北米論A アメリカの社会と文化100 1

ブロードウェイ・ミュージカル入門

Crash Course for Broadway Musicals

隅井孝雄9/27/2007木曜日

 龍谷大学 国際コース

 

1. 最近のブロードウェイ事情

最近ニューヨークの演劇街ブロードウェイが好調である。2006年−2007年の観客動員は1231万人、興行収入は93900万ドル(1127億円)に達して毎年記録を更新中だ。毎週24万人が劇場を埋め、1800万ドル(22億円)が落ちる計算となる。

ひとつのミュージカルの平均制作費は700万ドル、7.7億円といわれている。ミュージカルの大型化が進み、最近のヒット作である「ウイケッド」は1400万ドル、16億円という記録を作った。

ブロードウェイの界隈を中心に毎晩30ほどの作品が上演されているが、そのうち12作品は5年―10年以上続くロングランである。今年のトニー賞の「春の目覚め」はじめ昨年のトニー賞「ドラウジー・シャペロン」、一昨年のトニー賞「アベニューQ のほか新作の「グレイガーデンズ」、「カーテンズ」、「メリーポピンズ」、大型作品「ウイケッド」、リバイバルの「コーラスライン」などが人気を博している。また「オペラ座の怪人」、「ライオンキング」、「レミゼラブル」などロングランものが依然として人気だ。

開幕したが不人気ですぐ幕を閉じる不運なミュージカルもある。一週間持たないで幕を閉じると、5億円、7億円の制作費は回収不可能となる。一方最近の大ヒットになったミュージカル「ヘアー・スプレイ」はすでに制作費の10倍、7000万ドル、78億円売り上げた、この先ロングランが続けば、投資は20倍、30倍になって返ってくることになる。ミュージカル投資はギャンブルといわれるゆえんだ。

 

2. ブロードウェイとは

ブロードウェイはニューヨークを斜めに縦断する大通りである。40丁目から56丁目の15ブロックに約40の劇場が密集している。特に劇場の多い45丁目を劇場小路 Theater Rowと言う。一連の劇場群を通りの名をとってブロードウェイといい、ここでミュージカルと演劇が毎日、毎晩上演されている。月曜は休みだが土日はマチネー(昼公演)もあるから、一週間に8回公演することになる。

これ以外の地区に点在している劇場はオフ・ブロードウェイと言う。小さい劇場が多く、前衛的なもの、意欲的なものが多い。あるいは非営利の公共劇場もある。オフで成功してブロードウェイに上がってくるものもある。完全なアングラは、オフ・オフ・ブロードウエイという。倉庫の地下室のような部屋で若者が夢を賭けて熱心に演劇を上演する。

42丁目は1960年代に一度荒れ果てたが再開発が進み、今では1950年代以上の輝きを見せている。大資本のディズニーが42丁目の角のニューアムステルダム劇場を全面改装しライオンキングをロングランしている。歴史ある劇場を改装したフォード劇場も1997年華やかにオープンした。

この周辺には多くのレストラン、ダンススタジオ、演劇関係のオフィスが密集している。

ブロードウェイにはハリウッドスターが数多く出演することでも知られている。ブロードウェイで成功しなければハリウッドでも一人前のスタートは認められないからだ。オードリー・ヘップバーンもハンフリー・ボガードも、マーロン・ブランドもみんなブロードウェイの舞台に立った。昨年来、ジュリア・ロバーツなど超大物が短期間ではあるが次々にブロードウェイの舞台に立っている。

ブロードウェイのど真ん中45丁目にシューバート劇場と言う老舗の劇場が建つ。この劇場はベネチア様式を用いて1913(明治44)に建てられた。今でもその時のままの姿でたっているランドマーク(歴史的建造物)である。この周囲には同じ頃建った劇場があり、取り壊しは出来ない市の条例もある。中には古い劇場をそのまま取り込んで建築された高層ビルもある。一時はポルノ映画館になっていたものが復元されたものもある。シューバート劇場は客席1600。それほど大きくはないため身近に舞台の動きを見る親近感がある。多くのブロードウェイ劇場はその程度のキャパシティーだから、歌手や俳優の息遣いも聞こえる。8000回以上のロングランを重ねたコーラスラインはこの劇場で生まれた。918日からそのコーラスラインのリバイバルが始まった。今回は一つ先の通り、56丁目の同系列の劇場で上演されている。

