竹内弦楽四重奏団(TSQ)

 演奏会のお知らせ
秋にピアノ三重奏曲、チェロソナタ、ヴァイオリンソナタの演奏会を行います。詳細は下記をご覧ください。
 
次回の竹内弦楽四重奏団の演奏会について

次回の竹内弦楽四重奏団の演奏会は2017年3月24日(金)に東京オペラシティ近江楽堂で開催予定です。当初の日時から変更しました。
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今後の演奏会の詳細情報は、下記をご覧ください。

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2016秋ちらし

2016秋の室内楽シリーズ Pコード299-171


第1弾「サン=サーンスとドビュッシー」浜松・鴻巣公演
第2弾「ヘルツォーゲンベルク/ブラームスの友」浜松公演

鴻巣駅東口から13:47にバスがあります。「免許センター経由 新落合橋 行き」
バス時刻表の最新情報をご確認ください。

 過去の演奏会
以下は過去の演奏会の一部です。

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フォルクマンちらし

知られざるロマン派室内楽/フォルクマンとパリー 
2月27日(土)18時 アクトシティ浜松

 チケット予約

チャールズ・ヒューバート・H・パリー作曲 チェロソナタ、ヴァイオリンとピアノのための幻想ソナタ
フリードリヒ・ロベルト・フォルクマン作曲 ピアノ三重奏曲第1番 ヘ長調

 パリーはイギリスを代表する作曲家で、ワーグナーと親しい半面、ブラームスを敬愛していて、ドイツで二分していた楽派をまたぐようなチェロソナタは必聴。おそらく日本初演。

 メンデルスゾーンのピアノトリオを聴いても、その後のドイツ音楽のピアノトリオの感性との違いが目立つ。果して、その原点といえるような曲はどこにあるのか? フォルクマンのピアノ三重奏曲を聴けば、これこそがその後のドイツ音楽の雰囲気を作ったといえるような作品であることがわかるだろう。これもおそらく日本初演。

 チャールズ・ヒューバート・H・パリー初代准男爵(1848-1918)はイギリスを代表する作曲家。20代はサラリーマンだったが、音楽の勉強を続けて30代から音楽作品を世に出し、のちに音楽大学の学長にまでなった。メンデルスゾーンをはじめとするドイツ音楽に惹かれた。イギリスにおける大作曲家ブラームスとたとえてもいいだろう。彼の著述した音楽辞典が作曲家エドワード・エルガー(1857-1934)を育てることになる。

 フリードリヒ・ロベルト・フォルクマン(1815-1883)はドイツの作曲家で、メンデルスゾーン(1809-1847)のいるライプツィヒで音楽を学び、ロベルト・シューマン(1810-1856)とも親しかった。ハンガリーのブダペストに1841年に移住し、ピアノ三重奏曲第1番を作曲したが、すぐには出版せずに無名のままだった。
 1850年に作曲したピアノ三重奏曲第2番 作品5は彼を訪問したフランツ・リスト(1811-1886)に絶賛され、同行していたヨーゼフ・ヨアヒム、ベルンハルト・コスマンとともに演奏された。1852年にウィーンに移住してから、この2つのピアノ三重奏曲を出版した。のちに若きブラームス(1833-1897)と親しくなった。
 ピアノ三重奏曲第1番が作曲された1843年は、ウィンナ・ワルツの創始者ヨーゼフ・ランナーがチフスのために42歳で急逝した年で、彼とワルツ合戦をしたヨハン・シュトラウス父が覇権を握った。その翌年がヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)のデビューそして父子による新たなワルツ合戦の幕開けである。フォルクマンのピアノ三重奏曲第1番におけるワルツの重要な扱いに注意を傾けると面白いだろう。
 なお、有名なメンデルスゾーンのニ短調のピアノ三重奏曲の出版は1840年である。


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バルギールちらし

 

