地球を弔ふ

中山忠直詩集

中山忠直




   序

 余が詩作を始めたのは、明治四十三年、ハレー彗星が地球に衝突するとて、大騷ぎが演ぜられた頃からである。
 十二三歳から自然科學に凝つた余は、世の富貴榮達を冷視し、天文學者や桶の中の哲人を理想とした。だが一家の衣食の柱たることを要望され、かゝる自由は許さるべくもなかつた。
 かくて俗的生活への反逆か[#「反逆か」は底本では「反逆が」]、銀河に魂を洗ふの冷靜な胸にも、焔の如き熱情が爆發する。二十一歳の時、いよいよ社會改革に身を投じようと決心し、詩歌などを弄ぶべきでないとて、作り貯めたものを悉く火中した。だが幸ひ一友の親切により、彼に贈つた幾何が保存された。
 大正十年の夏、たまたま友人と詩歌を談じ、懷舊の情に堪へず、舊知を歴訪して「自由の廢墟」を編み、次いで大正十三年に「火星」を刊し、之を最後として再び詩作から遠ざかつた。若い頃は筆名を使つてゐたので、あの作者が余であるのを知る者が尠い。
 大觀すれば、宇宙の微塵、地球の上に蠢動する人類の運命など、どうでも良いではないかと思ひつゝ、人類蠢動の渦中に生きては、動物的本能の故に人類を愛し、祖國を憂ひ、愛するが故に憎み、憂ふるが故に怒り、今猶ほ短き命をあらずもがなの理想運動に捧げてゐる。
 然も常に天邊の月を仰いでは、千古人生の無常を感じ、人生改革に狂奔するの愚を自ら嘲つてゐる。自ら嘲り、尚ほ且つ愚戰を續くるは、人間性格の矛盾のためか、はた戰ひは無常忘却の酒杯たるためか。僅かに悟る、矛盾の却つて眞理なるを。時の去るや流水の如く、往年の詩境を回想して感慨無量である。
  昭和十三年四月
著者
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  地球を弔ふ

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

長いあひだ
獨りぽつちで
冷たい墓の下に
眠つてゐて
すつかり
退屈になつた時
ふと記憶が胸を過ぎて
ぶらりと墓から
ぬけ出して來たのだ

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

地球の模樣が
すつかり變り果てて
見渡す限りは
もう一面の沙漠
噴火山はみな冷え默し
都會の跡には
殿堂の礎石が亂れ
生きものの姿とては
一つも見當らぬ
見渡す限りの沙漠
地球が骸骨になつて
ころがつて居るのだ

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

鳥の聲が繁みから洩れて
靜かにこだましてゐた
栗鼠りすの森も
にほひ高い花野も
優しい口笛の小川も
月夜にボートを浮かべて
ギターを彈いた入江も
もう跡すら見えず
恐しい怒濤が
暗礁を噛んでゐた大洋が
大きな低地になつてゐる

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

嗚呼あの太陽の
喘ぎ疲れた赤銅色!
太陽にも冷却が近づいたのか
それにあの虚空の黒さよ
空氣が涸れ果てて
白雲の浮かんでゐた青空は
いまは思ひ出のみとなり
まつ黒な空には
太陽と星とが
一時に輝いてゐる

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

こゝではネロの暴虐も
トロイの戰ひもロシアの革命も
ゲーテもワグネルも
孔子もクレオパトラも
一切の權力光榮爭鬪が
きれいに忘れられてしまつた
いや人類なんかが
かつてこの世に
生きてゐたかといふ風に

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

壓制も反抗も
正義も自由も
動亂も平和も
――人類の煩悶と苦鬪が
みんな見事に消えてしまつた
そして見渡す限りの
荒れ果てた沙漠!
ほんとに
ひつそりした世界だ

どれだけの時が
過ぎたかしら――?

