本文へスキップ

ようこそ、日本ホーリネス教団「宝塚泉キリスト教会」のホームページへ。

【教会の標語】
私たちの教会は、私たちと周りの方々が「神の愛」にあふれるために、
開かれた教会     あたたかい教会     ひとりを大切にする教会
を目ざします。

Profile宝塚泉キリスト教会のプロフィール

  • 教会の紹介

    当教会は阪急電車中山駅、山本駅、JR中山寺駅から山手に向かって徒歩15分ほどの静かな住宅街の中にあり、日本ホーリネス教団の近畿教区、【泉グループ】に属しています。

    宝塚泉キリスト教会がこの地に生まれたのは、一人の女性の熱い祈りがあったからです。1973年四国のホーリネス新居浜教会の信徒であった一人の主婦が、ご主人の転勤で宝塚に住むことになりました。ある秋の日、庭の落ち葉をかき集めていたときき、その黄や赤に色づいた枯葉の美しさに心を奪われていました。しかし、2・3日後、その葉は黒く生命がないように汚くなっていました。彼女はそれを見て、宝塚に神様を知らないで、この枯葉のように朽ちていく魂があるのではないかと悲しい気持ちになりました。この時から彼女は一人でも二人でも救われるようにと祈り始めました。その後新居浜から新たにもうひと家族が転勤して来られました。その時、新居浜から転勤してきたふた家族は豊中泉キリスト教会に通っていましたが、1975年10月から家庭集会を始めました。やがて豊中泉キリスト教会から株分け教会として、1984年4月15日に第1回の礼拝が持たれました。そして同年11月に会堂が建ちましたが、教会をと祈っていたその方は、病のために会堂が完成する前の1984年8月29日に天に召されました。
    2016年版の【教会案内】がここからご覧になれます。
  • 教会の略史
    1973年 新居浜ホーリネス教会の会員であった津根清志、美代夫妻が転勤により宝塚に来られた。美代姉は庭の落ち葉が一晩で枯れるのを見て、周囲にいる宝塚の多くの人々も真の神様を知らないままに次々と滅んでゆく事を思い「宝塚にも教会をください」と神に祈られた。
    1977年 8月同じ新居浜教会の和田忠三、安子夫妻が同じ会社の転勤で宝塚に来られた。津根夫妻と和田夫妻は「宝塚に教会を」と家庭集会で祈っておられた。
    1981年  豊中泉教会が豊中使徒教会から株分けされたが、豊中泉教会の岡田邦夫牧師は宝塚に教会が必要であると共感された。
    1982年  豊中泉教会の臨時総会で宝塚開拓が承認された。辻カヲル姉から現土地が寄贈された。 
    1984年  ホーリネス教団にて「宝塚泉キリスト教会」の設立が認可され、4月8日 派遣式、4月15日 第一回礼拝。
    岡田邦夫主任牧師就任、西岡義行副牧師就任。 西岡師は熱心にチラシを配布され会員を募り教会の共同体としての基礎を起こされた。 6月 新会堂起工式、 11月 献堂式。
    1992年 副牧師として尽力された西岡義行師は退任され、アメリカへ留学された。
    杉野順子師が就任。 チャールズデュプリ、ジョアン宣教師夫妻により、バイブルクラス、クッキングクラスが支援された。 杉野師は慈愛にあふれた教会経営をされ、多くの会員が興された。
    3月15日 第二期工事後初めて新会堂で礼拝、4月 献堂式。
    1996年  宝塚泉、豊中泉、みのお泉教会合同40周年伝道会。
    1998年 三田泉教会、株分け
    2004年  土屋正幸師就任
    2007年 松沢実喜男師就任、この後減少していた礼拝出席者数がやや回復。 
    2010年 教会墓地、納骨堂完成 
    2012年  大西一功師就任、現在に至る。
  • 信仰告白

    使徒信条
    我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。 主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。 かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。 我は聖霊を信ず。 聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。
    アーメン
  • 日曜日は教会へ

    礼拝はどなた様でも御参加いただけます。 当教会では、毎週、定期的に集会を行っています。他にも、不定期ですが集会、催し物を行っています。予定表/Scheduleでお確かめのうえ、是非お越し下さい。

〒665-0875
宝塚市中筋山手5-5-21
TEL 0797−88−5069
FAX 0797−88−5069