日記のようなものだねーん

2001年06月





2001/06/04
  長い長い学会終了後の旅行を終えて本日懐かしいオマハへ帰ってきました。いろいろありました。学会でもその後の旅行でも。少しずつネタはここで披露して行く予定でおります。まあ、大まかに旅の内容を紹介すると、まずはサンフランシスコ、そこからレンタカーでヨセミテ国立公園そしてソルトレークシティそこから南下してアーチ国立公園、ブライスキャニオン国立公園、ザイオン国立公園、グランドキャニオン、ラスベガスでの灼熱地獄、そしてそこからデスバレー国定公園、2500マイルの旅、さすがに今回は疲れました。ラスベガスからは悪天候の中デンバー経由、充分揺らされてふらふらの中帰ってきたオマハはなぜか寒い。ラスベガスとの温度差28℃、「怒りのトレーナーはトランク奥深くに詰め込んであるんだよお。夏地獄から逃げ帰ってきた我々なんだけど、これでは凍えてしまいまた怒りのあいつを身にまとうことになるではないかあ。」さて、この怒りのトレーナーの話はまた後ほど。  帰宅してメールを開いてみるとこれまた大量。96通も入っているではないかあ。さすがに人気者は違うなあ、とよく見てみると92通は・まぐまぐ・からのもの。うげええ。


2001/06/11
 ををを暑い、死にそうだ。摂氏40℃ 。それが夕方5時の気温。陽射しも強く車は燃えんばかりの高温でハンドルなんて熱くてさわれない。朝は死刑囚マクベイの話でもちきりだったのだけど、昼からはそんな話はすっかり消えてしまって、まったくこのクソ暑さをどうするかの対策を皆練りはじめた。そういえば、我がタコ部屋SWAMPのクーラーまだスイッチいれていなかったんだった。部屋が狭すぎてクーラーの送風口は昨年の夏が終わってから物置と化していたから。まだ切り札があったではないかと喜んでつけてみると、なんとも言えない異臭がそこいら一帯へと広がっていった。とにかくひどい。しかし鼻は慣れてしまうが暑さは慣れないということから、臭いの方はおとがめなしとされ、思いっきりの強風で汚染区域を広げていった。まあ、これでしばらくボスも近づけまい。


2001/06/12
 オマハでは大学野球のリーグの真っ最中であるが、
それとは別にセクション対抗の草ソフトボール大会が始まった。

私のように極度の運動音痴にはとても辛いシーズンになりそうなのであるが、
実は私はここでは平均的な人間なのだ。
そう、野球のルールさえも知らない人間までもがかり出されるのであるから、
このチームにおいて私は野球解説者的な扱いを受けているのだ。
淀川長治顔負けってところだ。(おっと彼は映画の方だった。)

もちろんそれは私が所属するチーム内の話であって、
他のチームは強豪ぞろいである。

ところで本日集まった我がチームのメンバーは6人。
バレーボールだと以前ならサーブ権がないと点数の入らない人数だ。
つまりこの時点で負けである。
しかたない帰るかと、あきらめかけていたのであるが相手チームは違う。
この日のために控え選手をも揃えているようだ。

折角集まったのだからどうしてもソフトボールをしたいという相手の弱みにつけこみ、
ソフトしたいなら3人助っ人をだしなさい、
といった無謀な申し出をしてみたが、この申し出問題なく受け入れられてしまった。

助っ人のたのもしいのなんのって。
自分のチームを相手にそこまでするか的慈悲なき試合を展開してくれるではないか。
結局彼らの大活躍のおかげで今まで勝利したことのなかった我々のチームが一勝してしまった。

私はとにかくボールが来ないところへポジションをとりそしてボールが側を通ると精いっぱいの努力をして見せた。
逃してやむなしとの同情をしてくれたに違いない。
三重人Kなどはグラブすら持っておらず、
右利きのくせに誰かが持ってきていた怪しげな左利き用グラブを左手につけていた。
(普通左利き用グラブは右手につける: 映画解説者自伝「負けるもんか」より抜粋)
普通の手袋と違いスペースが広いためか一応本人には異和感なくフィットするのであろうが、
土踏まずが外側についている素足を見せられたような驚きを
相手チームにあたえたに違いない。

素手の方が楽だったろうと思うが、
一般にこんなとき素手でプレーをしてみせると、
かなりの腕であろうとの評価を前もって受けたりするから、
実際の働きとのギャップを最終的に非難されるのを恐れる、
ひかえめな国民、日本人の我々にはちょっと辛いところである。

