日記のようなものだねーん

2001年03月





2001/03/02
 三重人Kが風邪気味で昼からラボに来るとの電話があった。おっと早速オマハの粘着質な風邪にかかりやがったかと、とりあえず皆で心配してみせて、その後はすっかり彼の事なんて忘れてそれぞれの仕事をしていた。昼すぎにいつもの軽快な足どりで三重人Kは登場し黙々と仕事をこなしていたため、彼の風邪はそんなにたいしたことないものとの理解が浸透していた。むしろその時点では三重人Kが風邪にかかっていたことなんてもう誰の記憶の中にもなかったといったほうが的確な表現といえる。しかし、夕方になりなんと三重人Kの半径1m内にデスクをおいている私の調子が悪くなった。鼻水がとまらず、頭痛が出始めた。しかし仕事がたまっているため、泣きながら実験していた。しばらくしてやはり同じ半径内で生活している中国人Mも同様の症状を訴え始めた。そして今度は私を中心につくる半径の中でアクティブに動きまわっていたコリアンジェントルマンDまでもが、笑顔だが不調を訴えだした。なんとタコ部屋SWAMPの住民全滅。三重人Kのウイルスが毒ガスよりも早い勢いの拡散を見せたと、中国人Mがほとんど病床に伏せながらも解釈してみせたが、三重人Kはすでに絶好調に近い状態であり、彼が風邪症状を示している所を実際に確認していた人間はいない。電話で彼が朝訴えていた、ずる休み的いいわけ電話を受け取った私が、発した情報だけがその根拠なのである。おそるべし三重人K。粘着質なオマハの風邪ウイルスをわずか半日で逆に消化してしまったようだ。


2001/03/03
 本日はボスがラボで仕事をしているとの噂を聞きつけた。
日頃忙しくオマハにいない我がボスは休みの日を利用して自分の仕事を消化するのである。

 オマハにいたにしても、たくさんの施設との共同研究や、雑用が雪だるま式に増えていくため、
平日はただひたすらデスクに向かっている。

そんな中ボスと話がしたければ秘書から時間を作ってもらう手が確実である。
しかし30分単位の時間でしかとることができないから、
本当に重要な内容でなければならないだろう。
 それ以下の時間でも用事がすむ簡単な用件を
忙しいボスのスケデュールの中から割いてもらうのは気が引けるため、
廊下を歩いている所を捕まえたり、
コーヒーを飲もうとコーヒーメーカに接近する瞬間をとらえて話しかけるのである。

同じ部屋にいるのに「話しかけるんじゃない。」
といった雰囲気をつくりだしているボスには
その一息つくタイミング以外ではいかにリーダー格でボスの信頼の厚い中国人Mでさえも難しいらしい。


 さてなんといっても本日は休日なのであって、
ボスも秘書の予定どおりのスケデュールでは動いていない。余裕の時間で仕事しているに違いない。

 早速ボスの周囲をうろうろして観察した。話しておかなければならないことがたくさんあったのである。
 すると、なんとボスの方から声をかけてくれた。いい感じである。
ボスの方からも私に対してなんらかの用事があるのである。
そのついでにしかたないなあ、といった感じで私の用件も済ませてしまえば、
「いいですか、すこし時間ありますか?」
と怪しげな外国人が街頭で宗教勧誘するときにつかう台詞を使用する必要がなくなる。
ただボスが私を捕まえたい時は決まって厄介な話でもあり、
それをうまくかわさなければならないのであるが。

 しかし今回は私が用意していた用件と同じであった。
おっとやっとボスと心が通うようになったみたいだ、とよろこんだのもつかの間。
ボスに提出していた論文に関して、厳しい御意見を用意していらっしゃった。
使いものにならないトランスレーターを全く通さずに
直接ボスに提出したのもいけなかったのかなあ。
「ここの部分は論文に使用するには相応しくない言い回しだ。」
とか、
「ここはどこかからひっぱってきたんだろう、
どこかで見たことあるセンテンスだ。おなじ文章で書いてはいかん。」
とか。

