日本の政治と経済の行方


 かなり大きなテーマで、僕など決して良く知っているわけではないのですが、どうも、新聞やテレビで本当のことが言われていない様なので、僕が気がついた幾つかのことを書いておきたいと思うのです。

 日本の民間の資産が1300兆円ある、とよく言われています。確かに、資産額としてはそのぐらいあるのかも知れません。しかし、例えば、地方銀行のペイオフの延期が言われていて、巨額な金額を動かしているはずの銀行は、大きなものから小さいものまで、ほとんどの銀行は不良債権に苦しんでいると言われています。

 銀行がつぶれると地方経済に影響が大きいからという理由で、銀行には公的資金が導入され、その資金を使って、多くのゼネコンへの債権放棄が行われています。これって、銀行を経由したゼネコンの救済ではないかと思ってしまいます。政府は公共事業の中止を多少したといわれていますが、どちらにしても、ゼネコンは利益をえて、負担を軽くされている面があります。

 もともとゼネコンと公共事業との結びつきが強く、ほとんどの地方都市では一番立派な建物は役所であったり学校であったりします。ダムと港、道路と土地改良事業などなど、地方へ行くと、果たしてこれってどのくらい利用されているのかな、という施設が多くあります。だいたい事業費の2パーセントから5パーセントぐらいがゼネコンから政治家・役所側へキックバックされるという話があります。これが第一の理由で、多くの地方都市で公共事業の肥大化が起こったはずです。そこに、公共事業の発注者と受注者の関係で、選挙での被支持、支持の関係が生まれ、どんどんと土木建築関係の業者数が増えていったわけです。しかも、多くの地方都市では国からの補助金が出るので、事業費の1割ほどの負担で箱ものが建つ。首都圏や地方の都市の人が田舎へ行って、そこの大きな建物やきれいな道路を見たら、その90パーセント近くはそこの住民ではなく都市の住民の税金で作られたものだと思って間違えではないのです。

 公共事業費を仲立ちにした発注者と受注者のもたれあい。日本の政権安定の秘密は、実際はこういったところにあった訳です。

 国や地方公共団体の借金は670兆円ほどあるといわれています。本当でしょうか。僕はまだかなりの隠れ借金があると思っています。郵便貯金から財政投融資へ回されている金の少なくとも数割は完全な赤字事業へまわされているはずです。また、地方自治体の事業でほとんど会計が公開されていないものも多くあります。例えば、下水道会計です。これらも工事を実際に行う業者への支払いは地方自治体が責任をもってきちんと行っているはずですが、財源の方はかなりの部分が一般会計からの借り入れであったり、銀行などからの借金であったりしているはずです。ですから、公共部門の借金は、実際は800兆円以上あるというのが僕の感覚です。つまり、都市に住んでいるにしろ、田舎に住んでいるにしろ、その生活のかなりな部分は公共部門の借金の上に成り立っているわけです。週刊ダイヤモンド2001年4・28,5・5号に、財政投融資の累計残高が載っています。なんと255兆円です。多分、この内、半分ぐらいが不良債権化する可能性があります。なんと同じ雑誌の別のページにはその金額が400兆円以上と載っています。

 これは、次のようにも説明できます。本来は毎年僕たちが払う税金の範囲で毎年の公共部門のサービスがまかなわれなければいけないのです。例えば、市営のプールに200円で入れるのは税金から補助が800円ぐらい出ているからです。つまり、その年、誰かが納めた税金の一部がプールの運営費の一部に当てられて、200円という入場料が維持できているわけです。ところが、実際は、そういうサービスがかなりな部分まで税収を上回る規模になってしまったわけです。快適に走りを楽しむことが出来る高速道路もきれいな水が出る水道も立派な役所の建物も、借金の塊になってしまったのです。もちろん、市営プールの200円の入場料も、本当は、借金です。市営プールを利用するために200円を、今、払うのは、本当は、将来、800円、または利子分が増えた1600円ほどを払うことを約束しているようなものなのです。ですから、本来、それらを作り、利用するために、直接僕たちの金が使われていたとしたら、民間部門の貯蓄は、その分、減らなければなりません。1300兆円引くことの800兆円は、500兆円です。

