隠州視聴合記

国立公文書館に所蔵してある『隠州視聴合記 巻之一』には、隠岐のことが書かれてある。この書は江戸時代初期に隠岐郡代という役人を務めた松江藩士・斉藤豊仙が書いたものである。約2ヶ月を掛けて隠州(隠岐島)を巡察した際の、「視て」「聴いた」ことを採録した近世隠岐の地誌(調査報告書)である。この『隠州視聴合記 巻之一』の『国代記』に隠岐、竹島、鬱陵島の位置関係が書かれてある。 下記の写真はその『隠州視聴合記 巻之一』の表紙である。

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[原文]
隠州在北海中故云隠岐島、[按倭訓海中言遠幾故名歟]、 其在巽地言嶋前也、 知夫郡海部郡屬焉、 其位震地言嶋後也、 周吉郡穩地郡屬焉、 其府有周吉郡南岸西豊崎也、 従是、南至雲州美穂関三十五里、辰巳至伯州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、[俗言磯竹島多竹魚海鹿、按神書所謂五十猛歟]、此二島無人之地、見高麗如雲州望隠州、然則日本


[口語訳]
隠岐島は北海(日本海)の中にある。[思うに、大和言葉で海の中を「おき」というので、このように名付けたのだろうか] その南東にある地を島前と言う。 知夫郡と海部郡がこれに属する。 その東にある地を島後と言う。 周吉郡と穏地郡がこれに属する。 その府は周吉郡南岸の西郷豊崎である。 隠岐島より南、島根県の美保関までは35里。(隠岐島から見て)東南にある鳥取県の赤碕浦までは40里。南西にある島根県の温泉津までは58里。北から東に至る間には、目安となる地がない。北西の間には、二日一夜行くと、松嶋(現・竹島)がある。さらに、一日の行程のところに竹島(現・鬱陵島)がある。[俗に磯竹島という。竹・魚・アザラシが多い。思うに神書に記述のある五十猛の神だろうか。]この松嶋と竹嶋の2島は無人島である。そこ(現・鬱陵島)から朝鮮が見えるのは、ちょうど出雲から隠岐島を遠望するのと同じである。ならば即ち、日本


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[原文]
之乾地、以此州為限矣。(以下省略)


[口語訳]
の北西の地は、この州(島)をもって境とする。


※文中にある割注には、[かっこ]で表示。