1 日本とトルコ

A【トルコという国】 

1,トルコとの出会い

街の本屋さんで『イスタンブール、時はゆるやかに』(渋沢幸子著・新潮社)という本に出会いました。なんとなく棚から抜き出し読んでみました。ギリシャからブルガリアを経由してトルコへ向かう列車内の様子が描かれていました。こんなことでした。

「隣席のフランス人からもらった焼き立てのシミット(ゴマ入りの輪の形をしたパン)をほおばっていたとき、イスタンブールを象徴する海・マルマラ海が目に飛び込んできました。」彼女は思わず、コンパートメントの同席の人たちに言います。「海だわ!マルマラ海よ。もうすぐイスタンブールよ」と。「灰青色の穏やかな海に、白い船が行きかい、カモメが低く飛んでいる‥‥」とあります。この書き出し文が私に巣食う虫を騒がせました。ワクワクしてきました。

早速その本を購入して読みました。それは単なる旅行記ではありませんでした。時間も忘れて文中にのめりこんで行きました。平凡な生活を送っているかに見える庶民にも、実は大変なドラマの中で生きているのだということが感じとれました。悲しい現実を、トルコ人特有の明るさと周囲の温情にも支えられて必死に生きている様に、深い感動を覚えました。私の少年時代の社会風景を見る思いでした。あの頃が懐かしくなり、あの頃に帰ってみたくなりました。

青く澄み切ったマルマラ海、東西の十字路イスタンブール、厳しい経済事情の中にあっても元気なトルコの人、人情豊かでもてなし好きのトルコ人、世界一の親日家とも言われるトルコ人にぜひとも会ってみたい、そんな思いに駆られました。

そして思いはかないました。(‥1999年の夏のことです。)そしてその後も再訪することになるとは‥‥。私はトルコが大好きになりました。(もっとも兄弟である世界のほとんどの国が好きですが‥)

2,小アジアの国・トルコとトルコ人

むかし古代フェニキア(現レバノン)人は、ギリシャの東方にある小アジアを、「アス」と呼んでいました。やがてそれは「アスワ」となり、今日の「アジア」になりました。小アジアがトルコ人たちの地になったのは11世紀頃になります。

トルコは中東に位置するアジアの国です。現在トルコ人が多く住む小アジア(現トルコ)・アナトリア高原では、かつていろいろな王国の興亡の歴史がありました。ヒッタイト・フリギア・アケメネス朝ペルシア・アレクサンダー帝国・ローマ帝国・ビザンツ帝国・セルジュクトルコなど‥。

13世紀にはオスマン朝トルコがオスマン・ベイによって建国され、1453年には一千年も続いたビザンツ帝国を滅ぼして、とてつもない大帝国を築きました。そのオスマン帝国も第一次世界大戦で連合国に敗れ、1922年ケマル・パシャ率いるアンカラ政権によってスルタン制が廃止されオスマン朝は長い歴史を閉じました。今日のトルコ共和国の成立です。

トルコ人は、民族的にはれっきとしたアジア人です。中国の西域に住むウイグル人とは同系統です。しかし今日のトルコ人はEU加入願望に見られるとおり、ヨーロッバ人としての意識の方が強いようです。しかし接してみるとアジア人らしい情感を感じ取ることができます。

トルコ人は一般に明るく朗らかで、人に対する好奇心が旺盛で、すぐに仲良しになれます。子供たちはちょっぴり恥ずかしがり屋さんですが、人を疑うことを知らないのかと思えるほど、親しみをもって近づいてきます。あのあどけない笑顔を写真におさめたら、いずれも傑作まちがいなし、といったところでしょう。

淋しくなったとき、暗い気持ちにったとき、ぜひトルコを訪れてみてください。あなたは必ずしや癒されて元気を取り戻されることでしょう。(でもどの国にも悪い人はいます。安全には十二分に気をつかってください)

トルコ人は大の日本人好きです。

(一般的に、どの国でも日本人は好意をもたれていますが‥‥特に発展途上国で高い人気だと思います。「お金を出すが口を出さない国」
どこかの大国とは違う評価をされています。その大国は我々にとっては戦後の恩人とも言える面が多々あります。民主主義、戦後復興、経済発展、スポーツ、文化‥‥等々、だからこそ弟として、友人として言いたいのです。「決して独善的にならないように」と‥

「平和愛好国家」さらに、「日本人は正直で勤勉だ」なども高い評価です。

過去のことを真摯に反省している姿勢が、好感をもたれていることが、国内では意外と知られていません。「憲法9条の戦争の放棄の条項」は胸を張ってよいことです。現在の世界の難題が武力で解決できないことは現実が教えてくれいいます。戦後に、戦前のあり方について反省した、あの謙虚な気持ちはけっして忘れてはならないと思います。

「でも日本人が好きだといっても、世界中で日本が一番好きだと言ってくれる国民はいないでしょう?」と自嘲気味に問われたことがありました。 ところが‥‥、「“まじ”で、そう言ってくれる国民がいるのです。その国民こそトルコ人なのです。」
実にトルコ人の大半が一番好きな国として「にっぽん」「JAPAN」をあげてくれるのです。トルコ人はそういう人たちなのです。

(話はそれますが、占領下にあった台湾も、トルコには及びませんが、有力な親日国の一つだということです。占領統治を合理化してはなりませんが、忘れてはならないでしょう。) 

  アヤ・ソフィア(ビザンツ建築様式の傑作

  トルコ近代化の父・アタチュルクの霊屋


3,トルコ人はなぜ日本人が好きなのでしょうか?

