日記のようなものだねーん

2001年11月




2001/11/01

引っ越しとなると、

3年間にわたり根を生やし続けびくともしないような家具共を、

動かさなければならない。

その下にはつもりに積もった埃どもが、

きれいな繊維を張り巡らせており、

ジッと見つめていると、冬をのりきるための衣料品として

出荷したくなるような衝動に駆られてしまう。

いや、そんな話をしているのではなく、引っ越し準備をしているときの事件である。

いつものような大音響で掃除機が活躍をしていた。

しかし、今日の彼の活躍ぶりは私の胸に熱いものをみなぎらせる何かがあった。

「この予感って?」

「もしかしたら恋?」

しかし、次の瞬間、

人類が猿よりもまさる事の証明でもある、火の利用時に発生する煙が立ちのぼった。

「うをおおっ何だこりゃ?」と叫んだそのすぐあと、

バキバキバキッ。

掃除機がその電化製品生命を終えた。

「おいおい、あと一ヶ月弱で帰国するというのに、どうしろというんだ。」


2001/11/03

おおお遂に11月も3日が過ぎてしまった。

相変わらず愚痴をたれているのが、論文作成についてのことである。

折角はじめた仕事だから仕上げて帰りたいと考えるのは

研究者ならば普通の考え方だと思う。

もちろんこのことはボスも充分に理解してくれているようであり、

私の論文のチェックを最優先してくれていることを強調してくれる。(信じてないけど。)

仕上げられずに帰った今までの研究者達の事を例にあげて、

「でもTadは違うから大丈夫だよな。仕上がりに限りなく近いんだから。」

と、何を根拠にしての発言なのかは全く不明なのであるが、

すくなくとも帰国間近い私に協力態勢をしいているのは確かなようだ。

ところがだ。いきなりつい先日2ヶ月前にボスの手に渡っていたはずの論文についてのコメントをボスが返してきた。

「Tad。あのデータでは弱すぎるから、違った角度からデータを出してみよう。」と。

いきなり目の前が暗くなった。あと3週間しかない私にこれから新たに何をさせようというのだ。

「いや、とても簡単な実験だから、すぐだよ。」

勘弁してくれよお。せめて1ヶ月前にでもそのことを指摘していただけたならば何とかなったかもしれないのに。

そんな簡単にデータ出ねえよおお。

論文を仕上げられずに帰国する研究者がここにまた1人。


2001/11/04
映画が好きな私にとって、映画を自粛していたこの1ヶ月間は辛いものであった。

論文作成で忙しい時期だからとケーブルテレビの映画専用テャンネルも契約をストップしたし、

ビデオ購入もいっさいやめた。帰国への準備が進んでいるということである。

ところが先日エレキギター購入という浪費で奥さんの厳しい監視下に置かれている三重人Kが

何を考えたのかVCRテープを密かに購入した。

あの話題作Hannibal。

三重人Kのその勇気ある行動は称賛に値すると思われるのだが、

今後彼の自由は完全に剥奪されることが予想された。

いや、彼の基本的人権がどうの、といった話はどうでもよいのであるが、

なんと彼が命をかけて手に入れたこのテープを貸してやるというのである。

映画を一旦見始めると止まらない私にとって

このビデオ借りてしまえば何かが起こると躊躇してみせたが、

みせただけで3秒後にはthank youとカバンに詰め込み、

すでに思いは話題作へのイメージ空間にあった。

帰宅してすぐにブラウン管に張り付きHannibalを観賞してしまった。

「うああAnthony Hopkinsさん、お久しぶり。ご無沙汰してました。」

「さすが面白かったですよ。」「相変わらず残酷なことしてくれますねえ。」

さて、お次はと・・・。

そう、私は実は知っていた。

解約したはずの映画専用テレビ。解約の通知書もあり、支払いもすでに完了しているのであるが、

いい加減なアメリカ、まだチャンネルひねるとつながっていることを。

(おそらくケーブル会社の人は新たな契約者が我が家の近所にできたときなどのついでにケーブルを止めにくるのであろう。)

