| |
ディストモ村の人々
|
ドイツから補償を求めるアギューリス・スフォンドゥーレスさんが「自国の歴史に対するこの国の人々の関わりかたは品位に欠ける。対話はすべて失敗におわって法廷しかのこっていない」と嘆いたのは4年前のことである。
これからは、その法廷もなくなってしまう。というのは、少し前の3月3日ドイツ憲法裁判所は、補償要求をしりぞけた(州、州上級ならびに連邦の)三つの裁判所の判決に対するスフォンドゥーレスさんの異議を受理しないことにしたからである。
スフォンドゥーレスさんはアテネの町から140キロ西にある谷間のディストモ村に生まれた。1944年6月10日に近くでパルチザン攻撃にあって3名が死んだことに対する復讐とみせしめとして、ドイツ親衛隊(SS)がこの村の住人を殺戮し家屋を破壊した。当時生後二カ月の赤ん坊をはじめ多数の子どもや女性や老人を含めて218人が死んだ。当時3歳で難を逃れて孤児になったスフォンドゥーレスさんは戦後スイスで育った。
補償請求裁判はギリシアでもあった。こちらは300人近いディストモ村の人々が原告で、1997年に地方裁判所がドイツ政府に5千5百万マルク(邦貨で約31億円)を支払うべきとする判決を下した。この判決は2000年にギリシアの最高裁判所に承認されて、判決実施のために当時ドイツ国家資産(アテネにあるゲーテ・インスティトゥートの建物など)が差し押さえられて競売にかけられそうになる。ところが、ドイツ政府は猛烈な外交的圧力をかけてやめさせることに成功した。
もう2年近く前のことになってしまったが、2004年6月10日は60周年にあたっていたのでディストモ村では盛大な記念行事が開催された。下の写真はそのときのポスターで、ドイツからもディストモ支援団体をはじめいろいろな人が出席する。

支援団体のメンバーがアテネのアクロポリスで「ギリシア人ナチ犠牲者全員に補償を」と書かれた幕をもって立っていると、大多数のドイツ人観光客が横を向いて通り過ぎた。少数ながら罵る人も、反対に理解をしめしてくれる人もいたという。
翌日ディストモ村の公会堂で支援者団体代表者がドイツでの裁判進展状況について報告した。それが終わったときに予定されなかった人が舞台の上にのぼり演説をはじめた。その人はアテネのドイツ大使館の広報官で、彼は、第二次大戦中ドイツがディストモ村のような事件を無数に起こしていて、それらを補償しはじめたら切りがなく欧州統合など不可能になると訴えたという。
支援団体の人々はこの発言に反論。反論が反論をよび、ドイツ語ができないディストモ村の人々の前でドイツ人同士の激論に発展。翌日はドイツ人グループがギリシア音楽を演奏し、ディストモ村・村長が演説し、続いてドイツ大使がギリシア語であいさつをした。大使は広報官の前日の発言にふれずに、ひたすら和解を訴えて謝罪ばかりしたという。
ディストモ村で広報官が述べたことは、戦後西ドイツの政治家がいつも心配したことであった。東西ドイツの分裂は悲劇であったが、いい点もあった。1953年に戦前ドイツの借款処理を取り決めるロンド債務協定で戦争賠償の交渉はドイツが統一されて平和条約が締結されるまで延期されることになったからである。
ナチは政治・宗教的信条や人種差別から多数の人を強制収容所に入れて迫害したが、戦後ドイツが支払ったのはナチ迫害犠牲者に対する個人補償であった。ナチの迫害は「ナチ固有の犯罪」とよばれ「通常の戦争犯罪」と峻別された。ディストモ村で起こったようなことも「通常の戦争犯罪」であり、隣国からの賠償を請求されると「統一ドイツが平和条約を締結するまで交渉できない」というのが戦後西ドイツの政治家の断り文句であった。
この文句を公式の席で最後に口にした政治家はコール首相で、ベルリンの壁があいた翌日の1989年11月10日午前にワルシャワであったマゾビエツキ・ポーランド首相との会談の席上であった。その後東西ドイツ統一が実現しそうになると、ドイツ政府は「半世紀も平和が続いた欧州で平和条約や賠償も時代錯誤であり、今さら議論するべきでない」と主張するようになり、統一後もこの立場を堅持している。
ドイツは占領地の住民を強制的に労働させたが、これも「通常の戦争犯罪」として補償を断り続けた。ところが、米国でユダヤ人協会に関連した弁護士がドイツ企業に対して集団訴訟に踏み切るとドイツは2000年にそれまでの法的立場をあっさり放棄して補償に踏み切る。(当時私は唖然とした。)
今までもらえなかった人々が補償されるのはいいことである。でも何もかも払えないので、どこかで線を引くしかないと思った戦後西ドイツの政治家は正しかったのではないのか。ディストモ村のあるギリシアはドイツから見たら御しやすい相手であるが、一度引かれた線が相手の強弱で移動するのは自慢できない。
ディストモ村を支援するドイツ人の気持ちはわかるが、彼らの「ギリシア人ナチ犠牲者全員に補償を」は考え物である。ドイツ国民には、1945年以来自国が補償を払い続けていると思っている人が多いが、この被害妄想と「全員補償願望」とが私にはコインの裏表であるような気がするからである。
|
|
|