前者は自分で作成した私の生の文章で、
後者はボスが以前私の他の論文を手直しした部分を参考に作成したものである。
 その時は手直ししてもらう前の私のセンテンスは全く消失してしまっており、
次回からはこの言い回しを使用すれば問題ないのであろうと認識していたのである。
そちらも使えないのであれば、何もかけなくなるではないかあ。
「日本男児の私に英語でこれ以上の言い回しを要求するのは酷だあ。」
と反論したかったのであるが、ぐっとこらえて、
よおしそれならば、高校時代英語200点満点中28点をとったことがある私の真の実力でもって、
科学論文を作成してやろうではないか。
ふっふっふっふ理解できるかなボスよ。難しいよたぶん、この論文そのものの内容理解するよりも。



2001/03/04
 ガキどもがあまりにうるさいし、休日コンピューターに向かい続けていると、眼精疲労からなのか頭痛がひどくなってくる。気分転換の意味もあると納得してうっとおしいガキどもを外に出して遊ばせることにした。もちろん雪が積もっている外界はガキどもからすれば、最高のプレイランド。王国のタイトルが書かれている写真がまさに我が家の前の斜面であり、そこにガキ共を放った。こんなに冷たいのに雪にまみれること1時間。雪だるま作りにはすぐに飽きて、斜面を滑りだした。尻ですべるため、スノーパンツをしているわけではないし服は雪だらけ、自らが雪だるまになる勢いである。すべりおりてはまた斜面を駆ける登り滑る。「おいおい凍っちまうぞお」下の子はオムツの中までぐっしょり濡れている。尻の部分が体温を保っているとはおもえない。それでもまだ駆け登る。本当に大丈夫なのか?身体にいいことしてるんかあ。私は靴の中に紛れ込んだ雪で大騒ぎしているのにだ。ガキにとってオマハの冬はたいしたことないようだ。


2001/03/05
 自分の生きたいように生きることが出来る人はそれなりに尊敬できる人なのであろうけど、自分の都合だけしか考えずに他人に迷惑をかける人には困ったものである。自分でそのことに気付いていればまあ許せるのであるがねえ。さて自分はどうであろうか。まあ棚にあげるしかないでしょう、いつものように。


2001/03/07
 夜10時まで大学にいるのなんて日本では普通なのかもしれないが、
アメリカではなかなか経験できない、
というか、考えられないことである。
でもボスの勧め通りに仕事をするとしたら、
どうしても避けられない経験となってしまうのである。

 1人だと寂しいからこんな時には仲間を道連れにするのがいい。
もちろん実験につき合ってもらうわけにはいかないが、
例えば飲み会などを夜遅くに予定してしまうと、
皆なんとなく遅くまで自分の仕事を続ける傾向があるようなのである。

まあ我がラボでアルコールを語るとすればすべてが許されてしまうから
早速その策を皆に提案してみた。
表向きは、ラケットボールで汗を流そう、である。

1時間ちょっとの運動のあとそのままパブへ向かうのが恒例である。
こういったつきあいは運動不足の解消にもなるし、
英会話のトレーニングにもなるわけだからいいことづくめといえる。

早速、中国人Mへ8時頃からラケットボールをしよう持ちかける。
彼がアルコールにリンクしているラケットボールを断る訳がないので、最初からYesとの票読みである。
コリアンジェントルマンD。この人はとにかくお祭り人間であり
こういったお祭りをことわる思考回路は存在してないから、この人の票も集計済であった。
三重人Kは夜間の外出に最初不安を訴えていたが、
中国人Mの、「NOはゆるさんぞ」的勢いにおされ、
選択肢をどこかに落としてしまったようでありOK。
ネイティブアメリカンのAもここしばらく金曜日の会
(定期的な飲み会、ただし1時間で終わりにする約束)
もないので、もちろん参加との返事であった。
これで私の残業の苦労をねぎらうイベントの企画が出来上がったわけである。