こんな辛いソフトボールに毎回参加しているのは、
プロ球団の指名を受けすぎてドラフト会議に上がるのをもくろんでいるわけではなく、
ギャルの視線を独り占めしたいからではなく、
試合後のビールがうまいからである。

「おいおい真っ赤だぞ三重人K大丈夫か。」


2001/06/15
トルネードが5つもネブラスカにタッチダウンした前日、夕方雲行きがあやしい中、三重人Kが中国人MとコリアンジェントルマンDにたぶらかされてゴルフへ出かけていった。実はこの二人最近キチガイのようにゴルフをしている。三重人Kが犠牲になる前は私が執拗なる誘いを受けていた。実は昨年は私も喜んで参加していたのであるが、はじめて間もないMに10年以上の経験を持つ私が負けるようになってから、どうも気乗りがしなくなったのである。その誘いから逃れるため、私のゴルフセットは初心者三重人Kへと引き継がれたのだ。「今しかないんだ。」とMは主張しているのであるが、昨年からこの主張はかわっていない。本日もまた出かけていった。三重人Kが私と同じ運命をたどるのか、Mとともに不思議な主張をしはじめるのかは今の所だれにもわからない。


2001/06/18
 日本に昨年帰国した時にデジタルカメラを購入したのであるが、それを毎日ポケットに入れて持ち歩いていた。コンパクトサイズのすぐれ物を同僚に自慢する意味もあるが、なにか面白いものでもあれば写真におさめて、オマハ写真室にUPしようともくろんでのことである。

 しかし今回グランドサークルを旅したときにとんでもないことが起こった。なんといつも大事に身につけているはずのこのカメラが消えてしまったのである。その事実は、グランドキャニオンのNorth rimで景色に感動した際に気付いたのである。

 旅行に従来のカメラと共にデジタルをも持っていったのはHome Pageのことを考えてのことであった。テキストばかりではつまらないし。

 ザイオンでの宿泊地Hurricaneに忘れてきたに違いないと、早速North rimから電話をしてみたら、やっぱり。

 このホテルではたまたま小銭がなかったことからtipを置いていなかった。というより、旅の後半は金銭的にせこくなってしまい、あえて置かなかったと言った方がいいかもしれない。しかし、チップがないことに腹もたてず、(いや実は怒ったかもしれないが、)ベッドメーキングのメイドさんがちゃんと見つけて保管していてくれたそうなのだ。「ををを。ありがとうよ。なんとなく申し訳ないなあ。」

 すでに3時間以上もドライブしている距離を戻るわけにはいかなかったので、オマハへ送ってもらうように御願いして、残りの旅行はHPの事なんかすっかり忘れて楽しんだ。

 1週間後にオマハへ戻ってきたのであるが、まだデジタルは届いていなかった。それからさらに1週間待ったが届かない。間違った宛名に送られてしまい、今頃もうホクホク顔の誰かと新たな生き方をしているのかもしれないと、不安になり再度電話をしてみた。すると、まだホテルに保管しており送ってもらっていなかった。まあ、なくなっているよりはましかととりあえずほっとし、そして、再度送ってもらうように御願いしてさらに1週間、あきらめかけていた本日やっと届いた。ちゃんと包装してくれていたし、壊れている様子もない。「ありがとうよアメリカ人。少し心配させられたけど結果がよかったから御礼は充分するからねえ。」

 さて、少なくともザイオンまでの写真は撮れているはずだから、と中身を確認したところ、なんとお、俺よお、まったくうう。子供の写真ばかりではないかあ。そうなのだ。知らないウチに当初の予定以上に親バカぶりを発揮していたようだ。まあ、少ないけど人様にお見せできそうな写真もあるから、とりあえずUPいたしましょう。王国新作室のヨセミテ国立公園にとりあえず写真を添えてみました。でも重くなってしまったなあ。


