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2001日本障害者自転車競技愛知大会(12/5)

丹沢秀樹(工4・現ラバネロ所属・来期主将)が障害者タンデムロード、パイロットとして全日本選手権優勝。
2002年ドイツで行われる世界選手権の出場を決めました。

 2001日本障害者自転車競技のロードの部は、名古屋青少年公園で開催された。前日から名古屋入りしたが、東名の事故渋滞に巻き込まれたため着いたのは夜で、練習はできなかった。鴨なべ&味噌煮込みうどんを食べた後、高村さん、大城君と一緒にポジションだしを行った。フレームは、僕らのために高村さんがつくってくれたものだったので、ポジションはばっちり出た。まだ塗装していないこの出来立てほやほやのロードで、僕らは明日初めてのロードを走るのだ。

 当日朝の試走。下りが苦手な僕は、とにかく水澤さんのラインをおぼえるように水澤さんペアの後ろを走った。水澤さんペアのペースで走るだけで、いい心拍になっていた。試走は30分だけ。このあともサインチェックをして、トイレに行くともうローラーに乗る時間はなかった。高村母にスタートオイルを塗ってもらい、スタートラインへ。もうすでに他のペアはスタートラインについていた。

 1番車が水澤さん葭原さんペア、2番車のパイロットは愛三の楠本さん、3番車はシドニーロード代表の本橋氏に、日大生がパイロット。4番車が自分たち。水澤さんからは、“楠本ペアがおそらく速いだろうから、楠本ペアとのタイム差を無線で言ってもらってペース配分を考えろ”といわれていた。30秒差スタートのタイムトライアル。まとまった上りのあとに、まとまった下りがある4.5km10周の45kmだ。

 号砲一発、水澤さんペアがダンシングで力強くスタートした。周りから歓声があがる。愛三ペアに日大ペアはシッティングでのスタート。そしていよいよ僕らの番だ。スタート10秒前に心拍計のストップウォッチをONにして、リラックスしてスタートした。後半ばてないように、最初は押さえ気味に入って、一定ペースで走ることを考えて走った。最初の2,3周はあまりダンシングを使わないで走ったが、周回を重ねるにつれて、ダンシングを有効に使えるようになっていった。

 意外にも最初に追いついたのは、愛三楠本ペアだった。スピード差がかなりあったので、一気に追い抜いた。しばらくして、水澤さんペアに追いついた。これはまったく予期しなかった光景だった。もしかするとオーバーペースなのかとも一瞬思った。ところが、むしろ心拍は落ち着き、今のリズムで走るのが気持ちよくなっていた。

 そして、遂に日大本橋ペアが視界に現れた。しかし彼らもそこそこのペースで走っていて、一気に追い抜くのは無理だった。高村さんからも、日大本橋ペアと一定距離を保ってついていけ、という指示が出た。のぼりは、僕らのほうが速く、近づきすぎてドラフティングにならないように抑える場面もあったが、彼らは下りがうまく、上りの頂上ではわずかだった差が下りで広がり、またのぼりで僕らが差を詰める、という展開がしばらく続いた。もっとも下りはエンデューロの人たちが邪魔で下りにくかったけれど。彼らも僕らの存在に気づいており、本橋氏がしょちゅう後ろを気にしながら走っていた。(なんで見えるの?という感じだが。。)

 そして、ホームでののぼり、遂に我慢できなくなって、一気に追い抜いた。このあとは、下りで追いつかれないように、下りでがんばりすぎたかもしれない。そして、後ろが来ていないのを確認して、勝利をかなり確信した。だがしかし、僕らはばて始めていた。残り2周になって、高村さんから“後ろ迫っているからあげろ!”の声。振り向いても彼らが視界に入ることはなかったが、あせって、必死に逃げた。

 ラスト一周、やはり差はつまっていた。僕の余力はだんだんなくなってきていた。最後ののぼり、ボトルを投げて、力を振り絞って上った。頂上で後ろを見たが、彼らはまだいないようだった。そのあとはゴール手前まで振り向かずに速く走ることだけを考えた。そして下り終わり、最終直角コーナーを慎重に曲がり、“ここからは千トラだ!!”と大城君に声をかけ、もがいた。そして、スタートラインを過ぎ、ゴールラインが見えたとき、僕は後ろを何回も見た。確かに誰も来ていない。左手人差し指を天に突き上げた。やった〜!!!!そのあと右人差し指も天に突き上げた。けれど、タンデムで怖かったから、手放しはしなかった。

 僕もがんばったけれど、大城君はもっとがんばったと思う。常にメーターと心拍数をみながら、自分の気持ちよいギヤレシオを選ぶ僕に、無理やりついていかなきゃいけないのだから。

 そして、父母はじめ応援してくれたみなさん、特にこのレースのためにNEWフレームを作ってくださった高村さんへの感謝を結果で返せてよかったと思う。

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