日記のようなものだねーん

2000年12月



2000/12/01
 なんと JALで日本に帰ることになったのだが、驚いたねえ。アメリカ系の飛行機にばかり最近乗っていて忘れていたのだが、とても日本の会社はスチュワーデスさんが親切だという事実。そしてなんといっても美人だ。ありがとうよ。私のワイン、オレンジジュウス、トマトジュウス、そしてまたワイン、ビール、お茶、そしてウーロン、ビールと規則性のない飲み物のオーダーに応じてくれて。 アメリカ国内で使用したアメリカ系の会社は私がちょっと油断している隙に、サービスを終えてしまっていて、私の要求をもうないからとむげに断ったんだよおお。油断とはトイレに入っていただけなんだよオオ。少し長かっただけなのに。


2000/12/07
 一週間の日本滞在が終わり、いよいよオマハに帰ることになっ た。行きはビジネスだったのに帰りはエコノミー。そうだ、私は田舎者成り上がり野郎をup gradeによって演じることができたのであるが、マイレージが少し足りなかった。一度上を見てしまうと、帰りのエコノミーは地獄だった。
「スチュワーデスさん。行きに親切にしてもらったTadなんですよお、微笑みたくさんくださったじゃない、どうして帰りはそんなに切ないのおおお。」
あの世界は知らない方がよかった。疲労はより重く積み重なっていく。そしてさらに辛さを増強させた事実。シカゴの大雪。いつまでたっても地上が見えないと思っていたら、白いのは雲ではなくて雪だった。そんなアナウンス全くなかったから驚いたよ本当に。突然建物が視界に現れたから。  上空でしばらく待機した後の、いやあご苦労様、のシカゴ到着。同乗した客達の溜息が聞こえてきた。つなぎの国内線は欠航の嵐なのである。オマハ行きは1時間遅れではあるが生き残っていた。
「よく頑張っているじゃないか。」
しかしいいいい、2時間も機内で待たせやがったよお。もうすぐです、もうすぐ出ますといいながら。寿司屋の出前じゃないんだからよおお。しかも暖房は不完全。寒さは機内の気分で盛り上げて吹き飛ばそうという、ひょうきん者のスチュワーデスのおかげで退屈はしなかったのであるが。
 2時間遅れではあったがなんとかオマハに到着。オマハは晴れ、摂氏9度。おいらを迎えてくれるんだねえ。最高のコンディションで。しかし、荷物は届かなかった。またもや。どこに行ってしまったんだよおお。欠航の嵐だったから、積み間違う確立低いだろうよお。


2000/12/08
 今日はとにかく眠くどこでも眠る。一応ラボには顔は出したし、出席すべき講義には顔を出したのだが、最初席に着いた記憶はあるが、演者が講演をはじめた事すら気付かずに爆睡した。帰宅しても、だめだ。メールの返事とか書きながら眠ってしまい、電話回線は使用もしていないのに、私のモデムにつながったままであり、長電話の家としての評価を得たことであろう。さてここの更新だが、眠い中でできることは何かと考えたところ、そう過去物でまだ私のサイトにupしていないものが残っていた事を思い出した。過去物とは他のサイトでupしていた世間話であり、すでに世の中からは消え去った奴等である。とは言ってももう残り少ないから、時差ボケ解消までのこの1週間あまりに利用できるものはそうないのであるが。とにかく、寝るわ。もう。


2000/12/09
 今回日本に帰ったついでに日本語システムの入っているマックを購入する予定でいた。現在使用のPower BookにはUSBポートがついていないことから、新しいデジカメが接続できないからであった。最新のiBookで黄緑色の機種が周囲から目立ちそうで人気者になれるとふんで店員と相談した。親切な店員さんであり、私が怪しげな黄緑で人気者になるよりも、現機種にカードをとりつけてUSBを使用すればいいではないかとのすばらしい提案をしてくれた。カードを利用するにはOSを8.6以上にしなければいけないらしくOS9も購入したが3万弱で目的を達成することができるのである。  オマハについて眠い中OS9をインストールしてみたが、ううノートン系の物がコンフリクトする。はずしたり、いれたりを繰り返す。結構時間くうんだよねこの作業。他のソフトも怪しげなものがあるが、恐くて使用できない。いままで使用していたOSは8.0だったからすべてが古くて今後さらに金かかるんではないかああ。もっとも新機種買ってもOSは新しいだろうから同様のことが起こりえたとは思うが。たのむからApple よOS X なんて出さないでくれよ。もうやってらんねええ。


