法論 国際関係 平易な哲学 平易な心理学 時事評論

 

<ユダヤ教>

1. 手島勲矢編『わかるユダヤ学』日本実業出版社,2002年.

 ユダヤ史の項目でも触れましたが、一番とっつきやすいと思います。

2. モリス・アドラー『タルムードの世界』ミルトス,1991[1963]年.

 タルムードは難解である、とよく言われますが、初学者にとっては、タルムードがそもそもユダヤ教においてどのような位置づけにあるのかもタルムードに関する簡単な説明を見ただけではよく分かりません。ユダヤ史やラビ・ユダヤ教の文脈で平易にその経緯と内容を解説したものが本書です。

3. Edward Kessler, What Do Jews Believe?: The Customs and Culture of Modern Judaism, NY: Walker Publishing, 2007.

 ユダヤ教は、イスラーム同様に、生活や人生全般にわたる体系です。ユダヤ教をそうしたものとしてイメージする上で、本文100頁に満たない本書は分かりやすいと思います。ただ、ちらほら出てくるシオニズムやイスラエルに関する記述は、シオニストのそれに近い感じで、正統派ユダヤ教からしたら違和感があるかもしれませんが、今日のユダヤ人の平均的な見方ということで言えば、まあこんなもんなのかもしれません。

 

<中東・イスラーム関係>

1. 片倉もとこ『イスラームの日常世界』岩波書店(岩波新書),1991年

 人類学者による日常に根ざしたイスラームの紹介です。イスラームの教義やクルアーン(コーラン)の内容を解説したイスラーム入門書が多い中,本書は一般民衆の視点からのイスラームが紹介されています。「護教論的」と感じられる面もなくはないですが,一般に非イスラーム世界に流通しているイスラームに対する悪い印象から別の視点(イスラームの積極的側面)に目をやるにはこれぐらいの書き方をしなければならないということなのかもしれません。ということで,イスラーム世界についても非イスラーム世界についてもある意味単純化している部分が多いのですが,それは新書ということで,研究書ではないので目くじらを立てることでもないでしょう。いずれにしても,あ,イスラームにはこういう側面があるんだ,とイスラームの積極的側面を考察するきっかけになりますし、「宗教」がえてして狭く、否定的に捉えられがちな日本語世界ですが、もっと広範で緩い「宗教」というのもあるのだということが感じられると思います。

2. 藤波伸嘉『オスマン帝国と立憲政―青年トルコ革命における政治、宗教、共同体』名古屋大学出版会、2011.

 オスマン帝国崩壊前の約10年間に関して、オスマン語、ギリシア語、アラビア語、フランス語等の史料を駆使し、理論的にも刺激的な議論を展開している本です。本書から浮かび上がるのは、オスマン帝国の立憲政は、その不完全さゆえではなく、むしろそれが一定程度機能したからこそ、列強の外圧という条件と掛け合わさって崩壊に向かったということです。その構成諸民族は、結果からの推察されることとは異なり、むしろ帝国の枠組みを前提とすることも多かったようです。この点、当時の諸帝国全般を考えるうえでも示唆に富む本です。通例「イスラーム帝国」とされるオスマン帝国のギリシア正教会・教徒の動向を主軸に据える点も、立憲政という超宗教的枠組みの機能を考察する本書の説得性を高めています。

 

<日本近代史>

 

<被差別部落史>

1. 角岡伸彦『はじめての部落問題』文春新書,2005年.

 被差別部落(同和地区)出身の部落問題ジャーナリストによる部落問題の入門書です。著者自身に特に辛らつな差別経験がないからか、軽いタッチで書かれており、かつ、様々な側面を提示しています。

2. 山下力『被差別部落のわが半生』平凡社新書,2004年.

 1の著者より1世代年上(1941年生まれ)の、奈良県議会議員経験のある著者(大阪生まれ)の半生を綴ったものです。差別糾弾が勢いあまって、あるいは、受けて側に受け取るだけの素養がなかったりして、「同和はこわい」という新たな偏見が生まれたりもするわけですが、その辺の事情について、部落の側からの視点、彼らの想いや葛藤などが著者の経験に即して書かれています。

3. 黒川みどり『異化と同化の間―被差別部落認識の軌跡』青木書店、1999.

 被差別部落外の視線と、それに対する被差別部落の側の様々な対応についての歴史を論じたもので、ユダヤ史を考えるうえでも示唆的です。

4. 今西一『文明開化と差別』吉川弘文館、2001.

 本書で明かされている、近代化による秩序の変動により、社会的位置づけを失い、それがさらに差別に拍車をかけるという構造は、近代化とは何かを考えるうえで重要な問題であると思います。

 

<歴史学方法論>

1. 小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004.

 いわゆる言語論的展開以降、足元を大きく揺るがされている学問の一つが歴史学です。本書が控えめながら提起するのは、「コミュニケーショナルに正しい認識」を目標とすることです。それを平たく言えば、複数の人々が議論を重ねながら認識を細緻化するという、学問としては至極当然で健全な姿勢ですが、「自分が書きたい歴史を書く」という欲求を抑えきれない学者は必ずしも少なくありません。しかし、それこそが、歴史小説と歴史学を絶対的に分けるものであり、アタクシもこのことは強く意識したいと思います。

 

<国際関係>

 

<平易な哲学> (平易な時点で哲学失格かもしれませんが。。。)

1. 伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』ちくま新書,2005年.

 哲学はそもそも実用性を目的とする営みではありませんが、本書は、その哲学の成果を実用に生かすという意味で、哲学以外の専門の人にはありがたい本です。最近書店でよく見る「クリティカル・シンキング」を意識したものですが、その中では最も哲学寄りのようです(デカルトなんかも出てきます)。新書なのでそれほど難しいことが書かれているわけではなく、むしろ文系研究者ならこれぐらいのことは分かっていて、かつ実践できていなければならないことなのですが、自分も含めて、結構できていないことがあると思うので、自己点検のためにもさらっと読んでみるといいと思います。哲学は実際に接近可能か、実証可能かを差し置いてとにかく原理主義を押し通す営みですが、現実的な落としどころをどのように哲学的に考えるか(単なる緩い妥協ではなく)というところにも目を配っているところが類書にはあまりない本書の利点なのだと思います。実証畑の人も、理論的に詰められるところは可能な限り詰めるべきだと思いますので。

2. 貫成人『哲学マップ』ちくま新書,2004年.

 もうひとつちくま新書の平易な概説書です。哲学・思想以外の専門の人の場合、たまに読んでいる文献に出てくる哲学者や概念が哲学全体の中でどのような位置にあるのかをざっくり知りたいという欲望に駆られることが少なくないのではないかと思います。本書は書名のとおり、西洋哲学を中心に、程よく教科書的に分かりやすく概説がされています。最後の方に申し訳程度に東洋思想の章が設けられ、まさに申し訳程度のことしか書かれていないのですが、最後に西洋哲学のマッピングを行う上で、なかなかいい味を出しています。それにしても、この手の本は、読んでいるときは、なるほどーと納得しながら分かったつもりになっていけるのですが、読んだそばから内容を忘れてしまうのはタワシだけではないのではないでしょうか。哲学はきわめて抽象的な議論であるためにイメージとしてそもそも残りにくいのですが、ましてそれをさらっと苦労なく読んでしまうのでなおさら脳みそに染み付かない、ということなのかもしれません。

3. 思想の科学研究会編『新版 哲学・論理用語辞典』三一書房、1995年.

