大阪窯業線

八王子の長沼町にはかつて大阪窯業と言う煉瓦工場がありました。この大阪窯業と言う会社が設立されたのは明治30年で
現在の打越中学校の近く、湯殿川沿いに建設されました(当時は八王子煉瓦製造株式会社、大正元年に大阪窯業に合併される)。

当時鉄道建設には煉瓦が使われる事が多かった様で(トンネルアーチや鉄橋の脚部)大阪窯業長沼工場からも多くの煉瓦が
嫁いでいきました。しかし昭和7年に同工場は火災により閉鎖されてしまいます。長沼工場からさほど遠くないところに
日本煉瓦製造という会社があり(東京都日野市)こちらの煉瓦の方が多く使われた様です。・・・で今回廃線を辿ったのは八王子駅からこの
長沼工場への引き込み線跡なのですが戦前に廃止になっている為に「全く」と言って良い程判りませんでした。
以下に廃線跡を辿りますが「恐らくココら辺だろう」と言った推測が中心になっている事をご了承下さい。



1950年の地図です。道路も整備されていない為に国道16号が写っていません。この地図を元に歩いて行くのですが
ポイントとなるのは京王線をオーバークロスする箇所と終点部の所です。
工場のあった所を見ると浅川(多摩川の支流)から分岐している湯殿川が工場のあった場所のすぐ裏手を流れています。
工場に必要不可欠な「水」、意図的にココに建設した物なのでしょうか。まずは分岐箇所へ行きます。



地図で見ると判る様に引き込み線は八王子駅を出た横浜線より分岐しています。分岐箇所は高い所を走っている為に
写真では判りづらいのですが大きく膨らんでいる箇所があり「なんとなく」ここが分岐点であった事が判ります。



線路跡のカーブに沿って建ったアパート。奥が横浜線、八王子市子安町1丁目となっています。



左の青いアパート部を走った線路は道路を横切って進んでいました。この引き込み線が現役の時にこの道が存在したかは不明です。



線路は土手を走ったまま京王を跨いでいました。1つ上の写真の右手民家の裏には現在も大阪窯業引き込み線の橋桁が1本だけ
残っています。廃線から70年余、唯一残鉄道が走っていた事を知らせてくれる物でした。写真は京王本線で奥が八王子です。



こちらは先程の京王を跨いでいた橋桁ですが良く見ると上部の向きが正面を向いていません。つまり京王線と大阪窯業の
線路は十字にクロスしていた訳では無くX字に近いスタイルで交差していたと思われます。これは地図でも確認出来ます。



こちらの写真は京王との交差部分から180度向きを変えたもの。線路は道路右手の民家の中を走っていました。
尚、京王電鉄(当時は京王帝都電鉄)の京王八王子-北野間の複線化は昭和45年である為に複線化までこの橋桁の反対もあったのかも知れません。



ちょっと距離を置いて橋桁を撮影。この橋桁ですが私は小学生だった頃から「何だろう?」と思っていました。



線路はこの公園を突き抜けていたと思われます。写真奥が長沼工場になります。



地図通りすぐ横には中央線が平行しています。なんと2本しか走っていない201系が2連続で通過です(現在は全廃しています)。



煉瓦工場が操業していた頃には無かった国道16号バイパス。線路は恐らく奥の緑部へ続いていたと思われます。



北野保育園。奥には中央本線が見えています。地図から読むにここら辺までは中央線と並走、この北野保育園
辺りから引き込み線は南下を初めている様に思えます(あくまで地図を参照にしての予想です)。



この道路も操業中にはなかった物です。この道を左から右手へ線路は通っていた(と思われます)。



こちらが工場跡。今は下田公園になっています。道路の左手は打越中学校、写真を撮っているこのすぐ裏には湯殿川が
流れています。当時の事を示す物は何も無く痕跡はありません。線路が設置された時期や撤去された時期、路線が何故
横浜線から分岐させられ中央線と長く並走させているのか等謎が多い路線です。煉瓦輸送と時期を考えると非電化でしょうか。




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