 夜の8時ELISAという実験の失敗を発見して、
9時前、もう一つの実験は一応成功しているのを確認してジムへ向かった。
10時までラケットボール、そしてラボに再びもどり、
翌日のセットアップをしてから、
今度はパブへとむかった。

おおおお8時過ぎまでラボで仕事をして
上野駅から急ぎ足で新宿へ飲みにでかけてた日本での日々がよみがえってきた。
まずい、日本人に戻りつつある。
そろそろ本当に帰国となるのであろうか。



2001/03/09
昨日からやっていた実験が本日終わる。さあて、どんな結果であろうか。
「うっがあああ、またかあああ、まただめだったかああ。」
ととりあえず怒鳴ってみて、そしてあらためてよく見てみるとなんと
これがうまくいっているようなのである。

2日がかりのこの実験は新年会の時以来である。
あの時は新年会にかなり遅れていき
メインのディッシュを逃した程遅くまでラボで頑張っていたのに、
全く訳の分からないデータのためしばらく意識が遠のき、
幽体離脱して自分自身のがっくり落とした肩におぶさっていたのであった。

もう二度とこんな実験するんじゃないぞ、と背中から耳元に息を吹きかけながら
言い聞かせ納得させていたのではあったが、
やはり避けて通る訳にはいかなかったようで、
今回またトライしてみたのである。

ううん、これはいい。久々のヒットだ。
昨年三重人Kがオマハに来る前日にそういえば最高のデータがでたんだった。
近々新たな日本人研究者がくるから、
こんな時後輩になにかいいところを見せてやろうと、
自分でも気付かないところで気合いが入っているのかもしれない。
まあいづれにせよこんな時はアルコールだろうと思ったのであるが、
つい先日飲んだばかりでもあり、
さすがにコリアンジェントルマンDでも本日もまたと言うわけにはいかなかったようだ。

ああ、そういえば先日遅くまで残って頑張った仕事は、
その後おいしくビールはいただけたのだが
実験自体は見事失敗していたことを昨日確認した。



2001/03/11
 ラボ旅行に行っていました(ラブ旅行ではなく、我が研究室のメンバーでの旅行のこと)。
ネブラスカ州の中心にある町グランドアイランド周辺で
鶴と親しむ会とでもいいましょうか。

とにかく疲れました。
長距離ドライブは慣れているのですが、
2日酔い状態での長距離ドライブはちょっと初めての経験でしたしねえ。
なんといってもウインターストーム予報がでていましたから。
(現在は警報にかわってます)
冗談じゃなく危険いっぱいのスリル満点ドライブでした。
フロントガラスに雨がへばりつきそのまま凍ってしまうから
前方が見えなくなるなんて経験したことありませんでした。
ワイパーでは表面を撫でるだけで効果なし。
暖房を思いっきり効かせてみたら
凍らずに普通の雨として飛び去ってくれホットしたのですが、
車内が今度は必要以上にホットな状態になってしまい、
この寒さにはにつかわしくない汗まででてきてしまいました。

高速道路では何件も事故が発生していたようでした。
愛車にへこみの芸術を展示しないようにと、
集中していたこともありかなり疲れましたし、
今回の旅行に関しましては話が長くなる可能性が大なので、
詳しくは後日3部作くらいで報告予定ということで。



2001/03/15
 日本人研究者Aが渡米する日となった。朝から緊張している?人はいないなあ。
全くいつも通りの生活である。
夕方6時にオマハに到着するとのことであったから、研究を中断する必要もなく
我々にとって本日は本当にいつも通りの生活であり彼の到着を昼過ぎには忘れかけていたほどだ。

長旅に疲れたAをホテルへ放り込み終わるのが7時過ぎ位であろうから、
 7時半までには自宅の食卓につけるのでありいつもと全くかわらない。

 ところが5時45分にラボを中国人M、三重人Kと私とでまさに出発しようとしたときに、
「いつも通りの生活なんかさせないよ」
といった旨の電話がはいった。

 Aが到着したヒューストンは天候不良のため、
土田舎オマハへ向かう便なんてなんの躊躇もなく欠航が決まったようである。
 キャンセル待ちであり次の便に乗れるかどうかわからないとの内容だった。

