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大馬鹿になれ

とことん馬鹿になって、とことん恥をかいて裸になった時に
見えてくるものとは・・。

 

大馬鹿文庫

                           羽田空港のヤフー・カフェーにて執筆中。撮影・山岡睦治マスター

 プロレスラーだったアントニオ猪木さんが昨秋、角川書店から『馬鹿になれ』と題した自身の詩集を出版しました。

 その詩集に収められた同じタイトルの詩には、とことん馬鹿になって、とことん恥をかいて裸になったら、「本当の自分が見えてくる」という意味深い内容が記されています。

 この猪木さんは小学生のとき、声変わりが早かったことから学芸会の合唱の時に「声質が合わないから、お前は口だけ開けてればいい」と、先生から言われたことがトラウマになって、最近まで軍歌以外は歌ったことがなかったそうです。ところが、ある些細なことがきっかけでカラオケで軍歌以外のものを歌ってみたところ、意外と歌えることが分かった。周りの人たちからも「なんだ、歌えるじゃないですか」と言われたというのです。

「人間は誰しもが何かしらのこだわりを持っているだろう。しかしそのこだわりを捨て、前向きに取り組めば何事もできないことはないのだ…」(同書「あとがき」)

 という猪木さんの言葉には、勇気づけられるものがあります。

「馬鹿になれ」という言葉で思い起こされるのは、今年四月に亡くなられた徳久克己長老(生長の家本部講師、医学博士)から直接、お聞きしたエピソードです。

 徳久長老が終戦後、生長の家創始者・谷口雅春先生のお伴をして汽車に乗っていた時に、「練成会を始めまして二年半、私は“馬鹿になれ、馬鹿になれ”と言い続けてきました」と話すと、谷口先生は次のように仰ったというのです。

「馬鹿の上にもう一つ“大”の字をつけるといいね。大馬鹿になればよいのだよ。大馬鹿になるということは、現在意識も潜在意識も捨ててしまうということだ。つまり人間智を捨てることが、神の無限智を汲むことなのだね」

 これは換言すれば「無私の精神」小林秀雄氏=批評家)とも呼んでいいもので、小賢しい人間の知恵で対処するのではなく、我を捨てて何もつかまない、青空のように広い神の智慧と一つになって生きなさい、という意味でしょうか。

 自分と他とを比較する“人間智”から生まれる劣等感や見栄、先入観などを捨てて“裸”になったときに、猪木さんのように「本当の自分」を、思わぬ“才能の宝”を発見することができるかもしれないのです。

 吾々は本当は素晴らしい天国浄土に既に住んでいるのに、自分で勝手に自分の眼にベールをつけて、それらを歪んで薄めて見ている……その“人間智”というベールをとりさえすれば、ものの見方さえ変えれば、素晴らしい世界が開けてくるのではないか……最近、そんなことをよく考えるようになりました。

父への見方を変える……

 先入観といえば、私の父はかつて精神病を患い、私の幼少のころから長期の入退院を繰り返していたところから、いつしか父といえば「精神病」というレッテルを貼って見ていました。

 父は若い時から大変な勉強家だったそうですが、若くして鹿児島大学の助教授になったころから幻聴が聞こえはじめ、日常生活にも支障を来すようになり、結局、大学を辞めざるを得なかったのです。そして私が小学生のときのこと、福岡市の私の自宅に重々しい表情をした精神科医がやってきて、嫌がる父をしきりに説得し、病院に連れていったことをよく覚えています。

 父は家にいても突然、「あそこの家で何か噂話をしている……」と独り言を言い始め、実際によその家に乗り込もうとしたことが何回もありました。また電車に乗っていても、幻聴が聞こえはじめて独り言が始まり、周囲の人とケンカになることも…。

 このような出来事から、父の秘密を周囲の人たちや友達に知られるのが、当時の私の一番の心配事になっていました。

 が、高校一年のときに父の本棚で、祖母が遺してくれた『生命の實相』(生長の家創始者・谷口雅春著、全40巻、日本教文社刊)を手にとって「人間は本来、円満完全である」との真理に触れて、私の父に対する見方は少しずつ変わってきたように思います。

 大学に入ってから私は心身を鍛えるために新聞配達を始めました。早朝四時に起床して新聞を配り、六時すぎには自宅に戻ります。その後、神想観を実修し、聖経『甘露の法雨』を必ず仏前で誦げるようになりました。

 そんなある日、いつものように聖経を読んでいると、ふと気付くことがありました。というのもその仏壇の近くに父は寝ており、「この聖経の真理の言葉はひょっとすると父のために読誦しているのではないか」と思ったのです。それからというもの、父の潜在意識に呼びかけるつもりで聖経の中にある次のような真理の言葉を毎日、唱え続けました。

「すべて真実の実在は、

 神と神より出でたる物のみなり。

 神は完全にして、

 神の造りたまいしすべての物も完全なり」

「罪と病と死とは

 神の所造に非ざるが故に

 実在の仮面を被りたれども

 非実在なり、虚妄なり。

 我れは此の仮面を剥いで

 罪と病と死との非実在を明かにせんが為に来

  れるなり」

 この真理の言葉をかみしめながら繰り返し読んでいると、不思議なもので「罪や病は実在する」とのそれまでの“人間智”が薄れてきて「神様はそんな不完全なものは創造しておられないのだ」という明るい信念が私の中に培われてきたのでした。

 そんな自覚の深まりに呼応するかのように、父に投与されるクスリの量は次第に減ってきて、その表情は見違えるように明るくなり、実社会に戻ることができたのです。

 父は最近、「タカシや子供たち(孫)の幸福をいつも祈っているよ」と言ってくれるようになりました。今、思うと父は精神病の時も本当は私や家族のことを心配してくれていたに違いありません。なのにそんな優しい父の真実を知らずに、私はその表面だけを見て“精神病”と勘違いしていたのです…。病気の父は言わば聖経の言葉にあるように「仮面」みたいなものであり、その奥には仏のように慈悲深い父が実在していたのです。こんなうれしい発見はありませんでした。                     

「大馬鹿」になって、私たちを取り巻く両親をはじめとする家族、職場・学校などの人々、生き物、自然、出来事……それらの発する“メッセージ”に耳を傾けるとき、何かを教えてくれていることに気づきます。

 その“声なき声”はある時は自分の心の未熟さを教えてくれています。父が私に真実を観ることの大切さを教えてくれたように…。ある時は私たちを生かそう生かそうとしている驚くべき神の智慧と導きを実感させてくれます。釈迦がバラモンの娘の供養した牛乳入りのお粥を食べられて“生かし合いの世界”をお悟りになったように…。

「大馬鹿になれ」――この言葉は自分を空っぽにしたときに、青空のように広く、明るい“神の世界”にまで飛翔できることを教えてくれています。


大馬鹿になれ2

バカの壁をとる第一章
ありもしない「壁」

第2章

南極における皆既月食

第3章
脳中心、自我中心の生き方が「壁」をつくる

4

『火星年代記』とテレパシー

5
悟りに到る近道

6
三界唯心蔵


世界観は風邪の症状


人間とは何だ!?


子供達の「バカの壁」

エピローグ
「バカの壁」をとる最高の妙薬