バルギール/クララ・シューマンの弟と友人たちの室内楽 
11月8日(日)18時 アクトシティ浜松

 チケット予約

ブラームス:チェロソナタ第1番
R.シューマン、ディートリヒ、ブラームス:
F.A.Eソナタ
バルギール:ピアノ三重奏曲第1番

 クララ・シューマンの異父弟ヴォルデマール・バルギールはクララと親しく育ち、ブラームスとも交流がありました。バルギールのピアノトリオ全楽章はおそらく日本初演。

 ドイツ・ロマン派音楽の中心人物はロベルト&クララ・シューマン夫妻である。 クララ(1819-1896)の母親が再婚して生まれたのがクララの異父弟ヴォルデマール・バルギール(1828-1897)で、クララにピアノの手ほどきを受け、のちにブラームスとシューマンやショパンの作品の校訂を手掛けた。 1853年、ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の紹介によりブラームスがシューマン家を訪ね、ロベルトとその弟子ディートリヒとともにFAEソナタを書く。FAE(音名でファ・ラ・ミ)は、ヨアヒムのモットー「自由だが孤独にFrei aber einsam」である。若きブラームスはその才能を認めたロベルトによって音楽評論で「新しい道」と世に紹介されたが、翌年ロベルトが自殺未遂と療養所への入院をし、退院することなくロベルトは1856年に梅毒による脳症で死亡した。  ここで登場するすべての人物はシューマン夫妻との縁によって、ロベルトが亡くなった後も生涯交流が続いた。バルギールはヨアヒムが創立したベルリン高等音楽学校の作曲家教授となった。

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TSQ2015ちらし

 

竹内弦楽四重奏団TSQ2015浜松 
4月19日(日)17時 アクトシティ浜松

 チケット予約

モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
カール・シュターミッツ:ニ長調
シューベルト:第11番(旧9番)ト短調 D173
ヤサント・ジャダン:弦楽三重奏曲 ト長調
ベートーヴェン:第2番 ト長調「挨拶」

 今回はト調を中心に、モチーフの関連する選曲です。作曲家たちは先達の作品をよく勉強していることがわかるでしょう。ジャダンはおそらく日本初演。

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ゴーストちらし

 

ゴースト/ベートヴェンの室内楽 
11/16(日)14:30 クレアこうのす
11/24(祝)18:00 アクトシティ浜松

 2000円 チケット予約

全曲ともベートーヴェン
チェロソナタ第3番 イ長調(1808)
ヴァイオリンソナタ第1番 ニ長調(1798)
ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調「幽霊」(1808)

 ベートーヴェンの演奏会はたくさんあっても、ピアノトリオと弦楽器ソナタを並べた企画はあまりない。たとえば
初期ではトリオ第4番「街の歌」とヴァイオリンソナタ第1番、
中期ではトリオ第5番「幽霊」とチェロソナタ第3番は作曲時期が近い。それらを比較して聴いてみれば、共通点も見つかる。
 中期の名曲2曲と初期のヴァイオリンソナタでサンドイッチのようにして、改めてこの大作曲家を味わうと、滅多に国内で味わえない新鮮さが見つかるだろう。

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TSQ2014ちらし

 

竹内弦楽四重奏団 TSQ 2014東京 
3/9(日)18:20
東京オペラシティ 近江楽堂

 前売2500円 当日3000円
 チケット予約

モーツァルト:ミラノ四重奏曲 ニ長調 K.155
ヴァンハル:弦楽四重奏曲 ヘ長調 Bryan F6
ショスタコーヴィチ:第1番 ハ長調
シューベルト:弦楽三重奏曲 第1番 D471
F.メンデルスゾーン:第2番 イ短調 Op.13