 若干古いですが、伝統的な哲学・論理学の用語を、厳密にはいいから、ざっくりと知りたい、というときにもってこいです。それを目的に作られた辞典というのはそうありません。残念ながらざっくりとした説明では余計によくわからない用語というのもあるのですが、やはり、意味を大きく外して覚えてしまうということは避けたいので、とりあえず、用語の大体の守備範囲を知ると、さしあたり安心します。

4. 金森修『ベルクソン―人は過去の奴隷なのだろうか』NHK出版、2003年.

 一般に「生の哲学」の源流に位置づけられるパリ生まれの哲学者の哲学についての小著です。19世紀は実証主義が隆盛化した時代ですが、著者によると、ベルクソンは実証主義の有効性は認めながらも、それからこぼれおちるもの、あるいはそれではつかみ取れないものを探求しようとしました。現在に至るまで、実証主義的な物言いは非常に説得力を持つばかりか、我々の認識を強く規定し、それから逃れる想像力も持ちにくくしています。しかし、それに飽き足らない流れというのが、19 世紀終わりから20世紀初頭、哲学に限らず、ヨーロッパ社会全般に一定程度の場所を占めていたように思います。現在からすると、その流れに属していながら、ロマン主義への逆戻りとして簡単に片づけられているものももしかしたら少なくないかもしれません。本書の文体は、類書では異例なほど明らかな「上から目線」で、イラっととする読者もいるかもしれませんが、たぶんそれは著者ができるだけ平易に語ろうとした結果なのだと思います。実際、非常に分かりやすく、また印象にも残りやすいです。

5. Stephen Jay Gould, "The Jurassic According to Hollywood," in Mark C. Carnes (ed.), Past Imperfect, New York: Henry Holt and Company, 1995 (reprinted in 東京大学教養学部英語部会編,The Expanding Universe of English II,東京大学出版会,2000).

 英語の勉強に、と読んでいた読本に入っていたエッセーです。ハリウッド映画『ジュラシックパーク』に生物学者がケチをつけるという内容です。ハリウッド映画は娯楽映画なので、むやみやたらと専門的観点から批判することに意味はあまりないことが多いですが、この論考はなかなか我々の科学観に関しての本質を突いています。たとえば、良質な全体の一部を取り出して移植すれば、再び良質な全体が出来上がる気がする、という我々の感覚は、生物が複雑性の中で成立していることを看過しています。要は、良質な全体というのは、部品一つ一つは、それだけ取り出すとまったくの不良品同士が微妙なバランスと打ち消しあいや「化学変化」で、結果としてよいものを作り出しているということもあるでしょう。恐竜のDNAさえ手に入れば(そもそもDNAはそんな長年保存されるものではないそうですが)恐竜が出来上がる気がするというのは、こうした生物の複雑性をまったく無視した貧困な想像力だそうです。

6. Richard Osborne and Dan Strugis, Art Theory for Beginners, Hanover: Steerforth Press, 2006.

 美術理論に関する入門書ですが、美術を通して、ロマン主義とは何か、近代主義とは何か、ポストモダンとは…といった哲学の基本的な事柄に関してイメージをつかむことができます。ただ、本書のイラストはあまりうまいと思いません…

 

 

<平易な心理学>

1. R・ドライカース『アドラー心理学の基礎』一光社、1996(原著1989).

 社会科学ではまず登場しませんが、アルフレート・アドラーは初期のころはフロイトとともに研究を行っていたオーストリア・ユダヤ人の精神分析家です。フロイトがエディプス・コンプレックスを唱えたのに対して、アドラーは劣等コンプレックスを人の心理の基底として主張し、この点が彼とフロイトを実際の付き合いの上でも分かつ分岐点でした。学部のころですが、なるほどー、と人間や社会(ミクロ社会)のことが少しわかったような気がしました。実際のところどうなのかよくわかりませんが。ただ、ニーチェやM・シェーラーの「ルサンチマン」概念とは通じ合う部分が幾分かあるように思いました。

 

<時事評論>

1. 古市憲寿「リーダーなんていらない」『新潮45』2012.3

 古市氏は大学院の後輩にあたるのですが(ほとんどお目にかかったことはないですが)、かなり若くして最近引っ張りだこでいろいろなところに登場しています。で、何も読まないうちから、なんとなく、僻み交じりの偏見でちゃらちゃらした感じで、これだから最近の若者は(数歳しか違いませんが)、などと勝手に訝しく見ていたのですが、この論考は一本取られました。確かにそうだ、と思うところが多かったですし、それが古市さんが著書で提示しているという(すいません、まだ読んでいないので又聞きです)「身の回りの小さな幸せ」に満足する若者像とつながっていくのもうなずけました(むろん、そうした種類の若者がよいのか悪いのかは難しい問題ですが、しかし事実として、そうした感覚の若者は増えているのだと思います)。リーダーを待望することの愚かさなど、いわれてみれば当然のことだともいえるのですが、それを単に宗教的感覚として一蹴するのではなく、現在のめまぐるしさという状況との関連で無効化している点が、軽快でかつ説得的です。書店には相変わらず強いリーダーシップ賞賛本があふれていますが、いろいろな意味で考え直さないといけませんね。これまでの論壇は、概していえば、個人か国家かという軸(前者重視が『世界』、後者が『諸君!』や『正論』)で議論が進んでいたのですが、彼の議論はそれと体系的に異なる地平に立っていて、そこが新世代として注目されているのでしょう。もちろん、論壇誌ですので、彼の印象論にすぎないわけですが、なかなか馬鹿にできないものがあると思いました。二次文献としてはもとより、一次文献としても。

2. 宮台真司「脱原発が陥りがちな罠にご注意を!」(宮台氏のブログより)http://www.miyadai.com/index.php?itemid=947

 この議論は脱原発を当然とするうえでなされたもので、脱原発の方向性を揶揄するものでは決してありません。が、その過程で提示される社会分析は、ある意味、上記古市氏に通じるところもあるので、伝統的な反原発思想とは世界観が異なっているかもしれません。日本社会全般を考えるうえでいろいろ示唆に富む論考で、文系含め、研究者も心当たりのあることが多いのではないかと思います。こういうまとめ方をするとせっかくの論考を安っぽく見せてしまうかもしれませんが、要するに、東電一つ(とせいぜい「原子力ムラ」)を叩いて気がすんでいる人は、第二の原発事故「級」の事故にまっしぐらだということです。「原発をやめられない社会」とはいかなる社会か――この問いと、「ライフスタイル」ではなく「ソーシャルスタイル」としての「スローフード」の話を絡めるあたり、大変刺激的でかつ説得的です。

 

 ※つづく

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【語学】

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◆英語

<辞書>

1. アルク『英辞郎』(オンライン版:http://www.alc.co.jp/

 挙げるまでもない有名な辞書であり,非常に使えます。オンライン版は常時語彙が増えていますが,とにかくイディオム(と言うほどのものでもないなんとなく慣用的ななっている長めの表現なども含めて)や専門用語の収録が多くて助かります。また、例文が多く、検索ができるため、連語を含めて確認できるなど、英作文の時にも便利です。

2. 国広哲弥他編『プログレッシブ英和中辞典』(第4版)小学館、2002.

