▲龍門石窟全景

▲奉先寺大仏▼

▲龍門橋を渡る荷馬車

▲白楽天墓

龍門石窟(石窟全景図を見る?)

翌日、午前中はゆっくりして友誼賓館で昼食を取ることにした。
ここの食堂は新館に一つ、旧館の裏に別棟のが一つ。新館のは高いらしいので、旧館裏の寂れた方にする。
中国の食堂ではたいてい11時半から昼食開始なので、その時間に合わせて食堂に向ったのだが、ここは12時からだそうだ。

食事はセットメニューで一人分ずつ出てくる。一人旅の人間には何とも有り難い。11皿出て6元(約360円)。
領収書を見ると留学生となっていた。片言でも中国語を話したのでそう思ったらしい。後で同室の人に聞いた話では、普通は7.5元(450円)だそうだ。

龍門石窟(りゅうもんせっくつ)には友誼賓館前の道のもう一つ向う側、西苑路のバス停(設計院)から60番のバスで一本だ。
石ころだらけの道を弾みながらバスは行く。工事中なので埃で風景が見えない。町中を抜けた頃、やっと視界が開けてきた。

洛水(洛河)を越え関林を通り、龍門へ向かう。
バスの路線は関林の辺りから焦枝鉄路(鉄道)と平行して走るようになる。SL3輌に引かれた貨車が現れた。
ひどく長いので、数えはじめる。
10分ぐらいかかって判明したその数は、なんと53輌だった。
どこまで行くのか知らないが、亀のようなスピードでとろとろと動いていて行く。途中で止まってしまうのではないかと、傍観している方が心配になってくる。

バスは20分ほどで龍門口に着いた。
龍門口は伊水(伊河)に架かる龍門橋のたもとにある停留所。
橋を渡った停留所は龍門橋になる。
(この辺りの停留所名はこの後何度か変わることになる。)

龍門橋の下をくぐって石窟に入る。
石窟は伊水のこちら側に開削されている。外人料金は3元(180円)だが、香港人を偽ったので2角(12円)になる。
中に入るときれいな泉が湧いていた。
ここ珍珠泉の水は飲めるようで、中国人が群がっている。
ふと見ると、その泉から流れ出る水の中には昨日広州市場で食べたスープの材料(オキアミもどき)が生息していた。
この辺で捕っているのかもしれない。

龍門石窟は、北魏(ほくぎ)孝文帝(こうぶんてい)の洛陽遷都(494年)前後に聞かれたものらしい。
北魏の王室は仏教を擁護しており、それまでは大同で石窟を造営していたのだが、王朝が大挙して洛陽に移って来たため、この地にも石窟が造られるようになったのだ。

龍門で最も大きいのが、奉先寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ=大仏)で、高さ17.14メートル。
南側にそれぞれ、弟子(阿難(あなん)と迦葉(かしょう)=ブッダの弟子)菩薩、天王、力士を配した露天の塑像群で、唐代彫刻の代表作だ。
元は伽藍に覆われていたが、今は焼け落ちてしまってない。

盧舎那とは太陽を意味し仏の最高位を表す。
その丹精な顔立ちは、唐の三代皇帝高宗の皇后、則天武后(そくてんぶこう=武則天)の姿を写したものといわれる。
切れ長の目に引き締まった口元、いかにも頭の切れそうな感じがする。

とかく悪女の代表のように言われる則天武后だが、性格はともかく、政治的手腕は群を抜いていたといっていいのではなかろうか。
英知の光に満ちたこの仏から推察する限り、則天武后が絶世の美女だったというのは本当らしい。

門をくぐってから、北魏様式の平面的な(不気味な)仏ばかり見せられたので、ここに到るとホッとする。

石窟は思ったほど広くはなかったが、前面に流れる伊水がエメラルドグリーンに輝いて美しい。
それもどこまでも澄んだ感じなのだ。
中国へ来て川に透明感を感じたのは初めてだったうえ、夕日が彼方の水面を宝石のように飾り始めていた為、更に感動的だ。

60番の終点、龍門橋(その後白園になり、現在はまた龍門橋に戻っている)は、伊水に架かる龍門橋を越えた対岸である。

こちらから眺める石窟の全景は壮観だ。夕日を受けた石窟はオレンジ色に彩られて美しさを一際増している。ここには夕方来るのが良いのではなかろうか。

 ちなみに橋を渡った対岸、香山寺には長恨歌で有名な白居易(白楽天)の墓がある。彼は晩年この地に隠棲し、香山居士と号したそうだ。


次も見る?