Ist es wahr? 本当?君があのブドウ畑のそばの小道で僕を待っているというのは。メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第2番のテーマとなる歌曲より。何年も会っていない恋人に会いに駆けつける、そこにいるのかどうかと不安を抱えながら。そんな詩につけたメロディを使い、メンデルスゾーンが初めて世に出すために書いた弦楽四重奏曲(出版の都合で第2番)。同時代のドイツの詩人ハックレンデルがメンデルスゾーンの死後にまさにこの描写を取り込んだロマン派短編小説「ふた夜」を書いており、さらにそれを森鴎外が翻訳している。ぜひ読んでいただきたい。モーツァルトの初期の作品、さらにモーツァルトが手本とし、ハイドンも含めて一緒に弦楽四重奏を演奏した当時の人気作曲家ヴァンハルの作品を続けて聴ける機会は、滅多にないでしょう。古典派とショスタコーヴィチが隔たっていると感じている人には、ショスタコーヴィチのこの作品には驚くでしょう。シューベルトが途中で断念して第1楽章しか仕上がっていない弦楽三重奏曲も添えて盛りだくさんの演奏会。すでにTSQをご存知の方はもちろんのこと、今までTSQを生で聴いたことがないという方もお聴き逃しなく。 TSQ(竹内弦楽四重奏団)はハイドン没後200年の2009年にデビューした、首都圏の芸術・音楽大学出身者による弦楽四重奏団で、ウィーン古典派の伝統に比重を置いた演奏を目的としています。その特徴を知るには説明するよりも聴いていただくのが何よりでしょう。

2013
2013室内楽ちらし

ショパンそしてデンマーク または知られざるピアノトリオ 

  • ショパン:チェロソナタ
  • ニルス・ゲーゼ:ヴァイオリンソナタ第2番
  • エミール・ハートマン:ピアノトリオ

    アクトシティ浜松およびエプタザールにて 2013ちらし裏
    2012

    フランス室内楽 極めつけのコンサート! 
    12/21(金)19時 アクトシティ浜松
    1/19(土)14時半 クレアこうのす


    テオドール・デュボワ:チェロソナタ ニ長調
    フォーレ:ヴァイオリンソナタ第1番 イ長調
    サン=サーンス:ピアノトリオ第1番 ヘ長調

    フランス室内楽ちらし

    フランス室内楽パンフ
     

    フランス音楽事情

     後にバッハ、ベートーヴェンと並んで3大Bと呼ばれるブラームスがハンブルクで生まれ育ったころ、パリにはモーツァルトを上回る神童サン=サーンスがいた。3歳から作曲し、13歳でパリ音楽院に入学、16歳で交響曲を作曲、1857年22歳でパリのオルガン奏者として最高峰のマドレーヌ教会のオルガニストに就任している。ベルリオーズは彼を「全てを心得ている」と評した。しかし、残念ながらドイツでのブラームスのように「新しい道」として扱われることもなく、あと数年、生きる時代が違えばもっと大きな存在であっただろう。ピアノ三重奏曲でその流暢な音楽を味わっていただきたい。普仏戦争(1870-71)中であった1871年、サン=サーンスはフランス国民音楽協会を設立し、デュボワやフォーレも加入した。協会はフランス音楽において舞台劇から器楽曲に比重を移し、その後の流れを作っている。

     サン=サーンスは20年間マドレーヌ教会のオルガニストを務め、デュボワが1877年に後任としてオルガニストに就任した。当時40歳。デュボワは1896年にパリ音楽院院長となり、1905年に厳格な対位法と和声を駆使したまさしく当時のパリ音楽院の作風というべきチェロソナタを作曲しているが、この年の院主催のコンクール(ローマ大賞)で作曲科教授フォーレのクラスの学生だったモーリス・ラヴェルが落選したことからコンクールの不正が問題となった。68歳のデュボワは2か月前に院長を退職しており、直接的な関与はしていなかったが批判を浴びた。おそらく音楽院の伝統的な作風でなかったことがラヴェル落選の理由だったと思われる。浜松国際ピアノコンクールは幅広い審査員と録画の公開で公平さを維持している希少なコンクールだが、基本的にコンクールは関係者による不公平があるのは昔から変わらないので、そういった経歴で評価してはならない。デュボワは68歳で退職したが、その後87歳まで長生きすることになり、不遇な晩年を過ごした。したがって、チェロソナタは当時のフランス音楽における名品にもかかわらず十分な扱いを受けておらず、海外では録音記録はあるが、ずっとドイツ寄りであった日本では演奏記録すらない。チェロソナタはちょうどフランス音楽の転換期にはまってしまい、不遇な扱いだが、言い換えるとこの後には終楽章のような華麗な転調を伴う作品は世に現れず、まるでバッハが晩年に古いとされたのを連想するが、復活してしかるべき作品であると考える。また、同年に作曲されたオーボエを加えたピアノ五重奏曲も美しい緩徐楽章があるので、ぜひ探して聴いていただきたい。

