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独仏ニュースダイジェスト掲載シリーズ「主役を支えた女たち」 高橋容子 ホームページを見る

ガラ・ダリ (Gala Dali 1894  1982)

フランスの詩人ポール・エリュアールと結婚するために故郷ロシアを離れ、一時期は画家マックス・エルンストを恋人にし、やがて奇才サルバドール・ダリと一緒になったガラ。彼女は芸術家にとって、常に創造力をかきたてるミューズだった。中でもダリの才能は、ガラに保護され、叱咤されることで華麗に開花したといわれる。自分では書く才能も、描く才能もなかったガラ。彼女は主役を興奮させ、仕事へと駆り立てる凄腕のマネージャーだったのだ。

18歳のタタール系ロシア人ヘレーナ・ディミトリエヴナ・ジャコノワが、17歳のパリっ子ポール・グリンデル(後にエリュアールと改名)と出会ったのは1913年の1月。スイス山中ダーヴォスの高級サナトリウムでだった。2人とも結核にかかり、裕福な親から転地療法に出されたのである。 そこで彼女は「ガラ」と名乗った。母親が娘に本当は付けたくて創作したというその珍名を、彼女は子供の頃から自称していたのである。

エリュアールは寡黙でむら気なガラに夢中になり、愛の詩を書いて朗読した。彼女に批評する能力はない。しかし黙って聴き、感動を示し、出版の計画を応援することはできた。ここにガラのミューズたる秘密があるといわれている。彼女が生涯に一貫して続けた行動は、「芸術家の熱狂に加わり、不安を理解し、作品を賞賛すること」だったのである。

第一次大戦中にガラはモスクワからパリへと船出する。徴兵されたポールが両親を説き伏せ、ついにロシア女との結婚を認めさせたのだ。2人は彼の帰省休暇中に結婚し、ほどなく女児セシルが誕生する。しかしガラの夢は「夫と築く芸術」。子育てには全く興味がない。戦争から生還したポールが詩人アンドレ・ブルトンらとダダイズムのグループを結成すると、 彼女は水を得た魚のように生き返り、夫の作品に聞きほれた。ところが1921年、グループにドイツ人画家マックス・エルンストが加わると、この夫婦は奇妙な関係に陥ってしまった。

詩人と画家は兄弟、詩人の妻と画家は恋人と称する仲になってしまったのだ。エリュアールは「ガラよりマックスをより愛している」と意味深い発言までし、エルンストは妻と息子をケルンに置いて、パリ郊外の2人の家に転がり込んだ。父親の不動産会社を手伝うエリュアールと、アルバイト先を見つけたエルンストは仲良くパリに出勤し、休日はガラをモデルに詩人はペン、画家は絵筆を握る。

ガラを寄生虫と見ていたダダの仲間もこれにはあっけにとられたらしいが、実のところガラとエリュアールも成りゆきに呆然とし、一人気を吐いていたのはエルンストだけだったという。やがて詩人は酒びたりになり、半年間の失踪劇を演じたのち、画家が家を出ることで三角関係は解消する。しかし同時に夫婦間の熱も冷めてしまい、詩人は以後も何度か、ガラを他の男と共有しようと企てたそうだ。

こうした経過を知ると、恋心を寄せてきたスペイン人画家サルバドール・ダリに 「私を殺して」と言ってしまったガラの女心が、なんとも哀しく見えてくる。それはダダイズムがシュールレアリズムへと発展した1929年の夏。ガラとエリュアールは画家ルネ・マグリット夫妻らとともにダリの招待を受け、彼の故郷カタロニアの海岸に休暇に来ているときだった。前年からパリに留学している25歳のダリは、精密な筆致で夢幻的なイメージを描き、それを無気味に感じる前衛グループから正気を疑われていた。エリュアールらはこの機にその真意を探るため、ガラをスパイにしたて、ダリと2人だけの散歩に差し向けたのである。

「描くイナゴや糞色のシミは不安の対象です」と、フロイトの精神分析に熱中するダリは答えた。口ひげをはやし、流行のスペインファッションに身を固めたダリは、派手な外見とは裏腹にシャイで口が重い。しかしガラは青年画家の真摯な熱情に心を打たれ、それを感じたダリは10歳年上のエリュアール夫人を思わず抱きしめた。「私たちはもう離れてはいけないのよ」と彼女は息子に語る口調で言い、「これからどうしよう」と聞くダリに「私を殺して」と答えるのである。

ガラは芸術世界で役割のない自分、なのに詩人と形だけの結婚生活を続けている自分に絶望していたのだろうか。彼女は夏合宿が終わっても病気療養を理由にダリの元に残り、以後2度と彼から離れなかった。2人は寒村の掘っ立て小屋に住み、彼女は生まれて初めて家事をする。そして一緒にパリの画商を回り、前衛芸術に理解を示すハイソサエティーとの関係作りに励んだ。外出恐怖症のダリはガラを道案内に頭角を現わし、やがて最も買われるシュールレアリズムの画家になる。

同郷の映画監督ルイス・ブニュエルや画家ピカソら多くの芸術家が共産主義に傾倒した1930年代に、ダリはイデオロギーを嫌うノンポリで、しかも商業的に成功したため、かつての仲間からマティリアリストと批難された。しかし、それを言われるならガラの方が適格だったろう。ダリはただ自分が満足する絵を描いていたのであり、それで商売をしたのはガラだったからだ。

彼女は怖がりの子供ダリをなだめ、勇気づけ、尻を叩いて成長させた偉大な母だったのである。「ガラは僕の魔法のランプ」とダリは言い、作品に「ガラとサルバドール・ダリ」と署名する。ガラが夢見た「夫と築く芸術」はこうして実現したのだった。