 電子辞書は学習英和辞典としては『ジーニアス英和辞典』がほぼ独占した観がありますが(この辞書も定評どおりいい辞書ですが)、こちらの辞書は特に類語解説が充実しており、英作文に重宝すると思います。語法解説もジーニアスに見劣りせず、語源解説も抜かりありません。見出し語数も11万7千で大抵はカバーします。なお、同じ編者による本辞書の兄貴分が『ランダムハウス英和大辞典』です。『ランダムハウス』の電子版に第3版が付いてるほか、第3版がOfficeなどに付いてくるMicrosoftBookshelfのVer. 2.0が採用していますが、なんと、Yahoo!Japanの辞書検索で本辞書第4版が採用されています。

3. 井上永幸・赤野一郎編『ウィズダム英和辞典』(第2版)三省堂、2006.

 こちらは、英語用法のデータベースであるコーパスを活用した辞書で、重要語については語の用法などについての客観的な使用頻度がついており、自然な英語を書く上で参考になると思います。制限用法における関係代名詞thatとwhichの違いについて、この辞書が最も詳しく的確な解説をしていると思いました。見出し語数約9 万語。これは紙版を買うと、三省堂のサイトで電子版が使えます。

4. 小島義郎他編『ルミナス和英辞典』(第2版)研究社、2005年.

 和英も電子辞書市場で『ジーニアス』が独占状態にあるようですが、ジャンプ機能で単語の引きなおしが容易になった電子辞書では、ジーニアスの売りは半減し、むしろ、英和辞典を貼り付けたような機械的な印象と説明のシンプルさが目立ってしまっています。本辞書は、コロケーションと類義語の説明が豊富で、実践的です。また、他の和英辞典と比べて、出てくる語彙が若干豊かで、上級語の語彙も多いです。見出し語数約10万。残念ながら電子版はありません。なお、上記1は慣用表現が豊富なだけでなく、例文に入った単語も検索に引っかかるので英作文に使えます。

5. 市川繁治郎他編『新編 英和活用大辞典』研究社、1995.

 コロケーション辞典です。日本語(翻訳除く)で唯一のコロケーション専門辞典であるのみならず、例文の中で示されている点で、洋書も含めて最も詳細なコロケーション辞典でもあります。CD-ROM版や、電子辞書版など電子版も多いです。

6. The American Heritage Dictionary of the English Language, 4th edn., Houghton Miffin, 2006.

 英英辞典では、Longman, Oxford, Cobuildなどが有名ですが、本辞書は説明が詳細なのと、類義語の例文を交えた解説が豊富です。2で言及したBookshelfに入っていますが、単体でのCD-ROM版もあるようです。

7. 研究社辞書編集部編『英語類義語使い分け辞典』研究社、2006.

 『新英和大辞典』(第6版)にある類義語の囲み記事をまとめたものです。

8. 河本健編『ライフサイエンス英語類語使い分け辞典』羊土社、2006

 論文に使う表現について、コーパスに基づいた使用頻度を提示した上での類義語の解説が付されています。理系用ですが、論文用語なので、大抵は文系でも使うような表現です。

9. The Merriam-Webster Dictionary of Synonyms and Antonyms, Springfield: Merriam-Webster, 1992.

 ロジェやオクスフォードなどの有名な類語辞典は単に大雑把な意味別に類語が網羅されているだけで、上記二つの辞典のように意味の違いの説明はありませんが、本書は語数はさすがにロジェ等には遠く及ばないものの(それでも、7.よりも多く、ある程度の頻度以上使う語については大体カバーしているように思いいます)、そうした説明がされている類語・対義語辞典です。一番小さいJR時刻表サイズのコンパクトなペーパーバックで英作文に重宝します。本格的なものとしては、6.のシリーズに類語だけを取り出した大類語辞典があります。

<発音>

1. 竹林滋他『初級英語音声学』大修館書店,1991年.

 正しい発音を身に付けるためには,単に耳を慣らすだけでは不十分で,発音に関する正確な知識が必要です。しかし,それさえあれば,別にわざわざ英語圏に留学しなくても(と言うか,先述のように,耳を慣らすだけでは不十分なので,英語圏で生活しても口の動きに注意しなければカタカナ英語は抜けません),後は練習次第でネイティブに近い発音は十分に身につけられます(現在日本には大量にCD付き英語参考書が出回っています。日本人と英米人と口の基本的な構造は同じで,現にアジア系アメリカ人も基本的にヨーロッパ系アメリカ人と同じ発音をします)。なお,本書はアメリカ英語です。日本の英語教育,参考書は基本的にはアメリカ英語ですが,語学書の付属CDの発音は,日本人に聞き取りやすい,あまりアメリカ英語っぽくないアメリカ英語が多い(かといってイギリス英語とは違います)ので,一般的なアメリカ英語を聞きたければABCやCNN(ただしCNN Internationalではイギリス英語に近い英語を話すアナウンサーもいます)などを教材にするといいでしょう。両方ともそれぞれのウェブサイトで無料でVideoが見れます。

<単語>

1. 風早寛『速読英単語(1)必修編』増補第3版,Z会出版,2000年,同『同(2)上級編』改訂第3版,Z会出版,2003年

 別売りのCDを使って何度も繰り返せば,語彙力だけでなく,読解力とリスニング力が付き,全般的に英語に慣れることができ,出力(書く,話す)にも効果が出ます。同じコンセプトに基づいた,さらに上級用のものとして,Z会出版編集部編『上級者へのTOEIC Test英単語―差がつく1,000語で900点突破!』Z会出版,2006年あるいは、こちらも売れているシリーズですが、松本茂監修『速読速聴・英単語Advanced 1000』Z会、2000年があります。前者は、英米加豪の発音の人がCDを吹き込んでいて、4つの方言になじむことができます。後者は、付属CDとしては速い部類(ニュースぐらいの速さですが)の標準的なアメリカ英語です。

<文法>

1. 江川泰一郎『英文法解説』(改定三版)金子書房、1991年.

