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2003オープンヨーロッパ選手権障害者自転車競技大会
2003年9月11日(木)〜23日(火)
場 所: チェコ共和国 プラハ(トラック)、テプリッチ(ロード)

はじめに
 2004年のアテネパラリンピックの枠をかけた最後の戦い、オープンヨーロッパ選手権。オープンという名前が示すとおり、ヨーロッパ以外の国の参加もOKで、実質の世界選手権である。日本チームは、タンデムの葭原・水澤ペアが都合により急遽出場が不可能になり、アテネの枠をかけた戦いは苦戦を強いられることになった。大城・丹沢ペアに与えられた使命は、必ずメダルを獲ってくることだった。

11日
 成田空港に8時半集合。自転車・機材の量が多く、ドタバタしたが、なんとかセキュリティチェックを完了。多良さん、小川さんのお母さん、関さんが見送りに来てくれた。ありがとうございました。
 12時間に及ぶ空路の旅。飛行機が全日空なので助かる。日本の航空会社はサービスが良い。この間、MATRIX Reloadedを4回も見てしまった。一週間くらい前から風邪をひいていて、機内でも3枚着込んで毛布をかぶっていた。旅行会社のしおりによると、9月のチェコの平均気温は13度。こんなことでは先が思い遣られるなーと思いながら、フランクフルトに到着。やっぱり寒い。さらに一枚パーカーを着る。テプリチェの選手村まで600km、バスで6時間だそうだ。バスに機材を積み込む。トランクには全部乗りきらず、乗客席にも自転車入りダンボールを積み込む。バスの後ろ3分の1くらいは荷物で埋まっている。すごい光景だ。
 バスの旅。途中で風力発電の風車があったので、写真に撮る。一応、環境学専攻なもので。直径62mの風車が立ち並ぶ姿はダイナミックで、雄大だった。
暗くなってきたが、道路が渋滞している。本当に6時間で着くのだろうか?ずっと下道を走っている。しかも2時間走ると20分の休憩している。外は本当に寒い。さらに平松にも上着を借りて着込む。大城君はTシャツ2枚しか手元にないそうで、震えている。みんな腹ペコだ。休憩所で、サンドイッチ、ソーセージ、ハンバーグ、ガスウォーターを買い、バスの中で食べる。ソーセージにはマスタードのみ。ケチャップが欲しかったが、腹ペコだったので、かぶりつく。サンドイッチに挟まっているピーマンがうまかった。その後は寝たり起きたりしながらバスに揺られる。肩がこる。
そしてバスがフランクフルトから出発してから10時間、遂に選手村に着いたらしい。もう時刻は夜中の3時すぎ!東京の自宅を出発してから、30時間近く経っていた。
大会運営のボランティアの人たちがまだ起きてくれていて、簡単に説明を受ける。そして、やっと横になって寝れた。

12日
 選手村「ホテル・パノラマ」の朝食はなかなか美味い。パンに、ハム、チーズが数種類、シリアル数種類、トマト、きゅうり、フルーツにミルク、コーヒー、ヨーグルト。朝食後、大会参加者のID用の写真を撮ってもらう。その後自転車を組み立てる。夕方の指定練習に行くために、自転車、荷物をトラックに載せ、自分たちはバスに乗り込む。中国の選手が大勢一緒のバスにいたが、中国人は声が大きくてうるさい。同じアジア人で、このバイタリティー(?)の違いはどこから来るんだろう?脂っこい中華料理を食べているからかな。しかも閉鎖的で感じが悪い。ところで、大会運営のボランティアの人たちのなかに、各国専属のボランティアがいて、日本の担当は、カットゥレンとクリスティーナという2人揃ってなかなかの美人。しかし、国際交流はあとでいい。まずは、競技でメダルをとらないと。
 バスに揺られ1時間半、プラハのベロドロームに到着。周長333mのコンクリートバンクだ。ふつう、海外のバンクは直線が長く、コーナーが短く、カントがきつい形状をしているが、プラハのベロドロームは予想に反して日本の競輪場のような丸い形のカントの甘いバンクだった。走ってみると、バンクのつなぎ目で段差があるが、路面抵抗は軽い印象を受けた。保坂さんの指示通り、軽めにブルーライン20周に、スプリントレーン20周軽めに走る。ギヤは52−15T。日東製のツバサハンドルが出発直前に修理から戻ってきたので、ポジションだしをする。チェコの日本人会の方が何人か応援に来てくれる。今日から、宿舎はベロドロームの近くのホテルへ。
 この日から、夜はほぼ毎日権丈さんにマッサージをやってもらった。権丈さんはマッサージがすごくうまい!!感動した。毎日入念に一時間くらいやってくれた。競技の前後も毎回スポーツバルムのスタートオイルやリカバリーローションをぬっていただき、権丈さんには大会期間中本当にお世話になることになる。

