日記のようなものだねーん

2001年08月





2001/08/01
  ウチのロシア人2人は仲が悪い。Vが渡米してきた当初は英語の問題もあり、もう一人のロシア人テクニシャンLに頼り切るしかなかったのだろうか、2人は仲がいいのかと思っていたのであるが、英語が使えるようになった現在、もうVにとってLはうっとおしいだけの存在になったようで、それまでたまっていたうっぷんをはらすかのように、公の場で爆発したのだ。ボスはその場を取り持つので大変である。最近の私はその争いを観戦するのが楽しみでラボでの仕事がはかどる。もちろん我々のほとんどはVの味方である。おっと、Vが立ち上がる前はLと戦いを繰り広げていたのは私。だから、日頃ほとんどLとは口もきいていなかったのに、最近はLの方から妙に話しかけられる。「Tadそろそろ、帰国だよねえ。延長してくれないと寂しいよ。」おいおい、うそこけ、お前。そんなことお前の口から出て来ても、絶対信じねえよ。第4次大戦開始のカウントダウンが始まっていた俺とお前だろうよ。わかってるよお前、ウフッ。戦略家だねやっぱり。2カ国から同時に攻撃をしかけられたら不利であるから、そのウチの一カ国とは講和条約を結んでおくんだろう。わかったよ。俺もVとお前の戦いを腰を据えて見ていたいから、講和してやるよ。だから、しっかりと楽しませてくれよ。


2001/08/9
 オマハが急に涼しくなった。昨日は40度超えていたのに、本日は28度位。 少し飲み過ぎたのか、頭痛が残っていた朝であったが気持ちよく通勤することができた。昨日はボスの家でのバーベキューパーティ。おいしい牛を食って楽しかったねえ。仲の悪いロシア人同士は最大対角線の両端に座しており、何事も起こらなかったから少し物足りなさが残ったけどねえ。ボスがいきなり来年の学会の演題について話しかけてきたけど、締め切りは10月。しかもいつものように、今から新たな研究を始めろと仰る。 ちょっと、まってよ。もう研究はこりごりだよおおお。


2001/08/10
本日も過ごしやすい一日。このまま冬まで行ってもらいたいもんだねえ。さてグランドキャニオンに行ったのだから(今年の6月)、その時の話をそろそろまとめなければならないなと、思ってもいるのであるが、どうもそんなに昔のことは今更、思い出しながら書いてもなあ、といった気分になってしまい、また次回といったところで、とりあえずイタリアでのこと(昨年の秋)でもの載せてみようかなと思っている。こちらはかなり昔のことだけど。未完成状態のまま放置してたんだよお。ピサの斜塔


2001/08/15
久々の雨だ。今年は雨の日が少ない。まあ、雨が降ろうが降るまいが、一日中研究室に閉じこもっている、我々には全く関係のないことなのであるが。

 先日ボスに言われていた新しいプロジェクト、私がオマハにいる間に完結するはずもないから、テクニシャンRが中心になってやることになった。自分の仕事の残りを仕上げることでクソ忙しいのにと思っていたが、Rがやってくれるのであれば楽勝である。しかし、責任者は私であり実験計画を立てなければならない。学会演題の締め切りは10月中旬。ところが、このR何かと理由をつけて実験を始めないのである。彼が現在携わっている仕事が終了してからとおっしゃるのである。我々のように同時に3つの実験をスタートさせたりするなんてことはできないようだし・・、もちろんそれをお勧めするわけではないが。

 7月下旬にボスからこのプロジェクトを聞かされた時点ですでに時間が足りないと私は唸った。それからさらに1ヶ月が過ぎようとしているのであるが何も始まっていない。大丈夫なんかと何度もRを脅かしているのであるが全く動かない。中心となるであろうデーターだけでも出しておいて後から肉付けしてもらおうと、結局自分で始めることになってしまった。アメリカ人はつかえねえええええ。


2001/08/18
 セクションチーフの家で豚の丸焼きパーティーがあった。セクションのメンツとその家族が招待されており、かなりの人間が集まるパーティーになるはずであり、もしかしたら入りきれないのではないかと大家族を率いる我が家は心配したのであるが、全くの杞憂であった。庭にはバレーボールのコートがまるまる入り、その横には温室、そしてその対面には大きな小屋があった。この小屋は後からしったのであるが、単なる作業場であり、知らなかった我々はなかなかの造りの家だと感心していた。本当の住居はまさに豪邸であり、あまりの大きさに個人の家とは思わなかった。こんな生活してみてーよおおおお。日本に帰ったらさらに狭い中での窮屈な生活を強いられることになるんだよねえ。


2001/08/23
以前からつかえねえと思っていたテクニシャンのRが私からのプレッシャーにつかれたのか、いきなり一方的に宣言してきた。9月以降忙しいからTadのプロジェクトは手伝えないと。こらあああ。何を言い出すんだこいつう。このプロジェクトは研究費稼ぎのための重要なプロジェクトであり、俺は単なるRのスーパーバイザーということで請け負った仕事ではないかあああ。けっして「Tadのプロジェクト」ではなあいいいい。彼に逃げられると、私が責任者ということもあり何とかしなければならない。本日のボスとの個別ミーティングで話題にしようとしていたら、ミーティングの一番最初にいきなりボスが、「Tadも帰国前で忙しいかもしれないけど、仕事が速いから例のプロジェクトは早めに終えておいてね。」とのたまわれた。「ちょっと待ってくれえ。」あまりの先制攻撃で言葉が出ずにいたら、なんとミーティングは終わり。おいおい、前もってRと何かを画策していたなあ。本当に仕事が早いのであれば、こんなに仕事をためこんでいるわけないだろおおおおお。