ただ俺は見た
しつかりと俺は見とゞけた
人類の末路と
地球の終りをば

時は去り
時は過ぎた
あゝどれだけの時が
あれから過ぎたのか――?
――大正八年――
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  星座の主

僕は銀河の分水嶺に棲む
無窮にして不死なるものだ
僕は何時でも
古銅の椅子に腰かけて
宇宙の變遷をながめてゐる
 宇宙の過去帳も
 現在の星座の開展も
 幽玄な未來の死面をも
 僕はみな知り拔いてゐるのだ

人間よ
僕はお前のために
宇宙の過去帳と
未來の豫言を語らうか

よくお前達は天文學者から
「火雲星」のことを聞くだらう
大きな大きな
熱い瓦斯のかたまりさ
そいつが星の第一期

お前達の棲む地球
それ等が屬する太陽系も
元はその火雲星つて奴で
熱い瓦斯のかたまりが
ぐるぐる廻つてゐたのだよ

それがだんだん冷えて行き
美麗なあかねの雲が凝結し
ところどころが切れて行き
地球や金星や火星や
天王星や海王星つて奴が
波紋のやうな軌道を作つたさ

その中心に集つたかたまりが
薔薇と咲いてゐるあの太陽さ
あいつはまだ大きいので
鎔鑛爐の海に似て
その表面は常に
火花と焔と稻妻の熱風で
凶日のやうに妖亂してゐる

お前達が夜な夜な
遺傳的な遊牧者の目つきで仰ぐ
蒼穹の神祕な恒星はみな
遠い處にある太陽だ

月といふ骸骨は
太陽から分家した地球の
そのまた分家なのだ
月は地球をめぐり
地球や火星や海王星は
また太陽の周圍で[#「周圍で」は底本では「周園で」]合唱し
そして太陽はまた
狼星座のずつと彼方かなた
望遠鏡なんかでは見えない
無窮の遠方の大火雲星を
ぐるぐる廻つてゐるんだ

そして皆が舞踊しながら
ぐるぐると大圓や小圓や
楕圓や抛物線や雙曲線で
宙返りしながら運行してゐる

彗星つて鬚づらの老人は
若い時の失戀で色情狂になり
あの白い鬚を引きずりながら
今だに戀を求めて狂ひまはつてる
憐れな代物しろもの
あいつの軌道は抛物線でも
雙曲線でもやつぱり
太陽と同一の中心の火雲星を
ぐるぐると廻つてゐるんだ

銀河の分水嶺は
その大火雲星の絶頂だ
僕はいつもその上に
銅製の椅子を置いて
宇宙の變遷をながめてゐるんだ

人間や地球の
未來の運命を話さうかね
――あの月をごらん
あの表面は一面の沙漠だよ
生物が一匹もをらぬのだ
地球の未來がみたければ
月を仰いでみるがよい

人間つて奴は憐れな奴さ
もうしばらくすれば
みなほろびてしまふのだに
一生懸命になつて
眞理だとか正義だとかつて
騷いだり泣いたりしてゐるが
僕が遠い星座をしばらく眺めてゐて
ちよつと振りかへつて見る時には
もうほろびてゐるだらう
その時は眞赤な彗星を
お弔ひにやらうかな

どの星もどの星も
みな沙漠になつてゆく――
さうすると星のランプは
すつかり消え失せて
宇宙はすつかり暗くなる
もうぢきに暗黒が來るのだが
その暗黒が來たら
その時こそ僕は
この銅製の椅子にねころんで
深い眠りをむさぼらう
――大正十一年――
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  天井の地圖

僕の八疊の書齋の天井に
天井いつぱいの べら棒な
大きな世界地圖が貼つてある
僕は讀書に疲れると
ごろりと疊の上にねころんで
その地圖を見あげるのだ

そして僕は支那よ印度よ
イタリーよイギリスよメキシコよ
アフリカよアメリカよボルネオよ
と叫びながら地圖の島々を
片つぱしから散歩してまはるのだ

なんと愉快な書齋ぢやないか
僕は毎日かうして疊の上に
ごろりと大の字にねころんで
マルコポーロやコロンブスになる

――僕は見るゴビの沙漠を
蒙古人の天幕てんと 喇嘛教らまけふの宮殿
バイカル湖からレナ河を下つて
北氷洋の方へ舟を急がせると
高山植物が一面に咲いてゐる草原に
馴鹿となかいが遊び その地平の彼方かなたの空に
極光が輝いてゐるではないか

僕はずつと南へ下つて來る
萬里の長城が月光のなかに
野や谷や山を越えて
夢のやうに淋しく連なつてゐる

――僕はその長城の上を月光を浴び
靜かに笛を吹いて歩いて行く
遠くで猿の啼くのが聞え
秋風がそゞろに身にしみて來る
笛の音は山の彼方へ消えてゆくとき
興亡盛衰の歴史を考へて
思はず僕はほろりとする

