建学の精神


 拓殖大学は明治33年(西暦1900年)、桂太郎公爵の手により台湾協会学校として台湾開発のために「地の塩」となって貢献しうる人材の育成を目標に創立されました。
 以来、一貫して「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を備えた有為な人材の育成」という建学の精神のもとに、多くの卒業生が世界各地で活躍する“国際大学”のパイオニアとして大きな足跡を残してきました。そしていま、時代はさらなる国際化、グローバル化を推し進め、政治・経済・文化のあらゆる活動が国の枠を超え、単なる国際交流ではない、異なる生活様式の人々と共に生きること。つまり一つの地球上に共生する同じ人間としての共通意識の上にたった視点をもつ人材が必要とされているのです。
 校歌にも謳われる「人種の色と地の境 我が立つ前に差別なし」。
 拓殖大学では、創立百周年を経てこの建学の精神をいま一度確認すると共に、アジアへ世界へと羽ばたき、貢献できる真の国際人を育成していきます。

(拓殖大学ホームページより引用)

明治33年
(1900年)
台湾協会学校設立
明治37年
(1904年)
台湾協会専門学校に改称
明治40年
(1907年)
東洋協会専門学校に改称
大正4年
(1915年)
東洋協会植民専門学校に改称
大正7年
(1918年)
拓殖大学に改称
大正8年
(1919年)
校歌が制定される
大正11年
(1922年)
東洋協会大学に改称
この時、大学令により大学として認可される。
昭和元年
(1926年)
拓殖大学に改称
昭和21年
(1946年)
紅陵大学に改称
昭和24年
(1949年)
大学令により新制大学として発足。
商学部と政経学部を設置。
昭和27年
(1952年)
拓殖大学に改称、そして現在に到る