    フォーレについて

     1853年、半世紀以上にわたる不安定な政治によりフランスの教会音楽は壊滅的な状況だったところにスイス人ニデルメイエールがパリに古典宗教音楽学校を開校し、翌年9歳のフォーレが入学した。1861年ニデルメイエールが死去すると、ピアノ教師としてサン=サーンスが就任し、フォーレは彼に学ぶことになる。1870年から翌年にかけての普仏戦争に従軍し、1871年に軍役を終えると、多くの市民が虐殺されたパリを離れ、スイスに疎開していたニデルメイエール音楽学校の作曲教師として赴任した。この赴任は一夏の間だけだったが、フォーレはスイスを気に入り、何度も訪れるようになった。1896年、デュボワがパリ音楽院院長に就任するにあたってフォーレは院の作曲教授およびマドレーヌ教会オルガニスト後任に就き、さらに1905年にデュボワが院長を退職するにあたりフォーレが院長に就任し、外部者の試験審査を取り入れる制度を設けるなど音楽院改革を行った。1909年に国民音楽協会からラヴェルらが離反して独立音楽協会が設立され、フォーレは初代総裁に就任。晩年は音の高さが違って聞こえる難病にかかる。作風については対位法が厳格な音楽院と対照的に柔和に音型を細かく積み重ねて旋律を作る手法をニデルメイエールから引き継いでおり、19世紀末からのアール・ヌーヴォー(花などのモチーフをちりばめた美術)と通じるところがあるが、メンデルスゾーンやグノーの影響を受けた美しい旋律の合唱曲も書き、レクイエムは特に有名。

     サン=サーンスとデュボワが長生きしたため、3人とも同時期に死去している。1921年のフランスはエリック・サティを慕う6人組が結成され、奇抜な舞台音楽を奏でていた。そして、古典的様式は姿を消すことになる。

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    TSQ2012ちらし

     

    竹内弦楽四重奏団 TSQ 2012 
    10/26(金)19時
    アクトシティ浜松 音楽工房ホール

     前売2500円 当日3000円
     学生券は500円引き
     チケット予約
     学生券は電話でお申し込みください。
    070-6567-5087

    シューベルト:弦楽三重奏曲 変ロ長調 D581
    シューベルト:弦楽四重奏曲 ハ長調 D32
    ショスタコーヴィチ:第1番 ハ長調
    F.メンデルスゾーン:第6番 ヘ短調

    TSQはハイドン没後200年の2009年にデビューした、首都圏の芸大・音大出身者による弦楽四重奏団で、ウィーン古典派の伝統に比重を置いた演奏を目的としています。今回、東京でも珍しく、浜松ではまったくといっていいほど演奏されたことのない曲目によるプログラムです。50席限定です。お聴き逃しなく!
     シューベルトの弦楽三重奏曲は第1稿と第2稿が存在しますが、今回は第1稿を基準に演奏します。

    解説

     三重奏と四重奏の作曲では三重奏のほうが制約が大きくて難しい。シューベルトは弦楽四重奏曲を10代後半で10曲余り書き上げた後に弦楽三重奏曲に取り組んでみたものの、第1番は未完に終わっている。第2番は20世紀になってから発見された。しかも総譜による第1稿とパート譜による第2稿が別々のところから見つかり、演奏記録もない。第2稿がよりよいかというとそうとも言い切れず、どちらかというと第2稿で行き詰った感がある。第1稿は比較的、音量指定などされておらずに不十分な半面、自由度も高く、結局は両方の自筆譜を見比べる必要がある。また、左図の自筆譜の点が長いものと短いものをシューベルトは書き分けているのに、現在出版されている楽譜では編集者は区別せずに取り扱っているなどの問題があり、演奏するにあたってかなり分析を要する曲である。今回は第1稿を基準に第2稿も参考にして解釈して演奏する。

