韓国新地理



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06 07 08(第五章 江原道 鬱陵島)
地図 竹島附近



鬱陵島
本島は北緯百三十度四十五分乃至五十三分、東経三十七度三十四分乃至三十一分の間に位し、平海郡越松浦の南、四十余里の海中に在る孤島にして面積五百四方里許、中央は高山屹立し高さ四千呎。沿岸港湾に乏しく船舶の碇繋頗る困難なり。全島平地稀なりと雖其地質は古来落葉枯草の堆積腐化したる黒土の一種より成り土地膏腴にして肥料を施さざるも農耕を為すを得、大豆は本島の主産物にして年々の産額四五百石に及び本邦に輸出するもの多し。 林産には、桐、松、白檀等あり。就中欅は経六尺の巨材を産し、桐は本邦にて松島桐と称して珍とするものなり。往時は此種の樹木全島に繁茂して殆んど無儘の観ありしも、近年本邦人の濫伐によりて漸く減少せり。 其他山葡萄の産出あり又沿海に産出する石花菜は種類良好にして産額亦大なり。秋季山鷸の類非常に多く、島民は之れを撲殺し肉は乾燥貯蔵して年中の副食物とし、脂肪は溶解して燈油に供す。本島天産物の饒多なるは韓国中多く其此類を見ず。

本島の住民は往時極めて稀少なりしも、近年韓人及び本邦人の移住する者漸く多く韓人の戸数約四五百戸に及び本邦人亦一時三百以上に達したりしも、先年本邦政府府より退去の命ありたる為め稍々減少したり。 其本邦居留者は概ね鳥取県人の直接渡航したるものにして木材大豆及び石花菜の輸出を営み或は雑貨日用品を販売し純然たる日本村を形成せり。 島中一泉の湧出するあり少しく酸味を帯び島民之れを薬白水と称し疾病の際服用して薬餌に代ゆるに其効験見るべきものあり。或は本邦の平野水、金山水等と同種なる炭酸水にはあらずやといふ。

本島は昔時新羅が我出雲地方と交通したる時隠岐島と共に寄港地たりし所にして、中古倭寇の一時根拠地となしたることあり。 貝原益軒の如き本邦の属地なりと断じたる程なれ共、明治十五六の交本邦人の伐木に従事するものありしを韓廷の抗議により我邦之れを韓廷に譲り所属初めて判明するに至れり。 然れ共邦人の依然居住して伐木を営むもの多かりしが、明治三十一年一時露人が本島の伐木植林の権利を得たることあり、韓廷に照会してして日本人の盗伐及び居住を禁ぜんことを迫り、我公使は外部の照会を受け一時本邦人の立退を命ずることとなりしも其後急に同島を退去せしむるは事情の許さざるものあるを以って其事由を韓廷に復喋したり。

本島より東南方約三十里、我が隠岐島との殆ど中央に當り無人の一島あり。俗にこれをヤンコ島と称す。長さ殆ど十町余沿岸の屈曲極めて多く、漁船を泊するに宜しと雖材及び飲料水を得るに困難にして地上を穿つも数尺の間容易に水を得ず、此付近には海馬多く棲息し又海産に饒なりといふ。



<解説>
日露戦争後に書かれた書籍にも関わらず、竹島は鬱陵島の欄に記載されている。