パミール高原に踏み入ると
人類發生の遺跡に太陽は輝き
晝は寂寞じやくまくとしてものびわたり
鳥影すらも見えぬではないか
あゝ淋しい人類の始めの地よ
人類の滅ぶのは何時だらうか

ヒマラヤの峰から雪溪を辿り
ガンジス河の緑野に下りると
あゝ印度よ釋迦の生まれし聖地よ
こゝはイギリスに奪はれ果てて
奴隷と象が鞭でたゝかれてゐる
ふと牢獄を覗くと石の床に
おゝガンジーが痩せて坐つてゐる
印度よお前の獨立は何時だらう

靜かなナイル河の水のおも
倒影さかかげうつすピラミツドよ
岸邊の椰子蔭に身を横たへて
夕暮に薫り高い葉卷をくゆらしてゐると
いつしか僕もクレオパトラ時代の
戲曲の人間になつてしまふ

アレキサンドリア港から船出して
傳説の淋しいキプロス島から
アテネの都に來て見ると
太古の廢墟に人影さびしく
多島海の潮風にスパルタ、テーペ
マケドニアのアレキサンダー大王
ホーマ、ソクラテス、プラトンの追憶が
こもごもに多感な胸に甦る

朝まだき細降ほそふる南歐の雨に濡れた
十二銅板を見てゐると シーザーの幽靈が
血みどろの顏をうつぶけて通り過ぎた
あゝネロよシセロよカヴールよ
ダンテよボッカチオよダンヌンツィオよ
ミケランジェロよガリレオよ
追憶が追憶を追うて追憶にはひつて行く

モナコで博奕ばくちに勝ち誇りつつ
マルセイユからマルセイエーズの歌うたひつつ
古い古いボルドーに葡萄酒をくめば
ヴェルレーヌが孤獨の涙を流し
不遇なナポレオンが隅で再擧に耽つてゐる
ユーゴーとロダンが散歩にやつて來て
僕に握手を求めてにこにこする

朝霧のえ間にテームス河から
議事堂やロンドン塔をながめて
外套の襟をたてながら口笛を吹けば
クロンウェルが河蒸汽に乘つて
エリザベス女王に媾曳あひびきにゆく
きつとこの邊をマルクスやクロポトキンなどの
亡命客が空腹を抱へてよぼついたらうな

ジブラルタルで魚を釣つてゐて
ふと晝寢をしてゐる間に
舟は貿易風に送られてアメリカへ著いた
おゝヤンキーがのさばる大陸よ
ワシントンの自由平等は亡びて
にせのデモクラシーが病菌の如く繁殖してゐる
そしてカリフォルニヤから同胞が
蛆のやうに掃き出されてゐる

アメリカの地圖にふと目がとまると
むかむかと日本人の癇癪が起きて來る
あゝあの赤面あかづらを踏みにじつて
本當の自由平等を彼等に教へたい
アメリカは無限の富源を持ちながら
尚ほアジアに野心の魔手を差し延べる
あゝ何といふ強慾な野郎だ

地圖を見あげつゝ歴史を考へて見ると
蒙古は成吉斯汗ぢんぎすかん、ロシアはペテロ大帝
ペルシャはダリウス、マケドニアはアレキサンダー
ローマはシーザー、フランスはナポレオン
各々國民的な大英傑が四海を攻略し
オランダやスペインすら嘗て世界に雄飛し
今イギリスは太陽の領土に沒せざるを誇る

あゝ然るに日本よ汝は僅かに豐太閤の
朝鮮征伐と日露戰爭の光榮の碎片かけらを持つ許り
敵に領土を侵された屈辱こそは持たぬが
嘗て地球上を闊歩した民族の誇を持つか
この小さな日本海すら日本の湖でないのだ
革命に乘じてロシアの沿海州を奪ふ獻策も
政府の腰ぬけが用ゐなかつたお蔭で
今はアメリカからこの侮辱だ
斷乎としてこの侮辱を雪ぎたいな

おゝアメリカの鄰のメキシコよ
日本人が五百萬人も其處へ移住して
メキシコに歸化して軍人になり
日本と攻守同盟を結んでまさかの時に
南からアメリカに侵入するんだ
パナマ運河は爆彈の二三箇で十分だ
あゝかくて太平洋は日本の湖水だ
古武士の勇氣から日本の新しい未來は生まれる