     シューベルトの第4番は母が亡くなった時、メンデルスゾーンの第6番は姉が亡くなった時の作品で、ショスタコーヴィチの第1番は長男が生まれた時の作品である。ショスタコーヴィチが弦楽四重奏曲を書いたのはかなり遅く、32歳だった。既に個性を発揮しているが、それでも古典の形式をふまえて作曲しているので、当団の演奏から新たな発見もあろうかと思う。3曲の弦楽四重奏曲に通ずる要素もいっぱいある。

     メンデルスゾーンの遺作である第6番だが、ロマン派の弦楽四重奏曲として最高峰の名品で、姉が1847年5月に亡くなった後の夏に書き上げ、10月に初演を行い、その1か月後にメンデルスゾーンは急死した。彼が自分の死期を悟って書いたわけではないが、そういう経緯から特別視される。もっとも彼の曲は他も名曲なので、今後も当団で取り上げる予定である。

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    ドイツロマン派 土曜日午後の音楽会

     

    ドイツロマン派 土曜日午後の音楽会

    5/26(土)15時 武蔵ホール

    F.メンデルスゾーン:チェロソナタ第2番 ニ長調 Op.58
    ブラームス:ヴァイオリンソナタ第1番 ト長調「雨の歌」
    F.メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調

    ヴァイオリン 比留間(岸本)美奈子
        チェロ 竹内康高
        ピアノ 遠藤圭子

    ちらしの画像をクリックすると拡大表示します。

    前売・当日:2000円 チケット予約
     
    2011

    竹内弦楽四重奏団 TSQ 2011 全額チャリティ 
    11/19(土)東京オペラシティ近江楽堂 18:30開演


    モーツァルト:弦楽四重奏曲第8番(ウィーン四重奏曲 第1曲) ヘ長調KV.168
    F.J.ハイドン:エルデーディ四重奏曲 第3曲 ハ長調「皇帝」HIII:77
    シューベルト:弦楽四重奏曲 第4番(旧第2番) ハ長調 D32
    F.メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op. posth.80

    4月に震災の名称が東日本大震災と定まる前から準備をしたため、チラシは3月までNHKなどで使用された東北関東大震災の標記となっています。TSQ2011ちらし表

    TSQ2011ちらし裏

    TSQ2011パンフ 演奏会当日配布パンフレット

    以下は当日配布パンフレットの解説 上の画像をクリックしてお読みください
     当時のウィーン宮廷楽長ガスマンが44歳で重病となり、その機を狙ってモーツァルトの父レオポルトがモーツァルトを連れてウィーン宮廷への求職のためにウィーンに滞在した。その際に書かれた6つの弦楽四重奏曲の第1曲。昨年TSQでも演奏したハイドンの太陽四重奏曲(1772)の影響を受けているため、終楽章はフーガとなっている。そのあたりの知識がないとうまく弾けない曲である。就職のためなのでかなり当時の形式に従っているが、個性的な逸脱も見られる。全部書く余白もないが、通の人にはオルゲルプンクトが跳躍している点だけ教えておこう。なお、就職は失敗した。
     エルデーディ伯爵に献呈された6曲のうちの一つ。Gott erhalte Franz, den Kaiser(神よ、皇帝フランツを守りたまえ)の頭文字GEFDC(CはKに対応)から冒頭ソミファレドの音型が成り立つ。第2楽章はこの文を歌詞に持つ皇帝讃歌の変奏曲。神聖ローマ帝国フランツ2世のための曲だが、120年後にハプスブルク家の没落に伴い、ヴァイマル共和国の国歌に採用され、ドイツ国歌として現在に引き継がれている。なお、今年7月に最後の皇帝の長男である皇太子オットー・フォン・ハプスブルク氏が98歳で死去し、葬儀にはこの皇帝讃歌が演奏された。
     シューベルトの死後に楽譜が散逸し、全楽章そろって出版されたのは1954年だった。ちらしの解説に書いたとおり古典組曲のように舞曲を組んでいるのだが、その点を全く理解しない人による解説(第1楽章はソナタ形式ではないのに未熟なソナタと間違って批評されていたり)や演奏により、真の評価をいまだに得ていない。各楽章はタランテラ、シチリアーノ、パスピエ、ワルツで、舞曲を知らないと弾けない。
     ヘ短調といえば昨年演奏したハイドンの太陽四重奏曲のヘ短調もそうだが、かなり深刻な雰囲気を醸し出す調で、メンデルスゾーンが姉の死を悼んで作曲した心境を反映していると言える。震災、被災地、会えなくなってしまった人、限りある人生を想い、この曲を聴いていただければと思う。なお、ちらしで解説したスケルツォは第2楽章のこと。かみ合わないワルツから男女の届かない切ない想いまで連想できるようになれば、ロマン派の音楽を理解する素質があるだろう。
      ちらしの画像をクリックすると拡大表示します。


