日記のようなものだねーん

2000年11月


2000/11/01
 知らなかったのであるが、テクニシャンの1人が本日首になった。彼はかなり優秀だった。ボスはほとんどこの街にいないので、彼の評価はおそらく他のロシア人のテクニシャンによるものであろう。どこの世界にもこのようなことは起こるようであるが、大抵は優秀な奴の方が疎まれて追い出されるようだ。私がここに長くいても問題ないのは、私は他の人から優秀とは思われていないからであろう。普通の方が幸せな人生をおくれるようだ。

2000/11/02
 そろそろ自分の仕事をまとめる作業(論文を書くこと)も始めなければならないのであろうが、なんせ英語で書かなければならないので、それが厄介でもう半年も放置している。ボスに先日それがみつかり、まとめるように言われているのだけれど、前回折角私が書いた英文をことごとく手直しされ、自分の作った英文が完全消失したためどうも今回は書き始める気にならない。こんな時はいつも横道にそれて別の事をしたりする。学生時代の試験前にいつもはしない読書などを始めたりするのと同じだ。でもオマハでは本屋に英語本しかないのでいつもはしない何かを探すことも大変だ。

2000/11/03
 本日朝はかなり冷えこんだが、とてもいい天気だったので、ゴルフに昼からでかけた。もちろんボスがいないからできることではあるが。今月末に中国に帰る同僚がどうしても一度はゴルフをしておきたいというので、突然きまった日程である。彼は今年48になるのであるが、若くて、ボールを打っては走りまた打っては走りと我々30代を驚かせた。私がそんな事をしたら、4ホール目くらいで壊れてしまう。いやあスコアは忘れてボール打ちを楽しんだ一日でした。

2000/11/04
 子供のチャイルドシートが小さくなったことから、購入することにした。よって有名おもちゃ屋へと本日でかけた。ここではガキのための物はとにかく安い。5000円位でなかなかの満足を手にいれることが出来た。子供のサイズにあわせてあるトラックの乗り物、おそらく日本では4〜5万はするかと思われるものでも5000円程度。安いからといってもこれだけ大きなものでは購入しても日本へは持って帰れないから、結局見て驚くだけで終わってしまい何となく悲しい。

2000/11/05
 昨晩の夢はなぜかわからないが左側通行の道をアメリカ式に右側通行ではしってしまい、ぎりぎりのところで衝突を回避する夢であった。実は前回日本に帰国したときにまさにその状況があった。普通に走っている時は注意していたのであるが、ガソリンスタンドから出るとき右折時に右側に入ってしまったのだ。対向車は丘の向こうに隠れており、しばらく走っても気付かなかったので、丘の頂上付近で正面衝突をするところであった。同乗していた父も対向車内のドライバーの驚きの表情を確認できるまで反対側を走っていることに気付かなかったのであるから、将来に期待できる父子であることは間違いない。

2000/11/06
 明日が大統領の選挙の日である。そのせいか本日は大学の帰り雨が降っていたし、かなり暗くなっていたのに、訳の分からない団体がDodge Streetの歩道側に並んでプラカードをあげてドライバーへ何かを訴えている。かなり寒いのに大変だなとも思って最初は見ていたのであるが、ひたすらその列は続いていて、なんと我が家のすぐ近にまで至っていた。身体を道路側に乗り出しているものだから、危ないったらありゃしない。彼らに気をつけて走っていたのであるが、今度はドライバー側も声援のつもりかクラクションをならしている。こちらがならされたのかとビビリの神経回路が働きくだらないエネルギーを消耗させられてしまった。いいかげんにしろっ。

2000/11/07
 今日は大統領の選挙の日であるが街は昨夜雪が降ったせいかひっそりしている。ボスはやっと旅先から帰ってきたのであるが、留守中のメールのcheckや接客などで忙しいようで、我々には無関心。ということは、ゴルフだ、と韓国人の同僚はわめいているが、さすがにこの雪だし、ボスもいないわけではないので、遠慮させてもらった。さてと、何をするか考えていたがザイモグラムという待ち時間ばかり長い実験でとりあえずお茶を濁して、中国人の同僚と今後の生き方について語り続けて、一日を終えた。私の回りの中国人はみなアメリカで永住権をとるために研究をしているようなものだが、彼は中国での後輩の指導方について熱く語っていた。最初から帰国することを表明していた彼も来月には去っていく。だんだん私が古い方になってきた。