気がつくと夜中の3時

「うわああ、くだらないといいながらケーブルも見てしまった。」

そして昨日

「うげええ、映画館にまで行ってしまった。」

そして今日

「大量にビデオ購入してしまったじゃんかよおおお。」

壊れてしまっているよおおお。既に俺。


2001/11/05
シカゴ発オマハ行きの飛行機、

出発直前にナイフとスタンガンを所持していたネパール人が捕まった。

第3のテロへの警戒が叫ばれている中。

9月11日の実行犯と同じアパートに住んでいたという犯人。

オマハ行きの飛行機内で何をしようとしていたのであろうか。

チケットは片道だったらしく、そのことが事件をいっそう不気味なものにしている。

彼が通ったゲートのセキュリティは7人首になったらしいが、

ナイフ9本も持っていた犯人が通っても本当に気付かなかったんかあんたら。

それよりも、一旦彼を釈放してしまっているシカゴ警察よ、危ないことしないで欲しいなあ。

田舎町オマハにもテロの危機が迫っているということだ。

早く日本へ帰ってしまおう。

ところで、私、本日でアメリカ滞在3年となりました。

まあ、そんなことどうでもいいか。


2001/11/06

先日頼んでいた愛機MacのACアダプターがまだこない。

もう3週間くらいたつ計算になる。

HPで調べてみると、私の求める品はBackorderになっているらしい。

そう、アメリカでよく聞くこのBackorder。

私が出した注文の在庫がなく、小売店の方から問屋、もしくは製造元へと注文することである。

このBackorderが出ると、小売店の態度は、

「商品がないから、しかたねえだろお。問屋が悪いのだから、おいらにうだうだ言うな。」である。

実験で使う試薬に1ヶ月も待たされ、学会へ出すデータを一つ諦めたといった苦い経験 もある。

その間いくら文句をたれてみても、「問屋がわるいんだよ。問屋が。うるせえなあ。」なのである。

待たされていらいらするのもいやなので、

感電すれすれのACアダプターを帰国まで使用し、

日本であらためて手に入れようと、注文先へとメールを送った。

「購入をキャンセルしたいので引き落とされた代金を元に戻してください。」

夕方7時に送ったのにその日のうちには返事がきていた。すごいなあ。通信販売。

「Backorder中です。」

なんなんだそれ。

キャンセルだといってるだろお。


2001/11/08
私のお別れボーリング大会を開催するということで、中国人Mがセッティングしてくれた。このボーリング最後にプレイしたのがいつなのか思い出せないくらい久しぶりである。

 私の高校時代はブームでレーンをとるのが大変だった。しかし大学になった頃は、あれだけ、私に、「お断りだ」をたたきつけていたボーリング場が次々とつぶれていった。
あの、あこがれだったあの娘との思い出の場所も現在葬祭場にかわってしまったんだよなあ。

 オマハは冬やることがないためボーリング場は大人気。中国人Mが電話帳を片っ端から当たってやっと、オマハの隣町に開催場所を設定できた。ところで久しぶりは私だけではなかった。三重人K、そしてブルジョアAも同様で、ガターという言葉を本当に久しぶりにそして頻回に発した。いやよく覚えていたねえ。この単語。三重人Kなどは後方への投球で周囲に活をいれたりしてたから、いや、もりあがりましたよ。低レベルだったけど。

2001/11/09
 前日のお別れボーリングの後はもちろんアルコールを摂取するために飲み屋へ向かった。そして、すべてが終了したのが夜中の1時過ぎ。チャゲアスを思う存分歌ったためハスキーボイスでの翌日が始まった。

昼過ぎのミーティングまでにはおきまりの頭痛は消退していたが、どうも喉が今一。ボスが相変わらず無理難題を押しつけてくるものだから、それに対する悲鳴で声帯のうけたダメージは回復しそうにない。

 実は本日もカラオケのある店に飲みに行くことになっていたのである。オマハにいる日本人研究者が集まり、飲んで歌うための会である。

 前回は会話が弾みなんと夜中の12時過ぎまでただただしゃべりまくる会となってしまったので、今回は私の美声でも準備してオマハ日本人会を私の虜にしてしまおうともくろんでいたのである。といってもこの会、野郎がメインの会であり逆にふざけるなと殴られる可能性はあったが。で、何が言いたいかといえば、喉をやられているし、私のカラオケ生命に支障をきたすかもしれなかったから・・ええと。殴られずにすんだなあ。

 ところで韓国料理でお馴染みのthree dollars cafeでの宴会はいつも盛り上がる。韓国の焼酎にキュウリを入れて飲ませてくれる。その美味がたまらない。Pacificの海賊さんも岡山紳士H先生も砂漠で渇水地獄に陥った旅人がオアシスで水分補給でもしているかのようにガブガブやってくれるものだから、私の飲み分がすくなかったんだよおおおおおおお。いや、追加注文どんどんしてるから、飲んだのかな私も。