それにしても嗚呼それにしても
新しい友邦となるメキシコに行つて見たい
サボテンの繁るキャンプの詩の國に
石油の澤山出る革命の激しい男性の國に
日本人の血が澤山混つてゐつあの國に――
僕の心は中學生のやうにあこがれる
あゝ誰か僕といふこの熱血多感な國民詩人を
メキシコ人との握手のために送つてくれる
篤志家は世に居らぬだらうか
あゝ運命よ僕に惠みあれよ
――大正十三年――
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  星

あゝ星よ星よ
秋の晴れ夜に
またゝく星よ
お前を仰いで
宇宙のことを考へてゐると
永遠が銀河のほとりから
僕の胸にやつてくる――

すると心がひつそりと
澄みとほつて來て
一切の邪念や情慾が
すつきりと淨まつてしまつて
鼓動が永遠と
調子をあはせてくる――

あゝ何といふこの胸の
沈んで冷たく靜かなことだらう
――あゝこの胸の深い靜けさよ
この氣持こそ
僕が感ずる最上の幸福だ

秋の深夜にまたゝく星よ
お前をみつめてゐると
俺の胸にありありと
人類の運命の姿が
映つてくるのだ

そして誰にも
隱してゐる弱い心が
涙ぐましくも甦つてきて
淋しい人類の運命が
いまさらに歎かれるのだ

俺は何時も強がりを言ひ
ひとかどの賢者ぶつてゐるが
そんなものが何にならう
星よ星よお前にだけは
俺は素直に隱さないのだ

人類つて何といふ
憐れなものだらう
眞理が自由が正義が光榮が――
それは滅びてしまへば
それつきりな空虚なものだ

さう思ふと俺はすつかり
働くことがいやになつて
ぶらりと怠けて暮したいのだ
そして夜になると
お前と話がしたいのだ

星よ星よお前だけは
この弱い本當の心を
理解してくれる
友達のやうに思はれるのだ

星を仰いでゐると
すつかり俺は
太古の賢者になるのだ
涙ぐましくも
ギリシャの哲人になるのだ

彼等はみな
星を仰ぐことを樂しみにしてゐたが
俺もまた星を仰ぐためにのみ
生きてゆく人間でありたいものだ

あの無數に輝く星の中で
俺の運命の星はどれだらう
あの消えてしまひさうな
幽かな星が
俺の運命の星でなからうか

あゝ星を仰いで
このすつきりとした氣持を
いつまでも胸にいだいて
淋しく孤獨に生きてゆかうか
社會運動や革命のことなんか
すつかり止めて忘れてしまつて――
――大正十一年――
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  地球別離

さやうなら地球よ
二足獸の世界よ

僕は今 お前から離れて
遠く宇宙の彼方へ飛び去るのだ
獸類の文明にたまり兼ね
やつと造りあげたロケットで
憧憬あこがれの無窮へ飛んで行くのだ

二度と地球へ歸つて來るものか
でも 正直にさういふと俗衆が
このロケットを壞すかも知れぬので
僕は几帳面な科學者の態度で
地球と星の通路開拓と稱したさ

僕の悦びは輝く黒の喪服
でも民衆は決死の裝束と賞讃し
學界と人類の先驅者だと感激し
見よ この僕といふ勇士?をば
見送つてくれる旗 歡呼

僕は口笛を吹きながら
花環の群からヒマラヤとアルプスの
匂ひ高い地球の花を採り
ロケットの胴に結びつけて
身輕に機上の人となる

ロケットの酸素と食物は
あと三十年は大丈夫で
僕はとても朗らかだ
あゝ早く早く地球の引力が
支配せぬ空間に飛んで行きたい――

地球の青い空氣層を突破すると
ロケットは宇宙のひろびろとした
眞空圈へ突入するのだ――すると
空氣の盡きた大空は眞黒まっくろ
太陽と月と星が一時に燦爛と輝いてゐる!

