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アートに触れるバスクへの旅

英独仏ニュースダイジェスト2001年7月掲載

高橋容子

 陸路でイベリア半島に入ろうとすると、ピレネー山脈に行く手を阻まれる。楽な道は地中海側か大西洋側の海岸沿いしかない。当然その周辺は発展する。大西洋側の道を入ってすぐのところに開けた商業都市ドノスティア=サン・セバスティアンも11世紀、パリからこの海岸沿いに初期の巡礼路ができたことによって誕生した。

 現在は星付きレストランが集まる食通の町、そしてバスク人彫刻家エドアルド・チリーダの故郷として知られている。先頃オープンした新しいドイツ連邦首相府前に立つ彫刻「ベルリン」を手がけたその人である。

 当地で制作されたその作品がベルリンへと旅立ったのに時をあわせ、サン・セバスティアン郊外エルナニに誕生したのが彫刻公園「チリーダ=レク」だ。

 「チリーダの場所」という意味のバスク語名が示すとおり、そこは彫刻家が暮らした生活空間だった。とはいえ、こじんまりした場所を想像すると大間違いだ。元々は農場だったという公園は、総面積12ヘクタール。なだらかにひろがる芝地には、約40点の彫刻が時に孤高の人のごとく、時に瞑想する灯台守のように点在する。

 公園中央に建つ、150点の作品を収納した屋内展示場は、16世紀の農家を改造したもの。赤い漆喰は牛の血を混ぜて作られたそうで、現在もフランス人が「ルージュ・バスク」と呼ぶ、この地方を代表する色である。

 これがチリーダの色彩感覚に影響しても不思議はない。彼は素材に好んで粗鉄を用い、表面にさびが生じて赤くなるのを気長に待った。そのため鋳造が終わった作品はいつも野外に放置され、近所の人々に触れられていた。一般公開すればより多くの人々がチリーダの感触を味わえるようになる。彫刻家が故人となった今、家族はこうして公園開設に踏み切ったという。

 色同様に、チリーダの芸術から切り離せないのはバスクの民族性である。アムネスティ・インターナショナルのレリーフに、彼は古代バスクの太陽神のシンボルをデザインした。首相府の彫刻に見られる「丸めた指のようなデフォルメ」も、元を正せば樹木を示す古代バスクのシンボルに由来するという。

 欧州最古の民族バスク人。後からイベリア半島に来たケルト人やギリシャ人、ローマ人やゲルマン人らが混血し、スペイン化していった中で、古代の言語とアイデンティティーを今も忘れない彼らとはいかなる人々なのか。チリーダの彫刻に触れ、その謎に思いをはせてみてはいかがだろう。

 サン・セバスティアン市へは空路の場合ビルバオ、あるいはサン・セバスティアン(国内線)から。彫刻公園へは市バスG2線で5分。

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