 文法書はたくさんあり、どれも悪くありませんが、これは網羅性と要領のよさを兼ね備え、かつ、微妙なニュアンスの違いなどを明確に説明した「解説」が多く付されている点でお勧めです。

2. ランガーメール編集部『THEがよくわかる本―ザ・ラーメンからDefender of the Faith(英国君主)まで』ランガーメール,1996年

 日本語話者にとって冠詞はなかなか理解しにくく,特に英作文のときに迷うものですが,本書は79ページという短い長さの中で冠詞の中枢を提示しており,細かなルールについては別の本にあたる必要があるにしても,一歩前進すると思います。主人公のイギリス在住「金丸(かなまる)さん」の視点で書かれています。続編『aとtheの物語』もあります。

3. 大西 泰斗+ポール・マクベイ『ネイティブスピーカーの英文法〈2〉 ネイティブスピーカーの前置詞』研究社出版,1996年

 各前置詞の基本的イメージを理解する本。どうしても「~に」「~と」のように日本語での理解で実用に持っていくには限界がありますが,本書で基本的イメージを理解すれば,細かい用法も覚えやくすくなります。

<英文解釈>

1. 伊藤和夫『英文解釈教室』改訂版,研究社出版,1997年.

 近年受験界でおろそかになっている,英文一文一文を論理的に精確に読み取るという能力が付きます。この基本的能力なしに速読も何もあったものではありません(平易な文章はなんとか読めても,多少難しくなると平気で誤読してしまいます)。しかも,英米人と同じように頭から文を解釈していく上での,頭の中の回路が書かれており,本当の英語力が付きます(その意味で,速読への重要な第一歩を手にすることができます)。精確に読む上で文法知識がいかに重要かも理解できます。同時に,非常に論理的な説明をしているので,論理的思考力も養え,難解であるとか,硬いといった本書の長所を理解しない批判も多い中(もちろん本書を絶賛する声もいまだに根強いですが),現在ある英語参考書の中で最も費用対効果の高い本です。英文解釈については,この本をマスターすれば,どんな英語でも大体精確に読めるようになると思います。

<作文>

1. デイヴィッド・セイン『英語ライティングルールブック』DHC,2004年.

 この手の本はいくつかありますが、さしあたり、これが作文上のルールを要領よくまとめていると思います。

2. 崎村耕二『英語論文によく使う表現』創元社、1991年.

 論文で使うつなぎ言葉など、参考になります。ただ、日本語の論文でもそうですが、つなぎ言葉に頼りすぎるとかえってわかりにくい構成になりかねないので注意が必要です。

3. 富岡龍明『英語らしい英文を書くためのスタイルブック』研究社、2006.

 自分の書いている英語のトーンがネイティヴにどのように感じられるのかという問題は、なかなか答えを見つけるのに苦労する問題です。本書はそのような疑問に対して、文体によるニュアンスの相違(硬さや柔らかさ)といったことなどを例示しています。

<スピーキング>

1. 川端淳司『TOEFL TEST対策iBTスピーキング』テイエス企画、2006年.

 数年前からTOEFLの試験はインターネットベースのiBTに替わり、最大の変更点としてスピーキングが加わりましたが、その対策用の教材です。しかし、TOEFL用でなくとも、リスニング+スピーキングの練習にはもってこいだと思います。スピーキングはアウトプットという点では作文と同じ要領が脳の中で働くのだと思うので、作文を鍛えればスピーキングも向上するというのがタワシの見解です。作文の方が自分が作る文章の欠点を見つけやすく、精確な文章を作成する練習になるはずです。なお、スピーキング練習時は、ウィンドウズに付録しているアクセサリにある録音機能を使うのが便利です(レコーダなどを持っていない場合)。なお、本教材は本番より多少難しいように思いました。

<その他>

1. 白井恭弘『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』岩波書店(岩波新書)、2008年.

 第二言語としての外国語の習得に関して研究者の点でどこまで合意があるのかについて概説されています。割と基本的なことでも研究者の間で見解が割れているものが多いという印象です。とりあえず、外国語習得にはアウトプット練習よりもまず大量のインプットが重要であるようです。語学界における一種のポピュリズムだと思いますが、そこでやたらと文法教育が目の敵にされることが少なくない昨今ですが、やはり言語のルールである文法学習が重要で、何とかの一つ覚えのように会話会話と言ってもあまりちゃんとした言語が使えるようにはならないことはいうまでもありません。

2. 中澤幸夫『テーマ別英単語Academic[上級]01人文・社会科学編』Z会、2009年.

 アカデミックな英語についてのCD付の読本は、これまで市販ではほとんどありませんでした。東大の教科書が市販化されたUniverse of Englishシリーズ(多くは学術論文と一般向け評論の中間ぐらいの文体ですが)はその先駆けですが、本書はより親切(日本語訳・単語・表現まとめ、CD同胞など)で手軽なものです。

 

◆ロシア語

1. 阿部昇吉『今すぐ話せるロシア語単語集』(第4版)ナガセ(東進ブックス),2005年

 基本1600語の大半に簡単な例文が付いており,付属の2枚のCD(1500円の語学書に2枚CDが付くとはなかなか太っ腹です)が単語→例文の順で読み上げており,効率的に単語の学習ができます。上記の『速読英単語』式に文章の中で覚えるのが一番なのか否かについては自分自身答えがまだ出ていないのですが,最低限例文は必要だと思います(単語は文脈の中で意味が決まる云々という話ではなく,単純に脳にいかに印象付けるかという問題です)。類書の硬派な佐藤純一・木島道夫共編『例文で覚えるロシア語重要単語2200』白水社1983年も同じコンセプトに基づいているのですが,こちらは単語の細かい意味の違いごとに例文を載せているので,1つの単語に付き平均2,3文の例文になり,分量が多くなってしまい,効率の点からはやや難が残ります(実際,別売りテープの合計収録時間は5時間半で,単語数がこちらの方が多いということもあって前者の3倍近くになります)。『今すぐ…』の方は題名からも想像できるように日常生活を意識した構成になっていますが,テーマごとに単語が収録されているため,例えば歴史研究にロシア語が必要だという人は,「ソファー」や「フォーク」などの日常生活のみに出てくる単語の項目は簡単に飛ばすことができます。

2. 東一夫・東多喜子『標準ロシア語入門』(改訂版)白水社,2003年

 まず特筆すべきは,この手の地味な語学書にしては珍しくCDが2枚も付いているということです。ロシア語は音声教材が乏しい中,初級者としては大変助かるものです(中級以降のための音声教材は少ないですが、以下7で触れるNHKラジオ講座2011年度前期応用編はニュースが素材です。そのほかNHKのロシア語ニュースのスクリプトを用いる,あるいはさらに上級者はМаякというスクリプト付きのロシア語のニュースサイトを利用するぐらいしかありません。東大出版会のCD付き教科書The Universe of English,Prismenのようなもののロシア語版の登場が望まれます)。基礎文法はこれ一冊でマスターできるようになっていて,ポイントの入った会話向けの例文が各課の最初に挙げられており,この中の例文を暗記すればロシア語会話にもかなり役に立つでしょう。基本660語を繰り返し登場させる工夫もなされており,なるべく自然に覚えられるように配慮されています。