 日本の海外債権額が世界一だという話も時々出ます。しかし、昭和60年代の円高を支えた土地の高騰により、日本の中小企業は生き延び、設備投資をすることが出来、円高を乗り切ることが出来たわけです。つまり、日本の輸出のかなりの部分は、土地を担保にした銀行の中小企業への融資によって支えられていたといっていいのです。土地バブルがはじけ、旧共産圏の安い労働力が世界貿易に組み込まれるにしたがって、日本企業の苦戦は激しくなっていくでしょう。銀行の不良債権も、このような背景があるから、毎年増え続けているわけです。つまり、土地の値段が下がり続けることにより、不良債権は増え続けるわけです。また、比例して、日本の資産額は減っていくわけです。

 非常に大まかに見れば、今までの日本は、国が借金をして、それを公共事業に使い、その結果、景気が良くなって国全体の経済が回り、輸出が増える、というサイクルの上に乗っかってきたと言えます。然し、このサイクルが、本来成り立つものであるなら、ほとんどの国でそれをやっているでしょう。

 本来、公共部門の金というものは、個人の金ではないため、どうしても多くの場合、非効率な使われ方をしてしまうのです。その分を補って余りある利益があがらなくては、このサイクルは成り立ちえません。これが、多くの国で、日本と同様なことが出来ない理由です。

 日本がそれを出来たのは、まず第一に、共産圏への砦としてアメリカに保護されてきたからにほかなりません。アメリカからの技術移転が自由にされ、その結果として、ほぼ輸入障壁なしに自由にアメリカへ輸出できたということです。次に、戦後の日本に比較的安い労働力が豊富にあったことです。つまり、日本の国民全体がかなり若かったということです。団塊の世代が20代から30代、40代になるに従って日本経済自体も右肩上がりに成長を遂げていったわけです。しかし、今、言った様に、団塊の世代が50代に入るに従って、安い労働力は無くなって行き、共産圏の崩壊に伴った世界貿易の進展により加速度的に日本経済の沈下が始まったわけです。つまり、この右肩上がりのサイクルが成り立ちえなくなったわけです。成り立ちえなくなったサイクルを支えたのが土地バルブであり、それに乗っかった銀行融資であったわけです。多分、だいたい、昭和の40年代の終わり頃の生活水準が日本にとって、ちょうど良いものであったのではないでしょうか。赤字国債の発行もちょうどその頃に本格化しているわけですから。

 では、どんな解決策があるのでしょうか。僕は農業の企業化にその鍵があるように思えます。以前農村から都市への人口移動によって支えられた工業の発展を逆向きに考えて、都市から農村への人口移動を農業の企業化により推し進めるのです。それにより、地方都市の土地の価格を押し上げ、日本全体の財政基盤の柱にするのです。

 農業といっても、色々あるはずです。田んぼに苗を植えて稲を育てるだけが農業ではないはずです。工業化とは違った意味で、ハイテク農業が考えられると思うのですが、どうでしょうか。

 共産圏では農業の集団化が失敗しましたが、企業としての農業が失敗するとは限りません。会社がつぶれたら飯の種に困ると思えば、個人所有でない農産物にも愛情が湧くでしょう。

 基本的に、間違えなく関東大震災はやってきます。その時に、今のような東京・神奈川・埼玉・千葉のような状態では、壊滅的な打撃を日本全体が受けることになるでしょう。東京を始めとした都市は、人口を減らすことによって、震災対策は立てやすくなるはずです。都会から田舎へ、これが出来るかどうかが、日本再生の大きな鍵であるはずです。

 もちろん、技術立国も必要です。しかし、インターネットが普及するに従い、国際化の波は急速に普及し、技術移転も簡単に行われるようになるでしょう。日本のような高齢社会が今後、世界の若い国に競争で勝っていくのは、とても難しいでしょう。農業の企業化による人口の地方分散、それによる地方大学の活性化。これが、技術立国への着実な道ではないでしょうか。

 他にも、農業の企業化のメリットがあります。農村地帯への今までの投資が意味のあるものへ変わってくるのです。今まであまり使われなかった道路や建物が、人口増加により意味のあるものへ変わっていくはずです。

 同時に税制自体も改めて、地方分権を推し進めれば、税金の無駄使いも減り、国の財政も建て直しがしやすくなるはずです。

 現在言われている、高齢者から企業へのお金の移動は、あまり良いものとは思えません。高齢者に、税の優遇を認めて、株を買わせるというものです。基本的に、日本の企業の大部分は衰退するはずだからです。それに、高齢者のお金は老後を快適に過ごすための社会基盤つくりに当てられるべきです。つまり、土地の債権化みたいに、高齢者施設そのものを、そういった債権化の対象にするのです。高齢化施設への入居者自体が、そういった施設のオーナーになれば、施設での待遇の問題も起き難くなるでしょう。具体的に言えば、企画や建設段階から、将来の入居者にオーナー権を販売するのです。当然、会計や企画、人事に至るまで、それらのオーナーに公開し、オーナーの意思を尊重することになります。