おゝ思つただけで もうたまらぬ
早く僕はその壯觀に見惚れたいのだ!
ひよつとするとこのロケットは
彗星の奴と道づれになるかも知れぬ
素的な話が澤山に聞かれよう

さやうなら地球よ――廣い大地よ
さやうなら地球よ――月の大さの
さやうなら地球よ――星の大さの
やがて それも見えなくなつて
盲目のロケットがぐんぐん進まう

惑星は玻璃の陸地に虹の海
蜘蛛の巣で造つた家が建ち
月光で張つた窓の中から
眞理の精靈が合唱しつゝ
樂しさうに僕を迎へて呉れよう

惑星はまだ年齡としが若く
煮え立つてゐる渾沌の泥の海
まだ生物が顯はれて居らず
隨つて神々もまだ産まれて來ないが
やがて神話が始らうとする

僕の肉體は何時しか變化してゐる
宇宙のXYZ線の放射で不可思議に――
食物や空氣や熱が無くても
僕の魂は生き 肉體は動く
千年 萬年 億年 僕は不死だ

ロケットはくに不用だ
そんな機械はもう棄ててしまつて
僕は自在に宇宙を飛び廻つてゐる
光線と同じ速度で 自由な方向に
そして星の軌道さへ變更できるのだ

さやうなら人類よ 二足獸よ
さやうなら地球よ 太陽系よ
僕は今や不死にして無窮なるものだ
――作年不明――
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  山上展望

あゝ闊々ひろびろとした
よい氣持だ
絶頂に立つて
下界を見下してゐると――

麓の山々が低くうねり
その起伏につゞいて
緑の廣い平野
大川が糸のやうに光り
玩具のやうな都會
――そこに
城やら兵營やらが
ごたごた並んでゐる

あゝ あれが
さつきまで俺が
住んでゐた世界か
そして其處に
名譽だとか權勢だとか
變なやくざな代物しろもの
蛆蟲共が血眼になつて
追つてゐるのだ!

あゝ何といふ
からりとした氣持だ
俺はいま只一人
蒼穹に立つてゐるのだ――

上にはたゞ太陽が
らんらんと輝いてゐるばかり
あゝ天の偉大さよ
この地の弱小よ
そしてこの弱小な地上に
更に人類が蠢動してゐる
何といふ憐れさだ

太陽は徐々に動いて行く
あゝこの「時」の推移に
天が不變に殘り
地上の蛆だけが
死んだり生れたりするのだ
威張つてゐても
蛆は蛆だ!

自然を征服するなどと
彼等はいつも豪語するが
見よ――蛆共は
地球の上を一歩も
踏み出してをらぬのだ

あゝほんとに壯大な氣持だ
かうして絶頂に立つてゐると
何だか俺の胸までが
天の悠久と合致して來るやうだ――

あゝこの絶頂に
永遠の雪のやうに
棲めないものだらうか
そして何時も
この闊々ひろびろとした壯大な氣持に
ひたつて居たいものだ!
――大正三年――
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  送別(假託)

あゝこのうちのこの二階は
いつ來ても良い潮風だな
それにあの爽やかな波の音よ
晝間の疲れがすつきり洗はれて
頭がせいせいするではないか
それにこの新しい魚の味よ
たまらないではないか
――どれ酒をつがう

だがタラクナス・ダスよ
今宵は何時もとは違つた味で
この刺身を食ひ
酒を飮まねばならぬな
さう思ふと さすがにこの酒もにがい
明日はいよいよお別れだ
無事に暮してくれたまへよ

おゝタラクナス・ダスよ
君は印度獨立運動の一柱石
幾度いくたびか死地をくゞつて働き
嚴しいイギリス官憲の追捕から
やつと日本へ逃げて來たが
堪忍してくれよ日本もまた
君の住めない場所なのだ

イギリスの御機嫌を伺つて
腰ぬけの我が外務省の役人は
まるでイギリスの憲兵のやうに
君を捕へて渡さうとするのだ

それで君はまた明日こつそりと
横濱の棧橋からアメリカへ
亡命して行かねばならぬのだ
ダスよ ダスよ 堪忍してくれ
俺は日本人として冷汗が流れるのだ
何といふ腑甲斐のない日本だ

日本はアジアの盟主になつて
アジアを白色人種の手から
解放せねばならぬ使命があるのに
このざまだ!
君よ 默つて許してくれたまへ
近い中には俺達青年の手で
日本を理想的な國に改革して
君のやうな志士の亡命國にするから

ダスよ 君はアメリカに行く
しかしアメリカもまた
君の安住できぬ處かも知れぬのだ
さう思ふと涙がこぼれる
鳥には巣 狐には穴
志士たるが故に君には家もない
しかし今日の君の身の上がまた
明日の俺の身の上でないといへようか

