『生命の謎』を読む・・26


物質と記憶の関係

2006/02/02

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  『生命の謎』を一貫して流れているのは、現代科学が主要なテーマにしつつある「一貫性」「相関性」である。

 それが生命進化の歴史であれ、心と物質の関係であれ、記憶と物質の関係であれ、すべては唯一つの超越的知性である
「サムシング・グレート」村上和雄先生)がデザインしたところの言葉(インテリジェント・デザイン=理念)であるところから、そこには必ず「一貫性」があり、「相関性」があるのである。

 例えば同書後篇第6章の
「物質と記憶との関係」では、いかにして物質的波動が心象に翻訳せられるかが論じられているが、要するに吾々が物質と知覚しているものも、「サムシング・グレート」のデザインしたところの「想念の世界」であるが故に「サムシング・グレート」の分身たる私たちはその波動を感覚として翻訳することもできるのである。つまり、同じ「サムシング・グレート」がデザインしたところのきょうだいであるが故に、コミュニケーションをとることができるのだ。

 すなわち
「吾々の叡智が宇宙の叡智を理解して、それを一定の形態や色彩や大きさに翻訳し、それを物理学的或は数学的或は哲学的に理解して行くことができるのである」。

《たんに物質の電磁的エネルギーの振動がこれらの感覚であるとするならば、どうしてそれらの別々の種類のエネルギーを一つに統合して「七寸咲きの赤い朝顔の花」と認識することができるのであろうか。

この認識の作用はどうしても、脳物質の作用であるとはみとめられないのであって、脳中枢における電磁的エネルギーの振動は、ある心象をおこすための契機とはなっているのではあるが、脳髄の物質振動が「心象そのもの」ではないのである。

吾々の見る世界は結局、心の描く世界である、然もそれは滅多矢鱈に描く所の世界ではなくして、宇宙の心の中にある所の姿を、脳中枢の「不可思議なる構造」を契機として時間的順序に空間的に広げてみせてくれる所の「心象」であるということができるのである。》

(同書後篇第6章の3.「脳中枢は『宇宙の心』と『個人の心』とを結ぶ通路である」)


 ちなみにベルクソンは、その名著『物質と記憶』の中で世界の真実を
「イマージュ」として捉えて独特の心身相関論を展開したが、小林秀雄はこの「イマージュ」について訳するならば本居宣長の云った「かたち」がふさわしいとも云っている。

「このイマージュ≠ニいう言葉を映像と現代語に訳しても、どうもしっくりしないのだな。宣長も使っているかたち≠ニいう古い言葉の方が、余程しっくりとするのだな。
『古事記伝』になると、訳はもっと正確になります。性質情状と書いて、アルカタチ≠ニかなを振ってある。物≠ノ性質情状=iアルカタチ)です。これがイマージュ≠フ正訳です。・・『古事記伝』には、ベルグソンが行った哲学の革新を思わせるものがあるのですよ。私達を取りかこんでいる物のあるがままのかたち≠、どこまでも追うという学問の道、ベルグソンの所謂イマージュ≠ニ一体となるヴィジョン≠掴む道は開けているのだ。たとえ、それがどんなに説き難いものであってもだ。」

 

 

 

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