HOME  1/4page  2/4page  3/4page  4/4page


旅の車窓から

中国 上海 編


上海蟹を求めて年末の中国へ

2002年の年末、土日と天皇誕生日の飛び石連休を利用して、上海蟹を食べに中国上海に行きました。年末年始の航空運賃の高くなるこの時期ですが、上海4日間のパックツアーの料金は、何と朝食まで付いて37,800円。

値段につられて激安ツアーに参加すると、市内観光と称して土産物屋を連れ回されて貴重な時間を浪費し、法外な値段での押し売りを拒否するのに苦労する羽目に陥る危険性がありますが、このツアーは初日の夕食からホテルへチェックインまで付き合えば、翌日から追加料金なしで市内観光を放棄して完全にフリータイムにもできるという、極めて良心的なものでした。

激安ツアーですから、飛行機は中国東方航空。行きは成田発午後便、帰りは上海発午前便ですから、3泊4日といっても有効に使えるのは真ん中の2日間だけです。

前回の訪問から約12年ぶり、中国最大の都市、経済の中心である上海の発展は目覚ましく、浦東空港から市内に向かう道路に並行して一見モノレールのようにも見える浮上式リニアモータカーの路線ができ、試運転を待つばかりになっていました(その後2003年10月に開業したそうです)。

また、市内には新しく地下鉄ができ、暗闇だった夜の街には東京並みのネオンが輝き、国民服を着た人などどこにもいません。外灘などの保存地区を除けば、街中にはかつての面影は見られず、すっかり浦島太郎の気分です。

※ 4ページの末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。

 


地下鉄で南京路へ

宿泊したホテルは、上海の市街地南西部の繁華街、地下鉄(中国語では地鉄)1号線の徐家匯駅のすぐ上。上海の渋谷のようなところでしょうか。2日目の朝は、地下鉄でまずは上海一の繁華街、南京路を目指します。

上海の地下鉄は、市の中心からやや北寄りにある上海駅を起点に南から南西方向に向かう1号線が'95年に開通し、今では華庄まで全通しています。市街地の西にある虹橋空港と、東の郊外にある浦東空港をむすぶ目的で東西に建設が進み 、'99年に中央部分の中山公園と浦東地区が結ばれ、現在では張江高科間を営業している2号線、それに国鉄線の敷地を利用して高架で北部の江湾鎮から上海駅 と中山公園を経て南西部の上海南に至る明珠線(3号線)が2000年末に開通しています。

路線図は、こちらをご覧ください。  引き続き複数の路線が建設されており、2003年末には1号線の華庄から先へ、5号線が開通したそうですが、まだこの地図には掲載されていません。

緑のラインの地下鉄2号線 地下鉄1号線と2号線は自動改札

2002年12月現在では、赤いラインの電車の1号線緑のライン2号線はプラスチックの磁気カードの切符で、バーを押して回転する方式の自動改札。市の中心部の人民広場(1号線)駅と人民公園(2号線)駅で接続して、改札内で乗り換えが可能です。一方明珠線は上海駅で1号線と、中山公園で2号線と接続していますが駅の場所は異なり、窓口で紙の切符を売っていて、自動改札もなく別料金になっており、電車も赤と緑の編成が混用されています。

地下鉄の電車はいずれも5扉ロングシートで、最後部に車掌を見かけなかったので、ワンマン運転と思われます。

歩行者天国になった南京東路 雨の中、賑やかなパレードが行く

1号線の人民広場で降りて地上に出ると、東西に走る道が上海のメインストリート、南京路です。東京で言えば新宿でしょうか。ここから東に向かう南京東路は、次の河南中路駅までの間が車や自転車を閉め出して歩行者天国(中国語では歩行街)になっています。バスやトロリーバスは迂回しており、唯一の乗り物は路面電車タイプの遊覧車。雨の中、パレードが行われており、一緒に外灘(バンド)へ向かいます。

 

対照的な外灘と浦東

長江の支流、黄浦江の西岸にある外灘は、上海の過去を象徴する治外法権のエリア、租界のあったところ。19世紀のアヘン戦争で清国が英国に敗れ、南京条約で上海が外国に開放されたことに始まります。

外灘の北で、蘇州河黄浦江に合流する位置に架かる外白渡橋は1907年に英国がインフラ整備としてつくり、昔は花園橋(ガーデンブリッジ)と呼ばれていたとか。外白渡橋とは“外国人はただで渡れる”という意味で、中国人は金を払わなければ渡れなかったという話が一般化していますが、これは俗説だとか。

蘇州河に架かる外白渡橋と1934年にできた上海大廈 黄浦公園に立つ上海市人民英雄記念塔

橋の後ろのアールデコ調の建物は、1934年完成した外国人専用のブロードーウエイ・マンションで、今は上海大厦ホテルになっています。蘇州河の手前の黄浦公園には、戦死者を弔う巨大な上海市人民英雄記念塔が立っています。

租界時代からの外灘の街並み 外灘の対岸の浦東地区 テレビ塔や88階建のビルは雲の中

黄浦公園から南へ、黄浦江沿いの中山東一路には租界時代のビルがならんでいます。上の写真の右から左へ、ヤンツ・アソシエーションビル(1916年竣工)、横浜正金銀行上海支店(1924年)、中国銀行本店(1937年)、サッスーン・ハウス(1929年)、パレスホテル(1906年)と続きます。今でも、銀行やホテルとして使われています。

目を黄浦江の東岸の浦東に転じると、丸い東方明珠塔(テレビ塔)や中国一高い、世界でも第3位の88階建て金茂大厦など、外灘とは対照的な21世紀のビル群がそびえていますが、あいにくの雨で上層階は雲の中。