――さあ酒を一杯
君に始めて逢つたのもこの部屋
そして今宵君を送るのも同じ部屋
何といふ因縁の淺からぬことだ
萬感がこもごもに起るではないか
健かに暮してくれよ
タラクナス・ダスよ
君と飮むのもこれが最後
しかし命があつたらまた會はう
――さあ もう一杯
――大正十二年――
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  ハレー彗星

太陽が日本海に沈んで
軒々に夜の陰影が濃くなると
ハレー彗星の無氣味な蒼白い光が
街の空に現れる――
と 老人は二階の窓から首を出し
若者は道路に出て
みな一樣に不安な顏をして
空を仰ぐのだ

――氣味の惡い光やな
――また戰爭があるんぢやろ
――疫病がはやる前兆やろ
――もう一週間すると地球と衝突するがや
――どうなるがやろ
――地球が火事になるかも知れんぞ
――そんなけにや人間が毒瓦斯で死ぬのやろ
――南無阿彌陀佛なんまんだ 南無阿彌陀佛なんまんだ

妖兆だ 妖兆だ 地球の終りだ
結婚したばかりの若夫婦
老先の短い老人までが
みんな短い生存をむさぼらうと
不安な顏をしながら
日が暮れると空を仰いで
歎息をしたり念佛を言ふ
――あゝ彼等はなぜあんなに
死ぬことが恐しいのだらうか

僕はこの間から毎晩
晩飯を食ふとすぐ天神橋を渡つて
この向山むかひやまの頂へのぼり
この頂に立つて彗星を仰いで
靜かに默想にふけるのだ
――永遠が宇宙の底からやつて來て
俺の魂をすつきりと冷靜にしてくれる
嗚呼あの電燈の輝いてゐる街の人々は
お前の姿を見て妖兆だと騷ぐのに
僕のこの胸には何といふ
大冷靜がひそんでゐることか

あゝハレー彗星よ
ほんとに壯大な姿だ
金澤城の森の上から
僕の頭を越して
河北潟の蘆を下に見て
能登半島の方へ
蒼穹一ぱいに横たはつて
長い光芒を引つぱつてゐる――

ハレー彗星よ お前は
七十五年目に一廻り出來るやうな
軌道を循環してゐるといふが
この粟粒のやうな地球の軌道の
まあ七十五倍の大きさだ!
でもこの大宇宙の茫漠にくらぶれば
小さなものだ――然しお前を仰げば
さすがに胸が轟いてくる
お前が今度太陽系を訪ねる時
僕はお前を仰げるかしら!

あゝ天といふものは
何といふ廣漠無邊の空間だ
今更の如く魂が驚く――
あゝハレー彗星よ
お前の化物のやうな尾に乘つて
宇宙の片隅でも放浪できまいか
どんな珍奇な星が運行してゐて
變な生物が棲んでゐることか
――おゝ偉大なる放浪よ
――おゝ偉大なる放浪よ
僕は宇宙の未知の世界にあこがれる

僕は子供の時から
放浪が大好きなのだ
しかしこんな地球の上なんかを
放浪したつてつまらない
地球の上はみな大同小異
その光景はきまつてゐる
きつと地面があつてその上は空
地面は沙漠か山岳か森林か
それとも怒濤が逆卷いてゐる海だ
港や都會のごたごたと家の並んでゐる處には
小綺麗な女が男を待つてゐるばかり

狹つ苦しい地球の上を放浪して
毛色の變つた女を抱いて歩いたつて
始まらないぢやないか
それよか この丘の頂にねころんで
夜風に吹かれながら
口笛でも吹いてゐる方がよつ程ましだ

ハレー彗星よ
お前は彗星に似合はぬ常識家で
一定に軌道を守つてゐるが
そんな軌道なんか棄ててしまつて
僕を乘せて氣まぐれに
氣まぐれな處を飛びまはつて
氣まぐれな時に他の星と衝突をしないか
それこそ本當のお前の生活だ

あゝ徐々に傾くハレー彗星よ
夜更けの山上に立つて
一人お前を仰いでゐると
僕の魂は宇宙の中にとけ入つてしまふ――
何といふ人類の弱小さだ
お前の一循環が人間の一生だ
お前が地球を訪ねてから
僕の心は夜々よゝ
お前を仰いで緊張してゐるが
もうしばらくするとお前はまた
太陽系を去つて
僕等の視界から離れてしまふのか
一寸淋しい氣がするな
――大正三年――
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  暗黒