@エルトゥールル号遭難事件

1887年オスマントルコ帝国は、皇族・小松宮夫妻の訪土の返礼として、トルコ軍艦をわが国に派遣してきました。その帰途、和歌山県串本市沖合で座礁、機関部が爆発して沈没しました。生存者は67名、死者589名という大惨事でした。

このとき、地元串本の人たちはトルコ人乗組員に対し、必死の救助活動と食糧の炊き出しなどで篤いもてなしをしました。そして生存者は、日本軍艦で無事トルコに送られました。このことはトルコ人に大きな感動を与えました。この遭難救助については現在のトルコの小学校の教科書にも取り上げられているのです。

A建国の父、アタチュルク(ケマル・パシャ)のこと

第一次世界大戦で敗れたトルコはご多分に漏れず、列強による分割・植民地化の危機下にありました。この危機を救ったのがムスタファ・ケマルでした。1922年、彼は共和国を成立させ、政教分離、婦人解放と参政権、ローマ字採用、法律の西洋化など、トルコの近代化に取り組みました。この時期、彼が発した言葉が「日本を見習え!」でした。この言葉によって「日本」という国名はとルコのほとんどの人に知られることとなったのです。

彼は今でも「アタチュルク(トルコの父の意)」として国民に敬愛されています。トルコではいたるところの事務所に、掲額されている彼の写真を見ることができます。

ところで、イスタンブールのオトガル(長距離バスターミナル)の、あるバス営業所の待合室で、アタチュルクのそっくりさんに出会いました。あまりによく似ていたので、「あなたはアタチュルクと似ている」と言うと、とても気をよくし、一緒に居た仲間に「あの日本人が俺をアタチュルクと似てると言ったんだ」と嬉しそうに言いてました。仲間の人は、掲額されている写真と彼とを改めて見比べ、ニコッとしてうんうんと頷いていました。そっくりさんは私の方を振り返ってニコッとし、得意満面でした。

B日本人民間大使の地道な活動

(外国に行かれたときは誰もが日本人民間大使になります。海外旅行するときは自分は民間大使なのだとは思いながら行動するようにされるとよいと思います。特別に肩肘はる必要はありません。旅ですからリラックスし楽しんでくればよいのです。そういう思いで接すると、その気持ちと同じように相手も接してくれることが多いです。でも買春旅行などは絶対に慎んで欲しいものです。

民間大使といえばトルコでは、山田寅次郎という人物の足跡は大きいと思います。彼は日本国内で、上記遭難事件の義捐金を集めて、まだ日本と国交のないトルコに渡り(1892年)、スルタン・アブデュルハミト2世に謁見しました。その後は1914年まで長期滞在し、日本語などを教えて、トルコ人に「日本人の心」を伝えたといわれています。その教え子には共和国革命の指導者であり、今も国民から深く敬愛されているアタチュルクが含まれていたと云います。

ちなみにこの山田寅次郎という人物、宗遍流茶道の祖だということです。また今日までにトルコへ行かれた多くの人々の善意ある足跡が、「親日家・トルコ人」を形成しているものと思われます。

C日露戦争のこと

1913から14年にかけての日露戦争中、天下分け目の戦いとして知られる日本海海戦で、東郷平八郎率いる連合艦隊がロシア・バルチック艦隊に勝利しました。同じアジア人の国(彼らの中に兄弟の血が流れているという人も居ます)、東の小さな島国・日本、その日本がトルコの長年の宿敵・ロシアを破ったのですから、トルコでは日本の快挙に大いに沸いたと云います。トルコ人は溜飲を下げたのでしょう。国際平和が叫ばれている今日、この話題はふさわしくないとは思いますが‥‥。

4,トルコ国のわが国に対する友情の証し

a,トルコはかつて、わが国の国連加盟について強力な支援をし続けてくれました。

b,イラン・イラク戦争中に、イラクのサダム・フセインが「イラン上空を飛ぶ飛行機はすべて撃ち落す」と言明しました。このとき日本政府の対応は遅れていました。現地では200名以上の日本人が取り残されたのです。日本航空も飛行を断念していました。そのときです。親日家の首相・オザールは、危険を承知でトルコ航空機2機を派遣したのです。「なぜこんなときに飛行機を出すのか?」の記者の問いに対して、彼はこう答えたといいます。「それは日本人だからです‥」と。

在イランの日本人はトルコ航空機によって無事救出されました。日本大使館のお礼の言葉に対してオザールは、「エルトゥールル号のお返し」だと述べています。この救出劇に対して、わが国のマスコミは“トルコからの救いの翼”と称えました。彼らトルコ人は今でも昔の恩義を忘れていないのです。  

c,トルコ政府は、神戸・淡路大震災のときもいち早く、神戸に救援隊を派遣し、献身的な活動を展開しています。

逆に1999年のトルコ大地震では、わが国から神戸・淡路大地震の際に使用された仮設住宅が、トルコの被災地に届けられました。トルコ人の多くが日本のこの援助のことを知っており、わが国に対する感謝の気持ちを、旅行中に、私も言われました。

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トルコの東西の玄関口・イスタンブール  旧市街の全景と背後はマルマラ海

世界一の親日国・トルコ