創始者は当時の一流劇場プロデューサーのシューバート兄弟だった。ブロードウェイの制作や上映のシステムを作り上げたことで知られている。

 

4. 9.11とブロードウェイ

2001911日、ブロードウェイは大きな打撃を受けた。貿易センター崩壊の後、タイムズスクエアーには人影が途絶え、観光客もアメリカに来なくなった。劇場は幕を閉じ、夜を徹してきらめいていたネオンも消えた。ニューヨーク市長(当時)のルドルフ・ジュリアーニは「ニューヨークの誇りであるブロードウェイの劇場街に、いつものように人々が戻ることこそが、ニューヨークがテロに屈しない証になる」と呼びかけた。

俳優や歌手もこの呼びかけに賛同、二日後の913日劇場は幕を開け、ニューヨークの近郊の人々は誘い合ってバスでブロードウェイにやってきたのだった。914日にはタイムズスクエアーに500人のブロードウェイスターたちが集合「ニューヨーク・ニューヨーク」のうたごえを響かせ、ブロードウェイへの支援と犠牲者救済を呼びかけた。

当時上演中だったのは23作品。俳優たちは人々の悲しみを舞台の演技で癒そうと懸命な努力を行った。それでも観客は半減、劇場スタッフや俳優の給料は25%カット、続行のめどが立たない6の新作品は打ち切られた。その後コメディを中心にブロードウェイは輝きを取り戻し、翌20022月には再び活気を取り戻した。観客の数が以前より6%も増えて上昇気流に乗った。

 

5. ブロードウェイはアメリカの希望

ブロードウェイ・ミュージカルはアメリカが生んだ、最もアメリカ的な文化である。

ミュージカルは移民が続々とニューヨークに流れ込んできていた時代に生まれ,移民と共に発展した。そこには世界各国の多様な文化の反映がある。

20世紀初頭に誕生したミュージカル。ブロードウェイの歴史は100年になる。

「オペラ座の怪人」、「オクラホマ」、「キャバレー」、「レント」、「美女と野獣」、「ウエストサイド物語」、「マイ・フェアー・レディー」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「キング・アンド・アイ」、「ファニーガール」、「プロデューサーズ」、「ライオンキング」・・・・。これらのタイトルはアメリカ人なら誰でも知っている。映画となって世界中にも知られた。

ミュージカルはアメリカが生んだアメリカ独自のパフォーミング・アーツである。マンハッタンミッドタウンの中心、ブロードウェイ沿いにミュージカル劇場が集中しているが、年一回その年の優秀作品を選ぶトニー賞が開催される。アカデミー賞と同様スターや劇場関係者たちが最新ファッションで集まるきらびやかな祭典である。年々ミュージカルが隆盛を極め、大型化しているが、最近のトニー賞は6000人も客席があるニューヨーク最大のエンターテインメントの殿堂ラジオシティー・ミュージックホールで開かれている。

 

6. 劇場資本家フローレンス・ジーグフェルド

19世紀の終わりごろニューヨークの下町では白人が黒人を演じる「ミンストレルショー」、ボードビルスタイルの喜劇、王子や美しい乙女が登場するヨーロッパ風の「オペレッタ」などがごちゃ混ぜになって上演されていた。観客の多くは働きづめに働いている移民であり、彼らはつかの間の娯楽を求めて集まった。移民をひきつけるには民族イメージを茶化したり、風刺したりすることが必要だった。世界の文化の融合である。

こうした頃、つまり20世紀の初頭、一人の興行主、今で言うプロデューサーがブロードウェイにやってきた。そして舞台をビジネスに変えた。それがローレンス・ジーグフェルドである。1907年、フランスのフォーリー・ベルジェールにならって、若い女性の踊り子たちによる、ジーグフェルド・フォリーズを上演して大当たりをとった。興行ビジネスの発祥である。舞台の上で世界のさまざまな国の文化が交じり合い、さながら人種のるつぼだった。こうして歌と踊りとコミック芝居が合体して、次第にミュージカルが形を作っていった。