3. 城田俊『現代ロシア語文法』東洋書店,1993年

 今でも新品で手に入るロシア語文法書の中では最も詳細な文法書です。練習問題なども付いていて,もちろん初級者が使えるようにもなっています。ロシア語の音声が専門の1つである著者だけあって,最初にかなり紙幅を割いて詳しく発音の解説もしています。配置も「例文」「基本事項」「説明」「類例」「参考」「注意」など細かく分類されており,読者の側が欲している情報が読み取りやすくなっています。

4. 城田俊『現代ロシア語文法 中上級編』東洋書店,2003年

 3.の応用編です。基本的な文法は3.で十分ですが,本書はよりちょっとした表現の違いによる意味の相違や特殊な用法など,よりロシア語の精度を上げるための文法事項が書かれています。第2部は「表現法」としてロシア語作文のためのコツが書かれています。構成や配置は3.と同じで,練習問題も付いています。

5. 西野常夫・渡辺克義『ロシア語中級読本』東洋書店,2002年

 「初級」編もありますが,この2つが日本語で唯一の露文解釈のための参考書(問題集)です。まえがきにも書いてあるように,ドイツ語のところで取り上げる『独文解釈の秘訣』を意識したものですが,それと比べるとだいぶ簡潔なものとなっています。一通りロシア語をやった者には最低限必要な解説は付してあると言えますが,『独文…』のように,類例などともにポイントを改めてまとめてくれるなどがあればなおよかったと思います。約100ページほどしかなく,分量が少ないもの残念です(中級レベルは本書しかないので)。

6. 東郷正延他編『研究社露和辞典』研究社、1988年

 初学者から専門家まで使える、ジーニアス大辞典のロシア語版のような辞書です。これのおかげで日本のロシア研究者はずいぶんと得をしているのではないかと思います。英露辞典では、どんなに大きいものでも、ここまできめ細やかな意味をとることは難しいと思います。何語に関しても日本の辞書は群を抜いて詳しいのですが、翻訳文化が発達したからでしょうか。早く電子版が出ないかなぁと思っています。ちなみに、電子版ではカシオから三省堂コンサイス露和・和露辞典、オクスフォード英露辞典の電子辞書が出ていて、語彙数的にはそこそこよいです。解説・イディオムの量はこれにかないませんが。

7. NHK・鈴木義一「応用編」『まいにちロシア語』2011年4~9月.

 2011 年度前期のNHKラジオ講座・ロシア語応用編です。ニュースを素材にしたロシア語教材はありましたが、CD付というのはこれが日本で初めてだと思います。これまでのラジオ講座の応用編は、目にしたことのあるここ10年ぐらいの間では、ほとんどが文学を素材としており、社会科学系研究者にとってはやや敷居が高い(というか、単に研究のためのロシア語習得を目指すにはやや効率が悪い)ものでした。これをやったうえで、さらに文学にも挑戦していけばよいのかなと思います。 

 

◆ヘブライ語

1. キリスト教聖書塾編集部『ヘブライ語入門』(第2版)キリスト教聖書塾,1988年

 「入門」となっていますが,厚さ(全497頁)からも分かるように,ヘブライ語の文法に関しては概ね網羅しています。説明も分かりやすく,章立てもしっかりしているため,後から辞書的に参照することも容易です。後ろの100頁ほどを聖書ヘブライ語に割いており,主に聖書(ユダヤ教のタナハ,キリスト教で言う旧約聖書)を読むためにヘブライ語を勉強する人にも使えます。本書をマスターすれば,新聞程度であれば文法的には特に問題ないと思います。ただ,別売りのカセット(確か 60分×2)は高い(いくらか忘れましたが)割には,後ろの方に行くにつれ本文の多くを飛ばしており,微妙なところです。

2. שלומית חייט, שרה ישרשלי, הילה קובלינור, עברית מן ההתחלה, חלק א', אקדמון, 2000, 同חלק ב', 2001

 イスラエルのヘブライ語集中講座(「ウルパン」と言います)用の教科書ですが,それぞれ5枚ずつCDが別売りであり,ヘブライ語でヘブライ語を教授するというウルパンのヘブライ語主義の割には多少英語での説明もされており,また余裕ある紙幅で展開されているため独習も可能です。各章の新出単語リストや巻末の辞書も助かります。ただ,חלק א'の方のCDは,ヘブライ語の勉強のためにいくつかヘブライ語の歌が各章必ず1つか2つ短いものが収録されているのですが,本文を読み上げるのと同じ人が伴奏なしに歌っているのは勘弁してほしいです(音痴ではないのですが,コスト削減しすぎです)。なお,文法的にはこの2冊が,概ね1.に相当します(大抵は1の方が少しずつ詳しいです)。

3. Babylon(電子辞書)

 Babylonのサイトからダウンロードするパソコン版と端末版(ネット経由で購入できそうです)があります。Babylonの端末に相当するソフトをダウンロード(有料:1万円弱)すれば,ヘブライ語を含む主要言語の辞書が無料でダウンロードできます(『ジーニアス英和大辞典』など有料のものもあります)。 Babylonの辞書が便利なのは,ヘブライ語は語根で引かなければならないのですが(引きたい単語を知らないから引いているのに原型を知らなければならないというのは酷です。。。もっとも,多くの場合は,ある程度文法を知っていれば原型は予測できるので,辞書を引くのも勉強と言えばそうなのですが,動詞か名詞かも分からない場合もあるので,何通りか予測して何度も引かないとならないので大変です。特に紙の辞書の場合),変化形を入力しても,いくつか候補を挙げてくれて,その中にほぼ必ず探している単語の原型が掲載されていることです。

4. 山田恵子『CDエクスプレス 現代ヘブライ語』白水社,2005年

 ようやくエクスプレスシリーズにヘブライ語が出ました。数々の日本でのマイナー言語を扱うエクスプレスシリーズですが,いかにヘブライ語の需要(供給も?)が少ないかということです。しかし,本書は緩い感じのエクスプレスシリーズとしては異例なほどにみっちりと詰まっており(一目で分かりますが,行間が狭めで余白があまりありません),著者の学習者に対する熱意が伝わってきます。文法が比較的簡単なヘブライ語でこれなので,他のエクスプレスシリーズと比べれば,習得度はかなり高くなると思います。実際,文法に関しては上記2+αぐらい(ウルパンのレベルではギメルぐらい)の情報量はあります。付属のCDがカバーする範囲も広く,全ての文にアルファベットで発音記号(完全なものではありませんが)が付されており,独習しやすくなっています。ただ,動詞の活用表が,普通(1.,2.となど)異なり3人称・2人称・1人称の順番となっている(逆である)のは,他書を併読する,ないしは他書にステップアップする場合に不便な点は残念です。が,説明は詳しくかつ簡潔で,全体としては完成度の高い本と言えます。