13日
 4つ星ホテルの朝食は、選手村よりさらに素晴らしい。栄養いっぱいの朝食をもりもり食べて、どんどん風邪が治っていく。何より、自転車のことしか考えないでいいのが最高!でも緊張とプレッシャーはすごい。出発前から繰り返しているイメージトレーニングを気づくとするようにしている。
 昼過ぎから指定練習。曇っていて寒いので、ローラーにセットしたロードレーサーで入念にアップしてから、ブルーレーン20周、スプリントレーン20周。その後、決戦ホイール(マビック・イオ、マビック・コメット)にはきかえ、フライング100m、スタンディング100m×2本。スタンディングは7月終わりから保坂さんに徹底的に指導してもらっていて、習得したタイミングを確認した。寒くて、はじめは筋肉が重いが、入念にウォーミングアップさえすれば、タイムがでるんじゃないかと思った。バンクは軽い!
 夜、マッサージをしてもらいながら、権丈さんが言った。「俺がマッサージした選手で勝たなかった選手っておらんのよ。明日は一番時計やね。」

14日
 今日から競技開始。朝一で男子タンデムスプリント予選。スプリントは、昨年の世界選手権で4位になった種目で、1kmTTと並んでメダルが狙える種目である。朝の練習では、53-15Tをつけてみた。だが、寒いせいか、足がやたら重く感じたので、本番でのギヤ比は、52−14Tに設定。いつもより一枚軽いギヤである。
 スプリント予選では、1周333mのバンクを3周半回るうちの最後の200mのタイムを測定し、上位8名が1/4決勝に進める。その後は、予選1位vs.予選8位、予選2位vs.予選7位、・・・という具合に対戦し、トーナメント形式で競技は進行していく。
 スプリント予選、開始。通常、バンクの最上部を回りながら助走を行い、バンクの傾斜を利用しながら徐々にスピードを上げて、トップスピードにもっていく。
 力んだか、打鐘(自転車競技では、ラスト1周で鐘が鳴る)を迎える4コーナーからのホームストレートの下り坂で踏み込みすぎてしまい、足に来た。1センターからダンシングを始めて駆け下ろしだすと、シッティングに入る前に足が乳酸でいっぱいになってしまった。これが災いしてか、シッティングに入ってからもいつもよりお尻を引けずに、サドルにお尻がつきささった超前乗り状態。コーナーでは前輪のマビック・イオが“シュルシュルシュル〜”とうなる音が聞こえながら、自転車がよれているような(2人の踏むタイミングがあっていないとこうなる)感じで200mを駆け抜けた。結果、11秒3。とても満足の行く結果ではなかった。予選7位。1位のオーストラリアは10秒7。ここから歯車が狂い始めた。

