奥ゆかしく、ユーモアセンスある国・ブルガリア

はじめに

ブルガリア人と前述したトルコ人の性格は対照的です。民族的には同系統ですが、トルコがオスマン朝時代であったときは、支配者・被支配者の関係でした。先の、海外ふれあい旅のページ「元気な国トルコ」で触れたとおり、トルコ人はホスピタリティーに富んでます。ブルガリア人もまたホスピタリティーに富んでます。しかし両者の性格は明らかに違います。トルコ人は開けっぴろげで陽気です。そこに二人が出会えば、先に声を掛けるのがトルコ人である場合が多いと思います。トルコ人と接していると沈んだ気分であっても、知らず知らずのうちに元気になっています。

ブルガリア人はどちらかというと静かです。遠慮深く控えめでもあります。たまには、元気のよいおばちゃんに出会うこともありますが、概して穏やかです。ブルガリア人の方から話しかけてくるとことは少ないように思います。両国は隣国ですから、勝手な言い方をするなら、孤独を癒したくなったらトルコへ、もの思いに耽りたいときはブルガリアへ行けばよい、と思ったりします。それほど対照的です。両国を訪れれば、短期間で対照的な性格をもった国を体験をすることになるでしょう。   

ブルガリアの国名は知られていますが、国内事情についてはほとんど知られていません。多分、「ブルガリアは、バルカン半島の南部にあり、ヨーグルトと長寿の国である。」くらいしかなじみが無いかもしれません。

 ブルガリアのフォークダンスのイメージ  ミスユニバースでお馴染みの国、とっ ても素朴な人たちばかりです。

ブルガリア人も「日本」に対して強い関心を持っていますが、日本に関する知識は、時代錯誤的で正確なものとはいえないものもありました。先ずは、私たちがブルガリアとはどういう国かを知ることから始めたいと思います。

ブルガリアの歴史

アジア・トルコ系民族であるブルガリア人は、7Cにバルカン半島東南部に侵入して建国、先住のスラヴ族に同化しました。9C ギリシャ正教に改宗、10世紀初頭が盛期でした。やがて内紛で衰え、1014年、ビザンツ帝国の支配下に入ります。14C末には、オスマントルコの支配下に入り。1878年露土戦争で公国の地位を得、1908年トルコに青年トルコ革命の混乱が起こったとき、そのスキに乗じてブルガリアは独立を果たしました。第二次大戦後、社会主義体制である「人民共和国」となり、1990年に共産党一党制を放棄しました。

日本とブルガリア

@        第二次世界大戦では、日本と同じ枢軸国側に立ちましたが、このこととは関係なく、もともとブルガリアは親日的であったようです。

それは、ヨーロッパの中で、ブルガリア人は「質素と勤勉」の国民だと言われ、同じような性格を持つ日本人を意識させられたようです。彼らは「バルカン半島の日本人」と言われ、それを誇りにしているようでもあります。またブルガリア人は、戦後の日本の発展ぶりに対しても尊敬の気持ちを持っています。こんなことから、ブルガリア人が、日本人に親近感をもつとしても、なんの不思議もありません。子供たちも日本人と見ると声を掛けてくれます。そういう点ではトルコの子供とよく似ていますよネ。

A1970年に開かれた大阪万博のとき、当時の首相ジフコフが来日しました。ジフコフ首相は、わが国が僅かな期間で戦後の復興に成功し、さらに驚異的な経済発展をとげたことに驚き、帰国後、国民に対し“日本に学べ”の指示を出したそうです。その点では、トルコのアタチュルクが発した“日本に学べ”の言動と同じ効果が現われたのでしょうか?わが国に対する好感度がいっそう増したように思います。

