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旅の車窓から

ハンガリー ブダペスト編


はじめての東欧ハンガリー

2002年の夏休みに東ヨーロッパへ行きました。わずか8日間、日本への往復を除けば正味5日間でハンガリー・スロバキア・オーストリア・チェコの4ヶ国をまわる駆け足旅行です。ベルリンの壁の崩壊から13年が経過し、東欧諸国の中でも変化の激しいハンガリーとチェコですが、まだまだ西ヨーロッパとはひと味違う部分も残っていました。まずは、ハンガリーの首都ブダペストから。

ヨーロッパの中東部にあるハンガリー共和国は、ドナウ川の中流域に位置する内陸国で、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、オーストリアの7ヶ国とと国境を接しています。面積は日本の1/4、人口は1000万人余りの国です。

紀元1000年のハンガリー王国の成立以後、モンゴルの侵攻やオスマントルコの支配、オーストリアハプスブルク家の支配から、第二次大戦中のドイツの占領、戦後は旧ソ連による東欧支配と複雑な歴史をあゆみ、1989年の民主化でハンガリー人民共和国から国名をハンガリー共和国に改め、ECへの加盟をめざしています。

※ 5ページの末尾にそれぞれリンク先を設けました。詳しく知りたい方はご利用ください。


首都ブダペスト

首都ブダペストは、ドナウの真珠とよばれる美しい街です。人口は約200万人で東欧最大の都市です。ドイツに源を発し8ヶ国を経由して黒海にそそぐ国際河川、ドナウ川が街の中心を北から南に流れ、川をはさむかたちで西岸のブダと東岸のペストから構成されています。ブダは丘陵地帯で丘の上には旧王宮が建ち、ふもとには温泉もあります。ペストは平坦で、繁華街があり川岸には国会議事堂がそびえています。

ブダペストの地図は、こちらをクリックして下さい。ブダの移動には、黄色い市電が便利です。

ゲッレールトの丘から見たドナウ川 上流に向かって西岸のブダと東岸のペストをつなぐくさり橋  左手の王宮はブダの小高い丘の上にある

王宮から少し南に行ったゲッレールトの丘に登ると、眼下にドナウ川をはさんで左手に王宮、右手に国会議事堂をのぞみ、ブダとペストをつなぐ鎖橋の大パノラマが広がります。 ドナウの川岸とブダの王宮の丘は1987年に世界遺産に指定されています。

ブダペスト市内を縦横に走る市電 ライオンの像が両端を見守る守るくさり橋

ドナウ川には多くの橋が架かっていますが、ブダペストの鎖橋は最も美しいといわれています。1849年にこの橋が完成して、船を使わずにブダとペストを行き来できるようになりました。

 


王宮の丘

鎖橋のたもとにケーブルカー乗り場があります。20世紀の初めにできたそうで、勾配が急だからでしょうか、床は当然のこと屋根まで階段状になり明かり取りの窓を設けたちょっと変わった車両が、高低差70mの王宮の丘の上へ運んでくれます。線路が複線なのも、他では見られない特長です。 ケーブルカーはこちらでも紹介しています

王宮の丘へは、この他に丘の北側にあるブダ側のターミナル、モスクワ広場から城バスで登ってくることもできます。

   
対岸のペスト側から見た王宮     王宮の丘に登るケーブルカー

13世紀半ばに最初の王宮が建てられて以来、幾多の戦乱で破壊と再建を繰り返してきました。現在ある王宮は1950年に第二次世界大戦後の修復を行ったもので、美術館、博物館、図書館として使用されています。

王宮の丘にある最大の見所は、高い尖塔をいだくゴシック様式のマーチャーシュ教会です。最初に建てられたのは13世紀半ば、14世紀にゴシック様式で建て直され、15世紀にマーチャーシュ王を増築したそうです。16世紀にオスマントルコに占領されるとモスクに改装され、17世紀にハプスブルク家によりカトリック教会に戻されるという複雑な歴史をたどっています。

     
マーチャーシュ教会と三位一体の像       聖イシュトヴァーンの騎馬像と漁夫の砦

教会の前の広場には、中世に猛威をふるったペストの終焉を記念して建てられた三位一体の像があります。また、横の広場には、ハンガリー建国の父といわれている初代ハンガリー国王聖イシュトヴァーンの騎馬像があり、その向こう、ドナウ川に面したがけの上には、漁夫の砦とよばれるロマネスク様式の尖塔回廊があり、ここから眼下にドナウ川とペストの町並みをのぞむことができます。

 


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