主な高樹蓉子との共演者
INDEX
川崎あかね
山吹まゆみ
藤山律子
皆川妙子
青木伸子
笠原玲子
牧紀子
田辺靖雄
林ゆたか
大浜詩郎
平田昭彦
天本英世
水谷邦久
石橋正次
亀石征一郎
中山昭二
江見俊太郎
HOME
サイトマップ
主なテレビ作品一覧
映画作品一覧
主な共演者の一覧
写真集
RINK
高樹蓉子の掲示板
高樹蓉子のビデオ、DVD集
東大出身特撮悪役3人衆
宝塚出身特撮悪役3人

山吹まゆみ(MAYUMI YAMABUKI)



    
    宝塚歌劇団所属時の写真(1962年)       彼女のサイン

目次
生い立ち
宝塚音楽学校へ
宝塚歌劇団時代
退団後
高樹蓉子との共演



生い立ち

 生年月日:1940年1月29日
本名は大川光代、東京で4人兄1人姉2人の末っ子として生まれた。父の仕事の都合で、4歳のとき、北京に移住した。ここで家族は永住するつもりでいたが、敗戦により、7歳で命からがら大阪に引き上げた。
中学校の頃から宝塚に興味を抱くようになり、宝塚に入る前までは父母以外に祖母とも一緒に暮らしていた。趣味は音楽鑑賞、手芸、ピアノ、読書だと宝塚音楽学校卒業時のプロフィールには書かれていた。これを見ると当時としてはかなり良い家庭のお嬢さんだった(実際父親は化粧品会社の重役で、母親は美容師だった。ちなみに叔母は美容師で有名だった山本鈴子)。高校は大阪女子学院高校に入学し、歌と父親の応援により、高校を卒業してから宝塚音楽学校に入学した。
ページトップへ戻る

宝塚音楽学校へ
1960年くらいに宝塚音楽学校に入学するのは今と比べて入学試験の倍率も低く、10倍程度だったようだ。宝塚音楽学校に入学するのは早い人だと中学校卒業で入学するが、半分以上は高校在学中に入学する。山吹まゆみみたいに高校を卒業してから入学する人は入学年齢制限ぎりぎり(18歳を超えると入学できない)で、同期では年齢が一番上になる。さらに1年上には山吹まゆみより年下の人が数多くいただろうから、音楽学校在校時は多少、人間関係に苦労したのではないだろうか。
同期で入学した人は、59人(現在は50人か。一番多いときは高毬子が入学した年で、70人いる)。後に萬屋錦之介の奥さんになる甲にしき、高樹蓉子と「新・平家物語」で共演し、本郷功次郎と結婚した古城都、上月晃などそうそうたる同期がいた。山吹まゆみは彼女らにかなり刺激されたのだと思う。山吹まゆみは身長がそれほど高くなかった(157cm)ためか娘役に回された。無事2年間の音楽学校の課程を終え、山吹まゆみは宝塚歌劇団に入団する。

ページトップへ戻る

      
        「皇帝と魔女」に出演時

宝塚歌劇団時代
宝塚歌劇団に入団するときは必ず芸名を付けなければならない。たいていの人は入団時の芸名をそのまま最後まで名乗っているが、中には途中で芸名を変える人もいる。彼女の場合、芸名の変更は無かった。ちなみに「山吹まゆみ」の芸名は彼女の父親が付けたそうだ。
彼女のニックネームはカラメちゃん。彼女の特徴は大きな目だが、非常に近眼だったため、そのようなニックネームが付いた。視力検査で大きな文字を見てもぼんやりしていたとのことだった。このことで、彼女自身かなり苦労した。さらに、彼女は低血圧とのことだ。

デビュー作は1960年4月の「春の踊り」で、1年間は研究科で過ごした(このころの研究科は1年間だけだが、後に研究科は2年間になる)。研究科時代の山吹まゆみにとって、最大の難事は日本化粧だそうだ。先輩の人にあれこれ化粧の仕方を習うのだが、中々うまくできなかった。