 やっぱり日本人同士で飲むのって、言葉の問題もなく楽しめるねえ。よし忘年会は東京で暴れ回るぞ。

2001/11/10
 朝から実験を予定していた私。早々と自宅を出た。

カーラジオで眠い朝から目覚めようとスウィッチを入れたとたんに

怒鳴り声のような英語が流れてきた。

「何だ何だ、何事だ朝っぱらから。」

ラジオ:「 20分前にニューヨークのJFK空港から飛び立った飛行機が墜落。」

「えええええええええええええええ。」

「またテロかあああ。」

現場から目撃者の電話がラジオ局へ入ってきた。

空中でエンジンが爆発したらしい。

住宅地へと落ちていったとのことだ。

周囲の通勤車のスピードが落ちる。

カーラジオに聞き入っているのであろう。

9月11日の惨事の時と同じ時間帯であり、

あの日の悪夢がよみがえってきた。

全空港閉鎖、官公庁の警備強化になるんではないかい。

到着したラボではまだ誰もこの事件を知らず、

私のこの情報で暗いムードに包まれる。

「無事に帰してくれえええ、日本へと。」


2001/11/14

 引っ越しの準備をしていると、どこからともなく、出てくる出てくる。

ペニー、ニッケル、ダイム、クオーター。

こいつらは日本に持ち帰っても円にはかえてくれないから

アメリカで使いきる必要がある。

だから、財布の小銭入れをパンパンに張らせ使用の機会をうかがっていた。

 ただでさえアメリカに来て窮屈になったズボン

その狭い空間の一部を財布に占拠されているものだから、

歩きにくいったらありゃしない。

別に札束が入っているわけでもないこいつに偉そうな顔をされるのもいやなので、

今日の昼食代で一気に片を付けてしまう計画をたてた。

その大計画の舞台は職場近くのいつものファーストフード。

昼食時だからもちろん延々長蛇の列である。

「小銭のみでバーガーを購入するんだ!」と計画を再確認しドアを開けた。

バーガーの値段は4ドル4セント。

いつもなら5ドル紙幣を渡して金持ちぶりながらしっかりと釣りをもらうところであるが、

計画を遂行しなければならない私は、

襟首をたてたりして周囲から素顔を隔離しようと試みた。

貧乏人顔を見せるわけにはいかない。

しかし小銭入れをひっくり返して、カウントを始めたころには計画の甘さが悔やまれ、

男前を隠すのなんのといった話はどうでもよくなった。

シミュレーションでは5秒とかからないはずだったのに、

後ろの迷惑顔に急かされているせいか焦ってしまい、足し算がうまくできないのだ。

諦めて財布から5ドル紙幣を出そうとしたが、

なんと、今日に限って財布に2ドルしか入っていないではないか(いつものことだろ)。

札を探った分ロスタイムがさらにでかくなり、

結局、完全な貧乏人の味を充分に出し切った5分の後に必要額を手渡すことができた。

25セントが10枚、5セントが10枚、10セントが10枚そしてペニーが4枚。

あきれ顔に囲まれているだろうなと周りを見渡すが、

さすがアメリカの土田舎、そんなことで文句をいう奴はいない。

Good job!なんて言われたりして・・。

帰国まであと11日。


2001/11/17

 いっそがあああしいいいいい。

こんなんでええええ、

終わるんかああああああああああ。

引っ越しのため、箱詰めをやっているんだけれど、

簡単そうでそうじゃないんだああ、これが。

私の計画では適当に

近くにあるものからどれでも順番につめこむはずだったのだが、

嫁が怒鳴る怒鳴る。

ちゃんとわけていれないと、日本に帰ってから大変らしいのだ。

台所用品、本、服、ビデオテープ。

おいおい分別ゴミじゃないんだからよお。

アメリカでは分別ゴミなんて制度なかったじゃんかあ。

燃えるもの、燃えないもの、なんて関係ない国なんだよお。

まだ10日ちかく残っているのに、日本人にもどらなければならないんかあああ。

いや、ゴミの話ではなかった。

さらにリストまで準備しなければならないから、

本当に辛い作業となってしまっている。「いつまでたってもおわらねえええ。」

「結局は日本で全部あけるんだから、いいじゃんかよおお。」

さて、このクソ忙しい時にHPなんて更新しているところを見つかってしまうと、

首根っこ捕まれて、市中引き回しの上

張り付け獄門攻撃をくらうことは火を見るよりも明らか。

「おっとあぶねえ嫁がこっちを見ているぞお。」

「あの目はどう見てもloveではないなあ。」

「詰め込み詰め込みっと。」

「おっと、これは燃えないゴミじゃんかああ。」

「・・・・・」

そういえば、昨日私のHP30000アクセス達成していたんだよねえ。

ばんざーい、なんて喜びのセレモニーをやっている暇もなくて。

