撥 枳 神 社

祭神  樋速日命  

鎮座年は崇神の御宇といわれる。祭神は、樋速日命であるが古風土記の羽衣天女姫宮明神を併せ祀っている。

所在地

 京丹後市峰山町橋木千原

 この撥枳神社は、延喜式の丹波郡のなかには見ることができない。当時この神社のある橋木は竹野郡に所属していたといわれ、そちらへ登場する。

 橋木は矢田集落の更に北、竹野郡に隣接する村である。ここには真言八祖の一人「善無畏」の開創といわれる古刹「縁城寺」がある。撥枳神社は、この縁城寺から西に0.5キロほど行った小字千原の谷にある。太古からここ千原に祀られていたといわれているが、元は縁城寺のある谷の奥にあったのではないかとの説もある。

   

沿革

 ここの神社名は撥枳神社(からたちじんじゃ)である。延喜式にもわざわざルビ打ちがしてあるそうである。集落名の橋木は撥枳の音読みから転嫁したものだとの説もある。

 「垂任天皇の御宇、姫宮大明神の御神託により新羅の国の王子天日鉾命が持ち帰った九品の宝の一つである橘を譲り受け、社地に植え、以て撥枳神社とする」と伝えられている。姫宮大明神は、崇神の御代から鎮座する風土記の天女天酒大明神であり豊受賀能当スである。 

 常世の国から橘を持ち帰ったのは、天日鉾命の玄孫の田道間守(たじまもり)との説も有名である。田道間守は、第11代垂仁天皇の勅を奉じて非時香果(ときじのかくのこのみ)を求めて常世の国へ渡り、帰り着いたのは10年後の第12代景行天皇元年3月であった。着船した所が「橘の庄」すなわち現在の網野町木津だといわれている。

 

 

   

境内

 この  撥枳神社は、府道から里道を少し西へ入り、そこから千原谷へ入ると大鳥居がある。

 ここからは厳かな神域である。まわりの木樹と参道、石段が落ち葉も掃き清められバランスの良い景観を保っている。その舗装された参道を更に数十b進むと二の鳥居がある。そこからかなり長い石段を登ったところが本殿である。

本殿の裏山を更に登って行くと愛宕神社がある。

 

  

   

 

本殿

 境内の正面に拝殿があるが、この拝殿は平成5年に改修されておりきれいな殿である。

 拝殿の奥部に本殿が収まっており、その正面には「式内撥枳神社」の扁額が掛かっている・

 

   

 

社日塔(地神塔)

 撥枳神社は、境内に社日塔が建てられている。この社日塔は五角塔で、祀られている祖神は、天照大御神、少彦名命(すくなひこなのみこと)大国主命とともに力を合わせ国造りをした神)埴安媛命(はにやすひめのみこと)(土の女神)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)(豊受大神)、大巳貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)の五神である。