2001/06/20
牛、もしくは人の肺から取ってきた細胞を育てて、これら細胞に今までわかっている炎症の素をふりかけ、さらに薬となる可能性の物質をもぶっかける。炎症の素で引き起こされた細胞の反応を観察しながら、その反応を抑える物質(治療薬)を探すことが私の研究だ。新たな炎症の素が見つかっても、それはそれでまた面白い仕事になろう。しかし、すべては試験管の中、もしくは培養用のお皿の上での話であり実際に病気の治療に利用できるかどうかは、さらなる研究そして時間が必要となる。アメリカにまで来て取り組んでいるこの研究、まさに今現在病気と戦っている人達にはまだまだ役立ちそうにない。本当に将来的に人類のために役立つのかも全くわからない。いい加減だけど楽しく働くことをよしとしており、あまり物事を深くは考えていなかったのであるが、このような仕事でいいのかどうかを昨日はめずらしく考えこんでしまった。もちろん1人飲みながら。眠れなかった(いつもの睡眠時間よりは)。ねむいい。


2001/06/21
 昨日遅くまでかかってやった実験が最初から間違っていたことに、なんと夕方になって気付いてしまった。 サンプルを揃えるのに3日かけて、そしてそのサンプルを計測するのにまる一日。その過程では全く気付いていなかった。「うがあああ、誰に怒りをぶつければいいんだあ。」と、全く実験に関係のないテクニシャンRを捕まえて、とにかく失敗した経緯を細かく説明して、そしてこの無念さを訴えた。すると一緒になって、「なんと言うことだ。」と、残念がってくれたが、そのリアクションが私よりも無念そうに見え、ひいてしまった。そう、アメリカ人はこういった時のリアクションが大きい。うれしい時も、悔しい時も。なんか悪いことしたなといった気分になってしまい、「彼の辛さに比べたら私の失敗なんて、大したことないな。」と、いったわけのわからない納得のもとに、本日新たなサンプル作成を始める気力が湧いてきた。っと、あれっ?まちがっとるやんけえ。新たな間違いに気付いた。そう。昨日の失敗の以前に本日気付いた別の間違いがあったわけで、2重の間違いで補償された昨日の実験は成功するはずがなかったのだ。やるな、俺。


2001/06/24
Falls CityというNebraskaの離れ南東に位置する田舎町へ遊びに行くことになった。なぜこの町なのか?特に見るべきモニュメントもないのであるが、映画Boys don't cryの中で主人公であるBrandonを含めて2人が一度に殺害された町であり、どんな極悪環境の農村なのか興味があったので行ってみることにしたのである。 映画の中では田舎町が強調されており、しかも事件は農家の友人の家で起こっていた。気分的には八ツ墓村に入るような暗さであったのに、そんなことは全くなく、ダウンタウンは別としてもあとの残りのオマハと雰囲気もなにもかわらない普通の町であった。あれだけ有名になった映画の題材となった町だし、かなり宣伝しているだろうと思って町に入ったのだが全くそれに便乗した商売の広告もなければ、記念碑?もない。そりゃそうだろう。町の人達にとってはあまり触れてもらいたくない事件だったのであろうから。よって、町の人にBrandonについて聞くこともできずに、また、事件の現場となった家も見つけることができずに結局町の雰囲気だけ味わって帰ることになった。もうちょっと勉強していくんだったなあ。さて、まだ映画を見ていない人はBoys don't cry見たくなったかなあ。この日々の記録を読んでみて。


2001/06/26
飲みましたよ。本日は。たらふくビールを。ソフトボールの試合は負けたけど。はっきり言えることは、日頃運動しない奴はキャッチャーをしてはいけないというところでしょうかねえ。立ち眩みが激しいのよ、これって。なさけないでしょう、立ち眩みで倒れてそのまま救急室っていうのも。だから、必死になってこらえたのよ。ピッチャーからのボールを受けて、そしてそれを返すときの立位での眩暈をごまかすため、しばらくバックネットにしがみついて、観客にcome onと気合いをいれてみせるたのよねえ。もちろん、ふらふらなのだけれど、これだけのことでも、一応回復はするのよねえ中年でも。でもセンターからの返球でホームベースを守らなければならなかった時は、地獄でしたねえ。ヒットと知っての急激な立位からホームベースを死守すべく踏ん張る姿勢は、どうぞ頭部への血流は無視してください的、体の反応だったから、心臓はバクバク最大限の活躍をしているけど、意識は花園での幸せなひととき状態だったのよねえ。ふわっと浮いていく感じ。そういえば柔道の絞め技って、辛いけど、落とされた時はその花園で快楽を味わえるってことを知っている人ってどれくらいいるのかなあ。だから、いつも絞め落とされていたわけではないんだけどねえ。私。

Tad国王日々の記録室

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