 ともかく、団塊の世代が退職年齢を迎えるこれからの5、6年が長期的な日本の繁栄または衰退の鍵を握ることになるように思えます。本来、昭和の50年代に行えば、すんなりと、あまり犠牲も払わずに出来たはずですが。

 もう少し、違った方角から今までの日本経済を見て見ましょう。きちんとし数字は知らないのですが、日本の民間部門の経済規模と公的部門の経済規模を比べると、民間部門よりも公的部門の方が大きいと聞いたことがあります。これは従事者の数から言っても同じことが言えて、純粋に民間部門に属する人と公的部門の従事者では、公的部門の従事者の方が多いとのことでした。これに加えて、日本の伝統である、官による民に対する規制の厳しさがあります。民間に対する規制で明文化されているものも多いのですが、明文化されていなくても、運用として、ほぼ規制と同じような効果をもたらしているものが多くあります。中には、法律として明文化されているのに、今までの慣行から、ほとんど使われていない法律もあるといいます。それは行政手続法です。つまり、不利益処分を官庁から受けた場合は、その理由を文書で示すことを官庁に求めることが出来るというものです。実際は、ほとんど使われていないということです。なぜ、民間人(多くの企業を含みます。)が行政手続法を使わないかというと、「江戸長崎」つまり、「江戸の敵を長崎で討つ。」が怖いからだということです。江戸で起きたことの影響が全く本来は関係ないはずの長崎に現れるということです。つまり、下手に行政に逆らうと、何時、どこでその反動が現れるかわからない、というものです。