最初の種目、スプリント予選

12時40分から1/4決勝一回戦。トーナメントは2本先取で行われる。予選7位の日本は、予選2位のイギリスチームと対戦。日本vs.イギリスの対決の前に、予選3位と6位のフランス、スロバキアの一回戦が行われていた。打鐘のホームストレートで結構なスピードでスプリンターレーンに入っているのに、フランス・スロバキアが互いに肩をぶつけて肘をからませてガンガン当たりながら並走している。真近でこれを見て、正直、ビビッたし、驚愕した。外国人選手のスプリントは危ないと聞いていたが、まさかタンデムでここまでするとは。。そしてこのままの状態で1コーナー、1センターを回り、2コ−ナー出口で遂に「ガッシャーン!!」と大きな音がして、フランスが落車した。フランスのパイロットがバンクに仰向けに横たわったまま担架で運ばれるまで長い時間動かなかった。壮絶なぶつかりあいと落車をみて、初めての国際大会でのマッチスプリントをこれから戦おうという自分に、不安が襲った。(昨年の世界選手権スプリントは、バンク周長が200mでタンデムでのマッチスプリントは危険なため、200mのタイム計測のみで順位をつけるという特別ルールだった。)
しかし、どうしようもない。恐怖を胸の中に押し込んで一回戦に臨んだ。自転車レースでは、思わず目を覆いたくなるような壮絶な落車シーンに出会うことも少なくない。しかしこれを怖がっていてはレースはできない。
 くじびきで、イギリスがインスタート、日本がアウトスタート。常にイギリスよりも後方に位置し、すきを見て一気に逃げる作戦だった。スタートすると、イギリスはバンク中盤ないしは下の方を走っている。しばらくすると予想以上にイギリスがペースを上げるので、車間が空きすぎるのを嫌って、こちらもペースをあげた。イギリスのパイロットは、なかなかこちらから目を離してくれない。なるべくバンクの高い位置にいようとしたが、イギリスが踏み込むと、車間が空くので思うように高い位置には行けなかった。そして、残り2周を迎えたあとの2コーナー出口、イギリスのパイロットが前をチラッと見た隙に一気にアウトから前に出ようとしてダンシングを始めた。しかし思ったよりも早くイギリスのパイロットがこっちを振り向き、反応したので、少し力を加減してしまった。(ここで全力で一気にトップスピードに乗せればよかった!!)そして、とにもかくにもイギリスを離して前に出きった。3,4コーナーを回り、打鐘!スピードの乗りがイマイチだったが夢中でただひたすらシッティングで踏んでいった。(ここでもう一回ダンシングしてスピードを上げておけば・・・。)
ラスト1周のホームストレート、日本チームのみんなの大声援が聞こえる。雰囲気で、後ろを結構離しているのはわかった。「もしかするといけるかもしれない。」


スプリント1/4決勝1本目 打鐘!ラスト1周!

しかしバックストレートから徐々にきつきなり、3コーナーで失速。「やばい!」と思った瞬間、イギリスチームが並びかけてきた。そして4コーナー出口で抜かれた。諦めて足を緩めた。2本目に足を温存するためだ。
14時から1/4決勝二回戦。保坂ヘッドコーチからは、「フライング1.5周の練習してこい!」と言われた。自分も、初めから胸を借りるつもりで逃げようと思っていた。予選、1/4決勝1本目、と自分たちの走りができていなかったので、勝敗は関係なく、自分たちの走りを取り戻したかった。今度は日本がインスタート、イギリスがアウトスタート。イギリスから目を離さないようにしながらバンクの最上部で周回を重ねる。イギリスは我々の真後ろぴったりマークしていた。残り周回1.5周を切り、打鐘を迎える前の3コーナーから思いっきり山おろしで逃げた。今度は、1本目よりはだいぶスピードに乗った。しかし、イギリスにとっては絶好の捲りの餌食だったようで、捲りを決められた。またも4コーナー出口で勝負を諦めなければいけなかった。結局、スプリントは1/4決勝をストレートで負けてしまった。1回戦のフランスvs.スロバキアで危険走行したスロバキアが降格になったので、日本チームは繰り上がりで最終順位6位になった。

スプリント1/4決勝2本目

スプリント終了後のひとコマ。高月「あっ、5ピンが一個ないですよ!」。タンデムのパイロット側のフロントギアの5ピンが1個飛んでいるのに気づいたのだ。これには凍りついた。いつからなかったんだろう。
正直、スプリントで出鼻をくじかれたことで、私は焦っていたし、追い詰められた。実力的に4km個人追い抜きでのメダル獲得は難しい。4km個人追い抜きを欠場して、本命の1kmタイムトライアルに絞るという作戦も考えられたが、攻めの気持ちを忘れたくなかった。それに、4km個人追い抜きでも8位以内になって入賞すれば、ポイントをもらえることがわかっていた。
4km個人追い抜きとは、ホーム側とバック側同時に2チームがスタートして、先に4kmを完走するか、相手を追い抜いたほうが勝ちとなる。予選は追い抜きに関係なく、4kmの完走タイムを計時する。予選タイム上位8チームが1/4決勝に進出し、予選1位vs.予選8位、予選2位vs.予選7位、……といった具合に組み合わせが決まる。以降、トーナメント形式で勝ちあがっていく。
夕方から4km個人追い抜き予選。4分50秒くらいを目標に、1周目28秒、2周目以降23秒5で回るのを目標とした。ギヤは52−15T。1周目は良かったが、2周目はオーバーペース。

