日記のようなものだねーん

2001年07月





2001/07/08
深夜4時頃突然我が家の火災報知器がなった。いきなりのことで心臓が口から出てきた。アパートであるから、全室そのけたたましい音で飛び起きたのであろうと、周囲を見渡してみたが、何事もなかったかのように閑としている。我が部屋備え付けの火災報知器がのみが何かに反応して、我が部屋だけを対象にしたサイレンを流したというわけである。ブルジョアAのところのように侵入者に反応する高級マンションではないから、やはり火災に関係ある何かであろうけど、漏電、その他、火もとになりそうなところをcheckしてみたが、まったくそれらしい箇所は見つからなかった。不安のまま朝まで熟睡するしかなかった。(熟睡するな。)翌朝さっそく管理人のところへ文句をたれにいったところ、「バッテリーが切れているのでしょう。」とあまりにそっけなく答えてくれるものだから、とても納得できない説明なのにそのまま引き下がってしまった。明日にはそのバッテリーを変えてくれるらしい。あれほどのアラームならせるのならバッテリーよ、まだ切れずに頑張ってほしかったよ。


2001/07/09
 暑い日が続いているせいかイライライラである。我々のラボが扱う実験材料は辛いことに血液、痰、肺を洗ってきた水、そして尿と汚い物だらけである。それぞれをマイナス80度で凍らしておいて、そして、一気にその中身を調べるのである。もちろん毎日そのような事をしているわけでないが、検体がたまったらひたすら計測となる。さて、先日よりこのクソ暑い中、尿の中身を検討する実験がはじまった。もちろん、実験自体は人間がしているわけであるから、間違ってこぼしてしまったりすることもよくある。そうなると、この蒸し暑さに妙な臭いが融合してしまい実験室がとんでもない環境になってしまうのである。実際遠心器の中でおそらく誰かが尿をばらまいた。その後は遠心器を回す度に、尿とは関係ない実験をしている私の検体周囲にも臭いが染み込んでいく。イライラのため最近、テクニシャンに文句をいったところ、洗っても臭いがするのだから、仕方ないではないかと、逆に切れられてしまった。早く切れた者勝ちとの暗黙のルールがあるため私の負けである。もちろん最初に怒り心頭に発しながら文句を言っていたら、私の勝ちだったのだろうけどねえ。文句の内容が内容なだけに、イライラの中にも笑いの要素が含まれていたから、ちょっと出遅れた感じだったのよねえ。


2001/07/10
前回のソフトボール大会で、人数がたりなかったので今回はかなり多くの人に声をかけたこともあり、かなりの人数が集まった。
 前回の欠席でチームに負担をかけ申し訳ないと思った多くの登録者が集まったのである。
 もちろん最低必要人数の9人をはるかに越えている。そうなると、折角来たのに参加できない人間が出てくる勘定となる。
 夜の8時前から始まる今回のゲームのためにわざわざ出てきた人々の多くが、心の中で思ったに違いない。「なーんだ、こんなことなら、わざわざ出てくる必要はなかった。」こうなるとおそらく次回は定員を大幅に割り、ゲームが成立しないであろうことが予想できた。

 さて、ゲームそのものはどうなったのであろうか。

 キャッチャーをしていた私の送球が大幅にずれ、ファースト止まりであったであろうランナーがサードまで、たどり着いたことからゲームの流れが大きく相手方に傾いた。大量得点献上して敗れてしまったのである。
 定員オーバーの中では私をはじき出す余裕があったのであるが、私を採用してしまったために勝利の女神は我々のチームには微笑みかけてくれなかったというわけである。さあて卑屈になろうかねえ。どこまでも。来週のゲームは様子をうかがいましょう。絶対必要なメンバーとしてカウントされる定員割れになるかどうかを、遠くから。



2001/07/15
こんな田舎町オマハでも研究施設は世界的に有名なようで、だから、日本人留学研究者が集まってくる。なにもないけど、牛のいるネブラスカ。日本で食べるステーキに比べて、特別おいしいわけではないけど、安くで大量にいただける。  ところで大抵の施設では新旧入れ替わりで去って行く人もいる。2年または3年の田舎生活を終え忙しい日本の日常へと戻されるのである。本日はK先生一家の引っ越しがとり行われた。ベッド、テーブル、ソファーと運び出されると、部屋の中が妙に広く単純な平面で囲まれた空間へとかわっていく。いや戻っていく。アメリカでのアメリカらしい生活の品のほとんどは巨大で、でも部屋の一部としてとけ込んでいるのであるが、日本に持ち帰るわけにはいかず、新しく来られた方々の新たな生活の品としてそれぞれの新居へと運び出されるのである。 もうすぐ我が家族の番がまわってくる。研究成果に関係なくタイムリミットは迫ってくるというわけである。


