『生命の謎』を読む・・30


物質と記憶の関係5
記憶は魂にあるか

2006/02/10

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 ベルクソンの『物質と記憶』によると、記憶が本当に脳に蓄積されているとすれば、明確な忘却には、脳の明確な損傷が対応するはずであるが、例えば過去の一時期の経験の総てが突然記憶から消失する健忘では、脳に明確な損傷は認められない。

 また脳の損傷に伴う失語症や視覚や聴覚の再認障害では、「ある特定の記憶が、それが宿るとされる場所から奪われるのではなく、想起能力が、その活力において、減退するので、患者は、記憶を、現在の状況に結びつけることができないようにみえる」という。

 このようにベルクソンも脳は記憶の貯蔵庫の役割を果たしておらず、脳はいわば指揮者の指揮棒みたいな働きをするだけであるという。脳はオーケストラ・音楽という精神・記憶と聴衆・物質の間にあってひたすら調整役に徹しているのである。指揮者と指揮棒がなければ確かに演奏会は始まらないが、だからとっいって音楽そのものは不滅である。

 このようにベルクソンや谷口雅春先生は、記憶の貯蔵されている場が脳ではない、と説かれるが、それではその記憶はどこに記録されているのだろうか。

 谷口雅春先生によると、それは端的に心的存在、つまり「英知者」なるものに記録されているのであり、ここに「魂は不滅である」との一つの根拠が見出されるのである。

 最近の超心理学の研究成果によると、この記憶は単に生まれてからだけのものではない。生まれる前の胎児の時代からさらには前世や霊界における記憶も含まれているという。
 具体的には、退行催眠によって記憶を遡っていくと私たちは現世での思い出どころから前世での出来事も想起する。そして多くの人々は天使のような光なるものから様々なメッセージをもらうという。

 アメリカのモンロー研究所では、音響技術や脳波や意識の状態を変え、体外離脱現象を行う音響装置を開発し、実際に自分が肉体という抜け殻から脱出して他の境涯に行く経験が出来るそうである。
 森田健さんという不思議研究者は、このモンロー研究所で体外離脱して、ある「存在」にあったという。「君の名は」と聴くと「ケンイチ」と答えた。実は森田さんには流産した子供がおり、その子に「健一」という名を付けていたのだった。

 その「ケンイチ」が目の前にいることを確認した森田さんはその「存在」を涙ながらに思わず抱きしめていた。するとその胎児のような「存在」がこう話しかけてきた。

・・ボクはいつもあなたたちのそばにいる・・ボクはあなたたちを助けるために生まれてきたんだ・・こういう運命になることは初めから予定されていた・・

 その経験をした晩、森田さんのベッドには次元をひとつはさんで健一君が一緒に寝ているような感覚があったという。・・赤池キョウコさんの「マンガで読む船井幸雄のスピリチュアルな世界」参照

 このような不思議体験を単なる幻覚と否定するのはたやすいが、21世紀の人類は学問的にも唯物的な世界の扉を開けて、よりスピリチュアルな「真実の世界」を垣間見ようとしていることは間違いない。

 

 

 

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