4km個人追い抜き

結局後半ばてて、タイムは4分54秒70。予選7位通過。日本勢史上初の4km個人追い抜きでのベスト8入りとなったようだ。このことを保坂さんは褒めてくれたが、1kmタイムトライアルに力点をおいていた自分としては、4km個人追い抜きで1/4決勝に上がるのは予定外だった。長い長い競技一日目だった。競技を終えると、乾燥した空気を吸い込んだせいだろう、のどがガラガラになっていた。以降、軽いのど痛とせきに悩まされることになる。

15日
 スプリントで敗退したことで、タイムトライアル系の競技に集中できることに気づいた。前向きに考えると少し楽になった。スプリントは落車しなかっただけ良かったのかもしれない。本命は1kmタイムトライアルなのだから。
昼すぎからベロドロームに入った。昨日までとはうって変わって、晴天だった。曇っていると寒いが、晴れると紫外線がきつく、なかなか暑い。今までは日本よりも寒い気候にとまどっていたので、晴天は嬉しかった。夕方から4km個人追い抜き1/4決勝。
対戦相手は予選2位のスペインDavid&Christian。彼らはスペインのタンデムチャンピオンで、Davidは2年前日本とスペインの合同チームであるリジダ・ビアンキCCオオタというチームに所属していて、丸岡や群馬を走ったことのある選手だ。このときCCオオタのチームメイトだった菅洋介が私と同期で知り合いだったのがきっかけで、昨年の世界戦で仲良くなった。

Spain代表のDavidと

オーバーペースでも、序盤からスペインを見てくらいついていくことにした。スタート後、一周して反対側を見ると、ほぼ同じペースで入っていた。やや相手リードか。はっきり言ってオーバーペースだったが、このまま行くしかなかった。周回を重ねるにつれ、徐々にタイム差が広がり、スペインが近づいてくるのがわかった。後先考えずに飛ばしていたのでかなり苦しかった。やがてストレートに来ても振り返らないとスペインチームが見えなくなった。2コ−ナー出口で振り返ったときに、大きくインに落ちて、ブロックを踏んでしまった。「やばい!このままだと追いつかれる。」懸命に踏んだ。予選とは追い込め方が違った。ラスト3周に入り、もがき状態になった。しかし打鐘を迎えるところで、遂にスペインに追い抜かれた。苦しい個人追い抜きだった。スペインに追いつかれなかったら、まずまずのタイムだったのではないだろうか。スペインは、1/4決勝一番時計を記録した。他の組では、4分55秒程度で完走している組もあり、予選の大事さを思い知らされた。予選を良い順位で上がれるほど、その後のトーナメントを楽に進めるのだ。走り自体は追い込めたので満足だった。調子は上がってきている気がした。4km個人追い抜きを2回走ったことで、日東ツバサハンドルのポジションだしも完成した。
 夜、マッサージをやってもらいながら権丈さんが言った。「明日は世界新記録で優勝やね。」権丈さんのマッサージ暦に汚点を残すわけにはいかなかった。

16日
12時15分からいよいよ本命の1kmタイムトライアル。スプリントを不本意な結果で終わり、不安はあったが、徐々に自分たちの走りを取り戻しつつあることもまた確かだった。52-15Tで行った朝の練習では、久しぶりにバンクが軽いと感じた。周回練習では自然とスピードが出た。その後52-14Tに上げ、前後マビック・イオ、コメットをつけ、スタンディング100mを2本練習した。7月末から保坂さんと一緒に、苦手のスタンディングを克服するためS1トレーニングに取り組んできた。練習でつかんだ良いイメージを確かめることができた。しかも天気は晴天で暖かくなってきた。日本の気候に近づいてきたことも、私たちには追い風だった。ギヤは迷わず53−14Tを選択した。保坂さん、「よーし、お前ら53で夢見て来い!」