2000/11/08
 大接戦の大統領選は昨日深夜までテレビの前にへばりついていたのに、結局結果は出なかった。なんか、カウントしなおすらしい。なんなんだ。カウントしなおすって。いい加減にカウントしていたのであろうか。まあ、おおざっぱな国だし不思議ではないか。

2000/11/09
 今日は一日中氷点下であった。我が家の駐車場は今年は屋内にあるので、職場へ向かう時は比較的暖かい車であるが、大学では屋外にとめてあるので、帰りの車は凍りついていた。車内に置いてある飲みかけジュウスが凍っていたりする。まだ完全ではないが、そのうちビール缶が破裂することもあり得るから、車にビールを保管しておくのは危険である。今の時期からこのような状況であれば、今年の冬は厳しくなることが容易に予想される。

2000/11/10
 私より7才位若いのに、私と同じ、いやすでに私を越えていると考えられるりっぱな頭を所有されているS先生が遊びにこられた。本日は研究がうまくいかずイライラしていたが、立派なものを見せられたため、「小さな事に悩む人生は馬鹿げている。」といった域に瞬時に達することができた。まあ彼も同じ気分に浸ることを期待して私を訪れてくれたのかもしれないが。お互いの自慢の品を評価しあったらきりがないことから、最近はその話題に触れないことが暗黙の了解になってきているのであるが、今日の彼はいつもより光がさしていた。

2000/11/11
 友人からメールが入った。私が鹿児島を去ってからその後一度も会っていなかったし突然のことで驚いた。彼とは同じ職場で独身時代に過ごしており、たくさんの面白い表に出せない情報をお互いおさえあっている。彼に借金でもあったのかなと思いながらおそるおそる開いてみると、雰囲気が以前と全くかわらないであろうそのままの彼を読みとれる内容のメールであった。なんと私のHPを私があらゆるところで書きまくっている掲示板の悪戯書きの一つから偶然発見したらしい。すごいではないか。ハンドルネームしか出てないのに、いくつかの掲示板の内容から推理して私と同定したらしい。彼もネットキチガイに陥っているのであろう。出会う確立をお互いに上げあっていたということになる。ちょっとまて私が研究そっちのけで日本のボスに隠れてこのようなくだらないHP開いていることがばれるってこともありうるなあ。いや実は既に知ってたりして。うがああああ。。外見真面目な私の人生がくるっていくうううううう。

2000/11/12
 同僚の中国人のMはアメリカで、もうしばらく研究したいということから昨年の5月からVISA変更の手続きをしていたのであるが、最初に任せた弁護士がとんでもない野郎で、こちらから質問の電話をいれると、少しずつ手続きが進んでいるかのような返答はあったのであるが、実は何もしていなかった。その後大学の方が変更手続きを引き継いでくれて、結局今年の10月には変更できたのであるが、その間給料はまったくもらえなかったので(J1VISAの有効期間はとっくに切れていた)、兵糧責めに耐えるため妻と子は中国に帰していた。今回やっと家族を呼び寄せることができたことから、本日我が家で盛大?なパーティをやったのだった。といっても韓国人の同僚家族とで計3家族であるが。いやあ飲んだ飲んだ。Mもこれまでの辛かった日々を語り、我々も「そうだ。その通りだ。辛い日々をよく耐えた。」と彼の労をねぎらっていたのであるが、彼がゴルフの話を始めた時我々は正気にもどった。そういえばこのおっさん、この辛い日々の中でゴルフをはじめやがってわずか3ヶ月で私の手が届かない所まで行ってしまわれたのであった。しかも最近はゴルフがなんたるかのうんちくをたれるのである。「こいつ飲ませ潰したれええ。」と我々は彼への酌を加速させ、目出たくぐてんぐてんのおっさんを作り上げた。おめでとうMよ。