2001/08/28
 ついに8月が終わる。ボスに出してある論文は結局手を付けられずに、一ヶ月が過ぎることになる。どうなっているかと尋ねるといつも、「いま見ている最中だ。」と答えてくださるが、結局なにもなく月が過ぎることになった。

 あまり深く考えてもどうしようもないから愛機PowerBookG3 のメモリでも増やしてみることにした
(話がつながっていないかなあ)。
 購入時はあまり使用することもなかった愛機だったので90MBで満足していた。しかし、扱うデーターが増え、たくさんのソフトを同時に立ち上げなければならないこと、特に画像ファイルをいじる機会が増えてきたことから(オマハ写真館の作品位は大したことないけど)思い切ることにした。
(くっそう、少ないメモリで苦労して書いている論文なのにい。)おっと、余計なことを思い出してしまった。

 ええと、そうそう、そこで嫁に内緒で事をすすめるのに最適の通信販売を利用することにした。
 以前もハードの容量upで利用したところだし信用のおける会社である。
 あの時もやはり秘密裏に事を進めたんだった。懐かしいなあ。おっと、でも、小さなHDを大きなパッケージで送ってきたものだから、結局ばれてしまったんだったなあ。くっそお。今回は前回の倍の大きな箱。ビデオデッキでも送られてきたのかとおもったわい。本当に必要サイズなんかい。メモリってフロッピーデスクの半分のサイズもないじゃん。

 で、と、512 MBにしてしまいました。これでもう仮想メモリ使用なんて邪道とはおさらばだ、と、三重人Kを捕まえて自慢したはずだったのに、「ええっ、たった90MBしかなかったんですか。今ではどの機種も最初から256以上ありますよ。」
 私のは512 MBだから、256MBってサイズを聞かされても動じる必要はなかったのであるが、90 MBだった私の過去をあまりにも哀れんでくださったものだから、せっかくの午後のひとときを辛かった時代を懐かしむ時間にあててしまった。

2001/08/30
さて、「いま検討してている最中だ」とおっしゃていた私の論文がいつまで立っても戻ってこないので、個別のカンファの時に聞いてみた。

「ちょっとこのスピードでは帰国まで間に合わない。」との不満もすこし訴えてみた。

 日本ではこんな不満上司に訴えようものなら、はりつけ獄門の刑に処せられるところであろうが、アメリカでは大丈夫なのである。むしろ言わないとアメリカではなにもしてもらえない。繰り返し繰り返し訴えて忘れられないようにするのだ。だからといっても日本人はどうしても遠慮してしまいなかなか言い出せない。そういう私も言い出せずに本日まで待っていたのであるが、なんと、その論文自体がなくなっていることが判明した。「見てくれているって、おっしゃってたじゃない。」

 不安が的中であった。忙しすぎるボスは暇な時間を見つけて我々のデータをcheckするのであるが、その時にその場に置きっぱなしにしているものだから、次々とボスの元に届く書類が上へ上へと重なっていき次第に巨大な山の土台となってしまうのである。ただ、この論文紛失されるのはこれが初めてではなかった。

 現在の論文作成の流れはまず自分で仕上げたものを、ネイティブがチェックしたあと、ボスの元へと届くことになっている。そしてボスがチェックしたものはまた本人のところへ戻り、足りないデーターをつけ加えたりしながら、さらにネイティブ、ボスと3回位行き来してから雑誌への投稿へと行き着くのである。もちろん投稿したものが雑誌に載せてもらえるわけではなく、投稿先に気に入ってもらえずリジェクトを食らうことが多い。そうなるとまたボスと検討を加え、別の雑誌へと投稿するのである。気が遠くなる程の時間がかかる。

 もちろん時間が充分あった1年前にこの作業を行えたら問題はなにもなかった。別の研究をしている間にこれらの作業を同時に行えばよかったのであるから。しかし、帰国前の現在、時間と戦いながら行うこの作業はストレスフルである。

  問題は中間に位置するこの外人であろう。この方はサイエンスの世界には今まで無縁の人であり、我々の研究内容は全くわかっていない。文法や単語のcheckで充分と思われるのに、ボスの期待を背負っているものであるから、よせばいいのに論文の内容までいじってしまい、とんでもないものにかえてしまうこともあるのである。その間違いはもちろん我々のしでかしたものとして、ボスは認識してしまうし、その分ボスから突き返される率が上がってしまう。さらに困ったことはこのネイティブ仕事が遅い。よってボスに届くまでに10日以上もかかってしまうことがあるのである。

 中間に位置するこの人がいなくなれば、投稿前の期間は短縮できるはずである。このことをボスに訴えた。「Tadの英語を直すだけで、今より3倍も4倍も時間がかかるんだ。このシステムの方が早くてがいいんだ。」とご立腹になられてしまった。英語を責められるともうどうしようもない。もちろんボスに対して反論なんてできるわけないけど。

 さて、論文、そういったわけで最初のステップからまたやり直しである。

Tad国王日々の記録室

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