2000/12/10
外界は雪、寒いってもんじゃない。体感温度なんて華氏で-24度ということは摂氏でー28度位になるから死ぬね。下手に外に出てしまえば。嫁が英語の先生からシャボン玉をとばせば瞬時に凍って面白いとの情報を得て来たので、早速試してみたが、まだその域に達するには温度が高いようで、いつもとかわらないシャボン玉であった。この寒さの中でなぜシャボン玉遊びをしているのか?と端からみたらバカな家族にしかうつらなかったことであろう。明日はまだまだ冷え込むらしい。


2000/12/11
本日の日記は長文になってしまったため、作品遭難したそうなんです。としてTadの周囲での出来事記録室へ。


2000/12/12
 日本に一時帰国前からボスはヨーロッパへ行っていた。私の日本滞在中に一旦オマハへ帰ってきたらしいが、またヨーロッパへ旅だっており、私のアメリカ帰国後もいなかったので話す機会はもちろんなかった。これだけボスがいないといないのが当たり前という雰囲気であったので本日私は完全に油断していた。新しく来たK先生(昨日の脱出劇で死にかけた)に実験方法を教えていたとき後ろから、「ダイジョウブデスヨ、ドウイタシマシテ」と妙な日本語でボスにいきなり話しかけられた。突然ラボに登場したのであった。「うわああ、用意してないよ何にも。」ボスが研究者の後ろに突然立っているときは必ず何か研究について急ぎでききたいときである。まさかなと思っていたが、その法則はやはり正しく、次から次へと質問を浴びせかける。答えになってない答えでボスをごまかしきれるはずもなく、撃沈。これとこれとこれとこれをしておくようにと言い残して去っいった。明日からボスはニューヨーク。


2000/12/13
 なんか昨日から左手首が痛い。なぜそうなったのかわからないが、何かにちょっとさわるたびに、不安な気持ちにさせてくれる。左手首だけなんて、左利き用のパチンコ台でもない限り、原因となるものが思いつかないではないか。もっとも私は右利きであるから、よけいに深い疑問が私の一日を暗くしていた。「もしやあれか?」とやっと夕刻に原因解明の糸口となりそうな記憶が、私を「この若いのに大病なのでは?」との恐怖から救い出してくれた。一昨日の愛車遭難のとき、私は必死になって前輪前の雪をかき出していた。かなりの重労働で、私はそれまで愛用していたフロントガラスに朝方はっている氷をガリガリ砕くプラスティック性シャベルを首の部分で折ってしまう程だったのだ(なんかよくわからん説明?)。なぜ左手首のみが?との疑問は払拭できないのであるが、日頃から鍛えられている利き手の右手首のことだ。「これくらいでは、まいらんぞお。」的なガッツをそなえていたのだろう。原因がわかったのだから、まあいいかと放置しているのであるが、1ヶ月前にくじいた左足首もまだ完治ではないし、年をとると故障の直りが本当に遅く厄介だ。


2000/12/15
 昨日から連日連夜の宴会だ。アメリカはクリスマス前のこの時期がいわば忘年会のようなものであり、25日があけてしまえば全く普通の日となってしまう。昨日はいつものように飲んだ。ラボのメンバーで。よって今朝は頭痛で悩まされたのであるが、ここの掲示板で、その二日酔いがぶっとぶくらい意味のわからない自分のResを確認した。「本当に自分で書いたものであろうか?」以前もそうであったが酔ってしまうと訳のわからない事を載せてしまう。そして覚えていない。もっと訳の分からないのが昨日の日記であったが幸いな事に途中で寝てしまっていて、WebにはUPしていなかった。のんだらするなインターネット。


2000/12/15
 オマハに来て驚いた。なぜか鹿児島の芋焼酎を飲めるのである。なぜ大陸の中心の土田舎でそのようなことが起こるかというと、鹿児島からの研究者がいたからであった。サミーと名乗っていた彼は外見は都会的で九州男児には見えないのであるが、酒が強く、お祭り好きであった。しかし高齢独身の範疇にいれられており1年前に土田舎オマハでの生活に不満を訴え、群馬県の田舎へ去っていった。同時期にもう一人、やはり焼酎を愛する鹿児島人がいた。テツと呼ばれ、オマハに住んでる割には博識の人であった。じっくりと飲む姿から西郷さんを思い浮かべる人も多かったのではなかろうか。2年と3ヶ月の間バーボンに毒されることもなく、薩摩にいる人間は薩摩人だとの考えを曲げず、しかし英会話の達人として君臨していた。その彼が遂にオマハをさるのであった。昨日はお別れ会ということで、彼が伝承したかったであろう、薩摩魂を私が引き継ぐことにしたのだ。私の高校大学と先輩にあたり、彼がもし酌をすれば私は決して断ることはできない関係にあるはずだったのに、自分は飲んでも私には強要しなかった。後輩思いの人だったのか、典型的なお酒好きだったのか。手作業での開票結果をまたなければ解釈が難しい。(参考:オマハでは焼酎は稀少価値。)来年の今頃、私が帰国して鹿児島で大量の焼酎に囲まれながらテツと飲む機会を得られたならば、この疑問に対する解答を得ることができるのであろう


