英仏独ニュースダイジェスト 1995年6月掲載

高橋容子

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50年の重み: ドイツの戦後処理 7(最終回)

統一ドイツと戦争の記憶

 

1989年11月9日。東独の統一社会党は外国旅行の自由化に関する曖昧な政令を出した。 西へ開いたハンガリー・オーストリア間の国境を通じて、東独市民が大流出している現状への対応策だった。その政令を国営通信社が「出国への即時許可」と解釈し、さらに西の通信社が「離国の即時許可」と報道した。それを聞いた東ベルリンの市民が検問所へ殺到し、国境警察官が「多すぎる、開けよう」と呟いた。夜10時。歴史的瞬間は、こうした様々な誤解と偶然と勇気が重なった結果だった。

壁の崩壊とともに、ドイツは再び「ドイツ問題」に直面した。国際法では、戦後補償を引き受けた西ドイツが「ドイツ」の国家主権を継承したことになっている。だが壁崩壊後、東が西と同じく自由な政治闘争をする国になるなら、同一民族から成る2つの国は主権を統一するのか。初め、東西ドイツは2国の契約共同体を目指した。だが統一を求める東ドイツ人の叫びが、躊躇する西の政治家たちを走らせ、西ドイツ国民がまだあっけにとられていた1990年10月3日、東西統一が実現する。だがご存知のように、事実上「西が東を併合した形」の統一は、東の市民に新しい問題を突き付ける結果になった。

統一直後、東の人々は西の高給中古車や商品に飛びつき、おかげで内需は拡大した。だが共産圏の同時崩壊によって、いままでの輸出先を失い、低い市場競争力のせいで西からの投資もままならない東独企業は、民営化を進める信託公社トロイハントによって次々に閉鎖されてしまった。そのため、東の労働者は大量失業の嵐に巻き込まれ、94年末の東の失業率は公表14%、隠れた失業者を含めると実態は30%以上になったといわれる。

 統一は女性差別も表面化させた。旧東独でも様々な性差別はあったが、女性は労働力としての母性保護を受けていた。89年に誕生した子供の3分の1が婚外子であったことからも、女性が一人で働きながら子育てできたことが分かる。だが統一後、東の女性は市場競争原理によって職場から締め出され、西の労働促進法の適用で、求職には子供の世話係の存在を証明しなければならず、さらに西の刑法218条によって、妊娠中絶の自己決定権も奪われてしまった。

また、外国人排斥運動の顕著化も深刻な問題の一つだ。ロストックなどで起きた外国人に対する襲撃事件の数々は世界中に報道された。現在、ドイツに住む外国人の割合は約10%。ミュンヘンやデュッセルドルフなど西の大都市では20%以上になるが、そこでの共存に問題は少ない。だが割合が1%にも満たず、さらにその半数が社会主義国からの契約労働者や難民申請者である東の地域では、外国人との接触が個人の生活レベルに達していないため、不安や偏見が増幅されて、外国人を仮想敵化してしまう。

外国人排斥運動の根は、東の政権が外国人を国民から隔離し、一方でナチスの歴史を共産主義に都合の良い形でねつ造してきたせいだと言われている。不安や鬱屈が外国人や異端者に対する非寛容を生み、過激な方向へ走りかねないことを、東の若者は歴史から学んでいないのだ。旧体制の元で編纂された歴史の教科書によると、ナチスは資本主義ファシズムであり、その独裁に抵抗して迫害されたのは社会・共産主義者だった。だがある日、東独の国家的権威は地に落ち、昨日までのプロパガンダは正当性を失う。東の人々は精神的なよりどころをなくし、統一前からソビエト化に対抗して保っていた「ドイツ人意識」を強調するようになった。

その意識を国際化し、賃金や社会保障の東西格差を小さくすることが、ドイツ連邦政府に課せられた当面の課題である。一方、これまでアメリカの支配下で半人前とみなされていたドイツ外交は、統一によってその支配から脱し、建て前ではなく、現実的な目標をかかげられる大人の国として、欧州連合の主役を演じるまでに成長した。

そして戦後50年目の今年。1月27日のアウシュビッツ解放記念式的に出席したヘルツォーク大統領は、式典の宗教性や犠牲の度合いといった面で対立するポーランドとイスラエルの間で中立を守り抜き、その貴重な沈黙は世界の尊敬を集めた。

その後、ドイツの活字メディアに全体主義や戦争関係の記事が登場しない日はない。ドイツの新聞は執筆者の洞察力と文学性に重点を置くため、言葉巧みな長文論説が多い。例えば週間ツァイト紙は「独裁」「勝者の裁判」「虐殺」「解放」といったキーワードからの全面記事を連載中だ。その一つ、「記憶」の中で、社会学者クラウス・ナウマンはこう書いている。

「まさに敗戦の瞬間まで、ドイツには忠誠と意志と服従と団結の精神混合体があった。この混合体から人の形を抽出すると、式典の犠牲者側と加害者側の間にたたずむ人物になる。名を『伴走者』という。当時の社会は、「沈黙は勝利」をモットーにした彼らの社会だった。それから50年。統一後に数々の外国人襲撃を経験した現在のドイツは、今こそ『伴走者』の記憶を思い起こさなければならない」

日本とドイツの戦後は経済発展で平行し、政治外交面では大きく道を分けた。過去を直視しなかった日本はディズニーランドになるだろうと、南ドイツ新聞が書いている。そこでの政治や戦争はまるでゲームのよう。少しも現実性がない。8月15日、日本ではどんな記憶が呼び起こされるであろうか。

 

参考資料

“Erbschaft der Schuld”, Ian Burma

Die Zeit Nr.5, 7, 9, 12, 15

Die Sueddeutsche Zeitung, 15.03.1995

Der Spiegel, Nr.5

『乱世の記録』 藤村信

『ドイツの見えない壁』 上野千鶴子、田中美由紀、前みち子