 

◆ドイツ語

1. 江口陽子他『今すぐ覚える音読ドイツ語』ナガセ(東進ブックス),2003年

 『速読英単語』に似たコンセプトに基づいた単語集です(レベル的には『速読英単語入門編』かそれ以下です)。『速単』同様に左ページに短い文章(5~10行程度),右側に日本語訳,次のページに単語一覧がついており,文章には文法などに関する簡単な解説もつけられており,初学者(一通り文法を勉強した者)にも無理なく単語を中心とした勉強ができます。付属の2枚のCDは文章と単語を読み上げています(単語に関しては最初に日本語訳も読み上げているので,本を見ながら勉強するときはうっとうしいのですが,例えば歩きながらとか,車の中で聞き流して勉強することもできます)。ただし,amazon.co.jpのカスタマーレヴューによると,4人の吹き込み者の中の1人(女性)は方言だそうです。また,本書に書かれているようにみな東海大学の留学生であり,つまりは,音読に関しては全くの素人なので,初学者には聞き取りにくいように思います。ただ,1700円という価格を考えればこの辺でコスト削減しなければならなかったということでしょうか。見出し語が1000語と初学者用にもやや少ないところも残念ですが,読解力なども同時に付くと考えれば,総合的には良書と言えそうです。

2. ヴォルフガング・シュレヒト+恭子シュレヒト『独検3・4級突破単語集』三修社,2005年

 次の段階の単語集としては(はじめからこれでもいいのですが),約1750語収録している本書があります。例文+それを読み上げるCD3枚付きです。以上の2書以外に少なくとも例文が付き,かつCDが付いた単語集はほとんどありません(同じくドイツ語検定対策用に本書と同程度の収録語数のものがありますが,CDは別売りで割高になります)。品詞別にアルファベット順に並んでいますが,4級用と3級用に分かれているので,とりあえず4級用をマスターしてから3級用に行く,という方法が取れます。

 

◆日本語

<文章指南書>

1. 池上彰『わかりやすく〈伝える〉技術』講談社現代新書、2009年.

 これまでの自分の文章を読み返すと、一文にヤマが2つ以上あるような複雑な文、リズムの悪い文、論理の進展に緩急がありすぎる段落など、反省すべき点は少なくありません。本を書くにあたって、自分の日本語を磨くことを考えるようになりました。といって、何か優雅な、語彙力豊かな文章を目指すのではなく、とにかくわかりやすい、すんなりと入ってきやすい文章を書くことを目指すことにしています。1冊目は、ご存じ、池上彰です。多少理屈っぽいところもなくはないですが、第8章「日本語力を磨く」など、参考になると思います。とにかく難しいことをやっている研究者は、少しでもわかりやすく書くことを心掛ける必要があります。その時に重要なのは、余計な飾りは付けない、つまり無駄な語句は削るということです。代わりに重要なのは、文章の流れに注意するということです。ワタクシの言葉で説明すると、英語を例にとってみた場合、英語の文は「てにをは」がないにもかかわらず、意味がすんなり通じます。それは、英語が語順、つまりは流れを規則化しており、その語順に則っている限り読み手は自動的に「てにをは」を頭の中に再現できるからです。同じ要領で、複数の文を並べるに際しても、「そして」「こうした」「ところで」といった語句がなくても、そうとしか解釈しようのない文の順番というのが、日本語でも何語でもあるはずなのです。よく長い文はよくないといわれますが、流れさえスムーズであれば、少々長くても割とすっきりと読めてしまうものなのかもしれません(とはいえ、長くても理解できる文を書くのはかなり上級ですので、自信がなければなるべく短くするべきではあります)。

 ともかく、学問の世界での格好いい文章というのは、一文一文が美的なのではなく、それらで表現される内容や論理展開が格好いいということなのであって、しょぼい内容は、どんなに飾り付けをしても、厚化粧が見苦しいのと同様に、余計にダサく見えてしまうということなのだと思います。内容が重厚で切れ味よければ、文章が邪魔をしないほどそれが生き生きと伝わるということでしょうか。

2. 山口翼『志賀直哉はなぜ名文か―あじわいたい美しい日本語』祥伝社新書、2006.

 昔の小説家がよく手本にしたといわれるように、志賀直哉は名文家とされています。本書は、具体的に一文一文のどこが名文の要素となっているのかを解説していったもので、意外とこの手の本はあまりありません。そうした分析からわかるのも、流れさえよければ、日本語は少々省略があっても違和感はなく、むしろ締まった文章になるということです。同様の本としては、50の作家の文章を分析して示した馬場啓一『名文を読みかえす―夏目漱石からプロジェクトXまで』いそっぷ社、2011年があります。もっとも、2つとも、学術論文に使える部分はかなり限定的です。ただ、文章を書くにあたってアタマを柔らかくするためには参考になるかもしれません。

3. 本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫、1982.

 ノンフィクション~評論文のための作文指南書の中では、一番有名なものかもしれません。特に前半は、わかっていても実際にはよく違反してしまいがちな規則が多く書かれています。修飾の順序について「親和度(なじみ)の強弱による配置転換」という規則は、なるほどなと思いました。つまり、文中で意味的には切れていても、連想されやすい語句同士は隣り合っているとつなげて読まれやすいというものです。そのほか、長い修飾語は前、短いものは後、という規則も、これまで違反することが多かったと反省する重要規則です。外国研究をしているとどうしても外国語の影響を受け、翻訳調の日本語に近づいてしまう気がしますが、日本語の特性を生かしてこそ、わかりやすく書くことができるのだと思う今日この頃です。日本語は主語を述語の直前にまで持ってくることも簡単にできますし、主語を長くしてもわかる文が書けるという特性を持っています。

4. 三浦順治『英語流の説得力をもつ日本語文章の書き方』創拓社、2009.

 英語圏かぶれがやや目立ちますが、日本語と英語の特徴を簡潔に示すことで、文章を書くときに何を意識すべきかを明確にしている本です。基本的に英語式に書くことを指南しています。これは習慣の問題もあるのでなかなか難しいところではありますが、少なくとも研究者は英語式にある程度慣れてはおり、現在日本で主流の学問自体が大いにその影響下にあるので、英語式にしてもさしあたって間違いはなさそうです(完全に一般向けの文章を書く際にどうするか悩むところですが)。当然、本書は英語で文章を書く際にも参考になります。