われは闇を驅りゆく叫喚の影だ
方位もわからぬ果しない闇を
たゞ憤怒の叫喚をあげて驅ける影だ

暗黒をわれ過ぎゆくところ
八方より潮の如く叫喚が罵りどよめく
銅の聲 鐵の聲 岩の聲

あゝ彼等叫喚も起きて驅け出すか
闇の底を右に左に前に後に
叫喚は錯綜して馳せちがふ――

われは闇を驅けゆく叫喚の影だ
理想をも信念をも失つた叫喚の影だ
たゞ憤怒を叫んで闇をさ迷ふ――

叫喚は馳せちがひ衝突し殺し合ふ
されど何物も見えぬ暗黒 たゞ暗黒
憤怒と罵言と呻吟のみ闇をどよもす――

大地は苦悶して地軸より震動し
嵐は狂亂して闇を渦卷く
あゝ銅の聲 鐵の聲 岩の聲

われは闇を驅くる叫喚の影だ
理想と信仰を失つた絶望の叫喚だ
目標なき憤怒に燃ゆる惡靈だ

あゝ地は呻いて震動す
嵐は砂礫を飛ばして闇を走る
あゝ銅の聲 鐵の聲 岩の叫び――
――大正四年――
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  ダンヌンツィオ君

イタリーの與太ダンヌンツィオよ
貴樣は飛行機にぶち乘つて
俺の國へ遊びに來るさうだが
毎日俺は手を擧げて待つてゐるぞ
空の彼方にプロペラの音がする晴れた日は
ともすると俺は外へ出て彼方を望み
「おういダンヌンツィオ」と叫んで見るのだ

俺の根性そつくりのダンヌンツィオよ
貴樣がやつて來たならば
借金を質に置いて御馳走をするよ
なだ一本に名物の藝者ガールでさ
晝は晝を恣にし夜は夜を恣にしよう

胸を叩いて話したいものだ
バイロン君が死んでから
世界の詩人の値うちは下つたな
詩人つて奴は神經衰弱の代名詞になつた
多分 貴樣の國の多くの詩人もさうだらう
悲しい事には俺の國もさうだよ
それを貴樣は見ん事回復してくれた
有難う ダンヌンツィオ
イタリーの我黨の偉大な與太!

バイロン君がギリシャの獨立戰に
單身飛び出したやうな話は
もう物語になつてしまつたと思つてゐたら
こんどは貴樣が飛び出してくれた
飛行機に乘つて三軍を叱咤し
ヒューメの占領とてゐる 愉快だ

何とこの俺が踊つて悦んだことか
ダンヌンツィオ萬歳つて叫んでな
獨りで祝杯をあげたもんだぞ
そして貴樣が書いた小説や詩を
改めてもう一度讀みかへしたぞ

イギリスやアメリカに遠慮してゐる
貴樣の國の腰ぬけ政府の命令を
糞か屁のやうに心得て
敢然としてヒューメを占領した勇氣よ
共鳴するぞ そのロマンチックな心に
貴樣だ俺だ 俺だ貴樣だ
貴樣を思ふと胸が轟く

日本のひよつとこ詩人共は
貴樣がヒューメを占領したのを見て
舊式な愛國心で御座るとひやかしたり
詩人のすべき事でないと おましだが
なあ君 あいつ等の負け惜しみなんだよ
氣にかけるない なあダンヌンツィオ
俺がついてゐらあ

貴樣がヒューメを占領しなかつたら
それこそ貴樣はそこらのごみ文士と
區別のつかないやくざな代物しろもの
貴樣がお伽噺の英雄の主人公になつたればこそ
本當に男の中の男 詩人の中の詩人なんだ
貴樣の氣持が本當に良く分るよ
振れ 振れ ガブリエレ・ダンヌンツィオ

やい好漢ダンヌンツィオよ
貴樣はイタリーの國粹主義でやつたが
俺は日本の國粹主義でやるんだよ
貴樣の國にも飜譯思想家が澤山ゐる模樣だが
俺の國にも御連中が毎日吠えてゐるよ
何も出來ぬ癖に聲だけ黄色く立ててね
俺もやるよ見てゐてくれたまへ