 やるじゃないかAよ、初日から困難にブチあたることができるなんて。

 キャンセル待ちということは、
乗れるとしても搭乗直前は忙しくなるだろうからその旨を電話してこれるかわからない。
6時50分発ということは9時20分頃の到着になるから、
 とりあえず我々は自宅で待機することにした。

 Aからの電話が8時半までになかったので
 中国人Mから空港へ行ってみようとの電話が入った。
 この時間まで電話が来ないということはたぶん搭乗できたのだといった判断に基ずくものである。

 コリアンジェントルマンDも含めた4人で空港へ9時10分には到着した。
 でもヒューストン発のとんでもない飛行機は飛んでいるけど、
10時20分頃まで到着が遅れるとのことであった。

 1時間以上も空港でウダウダしてられんと、中国人Mがダウンタウンまで飲みに出ることを提案し可決された。
1時間後に再度訪れた待合い室の電光掲示板は、さらに1時間、時間をつぶせと言っている。
 「おいおい。まるでアメリカではないか。」
 1時間後死にそうな表情で降りてきたAを無事捕獲することができたがすでに11時をまわっていた。
「どこが平凡ないつも通りの一日なんだああ」
「でも、アメリカ国内ですでに10時間もサバイバルを楽しんできたAよ。」
「非凡な人生が待ってるはずだぞ。Welcome to America.」



2001/03/16
 さて初日より非凡な人生をあゆみ始めたA、本日ボスと対面する。
ボスから有り難いお話があるのだが、
ボスの容赦ないスピードでの英語は我々日本人には辛い。
Aにとってはどうであったであろうか。
自分の時と三重人Kの時そして今回と私はすでに同じ話を3回聞いているので、
笑うタイミングも予想できているのであるが。

 アメリカ人にはすべてソーシャルセキュリティーナンバーという背番号がついている。
外国人である我々もこの刻印をおされ、税金を巻き上げられる。
ありがたくもない数字だが
これがないとすべての手続きが遅々として進まないため、
しかたなくこの面倒な申請手続きを一番最初に行うことになる。
申請翌日には番号を手にいれることができるのであるが、
私が手伝っての手続きが原因なのか
前回三重人Kはここから苦難の道を歩みだしたのであった。
なかなか番号がおりないため待ちきれずさらに彼は申請してしまい、
2つものナンバーを手にできたのである。
2人分の税金を払えるようになれば、アメリカでは一人前として認めてもらえる。
ということはないなあ

ただでさえわかりにくい、しかもいい加減な国で
二重登録解除の申請をしなければならなくなったわけである。
アメリカ人にはこう言ったトラブルを一回で処理できる奴はいない。
修正したその修正手続き自体が間違っており、
さらに樹海奥深くさまよってしまうことになるのである。

さて、まだ樹海から脱出できていない三重人Kの話はおいておいて、Aの話にもどろう。

私は前回の失敗もあることから
この大切な申請はネイティブのアメリカ人Rに
つき合ってもらうように頼んでおいた。
彼はこの手の手続きをさせたら右に出る者がいない、と評価してあげなければ、
現在他に評価するものがない優秀なテクニシャンである。
一昨日も相変わらず暇していたので、
彼の一日の全精力をその任務にかけてもらった。
ところがだ、やはり申請翌日にナンバーを手にすることはできなかった。
来週まで待てとのことなのである。
三重人Kの時も最初はこのような応対だったから、Aの顔にも不安が広がる。
明日には、明日には、といつまでたっても予定の明日にならないのである。

「Aよあらためて。Welcome to America.」



2001/03/17
さて新人A, ソーシャルセキュリティーナンバーは月曜日まで持ち越しとなったのであるが、
それがなくとも進められるものを済ませておこうと
本日はアパート探しの日にあてた。
昨日も実は3件程まわってみたのであるが、希望の1階がなかった。