     舞曲に着目して今回のプログラムを考察してみるだけでも十分に面白い。以前の横浜公演で、メヌエット表記はウィーン古典派では建前であって、メヌエットが書かれているとは限らないという解説を書いた。モーツァルトはウィーン宮廷に就職する際にウィーン四重奏曲を書いた。したがって、形骸化したメヌエット楽章表記に関わらず、ここでは本来のメヌエットを書いている。わずかに遊び心を入れて。
     ハイドンは第二回ロンドン旅行で、ハプスブルク家の支配する神聖ローマ帝国にも国歌が必要と考えた。第二楽章に国歌が置かれた。こういう事情で書かれた「皇帝」では、メヌエット楽章にフランスの曲であるメヌエットを書くわけはない。ルイ14世の流行らせたフランス宮廷の曲なのだから。ちなみにアメリカ国歌はメヌエットである。皇帝讃歌の国歌のほうはガヴォットを基調としているので楽譜上は弱拍から始まるが、実際は神Gottから歌詞が始まるので強拍となる。音域から最後の歌詞のリフレインは合唱による斉唱を前提にしていることがわかる。ハプスブルク家の滅亡後に、ドイツ国歌に採用され、現在のオーストリアの国歌は別である。メヌエット楽章では、メヌエットの代わりにドイツ語圏の舞曲であるレントラーを置いた。作曲時にナポレオンがオーストリア領だったミラノ周辺、ロンバルディア地方を占領したので、そこのリズムである逆付点を取り入れて、抗議している。その後のナポレオン侵攻は続き、ウィーンへの砲撃の最中にハイドンは亡くなった。
     シューベルトは第4番で古典組曲のように舞曲を四曲組合せた。タランテラ、シチリアーノ、パスピエ、ワルツである。タランテラはシューベルトはこの後は終楽章に持ってくるようになる。メンデルスゾーンも使うようになった。主題の繰り返しに伴い徐々に加速し、最後は疲れ果てる舞曲。メヌエット楽章はもちろんメヌエットではなくて、パスピエである。パスピエは古くはモンテヴェルディのオペラ、オルフェオにも見られる。バッハも使ったが、ウィーン古典派ではまず使われない。サリエリからイタリア音楽を学んでいたシューベルトならではの選択と言えよう。ブラームスが特に愛用し、友人ビルロートとの文通でパスピエを重要視した文面がある。ちなみにドビュッシーのベルガマスク組曲にパスピエという曲があるが、こちらはもともとの曲名パヴァーヌから諸事情でタイトルを付け替えただけなので、本来のパスピエではない。シューベルトに話を戻そう。トリオ(中間部)はワルツだが、終楽章のワルツとは異なるタイプ。両者は融合して後にウィーン独特のワルツとなるが、この時点では分かれている。
     メンデルスゾーンはスケルツォとして、シンコペーションを用いてステップを踏めないワルツと、トリオとして陰鬱なワルツを書いた。スケルツォとは本来、冗談音楽の意味ではあるが、これは敢えて音楽的な常識に逆らって表現するものであった。スケルツォが楽しいというのはウィーン古典派の範囲で、ロマン派は異なる。もともとメヌエットでもスケルツォとして短調は用いられていたが、ロマン派での短調舞曲の陰鬱さは不気味さを兼ね備える。ロマン派文学で悪魔など幻想的主題が流行り、その影響を音楽も受けたからだ。例えばトマス・ド・クインシーの「阿片中毒者の告白」に影響されたベルリオーズ作曲の幻想交響曲がある。なお、深刻なスケルツォはブラームスが引継ぎ、ロシア、特にプロコフィエフに引継がれた。ロマン派文学の影響は今日においても多くの作品に影響があり、有名なものではハリー・ポッター、マイケル・ジャクソン「スリラー」、漫画ワンピース、ディカプリオと渡辺謙が共演した映画「インセプション」(2010)などがある。芸術の主要なスタンスとして、弦楽四重奏曲の歴史においてメンデルスゾーンのこの曲は重要な作品である。
      竹内康高(たけうちやすたか) 上記の解説には著作権があります。
     