明日は家具出しだからさらに忙しくなるなあ。帰国まであと9日




2001/11/21

 ここしばらく、忙しくてHPに立ち寄る暇なかったけど、

本日は少し落ちついたようで。

荷物は部屋から完全に出てしまって、住み慣れたオマハの城は遂に空っぽ状態。

何もないところで、家族円くなってたきぎを囲んでのキャンプ気分を味わうのもいいのかもしれないが、

いくら暖冬が期待されている今年であっても、オマハはオマハ。

夜の冷え込みを焼き芋を楽しみながらのりきるのは辛すぎるし、

ホテル住まいを選択することにした。

連日の引っ越し作業で疲労がたまっていたようで、

昨日はフラフラ気分。無重力状態といえるような(しらねえよ無重力なんて状態)。

ボスの理不尽なる命令をも何の抵抗もなく受け入れている自分を

遠くから観察しているような不思議な感覚。

パンチドランカー状態っていったいどういった状態なのだろうかと、

どうでもいいような疑問を真剣に考え始めたから、やばいと判断して

早めに飛び込んだベッドの翌朝の今日は完全復活。

まだまだ若いねえ私も。

回復してすぐに気付いたことといえば、ボスに言われたことなんて全くやっていない自分の立場。

うげげげげのげげでの個別カンファだったよお今日。

そっとしておいてくれよおお。ボス。

気分は日本なんだけど。



2001/11/22
 hotel住まいももう5日目。アメリカに来て4回目のThanks giving day。 日本では全く聞いたことがなかったし、関心ももちろんなかったけど、なんとアメリカでは4回ともしっかりと七面鳥を食べてしまって・・いや何でも食べられるものは食べる私だから別に七面鳥はThanks giving dayでなくとも食べていたけど・・・・。今年はボスに招待されたので、家族でおじゃました。ボスとは論文の件でいろいろあった先週だったけど、いまさらどうなるわけでもないことをお悟りになられたようで、さわやかな会食となった。私の研究自体は人類の平和に貢献できるまでには至らなかったと思うけど、とても早口のボスの英語を半分は理解できるようになったとおもうから、オマハ生活って私にとってはとてもいい経験になったと思う。「ううっ、でも今日はさらにスピードアップでわかりにくかったなあ。・・」

ありがとうボス。そしてラボの仲間達。



2001/11/24
 昨日いつものように飲んで食べていたら、

ガギッと口腔内で音がした。

化石でも入っていたかなと思って、

しょうがねえなあと舌で口腔外へと送り出したらびっくり。

ををををを。お久しぶりだねえお前。

再会の涙の中、1年前へと
タイムスリップ(和製英語)してしまっていた。

辛かったよねえ、苦しかったよねえ。あの頃って。

歯の詰め物がまたもやとれてしまったのだ。


昨年の今頃糸ようじで歯の手入れをしていて、

しつこい隙間へ対して満身の力をこめて糸をひっぱりあげたら

突然宙に飛び出したのがこいつだった。

スペースシャトルよりも完璧なる放物線をえがいた。(おっとスペースシャトルが放物線を描くとまずいな。)

あの時はおたおたしながらも瞬間接着剤使用で事なきをえ(?)

オマハでは歯科医はいらねえと豪語していた私であった。

さて今回帰国までもう3日しかないから、

当然同様の処置へと期待することになる。

しかしだ。

引っ越しのゴミとして大事な物までが

ダストシュートの餌食となってしまって嘆いている我々だから

前回詰め物のためだけに購入した接着剤なんて真っ先にすててしまっているだろう。

夜中に接着剤購入はその意義づけが極めて困難だ。(?)

楽しみの少ない私にとって朝飯がうまく摂取できるか否かは

重大問題だということか。(おいおい老人かい)

早速24時間営業の大規模小売店土田舎支店を探してみたが

接着剤購入の経験が少ないせいか陳列場所がみつからない。(陳列してたっけ。)

そこへ現れたのが、日本でひと昔前に流行っていたような怪しげなピアスに

反り込みの入った額、そして黄色に染めた髪がセキセイインコを思い出させてくれる店員さん。

ここぞと目的の品の場所を尋ねてみた。

もちろん英語だけで私のいわんとするところを

彼に理解してもらえるなんて思っていないから、

詰め物がとれたあとの痛々しい歯をさして、

「これ(歯)にこれ(詰め物)をくっつけるのり探している」と訴えたら、

ピアスの鼻翼でヒクヒクと笑いをこらえながら「Oh! strong glueと教えてくれた。」

「歯にピアスを通して人々を驚かせてみんかい。こら。」

と、場所を教えてもらいながらもそんなこと考えながら、

罪のない善良な人々としてカウントされるために全身で喜びを表現した。??