2000/12/16
 なんか昨日間違って2度も日記記載していたようなのよねえ。朝と晩。朝は夜には宴会があるしUP出来ないからと思って書いたんだけど、夜は宴会の後で、そんな事は忘れてしまっていて記載しちゃったよお。日々の記録室に整理しようと思って驚いてしまいましたよ。まあ、いいけど。要するに暇な人と言うわけですねえ私。


2000/12/17
 昨日はwinter stormの警報。何なんだそれはと言いたくなるが体感温度でなんと華氏ー40度(-36℃位)こうなると外出は危険と予報がうるさく警告するので、一日自宅でじっとしていた。でもあまりに暇なのでベランダに出るくらいは大丈夫だろうと思い、そこに積もっている雪で雪だるまでもと握ってみたが、これだけ温度が低いと雪は固まらない。雪を丸くできないのだ。さくさくしている雪はさくさくしたままということである。「すっげー。本当にこれ雪か?」と思ってしまう。発泡スチロールを細かく擦ったのを握っている感覚である。強く握りしめるとさらさらした雪が指の間からこぼれて行くのだ。でも感動している暇はなかった。身体が冷え切ってしまいこのまま外にいると死んでしまいそうだった。自宅ベランダで凍死してしまえばギャグにしかならない。


2000/12/18
シベリアから来たVに現在のオマハのとんでもない気象状況について聞いてみた。でも彼はこんな状況はシベリアでは普通だとのたまった。でもそれは私もそう思ったのであるが、次の一言は信じることができない。「オマハは暖かい。」


2000/12/19
本日の日記は長文になってしまったため、作品あぶねえ自動車保険として日本人から見たオマハ生活へ。


2000/12/21
 昨日は internal medicine section のクリスマスパーティ。多国籍軍と同席にならざえるをえない外国人の私。せっかくのパーティーでわかりにくい英語を聞きたくないのであろうかアメリカ人は誰も私の横に坐ろうとしない。大丈夫、今回はイラクの友人と同席したから。湾岸戦争の時彼はまさにバグダッドに住んでいて、それはもう大変だったらしい。現在はアメリカに亡命しているのだから、もちろんフセインは大嫌い。政府に睨まれた理由がクリスチャンであったことと、反政府者と以前話をしたことがあったからだったというのはイラクならではであろう。フセインさえいなくなれば彼は故国に帰るとのこと。
 ところで本日は朝から死んでいた。二日酔いなのであるまたしても。こりないなあ私も。


2000/12/22
 ねずみのシッポからコラーゲンを取り出してそれを使って実験をしていることから、本日はその作業をしていた。元々このような仕事はテクニシャンの仕事であったのだが、テクニシャンも長くいると偉くなってしまうようで、研究者に押しつけたようなのだ。でも押しつけられているのはこれだけではない。細胞のストックから機器の管理まで最近はすべて我々の仕事となってしまっている。このおっさんいったい何をして一日過ごしているんだろう。クソ忙しいラボの中で。必要な品のオーダーが彼の唯一残った仕事のようだが、そんなの彼でなくともできる。まあいい。ところで彼は我々の3倍の給料をもらっている。


2000/12/23
 クリスマスイブにテツが日本に帰国する。本日は引っ越しだ。オマハではこういったとき日本人研究者の会が音頭をとって、この一大行事を遂行する。大概は雨の降る日がえらばれるようであるが、本日は雪も降らず道路が一部凍っているだけのー10℃。最高の引っ越し日和となった。
「行ってしまうんだねえテツよ本当に。明日はー20℃と予報がでてるんだよお。」 みるみるうちに部屋の中の家具がなくなっていく。私とほぼ同じ時期にしかも鹿児島からこられた先生だったから、ついこの前オマハでの再会を祝って焼酎をのんだような気がするのに・・。そこにある染みはもしかしてその時こぼしたビールや焼酎で私がこしらえたものではないのかなあ。確かその頃も寒くてオマハでおでんを味わったんだよなあ。来年の今頃は我が家の壁画についての考察がなされるのであろうかなあ。


