山田 卓也選手のプロフィール
Perfect Profile 2008

通算出場試合数  J1リーグ:274試合(23得点) ナビスコ杯:39試合
(4得点)
天皇杯:22試合
(2得点)
2008年度 J2リーグ試合出場  31試合
国際Aマッチ出場記録:4試合
(0得点)
A代表初出場:東アジア選手権(2003/12/7)香港戦
2004/2/7 キリンチャレンジカップ2004 マレーシア戦
2004/2/12 国際親善試合 イラク戦
2004/8/18 キリンチャレンジカップ2004 アルゼンチン戦




PROFILE



生年月日   1974年8月24日
 身長      177cm
 体重      76kg  
 血液型     A型
利き足   右
背番号    32
 出身地    東京都町田市  
 
ホントは世田谷区の幼稚園・小学校に通う杉並区民だったそうです!)
経歴      武蔵ヶ丘FC
       町田市立鶴川二中学卒業
   桐蔭学園高校卒業
  駒澤大学卒業 
    1997年 東京ヴェルディ1969(旧呼称:ヴェルディ川崎)入団
2006年 セレッソ大阪 入団 
2007年 横浜FC 入団
 家族構成   父・母・姉
←未だ独身(苦笑)  
使用スパイク  NIKE



〜ヤマタク・アンケート〜

 プロになったきっかけ    スカウトされた為 
 アピールポイント    
インターセプト、球際の強さ
 愛称  タク、ヤマタク
 好きな食べ物 
カレーライス、いちご(すっぱくない甘いヤツ・笑)
 嫌いな食べ物    セロリ
 ライバル     自分 
 長所  やさしい
短所   ない
 イエローカードをもらった時の気分は?  
レフリーやめちまえ
 尊敬する人   父・おじいちゃん
 今までに感動したことは?  南極物語を…。
(一番感動した映画だそうです…)
 怖いものは?   
酔ってないのに酔ったフリをする美白
(「美白」とは尊敬する先輩の
林健太郎選手@ヴァンフォーレ甲府のこと・笑)
 
       
※ ちなみに林氏の怖いものは“酔って暴れる山卓”だとか…)
 好きな女性のタイプは?   気の遣える人
 あなたにとってサッカーとは?  すべて
 特技  水泳 
(25Mを12秒11で泳ぐ競泳選手並の速さ!)
  移動中していることは?     寝る
 平均睡眠時間     7〜8時間(昼寝もする)
 貴方を動物に例えると?   猿(動物占いで)  
 幸せを感じるときは?    いつも
 男はどうあるべき?   自由


好きな言葉  Do my best!






軌跡

強靭な体を持つ快速のディフェンダーにつけられた
「あだ名」は”エキゾチック・ターミネーター”…。


幼い頃からスポーツ万能の山田卓也は、幼稚園でサッカーを始め、
小学時代は水泳や陸上といったスポーツにも興じていた。
中学時代は町田市の大会において、陸上部の選手を押しのけ、
走り高跳びで優勝したこともある。(その卓越したジャンプ力は、
00年代表候補の体力測定でも、セリエAのトップ選手に勝るデータで証明された。)
99〜00年にヴェルディを率いた李国秀総監督は、
桐蔭学園高校時代の恩師である。


駒澤大学時代、`95年8月に開催されたユニバーシアード福岡大会では
スターティングイレブンとして全試合に出場、球際の強さとロングスローを武器に
世界の強豪を次々と破り、見事金メダルを獲得した。
なお、その年、山田のいた駒大サッカーチームは総理大臣杯・
全日本大学選手権共に優勝し、同大会ベストDFにも選ばれている。


東京ヴェルディ1969時代、
'03年途中就任したアルディレス監督にアタッカーとしての素質を見出され、
右オフェンシブハーフにコンバート。
タイミングのいい飛び出しでゴールを量産。
チーム内2位の10ゴールを叩き込み、MFながら得点王争いにも絡んだ。
2004年、天皇杯優勝し、プロ選手として念願の初タイトルを獲得する。


高い守備能力を生かし、本来のSBは元より2列目、ボランチ、CBと
適応能力の良さをいかんなく発揮。
監督が変わっても常にスタメンで起用されるのは、
安定した献身的プレーに加え、最後まで落ちることのない圧倒的な
運動量を評価されてのことであろう。


リーグ戦での活躍が認められ、2003年8月18日のナイジェリア戦で
日本A代表初招集。
12月7日の東アジア選手権香港戦で、交代による代表初キャップ。
さらに2004年2月7日の国際親善試合マレーシア戦で初先発し、
現在4試合に出場。8月のアジアカップに選出された。


9年間在籍したヴェルディでは主将を’02〜`05年まで務め、
プレー中は絶えず声を出し、仲間の士気を鼓舞してチームを牽引した。
一年を通して質の高いパフォーマンスを維持し
全体練習後も筋トレやマッサージなど、身体のケアを怠ることはない。
まさにプロ中のプロである。


2006年、セレッソ大阪に移籍するも結果が出ず、1年で退団。
その後半年間、豪州(強豪アデレード・ユナイテッドの入団テストに合格し、
地元サポーターからも期待されていたが、山田を認めた監督の突然の解任など
クラブ側の事情により本契約には至らなかった)や
アメリカ・中南米など武者修行に出た後、同年6月横浜FCに入団。
翌年には実績と経験を買われ、再びキャプテンに就任した。


決して試合を諦めず、ボールを追い続ける熱き鉄人から今年も目が離せない。




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