世界の詩人に氣を吐いてくれた詩人よ
やいガブリエレ・ダンヌンツィオよ
櫻の花咲くこの日本に
やつて來い早く飛行機で――

夜は夜で踊り 晝は晝で飮まう
日本娘は友禪の裾を翻へし
イタリー語に似た日本語の母韻で
君に酒をついでくれるよ

ダンヌンツィオ君 早く來い 待つてるぞ
振れ 振れ ガブリエレ・ダンヌンツィオ
――大正十二年――
[#改ページ]

  光榮あれ日本

 第一章 民族の親

あゝ我等
大和民族は
いづこより
 夜明けと共に
 天からりた

あゝ我等
大和民族の
親をぞ知る
 父は太陽
 母はかの月

さればこそ
ひらめく我等の
旗のしるしは
 輝きのぼる
 太陽なるぞ

われ等こそ
世界を理想の
地となすために
 天からりた
 選ばれし民

 第二章 建國の由來

祖先等は
高天ヶ原より
地球の上に
 新月しんげつの舟で
 降りて來たのだ

わが島は
天の浮橋に
ほこもて立ちて
 海の底より
 さぐりし島ぞ

祖先等は
新月の舟を
思ひいだせと
 新月かたどり
 島を築けり

わが島は
新月のかたみぞ
夜ごと新月
 肥立ひだつごとく
 國は彌榮いやさか

 第三章 民族の歴史

あゝ我等
高らに歌はむ
國の誇を
 いまだに敵に
 破れしあらず

蒙古勢
颶風と築紫に
攻めて寄せしも
 生きて歸れる
 ただ三人みたりのみ

わが前に
破れざる敵の
盾まだあらず
 支那もロシアも
 みな敵ならず

わが島は
神しろす國ぞ
神の御代より
 嵐と波に
 護られ榮ゆ

 第四章 亞細亞の現状

同胞よ
亞細亞を見渡せ
いづこの土地も
 白色人種に
 奪はれ果てた

あれ聞けよ
地軸の底より
滲みもれくる
 亞細亞人種の
 うごめく聲を

あゝ既に
地球は地獄と
移り變りて
 宇宙の奈落に
 ちて行くのか

あゝ亞細亞
奪はれ果てたる
あゝわが亞細亞
 無念に血潮
 逆さに流る

 第五章 日本の現状は如何

ただひとり
わが日本のみぞ
國の誇を
 かたく護りて
 波に立てるは

あゝ日本
なれのつとめは
白人種より
 世界を救ひ
 きよめることぞ

されどあゝ
悲しき限りぞ
この日本また
 眞理は※(「金+肅」、第3水準1-93-39)びて
 正義は隱る

このさまで
いかでか我等
亞細亞人種の
 盟主となりて
 立ちあがり得る

 第六章 日本の使命と改造の必要

亞細亞をば
救はむ血祭
日本を先ず
 改革の火もて
 鍛ひなほさむ

立ちあがれ
太陽の息子むすこ
焔のごとく
 亞細亞回復の
 鐘鳴りどよむ
振ひ立て
太陽の息子
嵐のごとく
 日本改革の
 鐘鳴りわたる

同胞よ
地球を銀河で
洗ひきよめて
 闇から親を
 迎へまつらう

 第七章 頌榮

幸あれよ
太陽の息子むすこ
光榮あれかし
大和民族

あゝ我等
祖國の正義に
命をさゝげむ
世の終りまで
敵よ見よ
われ等の劒を
親なる太陽
照りて輝く
――大正十二年作――
[#改ページ]

  新愛國マーチ

    一

日本にほんたみ子供こども
日本のはたのしるし
このはたかざし世界せかいをば
 たゞしき道にみちびかん
 その手始てはじめに日本にほんをば
 なほ根本ねもとから

    二

いざちあがれ子供こども
いざ打ちふれよ日の御旗みはた
この旗まもりアジアから
白人はくじんどもをはら
 その門出かどでにぞ日本にほんから
 くにあだをばたゝ
 くにあだをばたゝ

    三

はたとりて子供こども
たゞしきことにつよくあれ
わがもとのけがれをば
のこるくまなくきいだせ
 そのたゝかひかね
 すめら御帝みかどをいたゞきて
 すめら御帝みかどをいたゞきて
――昭和七年三月作――

 地球を弔ふ をはり





底本:「地球を弔う」嵐山荘
   1939(昭和14)年5月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮城高志
校正:
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について