2000/11/13
 またボスがいないため4時には仕事を終えて近くのパブに出かけた。先日の御礼とのことで、同僚のMがどうしてもビールをごちそうしたいとのことであった。飲むとなれば、我がラボには実験を途中でなげだしてまでも出かけようとする人間が3人もいる。先日から話題によくでる韓国人Dと私と中国人のMだ。私は今日新たな実験を計画して下準備も終えていたのであるが、3時頃の突然の誘いに、本日やっていたすべてを捨て明日へ期待することにした。韓国人のDはすばらしい発見をしたと騒いでいたが、いつものことで、これまたすばらしいデータは明日へ持ち越すことにしたようだ。誘いをかけた本人のMはまだ中国帰りの時差ボケがなおらず実験は明日以降にしたほうが確実だと根拠も意味もなく確実と唱えている。そうだ明日だ。我々には明日が大切なのだいつでも。

2000/11/14
 本日は朝からなぜかボスがいた。あれれれれ、そんなはずあああ。しかも、ボスと個別ミーティングがあることをなんと2時間前に秘書が連絡してきた。わわわ。もちろん先週に約束を入れたのは私なのであるが、昨日もボスいなかったし、明日もいないことになっているから。ふつう今日もいないと考えるだろうよ。データを準備しなくてはならない。なんとコンピューターに向かって格闘しているのに、横から韓国人のDが「今暇か?」と頻回に聞いてくる。暇じゃないというのに。彼の目的は屋根付きの打ちっ放しにいって、楽しむことのようだ。雪が積もっているからコースには出れないもんなあ。オイオイ、ボスはそこにいるのわかってるんかい。

2000/11/15
 インフルエンザがはやるこの時期はUNMC(私の職場)では無料で予防接種してもらえる。私は高校時代に高熱にかかって以来全く風邪しらずであったのであるが、アメリカに着いて3ヶ月後にインフルエンザにかかって苦しんだことから、翌年からこの無料予防接種をうけている。しかし私以外の家族はその年高熱でのたうちまわった。その後病気の話がでるたびに家族を見捨て自分だけが予防したことを責められる。今年も予防接種をうける予定であるが、接種前から家族のことを忘れないように、忘れないようにと何度も頭で繰り返していたためか、夢にまで出てくるようになってしまった。
理由もわからないのに家庭崩壊に陥っている人は予防接種が原因ではないかcheckしてみる必要があるであろう。

2000/11/16
 わがラボの中国人Wが私に話しかける内容はいつも自慢話である。ただでさえ通じにくい英語をコミュニケーションの手段にしているのに、無駄な時間をとられてしまいうっとおしいったらありゃしない。日本人はせかせかしており、くだらない自慢話を聞いてあげる暇人はいないのだ。「自分は中国にいるときあまりにも成績が良かったために、町中の話題となり驚いた人達が自分に会いにきた。」とか、「同僚の中国人たちとはレベルが違いすぎて話があわない。」とか、「自分の子供はアメリカに来たときあまりにも性格がいいため、クラス中の人気者でみんなに愛されている。」とか。最初は聞いて何言ってやがんだと思っていたのであるが、最近は逆に面白くなり、彼を交えて客人と話をするとき、その手の話に私の方からふってみて、客人のあきれ顔を観察したりして楽しんでいる。「そういえば、中国ではあまり成績はよくなかったんだったけ?」彼は目を大きく見開いて「とんでもない、私は中国では・・・」。

2000/11/17
11月のオマハ。凛冽のあまり笑い出したくなる。今日も一日氷点下に閉じこめられた。しかし室内は温かく半袖である。外出時は温度差があまりにも激しいため、血管がぎゅううううううっと締まる音が聞こえてくる。(ウソ)こんな時期にオマハにやってくる研究者がいるのだ。たいへんだよおお。希望は間違いなく不安へと変化していく。溜息なんかついてしまったら肺の中から凍っちゃうよおおお。空気が痛いんだよねえ。さて、この日記記載時、彼はまだ太平洋上空飛行機の中だ。到着時の彼の反応がちょっと恐いねえ。オマハを嫌いにならないでくれよおお。牛もいるんだよおお。