《一方わが国の方では、大阪万博のとき、昭和天皇はブルガリア展示館にも寄られました。会場でブルガリアのヨーグルトを勧められた天皇は、この美味しさにとても喜ばれたそうです。その後、この酸味の強いヨーグルトに目をつけたのが、明治乳業です。「明治」はブルガリアへヨーグルト菌を買いつけに行き、商品名・ブルガリアヨーグルトとして開発しました。このブルガリアヨーグルトの人気と、健康ブームが絡んで「長寿国ブルガリア」に対する関心がうまれ、漠然としたブルガリアに対する関心が生まれたと思います。》

Bブルガリアではジフコフの発言後、閣僚が次々と来日、ブルガリア政府内に知日派が増えました。また、駐日大使経験者が帰国後、閣僚に登用されなど、指導部に知日派・親日派が増え、「日本国」が国内で紹介されることが多くなりました。そんなこともあって、ブルガリア人は日本に対する憧れが増し、工業技術の高さに対する尊敬の念もあいまって、日本に対する関心の強まりとなったと思われます。

C1970年代に、ソニーの盛田会長がソフィアで経済セミナーを開催。富士通の和田社長は訪ブし、当時共産国向けの輸出が禁止されていたコンピュータを、初めて輸出することに成功し、これ以後ブルガリアは、「東欧のシリコンバレー」と呼ばれた時期もありました。日本精工の今里会長も訪れ、日ブ経済関係は1970年代から1980年代に大いに発展しました。

Dしかしその後、東欧の政情混乱とも絡んで、日ブ関係は一時低迷しました。1990年には共産党一党支配が終わり、自由化の波がバルカン半島にも押し寄せ、外国人観光客も入りやすくなりました。学生を中心としたバックパッカーや、日本人観光客も少しずつですが、入るようになり、日本人特有の真面目な態度が好感をもたれ、日本に対する好印象がふたたび広がりつつあるように実感しています。民間人の「民間大使」としての役割がいかに大きいかが分ります。

《イラクに、ボランティア活動に行かれた女性と、18歳の少年の行動が、反日的であると国会の委員会で主張された議員がいました、こういった議員には民間大使の果たしている役割がいかに大きいかは理解できないのでしょう。しかもこんなことを、ペーパーに書いたもので主張されるのですから、質がとわれますね。わたしは二人の方の勇気と愛の行動を尊敬します。でも命と健康にだけは気を遣ってください。まさしく人間の命は地球より大きい(福田赳夫)のですから‥‥。そしてすばらしい人生観をもった若者がいることに、力強い日本の未来を感じています。あの二人の方にはまさに脱帽です。》

ブルガリアへ行く手段

 飛行機は、ヨーロッパ各都市から首都ソフィア行きが飛んでいる。日本からだといずれも連絡がよくない。オーストリア航空でウイーン経由がよく使われているようです。  

     列車は、ギリシャ・トルコ・ルーマニア・セルビアなどとつながっています。(トルコからが便利かと思いますが、)いずれも本数が少なく、夜行を使います。(夜行は、貴重品や荷物の警戒が必要です。)

《鉄道を利用する人》

 《イスタンブールを出発するのは、深夜11時 プロビィデフには朝9時に着きます。国境で係官が乗客を一人一人チェックするので時間がかかり、けっこうスリも出没するとのウワサがあります。十分気を付けてください。案外と大丈夫だったとの話しも聞いています。》

・ バスはアテネからと、トルコのイスタンブールからが便利です。イスタンブールからはソフィア行・ブルガス行・プロビィデフィ行などが一日数本あります。トルコを見てから行くと両国の対象的なお国柄が感じとれて面白いと思います。ブルガリア一国だけだと飽きがくるかもしれません。

私の交通手段の選択?                                                                              

ブルガリアの香水用のバラ  社会主義時代に走っていたバスは、今も健在である   中産階級の住居

トルコからの列車は深夜発、長いパスポートコントロールの時間、スリが横行しているという話もあり、バスの方が得策だと判断しました。あとは眠れれば言うことなしだったのですが‥‥。

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1 ブルガリアという国