 これはつまり、その時々の官僚組織が、日本の社会全体をかなりな程度までコントロール出来るという意味です。官僚組織は、日本においては長期政権を築いてきた自由民主党とほぼ同義です。現代において、この問題がもっとも顕著に、特徴的に表れているのが、マスコミです。テレビ局を例に取ると、4強1弱1番外地という表現があるそうです。NHK、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビが4強、テレビ朝日が1弱、テレビ東京が1番外地です。これは、それぞれの企業の財政基盤の強さを表しているそうです。これと、それぞれのテレビ局の報道姿勢、週刊誌などに暴露されるそれぞれのテレビ局のスキャンダルを比べると、面白いものがあります。ただし、単純な話ではありません。どの局も、政府に対して厳しく報道することもあれば、本来、政府に批判的なことの多い局が政府に好意的に振舞うこともあります。ですから、長期的に見て、いろいろな出来事が起きた時に、どの局がどんな報道姿勢であったかを見ることです。
 最近最もこの差が歴然と現れたのが、テレビ朝日のニューススティションの所沢ダイオキシン誤報道問題でした。ニューススティションの報道がきっかけになり、所沢でのダイオキシン対策が急激に進んだのですから、問題定義の意味は大いにあったのです。それまでは、ダイオキシン濃度の公表さえ、ほとんど行われていなかったのですから、このことはほぼ客観的な事実であると思います。しかし、そのことを取り上げる局はほとんどなく、ある局はニューススティションのダイオキシン測定サンプル数がいかに少ないか、ということだけに焦点を絞った報道をしていました。
 同様に、前回の衆議院選挙で大量にばら撒かれたとされる共産党へのデマビラについての報道がいい例です。選挙前の報道では、共産党のかなりな躍進が予想されていて、それを妨害するためにデマビラが大量にばら撒かれたという事件です。選挙後、共産党幹部がそれらのデマビラを握り締め、テレビを通じていかに卑劣なビラであったかを訴えようとするのを、キャスターたちが止める姿が幾つかのテレビ局の番組で見られました。このビラについては、新聞も週刊誌も、自分が見た限りでは、ほとんど取り上げなかったように思います。
 オウム真理教の松本被告の主任弁護人を務めている安田弁護士が逮捕された時も、ほぼ同様なことが起こりました。普通だったら絶対に犯罪にならないごく正常な弁護士業務を、違法行為とみなされ、安田弁護士は逮捕されたのですが、そのことは、テレビ、新聞とも、ほとんど報道せず、もっぱら、インターネット上の幾つかのウェッブサイトで、そのことが言われただけであったと思います。どのマスコミとも、安田弁護士が完全な犯罪者であるかのような報道をしていったわけです。
 他にも例があります。自民党代議士であった新井将敬の事件です。彼は主に証券会社の幹部の証言により、逮捕状を請求され、事件化していったわけです。それに対して、新井将敬代議士は、「証券会社との電話での会話の録音がある。」といって、マスコミとの記者会見に臨んだわけです。しかし、そのテープの内容はほとんど全く報道されませんでした。多分、そういうテープが存在していたことさえ、多くの人は知らないのではないでしょうか。ただ、裁判になれば、ある程度録音テープは証拠になるわけです。しかし、彼は実際に逮捕される前に自殺してしまいました。自殺後、多くのマスコミに、新井将敬が、自ら自殺をほのめかすようなシーンが繰り返し流されました。彼が問われた犯罪事実は経済的なことであり、多分、一般的に言って、そんなにひどい犯罪とは考えられないものであったはずです。直接的に第三者を傷付けたわけでもなく、容疑として、証券会社と裏取引したということだけだったのですから。しかも、証拠としてテープがあると言っていたのです。なぜ、彼は、裁判でそのテープを証拠として使う前に自殺しなければならなかったのでしょう。
 本来、このようなマスコミの報道姿勢は、一般の民衆により批判され、正されるべきものです。しかし、日本においては、メディアリテラシー、つまり、マスコミ情報をどう批判的に評価していくか、という教育が全くされていません。欧米においては、小学校段階から、色々な機会に行われるメディア教育は、日本においては、ほとんど行われていません。つい先日(多分、2001年4月末)二酸化炭素の排出量削減交渉の京都議定書をアメリカのブッシュ政権が批推しないというニュースが流れました。それに続いて確か、「自民党及び森首相は、環境庁などに、引き続き全力でブッシュ政権に対し、京都議定書に賛成するように交渉せよという指示を出した。」というニュースが流されました。多分、国会で議決すれば、全政党が賛成するだろうことに、なぜ、自民党一党だけが動いているかのような印象を与えるニュースが流されてしまうのか。メディア教育が行き渡っていれば、このような報道は、もともとされないでしょう。
 以上のことをまとめると、日本という国は、まるで共産国家であり、一党独裁の政権の元、一般大衆が支払った税金などを財源に、一般大衆を支配しコントロールする仕組みが動いているということです。これって、まるで、銃で脅されて、やがて殺されて自らの体が埋められる穴を、自分が掘らされているという状況に似て居ます。
 多分、こういった官僚支配、政権政党支配の構造は、財政的な裏付けだけで可能になったものだとは思えません。財政的な支配力を表の支配力とするなら、裏の支配力があると考えることが出来ます。これが、多分、警察、公安警察の存在理由です。
 公安警察については、幾つか本が出ています。「週刊金曜日」という雑誌(ほとんど広告を取らず、基本的には、予約購読者だけに出している雑誌。)には、元公安警察の一員だった方の記事が出ていました。民間の協力者を得る手口が公開されていましたが、大変巧妙なものです。相手の趣味や性格の弱みまで調べ上げ、さも偶然そうに近づき、親しくなっていくというものです。その後、協力金として、場合により、月数10万円が渡されるとのこと。しかし、どうやって、相手の性格の弱みまで調べ上げるのかは、書いてありませんでした。多分、これだけに限っても、色々な手口があるのでしょう。また、当然、協力金にも、色々な問題が付きまとっているのでしょう。

 ともかく、なんにしても、日本は情報公開があまりに無いのです。例えば、色々な企業の納税額を調べようとしても、インターネットではほとんど調べられません。地方公共団体の予算決算状況も同じです。我々が払った税金の使い道が、情報公開法を使って申請し、コピー代まで払わなければ、明らかにならないのは、おかしい事ではないのでしょうか。しかも、警察関係の場合、情報公開の対象からほとんど外されているのです。

 一般的に言って、小さな不正が見逃されるのは、見逃している側がもっと大きな不正を働いているからです。漫画の「カムイ伝」にこんな場面があります。ある事業主が現場の作業員の不満を抑える場面です。作業員の中でちょっと他より力のありそうな者を選び、彼の待遇を少しだけ上げるのです。その代わり、他の作業員を抑えさせる。それで終わりです。
国民一人が一円損をするような不正があったとして、全体で1億6千万円。「一千万円を上げるからお前はこのことを黙っていろ。一人一円じゃないか。俺に1億5千万円残ることはお前には分からないしな。」こんな形の不正がかなり多く行われているのではないでしょうか。