2001/07/20

先日火事で焼け出されたコリアンジェントルマンD(強盗事件よりも大変な事件参照)。帰国前の忙しい時なのに、引っ越しを余儀なくされた。アパートの一部の火災であり本人の部屋は大丈夫だったようなのだが、地下にある部屋が燃えてしまっては、その上の部屋で倒壊を恐れながら住むのは辛いと判断したのだろう。また、火災の原因である漏電の原因がまだはっきりしていないらしく、再度同じことが起きる可能性を大家さんも心配しているらしく、引っ越しをすすめられたというのである。あと一ヶ月住むためだけの新居にうつる。同じ大家の同じ系列のアパートらしいからうっと惜しい手続きはいらない。でも、最近好きだったゴルフをもやめて、最後の追い込みをかけている彼だったから、これは予定外に潰してしまう無駄な時間となりかなり痛い。しかもボスはタイムリミットのことなんて全く気にせず、彼に新しい実験を勧めている。今までの研究者は実験が終わらないのでやむを得ず、一ヶ月ほど留学期間を延長して帰っており、ボスはそこのところを彼にも期待しているのかもしれないが、彼は韓国ではセクションのチーフなのであり、既に決められた予定を簡単に変えることのできない地位にいるし、なにより半年も前から帰国のチケットを購入しており、予定変更してしまっては折角の格安チケットを無駄にしてしまう。今までは折角の格安を結局はキャンセルなどで通常料金より高めにしてしまう笑いをとることを生き甲斐にしていた彼だけど、今回は笑いよりも利を取る意思を固めているようである。新居だと仕事がはかどるかもしれんぞ。頑張れ。コリアンジェントルマンDよ。


2001/07/22
私がオマハに来て多くの人が帰国していったが、またもや親しくさせてもらっていたK先生一家が先週の金曜日に帰っていかれた。彼は最近ではなかなかお目にかかれない本物のジェントルマンで我がラボのコリアンジェントルマンDに対抗できる火の国ジェントルマンKと呼ぶべきであったと思う。飛行場では人口増加に貢献出来る彼の大家族が2年のオマハ生活で知り合った人達と別れを惜しんいた。もう、我が家も古い方から2番目であり今週末には、私よりも古くからいるF先生の家族もオマハを去ってしまう。寂しくなるねえ。


2001/07/23
さあ。本日もよく働いた。5時には帰らねばアメリカ人ではない。暑い。ああああつううういいいい。クーラーの効いたラボから出ると暑さがズボンの裾や、袖口からも入り込んできて、折角腹の回りにため込んでおいた冷気も瞬時に外気と融合してしまう。外気温が体温よりも高いので開けた口に入り込んだ空気が鼻から抜けていくのを感じとることができる。(これは本当のようでウソ)鉄板で囲まれた愛車内の温度は燃えるのではといわんばかりに上昇しているのだけど、冷房をつけたことだし、折角がんばって作り出している冷気がもったいないような気がして窓は閉めきりサウナ状態を堪え忍ぶ。やっと快適空間が車内を占めたと思った頃には自宅の駐車場へとたどり着く。車から降りるとまたもや熱風地獄。なんなんだと不快な表情を思いっきりつくったのは、本日最大の失敗だった。咽頭から後頭にかけての筋肉のいくつかが同時にこむらがえってしまい、うめきながらしゃがみ込むことになった。しかしこれもアメリカならではのいい経験だろうと納得するのであった。


2001/07/26
 さて我がラボにまた中国人研究者がやってきた。中国人が3人そろえば、いがみ合い、足の引っ張り合いがはじまる。現在中国人はチーフのM、そしてWと2人いるから、再び3人そろうことになるのだ。以前は4人いた。私をいれた5人がこのラボで実質研究していたのだが、お互いに協力することを避けていた彼らは共同使用のメディウムづくりとかねずみのシッポ切りとかチーフのM以外は全くしなくなった。他人、特に他の中国人のためになることはしたくないのである。私がとばっちりをうけていたのである。しかし日本人の私は皆からは中立であり、彼らは私に対してはとても親切であったが、ラボ全体のことを考えるといいことではなかった。昨年中国人が2人減ったところで戦いは終了した。いがみ合いの両極にいた2人が現在残ってはいるのであるが、過去の戦いがウソだったかのように何事もおこらない。そう、3人目がどちらの側につくかがポイントなのだろう。今回はどうなるのであろうか。日本人が3人、韓国人1人いるから、中和されて中国人同士のいがみ合いもラボへ影響する程ではなくなるだろう。ただ、今回は女性だから、もしかしたら、彼女のハートをいとめるために、日韓中3国でさらに激しい戦いが繰り広げられるかも知れない。
「えっ、子供と旦那がいるの?」


2001/07/29
遂にこのHPを始めて1年がすぎました。丁度私がオマハに来た頃オマハで暇を持て余していた鹿児島人サミーが開いていたオマハ掲示板に1年程投稿していたものを集めて、始めたのが最初でした。HPを開始した当初はアクセスしてくれる人が全くおらず、前日更新してから翌日更新するまで、カウンターの回転は1。つまり、upのためにアクセスした自分をカウントしたものといった寂しい時代もありましたが、くだらなさを追求するといった私の創作活動に興味を示してくださる人々の励ましの声が活力となり、1年間続けることができました。ありがとうございました。さて、今後のことになりますが、日本に帰ることになる次の1年、このHPを継続していけるかどうかは全くわかりません。続けていきたい気持ちは充分にあるのですが。牛くう機会少ないですからねえ日本。


2001/07/30
先週末にオマハ滞在期間最長を誇っていたF一家がオマハを去っていった。2人のアメリカ人を家族にもつ日本人顔の親父であったが、日本へと帰っていってしまうのだ。朝の6時、朝日が出るか出ないかの頃に飛行場につくと、そこには、これから飛行機内で暴れますよ状態の2人のアメリカ人が嵐の前の静けさ状態を作り上げていた。私をみるといつも緊張の表情を見せてくれるけど、当日は明らかにエネルギーを貯えていると思われる生き生き顔であった。「F夫妻よ。これからが試練の始まりだ。機内ではオマハへの思い出に浸る暇なんてないと思うよ。」それではお元気で。

Tad国王日々の記録室

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