その後花組、雪組、星組など4つの組に配属されるわけだが、山吹まゆみは花組に配属した(同じ花組には甲にしきがいた)。配属後、色々な舞台に出られている。その中でも61年11月の「シューベルトの恋」と62年8月の「皇帝と魔女」では結構重い役で出演されている。

62年には宝塚の舞台だけでなく、1月より日本テレビ系列の時代劇「佐々木小次郎」に半年間出演した。役は主人公の佐々木小次郎(入川保則)の妻とねで、初めてのテレビドラマの出演で、しかもヒロインであった。今までの舞台と様子が違い、しかも男性とのラブシーンがあったりしたため、戸惑いがあったようだ。この番組に出演するに当たり、「佐々木小次郎」の原作を読んでとねのイメージを練っていたとのことだ。他のテレビドラマでは「魔女の時間」に出演し、このときの相手役は久米明だった。他にも不明だが、多数のテレビ出演があったそうだ。
(現在の宝塚歌劇団はわからないが、当時の宝塚歌劇団は団員であってもテレビドラマへの出演がかなりあった。高毬子は1965年に「剣は知っていた」という時代劇でヒロインとして出演し、これがきっかけで大映に移る)

山吹まゆみの宝塚時代の最も親しい友人は1期上の北原真紀で、山吹は北原のことを「ミヤケちゃん」と呼び、北原は山吹のことを「カラメちゃん」と呼んでいた。彼女達は先輩から「貴方達よく似てるから、姉妹役をしたら。」と言われたり、「貴方達を見ていると学生時代を思い出す。」などと言われた。
山吹まゆみは後輩から尊敬されており、山吹まゆみの2期下で、後に宝塚歌劇団から東宝で映画やテレビに出演する環木織(原恵子)は宝塚歌劇団で最も尊敬する先輩だったそうだ。

1963年11月から1974年8月までは雪組に組替えになったが、再度花組に戻った。1964年1月の『宝塚グラフ』では「新しい年の成長株」が特集されており25人の団員が載っていた。その中には山吹まゆみも載っており、有望視されていた。

しかしその後、宝塚歌劇団を退団する。退団の理由は今のところ不明。
ページトップへ戻る

退団後
宝塚歌劇団を退団後は東宝演劇部に所属し、舞台、テレビに活躍する。映画は東宝の「子連れ狼・地獄へ行くぞ大五郎」(1974年)のみ出演した。
2000年6月に肺炎で亡くなられた。

私が思うに、山吹まゆみは非常に残念な女優の1人で、彼女は歌がうまく、ピアノも弾けるため、女優より歌手でデビューした方が良かったように思う。女性でピアノの弾き語りはこの当時あまりいなかったし、彼女は美人でしかも宝塚出身というブランドがある。かなり大人の魅力を持った歌手になれたのでは。

宝塚出身の女優中、特撮の悪役でレギュラー出演していたのは山吹まゆみ以外にも「電子戦隊デンジマン」でヘドリアン女王(曽我町子)の手下ケラーで出演されていた湖条千秋がいる。湖条千秋ご自身のホームページである「湖条千秋のフォトアルバム」はご自身が「電子戦隊デンジマン」出演時の写真と、今までの俳優生活及びご自身の自己紹介等が述べられている。
ページトップへ戻る

高樹蓉子との共演
 高樹蓉子との共演は今のところ「愛の戦士 レインボーマン」のみ。2人とも「死ね死ね団」の女幹部で、サイボーグになった後、2人のアベック作戦ででレインボーマンを倒そうとする。
 
「Xゾーン作戦」の命令を聞く2人      アベック作戦で
ページトップへ戻る

HOME リンク集 高樹蓉子の映画作品集 高樹蓉子の主なテレビの作品集 サイトマップ
高樹蓉子との主な共演者集
 高樹蓉子の写真集
 
高樹蓉子の半生 高樹蓉子のビデオ、DVD集
旅の館