日本チームのピットで権丈さんのマッサージ

 男子タンデム1kmTTが始まった。私たちは最後から3番目のスタートでかなり時間があった。いつもより朝ごはんを少なめに食べたせいで、小腹が空いていた。ウィダーinゼリーを飲んでも、しばらくするとまた小腹が空く感じで、結局4個も飲んでしまった。(ごめんなさい)。サンドイッチも少しちぎって食べた。
 各国の走りを見ながら、固定ローラーにセットしたロードレーサーでウォーミングアップをした。イギリスのタンデムが今までに出走したどのチームよりも抜きん出てて速かった。1分5秒9。スプリントで私たちをストレートで下し、最終的に銀メダルに輝いたペアだ。日本(大城・丹沢)の自己ベストタイムは1分6秒2。彼らよりも速く走れるだろうか?スタンディングスタートが上達した分、5秒台を狙えるつもりではいた。保坂さんにも「目標は5秒台」と言われていた。
 競技は進行し、後の方の組になり、スプリントでフランスを病院送りにしたスロバキアが登場。スタートすると、すぐに“バキバキッ、バキバキッ”と大きい音がした。後輪の固定が不十分で、スタートと同時に後輪がずれてチェーンステーに当たって擦れているのだ。なのに、彼らは踏むのを辞めない。自転車はすごい音をたてて、あまり進んでいないのに…。やがて“パーン”と後輪がパンクし、ようやく彼らも踏むのを止めた。これにはビックリした。彼らは競技に集中すると何も聞こえないし、感じないのか、それとも自転車の構造がわかっていないのか、それとも単なる馬鹿なのか?
 自分たちの番が近づいてきた。いよいよこの時を迎える。この日のために辛い練習をしてきた。金も時間も労力もさんざんつぎ込んで、胃が痛くなるような精神的苦痛も味わってきた。絶対負けるわけにはいかなかった。大会が始まり、スプリントで出鼻をくじかれてからは、正直不安で仕方なかった。けれど、「タイムトライアルは嘘をつかないから。大事なことは自分を信じることだ。」という水澤さんの言葉を、不安になるたび自分に言い聞かせてきた。メダルを獲らないと、お世話になってきた人たちに合わせる顔が無かった。すごいプレッシャーと緊張感だった。最後に栗原さんが言葉をつまらせながら、私と大城君の背中を叩いた。「頼んだぞ。」「はい。」栗原さんは大きな日の丸の国旗を持って、スタンドへと向かった。 
スタンバイ。スタート位置につくころには、気持ちが落ち着いていた。スタンドには大きな日の丸と栗原さんが見える。「大城、丹沢〜!」スタート位置にセットされた自転車にまたがり、ビンディングをペダルにはめ込み、ストラップをきつく絞めた。

1kmTTスタート直前 いよいよこの瞬間がきた

ここ2週間ほど、毎日イメージしてきたシーンになった。45秒前からカウントダウンが始まる。20秒前…10秒前…5,4,3,2,1,0。何回も練習してきた呼吸で自分でもカウントダウンをする。スタートの瞬間、良いイメージどおりに上体にも足にも力が入り、一歩目で自転車がグッと前に進んだ。練習どおり、うまくいった!その後は全開でトップスピードに乗せる。3コーナー入り口付近でシッティングへ。コーナー上に数箇所あるコンクリートのつなぎ目の溝で自転車が今までになく跳ねる。2センターで前輪のマビック・イオが“シュルシュルシュル〜”とうなりをあげている。速い!ハンドルを倒しこむ。ホームストレートに帰ってきて、ハンドルをDHポジションに持ちかえる。

1kmTT決勝 スピードに乗った

2周目も、無我夢中で踏む。はじめに一気に全開で行ってスピードに乗った分、いつもより速く疲労が来ているのを感じる。そして、打鐘、3周目。タレた。足が乳酸の塊になって、踏もうと思えど力が入らなくなった。もう自転車のスピードに任せて足も一緒にまわっている感じだった。