さて、目的の品は手にはいったけどこれからが大変である。

鏡を見ながら自分への処置をするのである。

ブラックジャックが同様な方法で

自分で自分の開腹術を施行している場面に感動したのは小学生の頃。

そのストーリーを思い出しながら自分も子供達の感動を集めてみようと試みてみた。

瞬間接着剤を詰め物につけてそれを指でつまんで空いた歯に持っていく。

しかし、鏡の中の世界はすべて逆。

うまくいかずおたおたしていると接着剤は私の指の皮膚を

詰め物の収まる場所として判断したかのように固まってしまった。

「指先に詰め物がくっついてとれねえよお。」

こんなんで大騒ぎしている情けない人間なんて世界中にどれくらいいるのだろか。

これはこれで子供達の人気者になれるかもしれねえなあ。

四苦八苦してようやく収まるところへおさまった頃にはもうへとへと。

指の表面は完全に接着剤でコーティングされて

外界からの刺激へはかちんかちんの壁でもって対応している。

「アメリカではいろんな経験するなあ。」

「あれっつ、そういえばもう日がないなあ。」

日本へ帰国の朝はもうすぐそこに。


2001/11/26
 遂にOmahaを離れる日の朝がきた。朝4時雨降る中を、前日移動した空港近くのホテルから飛行場へと向かった。

 こんな早くから既に各航空会社のカウンター前にはかなりの列が続いている。うっとおしいなあと思いながら今回テロの対象にされた航空会社のカウンターでもらった我々の搭乗チケット。なにか怪しげなスタンプがおされているではないか。

group2

 以前イタリアへ行ったときロンドンの空港でいきなり取り調べをうけた時にも怪しげな星印があり、その後不当な待遇をうけた。今回も何かあるんかなと思っているそばからトランクを全部開けろといわれた。やっぱり。

 トランクをチェックする係員gentlemanからはほど遠いお姿の方で手伝おうとするとDon't touch.と怒鳴られる。なんでお前に偉そうな態度をとられなければならないんだ、と不快にはなったもののこういった時期に帰省しなければならないのは運命。ここは協力するのがテロと戦う我々の使命だろうと思っていたのであるが、ふとまわりを見渡してみるとトランクを開けられているのは我々だけ。

「子供づれの我々よりそこにいる怪しげな顔したアメリカ人の方を疑うべきだろうがあ。」と言いたかったのであるが、まあ、すべては9月11日のテロのせいであり、また、先日のネパール人の件もそれに輪をかけているんだろう。しょうがないと言えばしょうがない。

 搭乗ゲートに入るためのセキュリティー前がこれまたすごかった。半端じゃなく延々長蛇の列。1時間は並んだだろうか。でもアメリカ人はここでしかちゃんとしたCheckをうけないのである。だから、念をいれた検査のため列が続くことになる。

 そんな困難を乗り越えてやっと待合い室へ入れたかと思ったら、私達の座席番号が搭乗口前の我々の航空会社のカウンターから呼び出されている。

 今回帰国の便は三重人Kの一時帰国と一緒だったので、待合い室では彼らと一緒にいたが、彼らと私達のチケットが呼び出されているようなのである。

 受け付けの女性に、「呼び出した?」と聞くと、時間がないから早くそこで持ち物の検査をうけてくれと言っている。なにいい、またやるんか?怪しげなアメリカ人達がfreeで搭乗していく横で、財布の中からなんからすべて検査をされるのである。子供達のバッグまで。完全に怒り顔の嫁。

 完全なる人種差別検査が終了して不機嫌の中で乗り込んだ機内ではなんとさらにトラブルが待ち受けていた。私の席に誰かが坐っている。彼のチケットの座席番号を確認すると私と同じ番号である。そして、彼のチケット上に押されているスタンプはgroup3そう彼は黒人だった。

 彼曰く、「今回は本当にひどい目にあっている。疑われるのは私達ばかりだ。」「どうせ私の座席が間違っているんだろうと思う。いつもそうだ。」

 アメリカは今回のテロ後にある程度の人種差別は容認せざるを得ないといっている。つまり、人種を元に疑うのを良しとしているのである。まあ、仕方ないのであろうが自分がその不合理を被るとさすがに気分が悪い。心の狭い私としてはオマハを離れる最後の最後に本当に不愉快な思いをさせてくれたこの会社の飛行機には二度とのらないことを誓うのであった。


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