増補文献備考


表紙
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初東莢安竜福隷能櫓軍、善倭語、粛宗十九年夏、入海漁採、漂到欝陵島、 遇倭船、被拘入日本五浪島、竜福言於島曰 自欝陵距我国一日程、距日本五日程、非属我国者乎、朝鮮人自在、朝鮮地、何拘為、島主知不可屈、解送伯耆州、州大守厚遇、餽銀幣、竜福不受曰、願日本勿復以鬱陵島為辞、受銀非吾志也、太守遂稟関白、作書契授之、言欝陵非日本界、行至長崎島、島主即馬島之党也、求見書契、出示之、奪不還、送竜福干馬島、時馬島主、偽籍関白命、数以欝陵島争之、其実非関白意也、欝陵饒魚竹、倭利其有、且差倭至、則国家待之、豊厚、倭因此来往不止、至是恐、竜福尽発其奸状、牢囚久之、押送東莢、又囚干館、前後九十日、始還、竜福、言於府使、竟不聞、明年接慰官、至東莢、竜福又訴前事、朝廷亦不之信也、時差倭累至、若将生釁、国人憂之、而不知為馬島所瞞、竜福憤甚、走蔚山海辺、有高僧雷憲等艤舟、竜福誘之曰、欝陵島多海菜、吾当為汝指其路、僧欣然従之、遂挙帆三昼夜、泊欝陵島、倭船自東至、竜福目諸人縛之、船人怯不発、竜福独前憤罵曰、何故犯我境、倭対曰、福転至伯耆州、言其状太守悉捕治之、竜福乃詭称欝陵監税関、升堂与太守抗礼、大言馬島之居間矯誣、覚但欝陵一事、我国所送幣貨、馬島転売日本、多設機詐、米15斗為一斛、馬島以七斗為解、布30尺為一疋、馬島以て二十尺為疋、紙一束甚長、馬島戴為、三束、関白何従而知之、不能為我達一書於関白乎、大守許之、馬島主父、時在江戸、聞之大懼、乞於大守曰、書朝而入、則吾児夕而死、子其図之、大守帰語竜福曰、母庸上書、且速帰、馬島如更争界者、可差入もたらす書来、竜福還泊襄陽、告于官、且献在伯耆時、皇太守文、以証前事



増補文献備考』は朝鮮の歴史書で250巻に及ぶ。李太王の命により朴容大らが編集し1908年発刊した。朝鮮の古今の文物・制度などを16項目に分類・集録したものである。そして鬱陵島や安龍福の話が出てくるのが31巻である。この書物は読んで字の如く増補されたものだが、増補される基となった書物は1770年に発刊した『東国文献備考』である。この『増補文献備考』の「輿地考」には、于山島と鬱陵島は東に三百五十里(約140km)(実際の距離は約144km)にあるとしていることから、朝鮮本土から同じ距離にある事がわかり距離もほぼ正確に測量している。また、高宗の命により編纂され「芋山」という文字があることから『承政院日記』を参考に書かれていると見られ、于山島と鬱陵島は同じ島で芋山であるとしている。また『東国文献備考』の文をそのまま転写した文も書かれ、「于山は則ち倭の所謂松島である。」という部分では、鬱陵島の別名于山を日本人のいう松島と誤認している。