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旅の車窓から

中国 哈爾浜・長春・瀋陽・大連 編


3度目の中国は東北地方へ

2001年のゴールデンウイークに、旧南満州鉄道と偽満州国時代の路面電車を求めて中国東北地方に行きました。成田からJALで大連へ、日露戦争の激戦地旅順を訪問した後、夜行列車で一気に哈爾浜へ、そこから長春瀋陽と途中下車をしながら大連まで戻る5日間です。

初めて中国に行ってから10年、前回の訪問から6年が経過し、街も人々の姿も大きく変貌しました。一部の老人を除けば国民服がすっかり影を潜め、茶髪に厚底靴の女の子がマクドナルドの袋を片手に闊歩し、高層ビルが建ち並びすっかり近代的になった都市から、共産圏の標準色であるダークグリーンからカラフルな装いとなって冷房まで装備した列車に乗ると、もう浦島太郎の気分です。でも、長春や大連では、偽満州国時代に日本人が持ち込んだ市電が、中国製の新車と一緒に今でも大切に使われている姿に出会うことができました。

2001年から、中国にもゴールデンウイークができたそうです。5月1日のメーデーから1週間の連休となり、どこへ行っても中国人の観光客で込み合っていました。

※ 9ページの末尾にそれぞれリンク先を設けています。詳しく知りたい方はご利用ください。


大連空港から旅順へ

ゴールデンウイークの5月2日、成田空港でチェックインの際、JALのカウンターのお姉さんは「大連地方霧のため、着陸できない場合は成田に引き返します」と、にこやかに案内してくれました。成田空港を離陸すると、大連まではわずか2時間40分ほど。時間がないので飲み物と食事が同時に配られ、食後は眼下に朝鮮半島の街や村を眺めながらくつろいでいると、もう機体は降下をはじめて雲の中に入っていきました。突然視界が開けるとそこは滑走路。成田に引き返すことなく、無事に3度目の中国の地に立つことができました。

大連は遼東半島の南端に位置する人口500万人あまりの港湾都市で、工業都市や観光都市でもあります。もとは青泥窪という漁村にすぎなかったのですが、1898年に帝政ロシアが大連と旅順を租借し、港湾と都市の建設をはじめました。日露戦争後に日本が租借し、国策会社南満州鉄道株式会社の本社をおいて40年間にわたる「満州」経営の拠点としました。いまでも市内には上野駅を模した大連駅など、日本人の手による建物が数多く残っています。

日露両軍が会見した水師営会見所 203高地の登り口に集まる籠屋さん

市の西にある大連水周子国際空港からは、市内には入らずにバスで直接南へ、日露戦争の激戦地である旅順(今は合併により大連市の一部)に向かいます。途中、大連と旅順をむすぶローカル線の線路と併行する部分もあります。

遼東半島の先端に位置し、中国海軍の重要な基地の一つである旅順は、1996年に一部が開放されたが、今でも外国人の立ち入りを制限する地区です。バスはまず市内のはずれにある水師営会見所に立ち寄ります。ここは旅順軍港を基地にしていたロシア軍をうち破り、日露戦争で勝利した日本軍の乃木希典将軍と、ロシア軍のステッセル将軍が会見を行ったところです。それらしき建物がありますが、実物は文化大革命の時に破壊され、個人の家をもとに1996年に当時の資料から再現されたものだそうです。

 

203高地と東鶏冠山北堡塁

旅順軍港の西北にある小高い203高地に向かいます。標高206mだった山が激戦で203mなったところから名付けられたそうです。駐車場から203高地まで坂道になっており、バスが着くと籠屋さんが客引きに集まってきます。坂の途中には今でもロシア軍の塹壕が残っています。頂上には砲弾を溶かして作った紀念塔が立っており、“爾霊山”の文字が刻まれています。乃木将軍が“に・れい・さん”から名付けたとか。ここから旅順の軍港は、春霞に遮られて見えませんでした。

砲弾を使ったモニュメントの建つ203高地 東鶏冠山北堡塁のモニュメント

続いて旅順の街の東北に位置する東鶏冠山(ひがしけいかんざん)へ向かいます。ここは203高地より港に近く、旅順を守る何百人もの兵士が暮らした頑強な防御堡塁の中でも著名かつ典型的な北堡塁が良く残っています。

ここにいた多くの観光客のほとんどが中国人です。ここ数年、中国も所得水準の向上とともに国内旅行が盛んとなり、かつて日本とロシアによって自国の領土を戦地とされた場所が中国の人々のための観光地として開発されています。

 


K161次快速にて大連から哈爾浜へ

大連駅近くで夕食をすませ、哈爾浜行きの夜行列車に乗るために駅に向かいます。旧南満州鉄道の始発駅として建てられた大連駅舎は、上野駅や小樽駅によく似ています。

哈爾浜東行きのK161次快速は、クリーム色に窓まわりが水色客車を主体としたカラフルな列車をディーゼル機関車が牽引します。全車エアコン付きで、電源車や行李車(荷物)を含め20両近い長大編成です。私の乗車した軟臥車(1等寝台)はほぼ編成中央の11号車。それより前方は硬臥車(2等寝台)、後方は餐車(食堂)をはさんで硬座車(2等)が続きます。

上野駅にそっくりな大連駅にはイトキンの広告が K161次快速はカラフルな客車の夜行列車

K161次快速は、大連を19:05に発車して途中9駅に停車し、944km離れた哈爾浜に翌朝7:00に到着します。ここで大半の乗客は下車し、27分停車した後、終着の哈爾浜東に向かいます。

哈爾浜までの表定速度は79km/hです。日本のブルートレイン“あさかぜ”が全区間電気機関車牽引で表定速度が73.4km/h、電車の“サンライズ瀬戸”が85.3km/h(いずれも2001年8月現在)ですから、ディーゼル機関車牽引のK161次快速はかなり速いのではないでしょうか。参考までに、戦前のパシナ型蒸気機関車牽引の“あじあ”号は大連10:00発で途中6駅停車の哈爾浜22:30着、表定速度76km/hだったそうです。