八丈島紀行                                                           2007.4.7作成

2007年4月7日から1泊2日であるが八丈島を旅行した。八丈島と言うと、今なら、ダイビングもしくは釣りになるだろう。江戸時代には流人の島と言うことになる。(これについては流人についてを参照)3月から4月の初めにかけて八丈島はフリージア祭りが開かれている。ちょうどそのときに八丈島へ来れ、非常にラッキーだった。八丈島へは東京から飛行機で45分、船だと10時間近くはかかる。私は八丈島へは2回目だが前回は1月に来た。そのときは海岸の波は6mくらいあり、北風は強く、港に波が打ち上げていたのを思い出す。

八丈島空港で奥の山は三原山(大島の三原山とは関係は無し)
八丈島について
八丈島は2つの山を持ったひょうたん型をしている。西側の山が八丈富士、東側の山を三原山という。八丈富士が海底から噴火したのが今から約1万年前で約4000年前にほぼ今の形になった。、最近の噴火は江戸時代(綱吉の時代)で、現在は休火山になっている。三原山は約10万年前に出来、現在は死火山になっている。当然、植生も違い、八丈富士周辺は低木が多く、雨水は地中に沈んでしまうため、川もほとんど無い。一方三原山周辺は大きな木が生い茂り、川があり、水も豊富なため、江戸時代はここ、すなわち樫立、中之郷、末吉地区が八丈島の中心だった。また、この辺は温泉が非常に多い。(今は山と山の間が八丈島の中心)

今回の紀行
土曜日は10:30の羽田発で八丈島へ向かった。八丈島へは11:20着飛行時間は35分ぐらいだった。ほとんどは地元の人もしくは観光客で、搭乗率は7割くらいだったように思う。空港へ付くと、レンタカー会社の人が迎えに来た。

借りた車は軽自動車で、多少がたがあったが、まあまあの走り。早速、八丈富士の周辺を回るため、底土港の方へ向かった。底土港は東海汽船の事務所があるが、現在は窓に板が打たれ、閉鎖されている。港の岸壁には多くの釣り客がいた。その後、千畳敷きの溶岩をまわり、八丈島の西端にあるアロエ園を通って中心部に戻った。

ここはクレジットカードが使えるところが少なく、現金取引の店が多い。しかし私は現金の持ち合わせがあんまり無かったため、ATMを探す事になった。早速、町役場にある観光案内所に聞いてみると、土日に開いているATMは七島信用組合と郵便局の三根本局のみであった。早速郵便局の三根本局で現金をおろした。そのあと、近くのスーパーで土産の島焼酎(この焼酎は昔はサツマイモだけだったが、サツマイモだけだと独特の匂いがあるため、現在は大体が麦とサツマイモの混合)を買った。

今回の旅行の1つの目的は「助け人走る(4回目)」で江戸時代の流人のことをやっていたため、その調査である。このため、八丈島歴史民族資料館へ向かった。そこには流人のこと以外にも黄八丈や漁、八丈島の自然について展示されていた。ここの建物は木造で、昔は八丈支庁の建物で、重要文化財に指定されている。ここを出たのは4時くらいで、そこから今晩泊まる民宿へ向かった。民宿は中之郷にある。その民宿では食事以外にも700mlの瓶に入った焼酎を1本サービスで出してくれる。(その横には2Lのペットボトルに入った水が置いてある。これには飲ベーの私にとってはたまらない)夕食は島だけあり、魚が中心で、島寿司(生魚を独特の醤油たれにつけたものを握り寿司にしたもの)。ここで取れた明日葉のおひたしがだされた。ここの主人が非常に良く、八丈島について色々と知る事が出来た。(また泊まりたいと思っています)

次の朝は朝方少し曇っていたが、10時ぐらいになると日差しが刺した。早速、末吉の港へ向かった。そこの港は100mくらいの断崖に囲まれ、壮観だった。この後、中之郷の温泉につ


本吉の港(断崖に囲まれている)

かり、空港の近くで開催されているフリージア祭りの会場へ向かった。さすがに天気も良く、花の色も鮮やかだった。さらに鼻から漂う甘い香りがたまらなかった。


フリージアの花畑(背後は八丈富士)

そこに1時間程度滞在後、空港に戻った。帰りの飛行機はほぼ満席の乗客を乗せて出発した。

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