1904年ブロードウェイと42丁目が交差するあたりの広場が整備されて新聞社の名前を取ってタイムズ・スクエアーと名を変え、さらに地下鉄が開通すると、ますます劇場が賑わうようになった。地下鉄のおかげでニューヨーク中から観客がブロードウェイにやってきた。

そのころ、こうした軽演劇の上演を請け負う興業主と言う劇場資本家兼プロデューサーがアメリカに登場した。シューバート3兄弟はニューヨークに31、全米に63、ロンドンに5の劇場を持つ国際興業資本として、劇場の成長に寄与した。

やがて20世紀。1900-1930にかけて41丁目ブロードウェイの角のメトロポリタン・オペラ劇場の周りに、小ぶりの劇場13が密集し、オペレッタ、ボードビル、ミンストレル、バーエスクなどが上演された。こうしたさまざまな演劇形態がアメリカ音楽と融合してミュージカルが形成された。シューバートはその後半世紀の間に500本の作品をブロードウェイに送り出し、ミュージカル全盛時代を築いた。

ミンストレル。白人が黒人に扮して、歌や踊りや寸劇を披露するショー。

ボードビル。寸劇、小話、踊り、曲芸を組み合わせたショー。

バーレスク。風刺的な寸劇とコーラスガールの歌と踊りを組み合わせたショー

ジーグフェルド・フォリーズ。ボードビルとバーレスクを大掛かりにしたレビュー。日劇ダンシングチームのレビューや、宝塚のレビューが原型を残す。

 

7. 第一次黄金時代。1910-40年代。

ブロードウェイに銅像がある。ミュージカルの最初の偉大な役者ジョージ・コーハンである。ヨーロッパからやってきたアービング・バーリンはラグタイムをミュージカルに持ち込んで次々にヒット曲を生んだ。彼の音楽はアメリカそのものだった。

1927年ジーグフェルドによって「ショーボート」が上演され、衝撃を与えた。きらびやかで楽しいミュージカルはややもすれば低俗な娯楽だと思われていたが、このミュージカルは、初めてアメリカの社会が抱える深刻で大きな問題に正面から挑んだ大作だった。

ジェローム・カーン、オスカー・ハマースタインの最初の本格的ミュージカル「ショーボート」は記録的なヒットとなった。そしてミュージカルを大きく塗り替えた。

19世紀初頭から第一次世界大戦を経て、第二次世界大戦に至る間1910年から40年にかけてミュージカルの黄金時代が築かれた。「ショーボート」を始め「キスミー・ケイト」、「オクラホマ」、「アニーよ銃を取れ」、「ポーギー・アンド・べス」、「回転木馬」などの名作が生まれ、その後繰り返し上演され、多くがハリウッドで映画化もされた。アメリカの新しい文化の誕生である。

アービン・バーリン、コール・ポーター、ジョージ・アイラ・ガーシュイン、リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタインなど作曲家、脚本家が続々と登場した。

第二次世界大戦中もミュージカルはしきりに上演され、大戦直後には「南太平洋」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」など背景を世界に広げた名作が観客を興奮させた。

 

8. 第二次黄金時代、そして今は第三次の黄金時代を謳歌

戦後の繁栄の中で、差別や貧困を克服して前進するアメリカ社会の中で、ミュージカルもまた新しい社会の動きを色濃く反映すものとなった。移民の若者同士の恋を描いた「ウエストサイト物語」、パジャマ工場の労働争議をテーマにした「パジャマゲーム」、ビジネスマンの悲哀を描く「アパートの鍵貸します」や「努力しないで出世する方」など日常性が描かれたミュージカルがヒットしたのもこの時期の特徴である。

この時期のヒット作品にはほかに「アニー」、「ジプシー」、「マイ・フェアー・レディー」などがある。

イギリスミュージカルの全盛時代

60年代の後半、アメリカはベトナム戦争の渦の中にあり、また若い世代を中心にカウンターカルチャーの時代に入った。ハリウッドですら、これまでの伝統と決別したニューシネマの時代に入った。ブロードウェイの周辺の治安が悪化したなか、時代の息吹やロック音楽を取り入れた新しいタイプのミュージカルが現れた。「ヘアー」、「ジーザスクライスト・スーパースター」、「コーラスライン」、「屋根の上のバイオリン弾き」、「エビータ」などである。