小さな子供がいるのであれば1階でないとまずいのだ。
造りのちゃっちいアメリカのアパートではちょっとしたことでもかなりの震動を階下に響かせる。
現に我が家の上の階の子は爆弾を落としたかのような震動を日々我々に伝えてくれるのである。
我が家も子供がいることから、それくらいお互い様と容認できるのであるが、
独身または子供がいない夫婦は耐えられる域値が低いだろうから、
怒り狂うところであろう。アメリカでは発砲事件をも招きかねないのである。

その1階をアパート探し初日は見つけられなかった。
どうやら老人も1階を希望することから人気の物件らしいのである。
途方にくれかかったのであるが、
久々に登場した、「お前たまにはいいこと考えるジャン」で有名な私の思考回路、いいこと考えるジャンが、
先に電話で確認して行けばいいではないかという、単純な極当たり前のことを考えついてしまった。
前回の三重人Kの時はとにかくアパートの場所まで行き、
そこで初めて物件の有無を確認し見せてもらっていた。
それでも5件程ですぐに決まったため、この方法が最高の策として存在しており、
今回もこの策でいくつもりであったのである。
でも条件が多くなるとこれでは大変だ。

早速住宅情報誌を手に入れた。どの写真も城のようなきれいなアパートに見える。
とにかく片っ端から確認の電話をいれてみると、あるある。あるではないかああ。

まず最初に訪れたところは、内装部屋割りが完璧であり、
東京の生活空間は一体なんだったのかとAを唸らせた最高の物件であったが、セキュリティーに問題があり私の反対もありパス。

2件目は電話番号がわからず電話では確認してなかったため、
きれいな建物ではあったが空いてはいなかった。やはり電話は大切だと再認識させてくれた。

3件目は室内温水プール、バレーボールコート、ジムなどの設備に加えホテルなみのバストイレ。
しかも対応してくれた管理人がキュート。「お、俺に住ませてくれえ」と叫ぶ。Aも心がうごいたようだった。

4件目は電話ではうまくこちらの言い分が伝わっていなかったのではないかと
確認の意味もあり立ち寄ったのであったがやっぱりだめ。
可愛い管理人であったが空いてないものは仕方がない。

さて5件目は電話ではなかなかのキュートなヴォイス。美人の管理人が予想された。
実際すごく美人であったが、
顔から下はアメリカを代表するかの太めの人でそのギャップは我々を唸らせたが、
アパートはなかなか。
部屋から直接アプローチできる屋内駐車場は激寒のオマハでは大切なポイントであろう。

なんと昨日からすれば8件目でAはここに決断しようとしている。
まてまて、昨日もう5件電話してるんだから、そこまでまわってからにしよう。
アメリカの美人をもう少し探してみよう。
い、いや、いいアパートはいくらでもあるのだから決めるのはまだ早いぞA。



2001/03/24
 オマハで男部屋を主張している三重人Kの接待でまさにswamp(我々の研究室)の住人が男だけの会を催すことになった。これはかなり危険な設定である。底なしの中国人Mと笑顔で飲み続けるコリアンジェントルマンDそして、アルコール好きが判明したブルジョアAが飲み続けるのである。ここでオマハのアルコールのかなりの量が消費されたに違いない。三重人Kは真っ赤に赤らんだ顔が次第に白くなり、そしてまた赤くなるといった周期での豪快な飲みっぷりを我々に示していたが、私は日頃の計算された完璧なるペースでの摂取スピードを彼らに乱されてしまい、二日酔いを誘発しない安全量を大幅にこえてしまっていた。 うがああ、また二日酔いに苦しむのかああ。


2001/03/19
 我がラボも遂に日本人が3人となった。
日本人はよく働くからアメリカのラボでは人気があるそうだ。

さて、新人Aも時差ボケがなくなり、本来の実力を発揮せんと
ネーティブアメリカン3人を従えて
今後の研究についての会合を開いていた。
その内2人は教授であるから囲まれてと言った方が正確なのかもしれないが、
からだが外人並にでかいAはネイティブをも圧倒しており、
傍目にはミーティングの中心にいる感じがする。
久々に大物登場といった感じである。

