

| 熱帯雨林について 筆者の前著である「父のフィリピン戦記」を出版するために、フィリピンの大地図を見ながら、父が戦時中たどったであろう道筋を目で追っていた時だった。 私自身は見たことも無い地の風景が頭の中に浮かび始め、迫撃砲飛び交う密林地帯で見る南十字星はどんな輝きをしていたのだろうかと想像する。 雨季の雨が上がり、雲間からのぞくその星はきっとキラキラと輝いていたに違いない。ある人にとっては絶望の輝きであったかもしれないし、ある人にとっては希望の輝きであったかもしれない。 そして、ふと思いついたのが「キャンガンの星」というこの物語のキーワードであった。 冒頭、ある一人の男が古い長屋を訪問する場面がある。その長屋のモデルとした二階建ての長屋は今も現存している私が生れた家でもあった。二年前の夏、亡き父の面影をたどるような旅を弟とした時に歩いた長屋の路地は狭く薄暗かった 周囲が開発の波に押し流されて風景が変わっていく中、そこはかつての雰囲気をそのまま残していた。 古い長屋をこの小説の出発点に選んだ理由は、そこが私自身の出発点であったからなのかもしれない。 この「熱帯雨林」は当初、新風舎の懸賞募集に応募して三次審査まで行った作品であったが、佳作にもならずに終わった作品でもある。当時から新風舎の担当者から共同出版の話があった。しかし、ページ数は現在の約半分程度しかなかった。 淡々としたあらすじのような作品であったと思う。もっと肉付けをして懸賞に再度応募したいと申し出た。大幅な加筆は再応募の対象となるという回答を得た。 結果は一次審査のみ通過であったと思う。大幅に加筆したためにおそらく特徴が無くなり審査員の目にも留まらなくなったようだ。確かに主人公の経歴表現に多くのページを費やしてしまった。読者にとっては何故こんな経歴を読ませられるのかと退屈になるかもしれない。しかし、ここに加筆の無いことが前回の自分の不満な所でもあった。 それでもしっかりと新風舎からは共同出版の申し出があった。そして、今回は快く応じたのであった。稚拙な文章に編集部の方々は困惑したに違いない。もともと表現能力が欠如した男である。一生に一回オリジナルを世に出したい。売れる売れないは関係ない。それだけの思いで修正しながら出版にこぎつけたのがこの「熱帯雨林」なのである。 |
| 【概要】 (新風舎のホームページより) 復讐は父から子へ。戦地で何があったのか。父の日記に残された驚愕の事実! 幼少時に別れた父の遺品となる日記を発端に、長男が亡き先妻の復讐に立ち上がる。だがそこには、戦争の悲劇が生んだ驚愕の事実と不思議な血縁が秘められていた。戦後数十年にわたる私怨を独自の視点で描いたミステリー小説。 |
| 本誌帯より フィリピンの戦場での記憶が60年の時を経て今蘇る。死屍累累たるフィリピンで何があったのか! |

| 父のフィリピン戦記について 筆者の父は平成14年5月21日火曜日の早朝に亡くなった。当初は粘液産生性の非悪性の膵臓腫瘍であったが、取り除かねば1年以内に死を迎えるという状況で膵臓を全摘する。その日以来、インスリンを1日4回注射する生活が始まった。 そして数年を経過して残存していた膵臓腫瘍が悪性化し、それが小腸や肝臓や肺に転移する。本格的な痛みが出てきてからわずか3週間足らずであの世に召されていった。彼の死を誰も看取ってはあげられなかった。死期は近づいていたが、その予測を超える早い死であった。苦しんだ様子は無く静かな死顔であった。 忸怩たる思いで私は父の遺品を整理していた時に、三冊の古ぼけた大学ノートを見つけた(右上写真)。それは「僕の軍隊生活」と表題された父の戦争体験記であった。 昭和21年1月に父は戦地フィリピンから収容所生活を終えて日本に復員してくる。復員して間もない時期から父はこの記録を書き始めている。 二十歳の父が初めて軍に召集され、千葉にある鉄道連隊に配属された後、中国に渡り、そして一旦日本に帰国する。その後、フィリピンに配属され再び日本の地を踏むまでの記録である。 「父のフィリピン戦記」は父が書き残した戦記のうち、フィリピン部分に限定して出版した。 父は寡黙な男であった。戦争のこともほとんど我々兄弟に話す事はなかった。戦争体験を後世の人に伝えて戦争は二度と起こしてはいけないという教育をしなければいけないとは言われるが、こと父に関して言えば、そのような雰囲気は無かった。戦争のことを質問してはいけないようなムードさえあったように思う。 何故語りたくないのか?その答えをこの三冊のノートで見たような気がした。一方でこのノートを見てある違和感も覚えた。フィリピンと言えば、外地における戦争激戦地の一つである。その場にいながら、何故か長閑な筆致で表現をしているのである。主計将校としての父の役割がそのように感じさせるのであろうか。 また敵から攻撃を受けるばかりで敵を殺戮したという話も出てこない。本当はどうだったか、確かめる術はもう無い。バンザイクリフという言葉が残っているサイパン島などで代表されるように「天皇陛下万歳」というような文言はどこにも出てこない。防空壕の中で南無阿弥陀仏を唱える兵隊が居たという表現だけだ。逆に人間最後に残るのは食欲だと書いているのが何でもよく食べた親父らしい表現だと思った。 これらの違和感が、今でも「僕の戦争体験記を出版するのは本当は父の意図に反するのではないか?」という命題を私に突きつけている。 しかし、人の心、肉体、財産すべてを無に帰し、残された人々に大きな傷を残す戦争は絶対に起こしてはいけないという思いだけで私は戦争資料の一つとして出版を決意したのであった。 【追記】文中、元歌手(今もか?)で現在は女優で活躍されている方の父親らしいという人物が出てくる。私がまだ中学生くらいの時に聞かされた話なので真実のほどは分からないが、それが誰だろうと思いながらこの本を読んで頂ければ単調な文章も読み進められるのではないだろうか。 |

| 原始林とは 本当に最終審査まで行ったのでしょうか?と思うくらいの短編小説でした。サイエンスフィクションと位置づけた作品でしたが。発想がユニークとの評価を得ましたが、賞を頂くにはまだまだ修行が必要なようです。 度重なる台風被害で、山奥に住んでいた動物達の食料が枯渇してきだし、動物達は山里にまで餌をもとめて下りてくるようになってきました。そして必然的に起こる人間達との衝突。人間は自分達を守るために、動物達を殺戮せざるを得ない状況に追い込まれた。稀少動物と呼ばれるペアも例外ではなかった。 自然との共存に問題を投げかける人間のエゴイズムを稀少動物ペアの存在を通じて、SF的な発想で描いてみました。 |