面白げルマン古代史(3) ドイツニュースダイジェスト1997年8月2日掲載 高橋容子

紀元前1世紀、やっと拡大の速度をゆるめたローマ帝国は、地中海を中にはさんでアメーバのように広がった領土を外敵から守るため、重要な境に長城を築きました。例えばブリタニアの北境でハドリアヌス帝が築いた「ハドリアン・ウォール」は、今もスコットランドとイングランドの間に長い影を落としています。

ローマ、ローマと草木もなびく

 

今も残るローマの防壁

ガリアの東境でも、帝国は紀元89年から100年ほどかけて、ゲルマン民族から最も攻撃を受けやすい地点に防壁を築きました。北へ流れるライン川と東へ流れるドナウ川に挟まれた土地、現バーデン=ヴュルテンベルク州がすっぽり入る三角地帯を思い浮かべてみてください。 その三角形の上角と右角、つまりアクア・マティアカエ(現ヴィーゥバーデン)とカストラ・レギナ(現レーゲンスブルク)を結ぶあたりに、帝国は土と木と石を500キロメートルに渡って高々と積み上げたのです。そしてその境を、境界線という意味のラテン語で「リメス」と呼びました。

ほんの一部ですが、リメスは現在でもバイエルン州フランケン地方に残っており、ローマ時代の史跡として保護されています。けれど中世の人々には、どうして土壁があるのが分からなかったようです。これは悪魔の仕業だ…というわけで、リメスは別名「悪魔の壁」とも言いました。

 

増える帝国移民

さて、話をもとの古代に戻しましょう。こうして何とか不法侵入を防ごうとした帝国ですが、ゲルマン人の帝国流入は止まりませんでした。なぜなら昔も今と同様、仕事を見つければ堂々と移住できたからです。大国は安い労働力を必要とし、生活が苦しい外国人は労働を売ることで新天地での成功を夢見る、というお決まりの図式です。

たとえば先の「リメス」工事。帝国は人足として、植民地からケルト人やイベリア人やマケドニア人を、そしてご当地からはゲルマン人を大量に駆り出して、25年働いたベテランには恩給と帝国市民権を与え、同じ身分の市民との結婚も許可したといいます。これは当時としてはかなりの大盤振る舞いでした。

また、帝国軍の駐屯地で兵士に採用されることも移民の第一歩でした。ただし、これには北部と南部で雇用過程にかなりの違いがあります。

 

南部のゲルマン人、勢力を増す

ライン川の下流地域では、前回主役のゲルマン人元傭兵ヘルマンに痛い目にあっていたにもかかわらず、ローマ帝国は以後もずっとゲルマン人傭兵を雇い続けます。戦闘能力に長けたゲルマン人に甘い未来を約束することで、不法越境してくる一般ゲルマン人を追い返そうという作戦です。ところが彼ら傭兵は軍務が終わっても故郷には帰らず、ライン川以西の帝国農地をもらって半自由身分の小作人になっていきました。ちょうどパックス=ロマーナ(ローマの平和)の時期に入って戦闘がなくなり奴隷の流入が減ったこともあって、これは帝国にとっても実は歓迎するところでした。

一方、ライン川の上流地域ではこれほど平和的にことは運びませんでした。帝国の中心部に程近いそこには、北の辺境とは違う豊かさがありました。当然、これを狙うゲルマン人郎党はあとを絶たず、迎え撃つ帝国も必死にならざるを得ません。浴場を造営したことで有名なあのカラカラ帝が、リメスをゲルマン人の襲撃から守ったということで「ゲルマニクス大帝」とあだ名されたのは紀元213年。そのわずか50年ほど後に、リメスの西側は「ゲルマン民族アレマン族」の手に落ちてしまいます。

 

内紛を経て民族大移動へ

ところで、フランス語やスペイン語を勉強された方は、どうしてドイツを「Allemagne」「Alemania」と呼ぶのか、一度ならず不思議に思われたでしょう。それは、このリメスを落とした「アレマン族」から来ているのです。けれど、彼らは一般にいう種族ではなく、はぐれ者たちが徒党を組んだ戦士集団でした。嘘のような話ですが、戦士たちが「何々隊全員」つまりalle Mannと報告しあうのを聞いたローマ人が、彼らを「アレマン」と呼んだのが語源とされています。ちなみに軍隊や船乗りの間では、マンは複数になってもマンと表現します。それに当時は今と同じ語形ではないにせよ、all とmannに近い古語がたしかに存在しました。

では、リメスの三角地帯を奪われた帝国はその後どうしたでしょう。ラインとドナウの源に挟まれた攻防の要所を、当のアレマンに守らせることにしたのです。 報酬は、帝国内での略奪を大目に見ること。こうして、ローマの武具を身につけたアレマン人たちが他のゲルマン、特に北部で同じく戦士集団を形成したフランク族と戦闘を続け、おかげで解体寸前の帝国はしばし息をつきます。

アジアの騎馬民族、フン族がゲルマンのゴート族を追い出し、それがドミノ倒しのようなゲルマン民族大移動を引き起こすのは、それからまもなくのことでした。

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