2000/11/18
昨日はオマハにK先生が到着した。さすがに疲れ顔ではあったが、 ホテルについてほっとしたようであった。出迎えにいった中国人のM、韓国人Dそして私の3人は、掲示板でおに軍曹さまが御指摘されたように、そのまま、近くのパブになだれ込み、ピッチャー1杯ですませようという当初の予定を大幅に越えて、本日朝の頭痛を発生させるのに十分量を摂取したのであった。

2000/11/19
 日頃御世話になっているESLのある教会でThanksgiving Banquetがあった。しかしガキが走り回る。全く落ちつきがない。Turkeyをおいしくいただきたいのであるが、どうもこいつらのおかげでこちらも落ちつかない。目を離すといなくなってしまうのである。折角の食事を一気に口にほおばりもぐもぐしながらガキの動きを目で追う。そしてまたほおばって目で追う。端からみているとハイエナを牽制しながら獲物を食べる狼のようである。獰猛な目を鍛えあげるにはこの方法が手っ取り早い。

2000/11/20
 新任の先生夫婦と新居を探すことにした。いくつかのアパートをまわってみて思ったのは、どこも日本より広くて、おしゃれなつくりになっているところであろう。2年前に私が来たときは、つくりのすばらしさや景色のすばらしさというより、頼りになる日本人がそばに住んでいるかどうかがポイントであったが、ここの生活になれてこうして見てみると、ホントにオマハにはいいアパートがたくさんあると思う。いまさら引っ越せないからなあ。

2000/11/21
 本日は久々にボスの家に招待された。中国人Wの送別会をすることになったのである。ロシア、韓国、中国、日本とさまざまな母国語を持つ国々の人が集まる中で、共通の言語となりうるのは唯一英語だけである。ぐちゃぐちゃな発音の英語が飛び交うことになる。日本人にとっては日頃使用する音が少ないせいか、ピュアな英語には弱いけど、こういったぐちゃぐちゃな英語に対しては許容範囲が広くなぜか理解できてしまう。ロシア人と中国人の会話がお互いにかみ合っていないけども成立しているので面白かった。
ロシア人:「以前中国の歴史の勉強をしたことあるけど。」
中国人:「中国の歴史的に有名な詩人とか知っている?」
ロシア人「侵略したことある人だよね。」
中国人「そうだよねえ。世界的に有名だから。」
ロシア人「ジンギスカンだったと思うけど?戦争好きな人だよねえ。」
中国人「誰?その人あまり有名ではない人と思うから、私は知らないけど。どんな作品あるの。」
そうお互い発音がおかしいから適当な所だけを聞き取って感で話しているようなのである。

2000/11/22
 アメリカでは何をするのにもソーシャルセキュリティーナンバー(SSN)が必要である。国民すべてに番号をつけておいて、個人を認識するために使用する。しかしこれはまったくの厄介ものである。本日新任の先生と一緒に銀行口座を開設しようとしたら、SSNなしではだめだと言われた。口座がひらけないと家賃の支払いや自動車の支払い、日本からの送金など大変なのである。もちろんSSNは既に申請してあり、本日には取得できるはずであったが、SSNのオフィスで最初に受け付けた人がコンピューターに必要事項を打ち込んでいなかったらしく、彼の番号がわかるのは週末になるとのことであった。本当にイライラする国である。ところで私の時はchecking accountはSSN無しでも問題なく開けた。その後SSN取得後saving accountを開いたが、銀行の入力ミスでSSNが間違っており結局半年後に私が苦労させられた。SSNがあったところでいい加減なアメリカではまともに事がすすまないのだ。

2000/11/23
 本日はサンクスギビングであるから大学は休みである。昨日までで継続しなければならない実験も終了しているので、朝から久しぶりにゴロゴロしていた。やらなければならないことはまずHPの更新であろうと思っていたのだが、私にとっては以前に書き始めて放置している作品は論文の時もそうだがなかなか読み返そうという気が起こらない。結局HPの方は後回しにしてだらだらと無駄な時間を過ごすことにした。だらだらはいい。だらだらは。最高の休日だよ。ありがとよサンクスギビング。