 ところで日本人がラボの留学研究者の半分近くになったということは
結束するから中国人、ロシア人勢力より強くなっていく。
さあてでかい面するぞ今から、おもいっきりつらの皮を厚くするぞお。
へっへっへ。



2001/03/26
さて東京からきたばかりのA、わずか2週間で日本へ家族を迎えに帰ることになっている。
この間にセットアップをすませておこうとのことであったが、
そんなにうまくことが運ぶのか心配された。
ここはアメリカなのである。
簡単なことでさえも何度も何度も言わないとやってくれない国なのである。

私の時も、ソーシャルセキュリティーがなかなかおりずにすべてが出遅れてしまった。
何度確認してももうすぐできるの繰り返しで1週間もかかってしまったのである。
実際ナンバーを電話で確認すればそれを使用できるのだから問題はなかったのであるが
本来は1週間以内に届くはずの正規のセキュリティーカードが実際に送られてきたのは4ヶ月後だったから、
もうあきれるしかなかったわけだ。

急ぐ必要がなかった私は、家さがし車購入、家具その他諸々をそろえるのに1ヶ月かけた。
三重人Kのときは私の一時帰国が迫っていたこともあり、
速攻でアパート、車購入と2週間ですませることができたのであるが、
あとのものはそれからやはり2週間以上かかっている。
でもその時一番大変だったのは車購入であった。
日本人といえどアメリカ大陸のど真ん中オマハの人にとっては
全くの未開地からきた怪しげな奴等としか受け取られていないのか、
全額払い込まなければ車を手渡してくれない。
ローン会社も我々を信用してないから、ローンでなんてとんでもない。
アメリカでない国イコール貧乏な国と思われているのである。

 そんなこともあってAの今回の2週間計画は無謀だとの意見が大方だったのであるが、
Aは予定変更は考えていなかった。
アメリカに対する挑戦である。
正面からぶつかる方法では困難であることは、
真珠湾での作戦が出来上がった経緯からしても日本人はかなり以前から認識していたはずだが・・。

アパート探しは渡米後すぐに始めたのであるが、
結局入居までこぎ着けたときはすでに10日目となっていた。
車の方は前回同様、信用を得られていない貧乏な国出身ということで全額払わなければならない。
クレジットカードも受け取れないとの、ディーラーにかなり追い込まれてしまった。
使用限度設定はあるが、それ以内での使用は世界どこでも問題ないと思うのであるが
手数料がかかり儲けが少なくなるとの言い分である。
トラベラーチェックや現金などで車購入に必要な全額をもってくるのは
入国時の制限もあり困難であるのをこいつらは知らんのかあ。

Aの購入したい車は日本車であり、我々は日本人であるが、
車の方は外車としてアメリカでは人気を得ているのであるが、
我々の方は「お前らみたいな得たいの知れぬ奴等にこの外車購入できる金あるんか本当に?信用できないな。」扱いである。

でも問題は簡単に解決した。
同じ系列だがディーラーをかえたら全く問題なくクレジットカードが使用できたのである。
「当たり前だ。日本ではこんなことで悩まんわい。」「本当にやりにくい国だよここは。」
本日が13日目。
明日は家具を新居に入れてもらうから、全くのギリギリでなんとか終わった感じである。
しかしこの2週間は久しぶりに締め切りに追われる生活をしたようで疲れたわ。



2001/03/29
 日本からはるばるこのオマハを訪れた人がいた。
私が最初にオマハを見て驚いた時にはもうすでに帰国されていた元オマハ住人である。

迎えに行った空港でゲートから現れた人物はオマハでは久しく見かけない背広姿にネクタイ。
文明社会とはいったいどういったものなのかを周囲に示していた。
私は彼との面識がなく彼を認識できるか不安だったのであるが、
すぐにこの人では?との直感がはたらき声をかけてみた。
「ギブミーチョコレート」
いや、ちがった。
「KEITAさんですか?」