その中で「コーラスライン」を例外として、アメリカミュージカルは精彩を欠き、その後しばらくの間ロンドン・ウエストエンドからやってきたイギリス産ミュージカルにその座を奪われることとなった。

アンドリュー・ロイド・ウエバー、キャメロン・マッキントッシュがその中でも群を抜いて次々にブロードウェイを席巻した。「キャッツ」、「オペラ座の怪人」、「レミゼラブル」、「ミスサイゴン」などである。ロンドン産ミュージカルは記録的なロングランでアメリカミュージカルをブロードウェイから次々に追放していった。

90年代、ディズニーの参入

1990年代には新しい興行資本としてディズニーが参入、これまでとは異なった興行形態で大金を投じた作品を投入し流れを変えた。これまでのミュージカルはプロデューサーが資金を提供するバッカーを募って興行資金を調達するのが唯一の方式だったが、ディズニー自身が資金を出して制作するというこれまでになかった方式をとった。そして劇場もディズニーが新しくブロードウェイ42丁目の角の古い劇場を買い取って上演すると言うスタイルだったから、豊富な資金をバックにブロードウェイに殴り込みをかけた形となった。

結果としては「ライオンキング」「美女と野獣」などが大ヒットし、ブロードウェイには子供の観客がつめかけるなど、ここでもミュージカルの様相が一変した。

再びアメリカンミュージカル

長い間ヒットの恵まれず、リバイバルに頼りっきりだったアメリカミュージカルも2000年代に入って、「プロデューサーズ」、「マンマ・ミア」、「コンタクト」、「シカゴ」のヒットなどで再び観客数が上向き、活気が戻ってきた。そしてロングランのイギリスミュージカルが次々に撤退する穴を埋めている。9.11で打撃を受けたかと思われたが、逆に国内各地の観客動員に成功、海外の観光客も戻ってきている。

9.11以降の傾向としては「スパマロット」、ヘアースプレイ」のような明るくコミカルな作品に加え、アバの曲をドラマで色付けした「マンマ・ミーア」、60年代のコーラスグループフォーシーズンズの歌で綴る成功物語「ジャージーボーイズ」などジュークボックス・ミュージカルというジャンルも人気を得ている。また最近では19世紀後半のドイツを舞台にした純愛ロックミュージカル「春の目覚め」、1975年のドキュメンタリーを題材に、ジャクリーヌ・ケネディーとその周辺の上流階級を描く「グレイ・ガーデンズ」、1936年のシカゴを舞台にしたミュージカル劇場殺人事件、1910年のロンドンを舞台にした児童文学の傑作を舞台化した「メリー・ポピンズ」など、19世紀から20世紀前半をノスタルジックに振り返る作品がめっきり増えた。

日本ではブロードウェイミュージカルは東宝、宝塚、劇団四季によって上演されている。

 

9. ミュージカルの経済学

ネザーランダーもビロードウェイ屈指の劇場オーナー兼プロデューサーである。ブロードウェイに9つの劇場を持つが、プロデューサーとして多くのヒット作品を手がけた。屋根の上のバイオリン弾き、へアースプレイ、ウィキッド、ムービンアウトなどである。しかしネザーランダーが制作費のすべてを負担するわけではない。作品を選ぶ眼力、優れた演出者や俳優を見つけ出す力とともに制作のための基金を個人、企業、ファンドから集める手腕を持っているのがブロードウェイではプロデューサーと呼ばれる。

個人がプロデューサーとしてヒット作品を作る場合もある。「ブルックリン」という小さな規模のミュージカルをヒットさせた脚本家のジェフ・カルフーンもその一人である。無名のソングライター、カール・ショルフーンの作品を取り上げ自ら制作し演出した。自分でも制作費の一部を出したが、企業の協力がなく、エンジェルと呼ばれるブロードウェイ独特の個人投資家グループに働きかけて多くの人の協力を得た。