2000/11/24
休日の合間の本日、アメリカらしくなく官公庁はあいていたのであった。先日K先生のソーシャルセキュリティ(SSN)の件本日こそは出来上がっているであろうとオフィスまで出向いたのであるが本日もSSNは交付されなかった。なんと、コンピューターで彼の名前が全く探せないらしい。従って本日再度申請することになった。問題は銀行口座が開けないことでなのであるが、SSNがなくても口座が開けることはわかっていた。だって 食べちゃえ!セントルイスに絶対的自信の元に掲載されているのであるから。最初にトライしてダメだった銀行の支店に行って強く迫ってみたら、やはりSSNなしでもパスポートのみで実は口座は開けたようなのである。最初に対応したアメリカ人がいい加減でよく知らなかったのであろう。アメリカ人のテクニシャンにも電話してもらって確認したのに別の銀行でもだめだったからこの事を詳しくしっている銀行員はあまりいないのかもしれないが。アメリカだ。ここは。アメリカなのだ。

2000/11/25
 昨日飲み過ぎたせいで本日は朝から二日酔い状態。いつものThree dollars coffeでカラオケ、お酒と日本韓国中国風の荒飲みをしてしまった。いつもの同僚と、今月いっぱいで中国に帰国するWiの送別会をしたわけである。帰宅してからHPの更新しようと思っていたが、やはり更新に関するすべてのものは本日に回した。というのは以前どこか他のサイトの掲示板へ酔った勢いで書き込みをしており、翌日新たなbook markに気付いてそのサイトを開けてみて自分の記憶にない書き込みに愕然としたことがあったからだ。危険な内容ではなかったからいいようなものの。心配なのはbook markをせずにそして書き込んでいる掲示板がないかだが、いやあ、ネットの世界は恐ろしい。

2000/11/26
 本日は朝から子供が熱を出したため、自宅に閉じこもる休日であった。まあ、別に子供に病気がなくとも休日の朝は11時頃から始まるのであるが。パジャマのまま朝からキムチを摂食して頭頂部に汗をかき上げて、誰とも接するわけではないので、ウダウダ、ダラダラ。ふとボスに言われていた論文仕上げの件が頭をよぎったが、サンクスギビング開けの明日に論文のことなんてボスが覚えているはずはあるまい。という自分勝手な判断のもとに立つのも億劫状態でじゅうたんの上をハイハイしながらの一日を過ごしてしまった。でもこの時期の床は冷たいんだよねオマハ。

2000/11/27
夜間にあまりにも寒くて目がさめてからそのまま眠れずに本日は睡眠不足のなかでの一日であった。ミーティングがあってデーターをボスに示さなければならないのであるが、昨日のだらけた生活から急にもとの生活に戻すのに時間がかかり、ちょっとした気合いくらいではどうにもならなかったため、結局昼のミーティングまでにデーターをそろえることはできなかったのであるが、なんだかみんな似たりよったりの症状を示しており、結局韓国人のDのみが気合いの入ったデーターを披露していた。聞けば休日の間出勤研究していたらしい。日本人よりも働き者だなんて。もっとも私は日本人の精神を忘れかけているのであるが。

2000/11/28
 今月末からしばらく日本に帰国することになった。もちろんそれは3ヶ月も前からわかっていたことであるが、友人が結婚したいらしい。歳は同じなので我々同期が結婚してからというもの、飲みに誘うこともできなくなり寂しかったことであろう。私は彼のその結婚式に参加するために帰国するのであるが、とんでもないことが帰国2日前に判明してしまった。うをををを。昨日の夜は事実関係をはっきりさせることが出来ずに天を仰ぐのみであった。なにが・・起こったというのだ。つづく。

2000/11/29
 今日は新任のK先生が長い長いホテル生活を終え、ついに契約済のアパートに移ることになった。壁が綺麗に塗り替えられており、じゅうたんも洗い立てほやほや。今からアメリカ生活が始まるんだねえ。私がはじめてこの地に来たときも大きな希望を抱いていたけどねえ。だんだんとHPの方へ興味が移っていってしまったんだよねえ。と、感慨にふけっているけども昨日の事件の衝撃が大きすぎてえええええええ。ひたりきるわけにもいかないんだああああああ・・・・・・・・・。
つづく。
なんてひっぱりすぎだねえ。
詳しくは王室旅行記録室日本にまたかえるんだあああいい。 で。


Tad国王日々の記録室

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