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    Save East Japan 室内楽コンサート

    12/10(土) アクトシティ浜松 音楽工房ホール 18:30

    Save East Japan室内楽コンサートちらし

    今年は日本にとってつらい年であった。震災直後、東京と浜松ではかなりの意識差があった。東京では帰宅難民の発生、計画停電、放射性物質の飛来などあり、東京駅は薄暗く人は閑散としていたのに、浜松駅はまばゆいほど明かりがともっていた。新幹線で日々往復すると両地での意識の差が感じられ、そこから推測するに、とても東北のことなど実感できないであろうと思った。当初予定していた和やかな明るい曲目を演奏することはとても考えられず、シューベルトをやめてラフマニノフに変更し、今回のタイトルとしたのが3月末。震災から早くも9カ月が経とうとしている。東海大地震が来るといわれ、浜岡原発のある静岡県にとっても東日本大震災は他人事でなく、年の瀬の今こそ改めて被災地のことを思わねばなるまい。今回の入場料は日本赤十字社へ震災義援金として寄付させていただく。各曲に震災復興に必要なキーワードをつけてみた。

    【安心】まずは60歳手前の大作曲家ブラームスの安らかなピアノ曲から聴いていただこう。

    【復興】ラフマニノフは交響曲第1番の失敗から立ち直り、ピアノ協奏曲第2番を、さらに交響曲第2番への布石にチェロソナタを書きあげた。そのため、かなり雄大なチェロソナタとなっている。なお、序奏のモチーフが全楽章を通して非常に重要で、苦悩からの脱却の過程が4つの楽章を通じて感じ取れるだろう。

    【次世代へ】ショーソンはフランスの作曲家で、法律を学んだあとにパリ音楽院へ入った。「詩曲」はツルゲーネフの小説(三角関係ドラマで、男性ヴァイオリニストが女性に音色で催眠をかけ、最終的に友人画家に殺されるが、新たな命が女に宿る)から得た神秘的な印象をヴァイオリンと管弦楽のために交響詩的に作曲されたもの。なお、作曲の3年後にショーソンは自転車事故により44歳で亡くなった。

    【成熟】最後にブラームスの三重奏。彼は若い時の作品は未熟だとみなしてほとんど破棄しているが、この曲だけは残して37年も後に改変している。第1主題はそのままだが、第2主題は全く新しく作り変えており、21歳の若きブラームスと58歳の成熟したブラームスが合作したかのような、抜きんでて優れた作品となっている。本日最初の間奏曲と作曲・編曲年が近いので、第3楽章と連想してみると面白いだろう。 (竹内)

      S.E.J(Save East Japan 東日本を救え)にちなみ、
    S,E,Jの名を持つ作曲家によるプログラム
    それぞれの名はセルゲイ、エルンスト、ヨハネスです。

    S. ラフマニノフ:チェロソナタ ト短調 Op.19
    E. ショーソン:詩曲 Op.25
    J. ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op.8

    ヴァイオリン 印田千裕
        チェロ 竹内康高
        ピアノ 山田美帆

     
    2010
    2010後期ちらし表  

    TSQ 2010

    10/29(金)東京オペラシティ近江楽堂 19:00
    11/28(日)アクトシティ浜松 17:30

    ハイドン:弦楽三重奏曲ト長調 Hob.V:20
    ハイドン:太陽四重奏曲第5番ヘ短調 Hob.III:35
    ボッケリーニ:弦楽四重奏曲ニ長調Op.8-1 G.165
    モーツァルト:ハイドンセット第6番ハ長調「不協和音」K.465

    左の画像をクリックすると拡大表示します。


    当日配布プログラム

     

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