1kmTT決勝 渾身のラストスパート

とにかく我慢した。最終4コーナーからストレートは大城君の足の踏み込みを感じた。自分がタレている証拠だ。ゴール。力は出し切った。3周目はタレたが、前半の貯金はどうか?タイムは?スタンドやスタッフがシーンとしているので、もどかしかった。良いタイムは出なかったのか?そして、しばらくして、1分6秒273の知らせを聞いた。またもやイギリスには負けた。自己ベスト更新、5秒台はならなかったが、ほぼ自己ベストに近い数値だ。暫定2位。終わってからも、足が乳酸で痛くて、いつもよりも自転車から降りるまで時間がかかった。残りはドイツ、優勝候補のオーストラリア、そして再出走のスロバキア。クールダウンをしながら戦況を見つめる。ドイツが走る。1分7秒台。そしてオーストラリアがスタート!しかしオーストラリアも機材トラブル!次に再出走のスロバキア。1周目はとても速いペースで回ってきたが、最終バックで一気に失速して勝利を確信。これでメダルは確定した。最後に、オーストラリアが再出走。しかし、“バキッ”と音がしてまたもや機材故障。パワーに耐え切れずバックステーに亀裂が入ったらしい。予想外の波乱はあったが、銀メダルとなった!保坂さんのウォッチによると、優勝したイギリスとの3周のラップタイム比較は、1周目日本が0.14秒リード、2周目も日本が0.04秒リード、3周目イギリスに0.50秒リードを許し、結局イギリスチームに0.353秒及ばなかったようだ。しかし攻めきったから満足行くレースだった。銀メダルが確定するとバンクのあちこちに散らばっていたスタッフが帰ってきて、みんなと握手をした。ボランティアの大学生、カッティーとクリスティーナともこのとき初めて話をした。メダルをとるまでは、国際交流をしている余裕なんてなかった。そして、栗原さんがスタンドから帰ってきた。栗原さんと抱き合った。思わず感極まって、2人で泣いてしまった。

表彰セレモニー

 日本チームは、トラック競技のスケジュールをすべて終え、今晩からTepliceの選手村に戻った。はじめての選手村の夕食は、最高!ブタのカツレツを筆頭に、うまい肉料理が種類もたくさん、そしてパスタ、ライス、サラダ、ポテト、などがすべてバイキング!メダル獲得を祝って、はじめてチェコのビールで乾杯した。ビール自体は、泡がぬけている感じだったが、祝杯はうまかった!

セレモニー後、日本チーム全員で集合写真!

17日
 休養&練習日。午前中はゆっくり休養。午後2時半から、ロードレース、ロードタイムトライアルのコースに練習に行く。平松、高月が切断や脳性麻痺のクラスの選手4人の前後を固めて、その後ろからタンデムが行く。テプリッチェは思っていたよりも都会だ。軽めのギヤで足を回す。
 ロードコースは、1周7kmで高低差が40mと比較的フラットなコースだ。ホームストレートを右に曲がると補給所、フラットな道が続き、右コーナー、少々のアップダウンがあり、その後なだらかな上り坂、上りきると右へ曲がって、2kmほどの長いまっすぐの下りがある。下りきって、右コーナーを曲がると、湖の横の木に囲まれた細い道。ここをぬけると、短い上り坂を上りきったところがラスト1km地点。このあとゆるい下り坂、そしてしばらくフラットなあと最後に傾斜のきついまとまった上りがある。

18日
 練習日。午前中、ロードコースへ行き、練習。本番のペースを想定して、1周ほど速めに走ってみる。

19日
朝10時から男子タンデムロードレース。27タンデム出走の7km×15周のレース。スタート位置で最前列に行くことができ、初めのパレード走行から先頭にいた。先導車が退避してからもペースがそんなに速くなく先頭に位置。

男子タンデムロードレース 補給所付近

ちょこと細かいアタックがあるが、強そうな国が出ていったら反応していた。ベラルーシのmix tandemが強く、男子の集団の先頭を引っ張っていた。始めから数周回はそんな感じでずっと大集団の最前方にいた。大城君は疲れるんじゃないかと心配していたが去年の世界選手権では集団後方にいてコーナーのたびに足を使ってちぎれてしまったので、行ける所まで先頭で行って動いてみようという気分だった。実際、先頭だとコーナーで減速する必要がなく立ち上がりが楽だった。時にはフェイントをかけたりして集団を引っぱるのは楽しかった。
長い下りでオランダがアタックをかけ、一気に飛び出した。この辺からペースアップ!先頭を引くのをやめ、集団の中に入った。