*  *  *

 ちなみに、自分自身が気を付けようと最近決意を新たにしたのは、以下の点です。

(1)逆接ではない「が」を使わない。これは文章指南書でよく注意される、口語の影響と思われる一種の癖です。例えば「ヴェーバーは資本主義の精神について論じたが、それをプロテスタンティズムの禁欲に求めた」という文は、「論じた。しかし、それを…」という意味ではありません。しかし、最後まで読まないと逆接なのか順接なのかの判断がつかないので、読解の流れを滞らせます。タワシもよくやる癖なのですが(←これはほぼ逆接です)、込み入った議論であればあるほど、やめたほうがよいです。上記の例では「たが」を削除して何ら問題ありません。多くの場合、削除して「。」でいったん切っても実は流れとして問題ありません。もう1つの処理方法は、「が」の前後で主語が同じであれば、前半をその主語を修飾する形で処理するというものです。よく中高で、英語は長い主語を嫌うと教わります。逆に言えば、日本語は主語が長くてもOKだということです。上記の例では「資本主義の精神について論じたヴェーバーは、それをプロテスタンティズムの禁欲に求めた」とすればすっきりします。順接ではないけれども逆接というほどのことでもないという微妙な場合は、「であるものの」とか「である一方で」などと処理すればよいと思います。

(2)「ところで」「さて」を使わない。読者はこの言葉によっていったん流れを完全に見失います。全体の構成が優れた論文であれば、すぐにその迷子から抜け出られるのではありますが、ないに越したことはありません。なぜその脱線が必要であるか説明的に書くのが親切かなと思います。

(3)「において」「における」を多用しない。「おいて」は様々な連語を代用し、かつ論文に適した便利な詞なのですが、多すぎるとモタモタした感じの文章になりますし、一つの文の中に2つ以上あるのは美しくありません。極力一段落に1つあるかないかぐらいにした方が字数も減り、またより狭義の代替語にすることで文意もはっきりします。

(4)「こうした」「このような」を多用しない。文章を書いていると、文と文のつながりを強くしたいと思うあまり、ついこの手の指示語を使ってしまいたくなるものです。しかし、何を指しているのか読者には不明な場合が多いばかりか、書いている本人にとっても曖昧である場合、にもかかわらず一見文章が流れているように見えるので、細かい論理的欠陥に自分自身で気づきにくくなるような気がします。文章の論理が流れていれば(=文の配置が最適であれば)、つなぎ言葉がほとんどなくてもわかる文章になるはずです。 

(5)一文を、逆に読みにくくならない程度まで極力短くする。これは文章指南書でよく指摘されることです。なぜ文を長くしてしまいがちなのでしょうか。その裏にある心理はおそらく、文を切ってしまうと文章の流れが止まってしまい、文と文のつながりが分かりづらくなるのではないかという懸念があるのだと思います。しかし、実のところ、流れの良い文章は、つなぎ言葉なしにブチブチ切っても、むしろリズムよくすんなり入ってくるようです。日本語は主語の省略が可能で、細切れにしても字数はさほど増えずに済みます。もともと文章の流れが悪い場合は、文を切ると、その悪さが如実に表れます。文を短くすることは、推敲をしやすくするうえでもポイントとりそうです。ただし、上記4でも書かれているように、切りすぎるとかえって読みにくくなることがあります。そのあたりは、いったん切ってから推敲時に再統合するということでよいのかなと思います。

(6)あまり意味のない語を削る。口語と文語の大きな違いは、前者は多くの余計な言葉で満たされているということです。平易に文章を書こうとするとき、語りかけるように書くことを意識したりするものです。しかしその時に注意しなければならないのが、口語に引きずられて、事実上「ええと」というのと変わらない無意味な言葉を入れてしまうことです。例えば、「ある種の」とか、「といったような」とか、「など」とかです。

 

<学術的文章のお手本になる文章>

 巷の文章指南書だけでは、リズムや空気感、構成といったものはなかなかわかりません。そこで、学術的文章の参考になりそうな文章を挙げてみたいと思います。名文を扱った本などでは、文章のお手本として作家によるものが挙げられることが多いのですが、日本語の語感を習得するにはそれなりの参考にはなるものの、社会科学者が論文に使える表現や構成、リズムというのはあまりありません。学者には、ノンフィクションや売れっ子学者の文章が参考になるように思います。もちろん、特にノンフィクションやエッセーのノリの文章は、そのまま真似すると学術論文としては物言いがつく(厳密性という点で)場合はあるので、あくまでも参考程度ではあります。以下、多分にワタクシの好みと思いつきでいくつか挙げてみたいと思います。この人の文章もいいのではないか、というのがあればぜひご教示ください。

 選考のポイントは、1)わかりやすいこと。これは絶対条件です。しかし、次の条件を満たすという重要な留保があります。2)等身大で対象を描写していること。これは勝手に対象を色づけしてはならない学術的文章にとって必須の条件でもあります。変に重苦しくしたり、逆に軽々しかったり、いやに恰好をつけていたりというのはダメです。余計な形容詞や、根拠のない評価・価値判断を勝手に混ぜないというのも当然重要です。明確なことを明確に言うのは非常に簡単で、文章としても一見明晰になるのですが、そこそこ誠実な学者であれば必ずぶち当たるのが、対象を等身大で見ようとすればするほど、明快に切れない部分が出てくるという問題です。対象が割り切れないものであること、そしてどのように・なぜ割り切れないのかが伝わるように書く必要があります。とはいっても、ダラダラと様々な顔を提示するというのではありません。現実世界は本来多様で複雑ですから、その多様な側面をいろいろと書くこと自体は容易なことです。しかしそれでは議論が散らかり、何を明らかにしたのかが逆にわからなくなります。特に押さえておくべきポイントをわかりやすく論じる文章こそが、明快な学術文章の真骨頂なのだと思います。それが学術が「術」たるゆえんです。要するに、わかりやすさを追求して対象を切りすぎて血だらけにしてはダメで、最低限踏まえなければならない複雑さが何であるかを印象づける文章でなければなりません。そのためには次の3つの条件が必要です。3)文と論理の流れがよいこと。学術的文章にとっては、言葉一つひとつのリズムより、むしろこうしたリズムが重要かなと思います。4)無駄がなく引き締まっていること。最短経路で(しかし決して論証過程を端折ることなく〉段落をまとめ、結論までたどり着く、スピード感のある文章が理想です。5)具体的な論理展開とは別に、通底するテーマが常に見え隠れしていること。要するに、何について論じているのかを読者が見失うことのない、一貫したトーンのようなものがあると、読者としては、複雑な対象も、いわば定点観測ができることになり、距離感を失わずに済みます。これは、終始同じ内容を繰り返すこととは違います。同じことを、たとえ言い方を変えたとしても繰り返すだけでは、結論初めにありきの議論という印象が強くなります。とはいえ、何もかもまっさらにして議論することもできないので、ある程度背景というのは決めておく必要があり、その背景をしっかり見せることが必要だ、というわけです。

 そのほか、当然ながら、各主張には必ず理由や根拠を付し、勝手な感想を混入させないというのも学術的文章の基本で、それを欠くと一方的で独善的な文章となり、立場にかかわらず読者に不快な印象を与えるはずです。学術的文章というのは要は「計算式」ですから、それは著者の意図を超えた「論理の戯れ」なわけで、そこに勝手に「著者の戯れ」を混入させてはならないということです。さもなければ、まるで、「私は1+1は3だと思う。1×2も3に違いない。よって両者を足すと6である」みたいな、形式上は何となく論文調でも言っていることはめちゃくちゃという文章になりかねません。

1. 福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書,2007.