この王国の掲示板(現在休止中)でも名前が知れ渡っている人であるが、
私が予想していた本人のイメージとはかなり違っていた。
私の頭脳が作り出す彼のイメージとは、
私と同じ位に老けていて、しかも、太め。
でも、なぜか動きはすばやい。
利き手の自然状態はピペットを握るのに適したフォームであり、
試験管から試験管へと移る速さは目で追えない。
そして、皆の口からは「天才科学者」との評価が出てくる。
でも実際のところはかなり違っていたのである。
前述のゼントルマン姿に若い研究者であることを示す黒髪。
知的な眼鏡。ものしずかな気品に満ちたそのお姿は
土着化しそうなオマハ人の私とは明かに世界が違っていたのである。

三重人Kとメープルの鬼軍曹の家族とで歓迎会を兼ねたオマハ会談を
高級感あふれる大衆カラオケパブ、グランドマーザーで開いた。
やたら 量が多く安い。
弱者の味方といえ、貧乏な我々の生活にも潤をあたえてくれる。
気をつけたいところは肉の焼き具合をウエルダンにしてしまうと炭化した物質が出てきてしまうところであろうか。

鬼軍曹も話が止まらない人なのであるが、
このKEITAさんもその数倍は話し続けていた。
「おいおいもの静かで気品あふれる印象があ・・。」
でも楽しかったよお。また日本で飲めたらいいなあ。



2001/03/31
 ブルジョアAが帰国したのが先週の水曜日の朝早くであった。
飛行場で別れ際に「また連絡します」の一言を残して去っていったが、
帰って来る日は全くの未定となっている。

大都会東京からいきなり牛が至る所で草をたべているネブラスカに来たのだから、
このギャップをうめるには相当の努力がいるだろうし、
このまま帰ってこなくとも誰も不思議には感じないだろう。

Aの新居と車は決まっているのであるが、
まだ普通の生活ができる状態とはなっていない。
新居だって家具が入っていないし、
車があってもどこに行けばなにがあるのかもわからないであろう。
最初にAが来てすべてをセッティングしてから
家族をつれてくるといったもくろみは半分も達成していないと思う。
つまり最初から一緒に来ていても大して変わらなかったということである。

で、何を書くための前置きかというと、
全く関係ないと言われるかもしれないし、その通りなのだが、そのブルジョアAにつき合って
オマハに存在する全米一を誇る広さのネブラスカファーニチャーマートで買い物したとき
DVDプレーヤーの安売りを発見してしまったのである。
本日はどうしても購入したい気持ちがおさえられずに、
もうしばらくしかいないであろうオマハで
DVDプレーヤーを購入してしまったのである。
この時期に荷物を増やすのはバカである。
むしろ処分し始める時期に入っているといえると思う。

playerがあれば当然のことながらソフトも必要だ。
「俺はDVDプレーヤーを使用できる今時の人間なんだ。
いつまでもビデオにこだわっている時代遅れではないんだ。」
ということを周囲に理解してもらうため、よせばいいのに3枚も購入してしまって、
ただでさえ懐が寂しくなってきたこの時期にドルを湯水のごとく使い始めた。
湯水と表現するにはあまりにも金額が少ないのであるが、
わたし的には湯水ということなのであり、
つまり私の全財産から考慮すればこの表現が適切になるということである。
さらに悪いことに円安があまりにも急に進んだため、
円をドルに換えると少ない財産がさらに目減りしていき帰国費用すら危うくなる事態を恐れ、
円高になるまでアメリカで得る安月給のみで極貧生活に甘んじている辛い日々なのである。

そんな苦労を背負わせてくれただけあり早速のDVDは
なかなかの喜びを我が家族に提供してくれたようだ。
こんなに忙しいといって自宅にまで仕事を持ち込んでいる私の生活の中に
完全に割り込んでしまい3枚とも鑑賞する時間を作り出してしまった。
(もちろん2枚しか購入してなければ2枚分ですんだと思うし1枚ならさらに結構。)
とりあえず現実逃避だと解釈してと、次に起こる更なる逃避が心配だ。学会近いんだけどなあ。

Tad国王日々の記録室

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