明治十六年 公文録 外務省三月四月


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公第二七二号
我邦人朝鮮国所属蔚陵島[我邦人竹島又は松島と唱ふ]へ渡 航し、妄に伐採木切木者有之趣客歳七月中朝鮮政府より照会有之候。間即ち申禁可致告相答置候処、尚又今般別紙甲に通り照会有之候。就ては今後尚渡航者有之候ては彼政府へ対し交際上不都合のみならず、我政府の禁令人民に及ばざるを示すの体なき能はず。依て朝鮮政府へは竹添理公使を以って申禁可致●返翰差遣わし可申し候。且此未心得達ひ無之様乙号●禁●意を以て内務卿より各府県へ諭達相成候様仕度候。尤右諭達●蒙は近時京城辺乱に付、彼国政府と條約交換有之際にて同国使節も滞京中の事に候へは、其等に因縁候様に世上へ感触を未し候ては不都合に被存候間諭達文中にも該島に付朝鮮政府との議定せし年月を挿入致置、従来朝鮮国に属し特に今日に定むるものに非ざるを引証し、諭達の意は単に訣島の位置を明示し渡航を禁するに止まるものに有之候。右之次第に付、御発令の義も朝鮮使節帰国相成候上に有る。之候様仕度此瑕上申候也
明治十五年十二月十六日 外務卿 井山馨

太政大臣三條實美殿
追て右諭達に背き該島に至り私に売買を為す者有之時は、日韓貿易規則第九則に檬て処分し、又樹木を盗伐する者有之時は我刑法第三百七十三條に檬て処分すべきものと被存候。間右之趣は予め司法卿より各裁判所に内訓有之候様致度候。
竹島版図考壱冊為御参考差出候
上申之趣聞届候事
明治十六年三月一日



<解説>
この「公第二七二号」は1882年2月16日、外務卿の井上馨から太政大臣の三条実美へ鬱陵島の現状を踏まえて具申したものである。この時期日本では、鬱陵島が竹島もしくは松島という2つの異なる島名で呼ばれていたことが確認できる。