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Magazine ALC 2005年8月号「そして、世界は受け継がれる」

 

「バスク語」

 

厳しい同化政策のなか 密かに伝えれられた少数言語

大西洋側のスペイン・フランス国境地帯で話されているバスク語は「言語の7不思議」の一つといわれている。ヨーロッパの中央に位置しながら東方起源のものらしく、しかも太古の言語――ヨーロッパで唯一生き残った先史時代の言語だというのだ。

バスク語はそういうわけで今も周辺からは継子扱いだが、それを話す人々の方は優秀な海の民として、昔から一目も二目も置かれてきた。彼らはトレードマークのベレー帽をかぶり、鱈を追いかけてバイキングより早く北米に到着。またコロンブスとともに新大陸発見へと船出し、イエズス会を結成して世界布教にも出ている。ご存知フランシスコ・ザビエルも実はバスク人だったのである。

ところが20世紀に入って、「バスク」は突如、スペインの頭痛の種になってしまう。スペイン南部からの集団労働移民を受け入れさせられたバスク人たちが、民族意識に目覚めてしまったのだ。スペイン政府のバスク同化政策が始まり、フランコ将軍の軍事独裁下(1939−1975)では、公共の場でバスク語を話そうものなら逮捕、投獄。ナショナリストと烙印を押されれば銃殺だった。こうしてバスク語は街角から一切聞こえなくなった。が、ところがどっこい、知識階級と農・漁民、また皮肉にも、必要から習い覚えた一握りの非バスク系労働者によって、密かに次世代へと伝えられていたのだった。

 

順調なバスク語普及 いざ、独立?

バスク語は現在、スペイン側でバスク州とナバラ州北部、フランス側3県で話されている。なかでもスペイン民主化後に自治政府を認められたバスク州(人口200万)では、公文書にバスク語とスペイン語の二重表記を義務付けたほか、学校教育にどの言語を基礎にするかで、A=スペイン語主体、B=スペイン語とバスク語半々、D=バスク語主体、の3モデルを導入(3番目がDなのはバスク語にCがないから)。バスク語の授業数に応じ補助金を増額することで、1981年に30%だったスペイン語とバスク語のバイリンガル(聞いて理解できるだけも含む)は50%へと拡大した。

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(バスク大学ギプスコア校の、バスク語とスペイン語の案内板。右側のスペイン語表示が赤で消されている)

バスク語の出版も現在は年1千冊に増え、ベルナルド・アチャーガ(「オババコアック」西村英一郎訳・中央公論新社)など、各国語に翻訳される作家も誕生している。

さあ、独立への環境は整ったと言えなくもない。もちろんスペインは、バスクがのどに刺さったとげのような存在ではあっても、分離には絶対反対である。バスクに認めれば、やはり独立を狙っているカタロニア州が動き出す。豊かな2州の分離はスペイン経済の落日、またスペイン国の解体を意味しかねない。

しかしバスクの有権者も実のところ、EUSKADI国(「バスク語の地」の意)の独立に乗り気ではないようだ。今年4月、具体的な独立プランを掲げて州議会選挙に臨んだ政権党PNV(バスク国民党)は、逆に支持票を減らしてしまった。

バスクにはバスク系、非バスク系、バスク語を話す住民、話せない住民がおり、皆がそれぞれの定義で自分のバスクを誇っている。つまり彼らにとって「バスク」とは、ある特定の時空間を共有させるもの。それは独立とイコールではないのだろう。私の質問に、バスク語を話すバスク系の女性でさえ「独立を望まない」と答えたのが印象的だった。

バスク語を語ると政治になる。そこに、この少数言語の抱える哀しみが見えるようだ。