繁栄するブロードウェイ・ミュージカルは独特の経済原理に支えられている。一般の舞台はバッカーと呼ばれるスポンサーから資金を集める。プラン出来るとバッカーズ・オーディションを開催、プロデューサー、劇場主、スポンサーが集まる。

気に入った作品があると投資家が資金の提供を申し出る。こうした人々のことをエンジェルと言う。幸せを運んでくる心優しい天使だというわけである。この言葉は1990年代、ハイテクベンチャーを志す若者に受け継がれた。新しいアイディアでIT企業を起こし、気に入ってもらえたら投資家エンジェルが資金を投入する。

作品がヒットすれば投資した金額は際限なく戻ってくる。失敗すれば出資金は消えてなくなる。観客の入りが悪くてペイしなくなればその日のうちに上演が中止されてしまうのはこうした事情からだ。しかし週間の入場者数が公演の経費を上回るということになれば永遠に幕を開け続けることも出来る。

たとえばロングランが40年も続いているオフブロードウェイの「ファンタスティック」は180万円ほどの制作費だった。この制作費を負担したバッカーたちはすでに2億円を超える配当利益を受け取っている。ロックミュージカルとして評判の「レント」も1000万円程度の小さなミュージカルでスタートしたが利益はすでに1億円を超えている。

しかし最近のミュージカルは大型化し、制作費も1000万ドル12億円を超えるものが増えている。利益が上る時は莫大だが、一晩にして1000万ドルがなくなってしまうこともある。ブロードウェイへの投資はギャンブルと同じだとも言われている。

 

以下の上は、ある小さなオフブロードウェイ公演予算計画書である

 

座席数100%の場合

座席数44%の場合

制作費

1,447,500

1,447,500

週間売り上げ

220,000

97,000

週間制作コスト

71,50

   71,500

週間劇場代

  22,000

   12,500

週間ロイヤルティー

  30,000

   13,000

週間利益

96,500

       0

投資回収

15

回収不可能

   客席550、チケット平均50ドル、週の公演数8として

 

 10. トニー賞とは

 劇場主とプロデューサー連盟の組織体であるアメリカン・シアター・ウイングの会長を務めたアントワネット・ペリー(1888-1946)の功績をたたえて1947年に設けられた賞。演劇とミュージカルに対し、関係者の投票で優秀作品と優秀制作スタッフを選ぶ。映画のアカデミー賞に当たるもの。アントワネット ペリーの愛称がトニーだった。前の年の6月第一週から5月第一週までに開演した作品を関係者の投票によって選ぶ。賞は25部門。2001年の最優秀作品賞はThe Producers2002年最優秀作品賞 Modern Millie2003Hair Spray2004Avenue Q2005 Drowsy Chaperon

 トニー賞の候補(ノミネート)になるのは客席500以上のオンブロードウェイで上演され、エントリー期間内に初日を迎え、主演賞、助演賞の場合は舞台の初日に出演しているという三つの条件が満たされることが必要だ。2007年には35作品が対象になった。

 

ビデオ素材

2003-4年トニー賞、2004-5年トニー賞、2005-6年トニー賞  2006-7年トニー賞、NHK BS2

2006/9/10

NHK芸術劇場

ブロードウェイ最新情報

2006/5/14

NHK芸術劇場

ブロードウェイ情報 シューバート劇場

2006/1/16

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ブロードウェイ情報 ブロードウェイプロデューサー、ネザーランダー

2006/1/16

NHK芸術劇場

ブロードウェイ情報 ブルックリン、ジェフ・カルフーン

2001/4/21

NHK BS2

ショービジネスの舞台裏、ブロードウェイ

2005/6/14-17

NHK BS2

ブロードウェイの100年、華麗なるナルミュージカルの世界

 

図書

ブロードウェイ・ミュージカル 井上一馬 文春新書  99

ブロードウェイの魅力 大平和登 丸善ライブラリー  94

ブロードウェイ 大平和登 作品社 85

ブロードウェイ2 大平和登 作品社 85

ブロードウェイを歩く 大平和登 読売新聞社 95

ニューヨークのパフォーミング・アーツ 大平和登 新書舘 89