ロードレース 長い下りの前の直角コーナー

始めのうちは危なっかしい走りをする国もいたが、だんだん脱落していった。Spain の tandem を見つけ話した。David & Christian は Spain の tandem champion だ。4km個人追い抜きの結果を聞くと優勝したそうだ。私たちも1kmタイムトライアルで銀メダルをとった事を報告した。ちなみに David は一昨年Rigida Bianchi CC OTA に所属していて群馬と丸岡を走った選手だ。
ペースのアップダウン、牽制も烈しくなってきた。特に長い下りで必ず揺さぶりがかかりちっとも休めなかった。徐々にきつくなってきて集団が棒状に延びると最後方になったりして焦った。でもだいぶ集団は絞られた様には見えた。ふと大城君に残り周回数を聞かたが数えていなかった。
周回数を確認するといつのまにか残り6周回になっていた。このへんは時間の前後関係をよく憶えていないのだが一回ペースアップに付いていけず長い下りの前の登りでちぎれかかったが、丁度このときが Mix tandem の最終周回で、Men Tandem とごっちゃになっていっしょに走っている Mix tandem を先に行かせるためコミッセールの車が Men Tandem の集団を抑えた。これに助けられ、なんとか集団に復帰することができた。最後の上りも始めのうちはなるべくシッティングで上るようにしていたが徐々にダンシングでも付いて行くのが苦しくなってきた。
そして残り4回を迎える手前の長い登りでついに切れてしまった。しばらく集団は前に見えていたが、踏めど踏めど追い付かなかった。
スタート・ゴール地点のストレートを過ぎ右コーナーを少し上ると右手側が補給ポイントなのだが、集団から完全に切れた残り3回で始めて補給を取ろうとした。権丈さんと保坂さんがボトルを差し出してくれたが、スピードが速くて2つとも取りそこなった。ちなみに集団にいたときは補給ポイントでボトルが飛んできたり、サポートの人がコースに飛び出してきたりして危ないので、あえて補給を受けとらない側で走っていた。
自分のボトルも背中のウィダーも少なくなっていた。次の補給(残り2周回)で水を貰い、自分のスポーツドリンク入りのボトルを捨てた。このとき、次に欲しい補給で "ゼリー!"と叫んだが、最終回は補給はない事をしばらくして気づいた。ウィダーもちょこちょこ飲んでいたつもりだが少し腹が減ってきた。大城君のウィダーを貰い、それでもハンガーノック気味だったので大城君のアップルハニージュースと私の水を交換した。残り2周回はペースががた落ちした。先頭に追い付かれずに最終回の "ジャン"を迎えたので完走できる!と少し安心したがタイム差で切られるおそれもあったので死ぬ気で頑張った。
アップルハニージュースを飲んでハンガーノックは直りましたが足がかなりきていた。ダンシングはおろかシッティングでも上り坂は踏み込むと今にも足がつりそうで最後の登りは大城君に持ち上げてもらってる感じだった。
そしてやっとゴール!何とか完走した。
聞くと 18位。集団からちぎれたときには、逃げ組を含めても集団に17チームもいなかったと思うのだが。。昨年より順位は落ちたが序盤に集団で積極的に展開できたので大満足だ。
今年はトラックをメインにしてロードはほとんどやっていなかったので本当に辛いレースだったが、今の力は出し切った気がする。スプリントチャンピオンのごっついオーストラリアのタンデムは私たちよりもロードも速かった。来年はもっと乗り込んで臨みたい。
それにしても疲れた。レース後、腹ペコだったが、あまりに疲れていて寝っころがってランチパケットを食べた。
 この日、ロードレースでメダルが期待されていた脳性麻痺の小川さんは、5位に終わった。
夜は、いつものように権丈さんにマッサージをしてもらう。毎日やってもらってきた権丈さんのマッサージも今日で最後だ。尻上がりに調子が上がってきたのも、今日まで全力で走れているのも、権丈さんによるところが大きい。