2000/12/24
 本日はイブ。ということは飲むしかない。同僚の中国人の家に行って餃子たらふく食うもんねえ。ビールとともに。クリスマスの雰囲気でてるでしょう。家族からすてられて、1人寂しく飲んでいる某高校の英語の先生よりはよりイブといえそうだ。


2000/12/25
 こういった特別の日というのは日本との時差がとても気になってしまう。メールや掲示板の書き込みを読んでいて感じるのは既にその行事の中に浸っている日本であるが、15時間も遅れているオマハではまだ先のことであって不思議な感覚になってしまうのである。例えばイブ。おそらく多くの人がその神聖なる日に浸っているのであろうという雰囲気は王国掲示板やその他のサイトをチェックして伝わってきたのであるが、こちらはまだ23日夜。私の場合愛機のマックの内蔵HD容量増大計画を遂行中でマックを分解し始めたのだった。でも「イブなんだよ世間はなあ」と、なんか急かされているような中での大仕事であったためかうまくいかない。3時間もかけてるのに増やした分の容量は消えてしまっているう。やばいいい。もしかしてこのまま、新しいHDを抱えたまま逝ってしまうんではないかあ愛機よ。日本帰国直前のコンピューターの鉄人テツを空港でつかまえて、問題点をまくしたて解決策を仰ぐ。そして帰宅してさらに3時間の格闘の末、やったああ愛機復活。そしてテツとの涙の別れも忘れて大酒とともにイブを楽しんだ。さて本日はクリスマス本番。でも日本ではとっくにおわってるんだよねえ。


2000/12/26
 クリスマスが終わったということは、クリスマス売れ残り半額セール。毎年恒例の貧乏人のための大行事であり、我が家も念願のクリスマスツリーを手にするために早朝から行動をおこした。もちろん来年のためである。アメリカではかなり大きなツリーでも安くで手に入る。今日はさらにその半額。来年の今頃はカラオケ三昧の日々を東京で送っているであろうから、クリスマスイブなんて家族で過ごすことはないとおもうのであるが、日本でリッチ気分を味わうためにはここで買っておく必要があるのだ。日本では高価すぎて我が家では手がでない。アメリカ帰りで大きなツリーを持っている人は見栄をはっている可能性がある。


2000/12/27
 培養液でも換えようかと保温器の中の細胞を出して驚いた。うをを。海中から火山が噴き出し新しい島ができるように、ディッシュの培養液の水面からカビが顔を出していた。確かにここ4、5日見てなかったけど、山になるほど成長しているとは。カビを培養しているのであれば問題ないのであるが、今回は細胞。なんてこったい。怒りにまかせて漂白剤をおみまいしてやったが、あまりの勢い良さで周囲にカビが飛び散った。「やっべえ」


2000/12/28
本日の日記は長文になってしまったため、作品トランスレーターもどきとしてTadの周囲での出来事記録室へ。


2000/12/29
最近CANDYさんや広島の先生のような日記の記載方法になってきたなあ。
まだ、字が小さいけど。だけどちっちゃいから自分のことTadと呼ぶんだよ。かわいいね。
たっどおおう。

うげえええええええええええ。 


 さあ年末。

 いよいよ今世紀も終わる。

 忙しそうにバタバタすべき年末だが、アメリカでは大した行事ではない。

 そもそも今年は年末が週末と一致するからいいのであるが、

 そうでなければ全くの平日。

 一応元日だけは申し訳ないかのように休日に指定されているが、

「アメリカ人よ、それで本当にいいんかい。こんなんで歴史は作られていくんかい。」

 さてわがラボも本日は決して例に漏れない平凡な一日だったのであるが、

 さらに平凡さを強調したお方が登場。

 平凡といっておきながら、登場と大袈裟に表現するのはおかしいのかもしれないが、

 それにしても不思議と異和感を感じさせない現れ方。

 いつものように禿げに対する今日の見識をダラダラ語りそして去って行かれた。

 いつもと違うところは、

 日々更新しているいや後進している額のフロンティアが

加速気味に感じられたところか。

 20世紀よ。我々はこのフサフサをここへ置いて行く気はない。

 来世紀の初頭はさらに光輝く。

 あれっつ?



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