 生物学についてまったくの素人であるワタクシが、この本では様々なポイントがよくわかりました(多分)。理系の人にこんな文章を書かれては、文系としては商売上がったりです。生物学や生物学界の様々な顔を見せながら、生物とは何であるかというテーマに迫っていく推理小説のような展開で、いろいろな意味で、本の構成としても、一文一文も、文章もすべて完璧です。

2. 沢木耕太郎『テロルの決算』文春文庫,1982[1978].

 1960 年に日比谷公会堂で起こった社会党党首浅沼刺殺事件までに至る、浅沼と暗殺者・山口二矢の軌跡を描いたものです。それぞれの人物について多角的に、淡々と描写しながら、事件に収斂していく緊迫感があります。落ち着いた、引っかかりのない文章だと思います。池田勇人元首相の所得倍増計画が実施されるまでを描いた『危機の宰相』文春文庫,2008も同様のものとしてよいですが、こちらは、やや主人公周辺と対立するものについて一方的に書きすぎているようなきらいもないではありません。

3. 川本三郎『大正幻想』岩波現代文庫,2008[1990].

 川本氏の文章は、リズムがよく、軽すぎず重すぎず、全体のトーンがしっかりしているので、いろいろと細かい「路地裏」に「脱線」しつつも、各章や本としてのテーマを、そこに登場する対象を等身大で感じながら、しっかり味わうことができます。本書は、大正の作家たちが思い描いた様々な「幻想」が、単なる幻想ではなく、ある必然性を持った幻想であったことを生き生きと描写したものです。基本的に、氏が好きなものを書いているのですが、あるところで氏が言っているように、「なぜ自分がそれを好きなのか」を考えながら書いているため、単なる趣味の押し付けにならないところがミソなのだと思います。また川本氏は、一見ダメに見えるものの憎めなさ、つまり、割り切れない部分に好意を抱くようで、それが結果的に(?)、学術文章として好ましい、バッサリと対象を切らない作法に親和性を持つ文章に繋がっているように思います。なお、こうした文章でよりポップな感じのものとしては、『ハリウッドの神話学』中公文庫,1987があります。

4. 藤田進『蘇るパレスチナ―語り始めた難民たちの証言』東京大学出版会,1989.

 上記のパレスチナに関する項目でも挙げた、学部の時の指導教官による本で、ノンフィクションと学術書の中間のような本です。等身大で、庶民の視線からパレスチナ問題、特に難民の体験を追跡する文体は、学者によるものとしてはなかなかお目にかかれない雰囲気を醸し出しています。パレスチナで暮らしていたアラブ人の前に突然やってきた災難から数十年経て、難民化した彼らのベイルートでの蜂起につながっていく状況が追体験できます。

5. 上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』青土社,1998.

 多産な上野氏の著作からこれを選んだのは、単に専門が一番近い内容だと思ったからです。ともかく、今まで読んだいくつかの氏の文章は、どれも無駄のない明晰なものです。「ところで」という、論文としてはおそらくあまり好ましくない表現が時々出てくるのですが、論理の流れがよいので、読者としてはとくにつっかえることなく読み進められます。おそらく論争的なことを言っており、提示されている結論に同意できるかどうかはともかくとして、好感が持てるのは、その透明性です。つまり、論の前提や過程を隠さずに開示している点です。それはつまり、ツッコミどころが明示されているということでもあり、反論もしやすい形態となっています。研究者の文書でも、誰かビッグネームにあやかって、肝心の論証をそれに丸投げしたり、肝心な部分を、さも常識であるかのように(知らないやつが悪いとか、そう考えないやつは自分の党派ではないので議論する気はない、と言わんばかりの)明示しなかったりといった不誠実な文章が見受けられることは、残念がら少なくありません。対して、上野氏の場合、反論を恐れず、そしてまっとうな反論であれば、それを受け入れる用意を持って論を展開しているように見受けられます(本書でも、批判を受け入れて修正したと明示されている部分があります)。学者も人間なので、反論されるのを恐れ、自信がないことほど曖昧に、そしてそれをごまかすために変に恰好を付けて書く誘惑に駆られるものですが、氏は裸一貫で、かつ、議論としての公平さに配慮して論述している印象を受けます。

6. 宮崎学『近代ヤクザ肯定論――山口組の90年』ちくま文庫,2010[2007].

 論文が個人的なメモ書きと決定的に異なるのは、前者が読者の誤読の可能性を防止する機構を埋め込んでいる点です。もちろん筋道をわかりやすく書けば、あとは読者が丁寧に読んでくれれば誤読は起こらないのですが、早とちりな読者というのもいます。また、読者は読み進めながら筋道を予測しながら読んでいきます。このとき、それまでの言葉から連想されがちな、筋道とは違うものをあらかじめ打ち消していけば、誤読を防ぐとともに、論旨を明示することにもつながります。論争的なテーマであるヤクザを扱う本書は、その点、無駄なく、さりげなくそうした杭を打ち、論旨をつかみやすくしています。本書は「肯定論」というだけあって、ヤクザが持つ社会的機能の、理想論では割り切れない部分に光を当ててはいるものの、ナイーブなヤクザの理想化に読者が陥ることもなく、本当に注目しなければならない問題に読者の目を向けるためにも、こうした但し書きがされているように思います。

7. 高坂正堯『現代の国際政治』講談社学術文庫,1989.

 主に東西冷戦を扱った国際政治の概説です。無駄がなく引き締まった文体で、論理の流れがよいです。国際政治はいろいろと複雑なので、「ところで」(と、それと対になった「さて」)を多用する論者も少なくないなか、本書では(見落としていなければ)使われていません。代わりに多用されているのが、「もっとも」です。基底となる議論に留保を与えるときに使われるこの接続詞により、流れを切らずに、かつ話を単純化しすぎず、副次的ながらも重要な裏の面についても言及する文章となっています。もう1つの本書の特徴は、比較的翻訳調というか、名詞を多用する文体であるにもかかわらず堅苦しくなく、わかりやすいうえ、「上から目線」も感じないという点です。これは、何らかの権威に丸投げせずに一つひとつ著者の言葉で語りながらも、一文一文が短く、論理の流れがよいために、おのずとそういう結論に至るという「論理の戯れ」(つまり著者のさじ加減=「著者の戯れ」ではなく)で構成されているからでしょう。

8. 良知力『向こう岸からの世界史』筑摩書房,1993.

 ウィーンの1848年革命を論じた名著です。思想と歴史の交錯を鮮やかに、そして力強く明快に論じる文章ですが、この手の文章が陥りがちな独断的な印象も読者に抱かせず、まさに論文としての体裁も保っているところが特筆されます。要所要所で論拠が提示され、あるいは論拠の弱さが率直に認められているなど、透明性が確保されているからです。 

 

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