20日
 朝10時男子タンデムロードタイムトライアルスタート。ロードレースのコースを時間差で各チームが出走し、2周回のタイムで競われる。ロードレースが人との戦いなら、タイムトライアルはまさに自分との戦いである。東工大OBの大村さんに借りているスピナッチバーを取り付けてレースに臨んだ。昨日のロードレースを終えたときは、「もう自転車に乗りたくない」と思うほどの疲れようだったが、権丈さんのマッサージのおかげか朝になるとまた踏めるようになっていた。これが、最後の種目。レースが始まる。1分間隔で各チームがスタートしていく。自分たちの番が近づき、スタンバイ。エアロヘルメットをかぶり、シューズカバーをはき、タイムトライアル使用でスタート台へ。これでロード用のディスクホイールがあれば、完璧なんだが…。
 自分たちの前のチームがスタートし、スタート台へ上る。ペダルをはめ、心拍計のストップウォッチをONにして、時計をみる。15秒前、10秒前、…スタート!ダンシングで勢いよく飛び出していく、たった2周だ。無我夢中で走った。そして、ゴール。 
全部のレースが終わった。ホッとした。結果は、18位だった。全力を出したと思う。ロードで上位に行くためには、BR1で上位争いができるくらいのロード選手をパイロットにしないと難しいだろう。さらに、タイムトライアルではロード用のディスクが必要だろう。

男子タンデム ロードタイムトライアルスタート

私と大城君は、先に選手村に帰る。ロードコースは、交通を遮断しているので、迂回路を帰らないといけない。これがわかりにくくて、迷ってしまった。結果、ホテルまで長い旅になり、空腹と疲労とで、イライラ、フラフラしながら、ようやくホテルへ到着。しかし、ヨーロッパの景色を、道路を、タンデムでそのぶん多く走れたんだ、と思えば今となっては良い思い出だ。
 ホテルへ帰り、シャワーを浴び、ランチを食べて、散歩に行った。しかし土曜日の午後は店はほとんどやっていなかった。夕方から脳性麻痺の小川さんのロードタイムトライアルなので、ロード会場行きのバスに乗って、応援に行った。小川さん、最後見せ場を見せてくれたが、結果5位。残念。
 この日で競技が終わった大城・丹沢、小川、それにスタッフの権丈さん、平松、高月で夜、ホテルの前に設置されたテントに飲みに行った。

21日
 今日は、LC1(切断)の佐久間さん、LC2(切断)の大橋さん、CP(脳性麻痺)の江嶋くんのロードレース。レースを終えた大城・丹沢、小川も応援にかけつけた。朝から夕方まで応援していて、本当に疲れた。選手は、自分のレースのことだけ考えて、夢中でレースを走ればいいが、サポートするスタッフはいろいろ機転を利かせたり、長い間日光の下で立っていたり、選手以上に疲れるなと実感。スタッフの皆さまには本当にお世話になった。
 ボランティアのカッティ、クリスティーナ、とくにカッティーにはお世話になった。カッティは、日本チームの全員と一緒に写真をとったあと、私たちが閉会式に出るのかとしつこく聞いてきた。私たちは出るといい、そこでお別れをしようと話した。しかし、ホテルへ帰ってみると、皆、自転車、機材の梱包作業に追われ、結局誰も閉会式には行けなかった。カッティには悪いことをしたが、お別れをすると悲しくなるから、これでよかったのかもしれない。
 夕食後、カッティに教えてもらったオリンピアというショッピングモールにおみやげを買いに行く。基本的には選手村から外出禁止だったので、まだおみやげになるものがほとんどない。閉店までの1時間、店の中を駆け回る。

22日
 疲れのせいか、佐久間、大城、丹沢の205号室組は、そろいもそろって起床時間に起きれなかった。慌てて朝食を食べ、荷物をまとめると、もうバスの出発時刻。長い間お世話になったホテル・パノラマともお別れだ。
 帰りも結局バスは10時間。しかし、私はグッスリ眠れた。フランクフルトから全日空の飛行機に乗る。日本人が多い。なんだかガッカリしてしまう。もう日本へ帰ってきたみたいだ。
 空の旅10時間強。成田空港へ到着。多良さん、小川さんのお母さま、そして共同通信の佐藤さんが迎えに来てくれていた。佐藤さんに写真をとってもらう。お忙しい中、ありがとうございます。佐藤さんのように純粋な気持ちで応援してくれる人がいると、本当に嬉しい。
 上野駅まで後輩の中田が迎えに来てくれ、家まで送ってくれた。ありがとう。
今回の選手権参加にあたり、多くの方にさまざまな形でサポートをしていただきました。本当にありがとうございました。
アテネへの参加枠が決定するのは、来年4月ころと聞いています。来年は、アテネで、パラリンピックで、表彰台の真ん中で、日の丸を揚げて、国歌を斉唱する、という最終目標を達成したいと思います!         

タンデムパイロット 丹沢秀樹



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