 全く話題につながりがないのですが、日本の首相の公選制について、だいぶ話題が出ていますね。憲法改正をすれば、大統領制のように、直接選挙で首相を選べると言うものです。確かに、政党の選択をすることなく、一般の人たちが直接国家のリーダーを選べるのは魅力的です。しかし、現在の首相は、議院内閣制ですから、議員が自分が次の選挙で落選すると思えば、内閣不信任を可決して、内閣の暴走を止めることが出来ます。多分、国民の直接選挙になれば、任期4年とかは、原則として途中で辞める必要がないことになるのでしょう。その間は強烈なリーダーシップでいろいろな改革が出来る、ということです。改革ならいいのですが、改革でない場合もあります。韓国の金大中大統領の場合も、就任当初90パーセントほどの支持率が、現在は10パーセントを割るほどになってしまったとか。それでも韓国では、インターネットが整備され、色々な規制緩和も進んでいると言います。日本の場合、ただただ公的資金の銀行などへのつぎ込みだけが目立ち、銀行の経営者(多分、大蔵省の担当者も含む)の刑事責任追及は全くされていません。バブル当時、担保価値の150パーセントとか200パーセントの貸し込みをかなりやっていたのですから、その法的責任は、かなり簡単に追及できるはずです。今その追及が出来ないのなら、少なくとも、今後はそれをやっていくと、色々な機会にマスコミに流すことが必要です。小泉さんのやり方は、多分秤量攻めのようなやり方なのでしょうが、日本のような馴れ合い社会では、とてもうまくいくとは思えません。個人の責任をきちんと問うて行くことが必要です。当然官僚や政治家の上層部、多分警察や検察の上層部にも影響が出るでしょう。
 また話題が違いますが、文部省(もう名前が変わりましたっけ。)も、日の丸掲揚にばかり熱心にならず、女子生徒のスカートを正常な長さにすることにもう少し熱心になったらどうでしょうか。アメリカやヨーロッパの国から見ても、アジアの多くの国から見ても、日本の中学高校生のスカートの丈の短さは異常です。文部省が何も言わないのは、丸で文部省自体が、この事態を利用しているように見えます。

次に、「エシュロン」についてです。正式な訳語があるのかどうか知らないが、アメリカを中心にする旧英連邦国家の非常に大掛かりな盗聴システムです。電話はもちろんのこと、ファクッスやe-mail、データ通信などのほとんどの通信を傍受できていると言う話です。。その基地が日本にもあるといいます。テレ朝のサンデープロジェクトでも取り上げましたし、朝日新聞などでも取り上げていたのを覚えています。インターネットでもサーチエンジンで引けば色々この関係の記事は多く出てくるはずです。僕が不思議なのは、技術的な話、つまり、エシュロンがデータ傍受をするのに、どんな方法を取っているか、という話がほとんど出てこないことです。傍受方法がわかれば、それを防ぐ手立てを考えることができます。傍受方法についての報道はないと思うのですが、傍受したデータのチェック方法は報道されています。つまり、キーワードが決まっていて、そのキーワードが含まれているデータをコンピューターで自動的に抽出し、行政側がチェックすると言うことです。インターネットの急激な普及により、コンピューターの処理能力が間に合わなくなって、より大型のものに取り替えたとかいう話も聞いたことがあります。問題は、データをどう傍受するかなのです。いくら精巧なレーダーを使っても、電話線の中を通るデジタル信号やアナログ信号を外側から読み取るのはできない様に思えます。ヨーロッパなどでは、エシュロンの影響で、大きな契約がアメリカの会社に取られたとの文句が出ているとの事ですから、電話会社が公的に協力しているとはあまり考えられません。少なくともヨーロッパの一部では電話会社の公的なエシュロンへの協力はないはずです。そうすると、電話回線の交換機か、パソコンを始めとする全ての種類のコンピューターに、何らかの傍受システムが組み込まれていると考えるしかありません。事実、パソコンの主流OSであるウインドウズにはencript(?)とか言う、暗号化に関連したプログラムが含まれているとの事。考えてみれば、ウインドウズの急激な普及には不思議なことが多くありました。一つは、初期にはどう見てもアップルのソフトの方が使い勝手が良く、アップルの優勢が言われていたのに、アップルが結局負けてしまったことです。次にIBMとの戦いにも、ウインドウズが勝ってしまったことです。OS2WARPとか言うIBMのOSがウインドウズに負けてしまったのです。その次が、アメリカ司法省とウインドウズの製作販売会社であるマイクロソフト社の裁判です。あまり詳しくは書きませんが、細かく見ていくほど、どうにも不思議なことが多く見えてきてしまいます。