南大東島 大東製糖


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沖縄本島の東約400km離れたところにある絶海の孤島南大東島は隆起珊瑚礁の島で サトウキビの栽培が主な産業の島である。
この島にはかつて、収穫されたサトウキビを島の中心部にある製糖工場へはこぶためにナローゲージ(762mm)の鉄道が張り巡らされていた。この鉄道はかつて幾つかの鉄道雑誌などに紹介され、我々のあこがれの島であった。しかし1983年に他の多くのナローがそうだったように、より効率的なトラックに置き換えられ、この鉄道は消え去ってしまったのであった。
昨今の廃線跡ブームの中で作家の宮脇氏の訪問記(1)により、この鉄道の車両や遺構が残っているのを知り、今回沖縄へ行く機会を得て、訪問することを果たした。
南大東島へ行くためには、琉球エアコミューターのDHC-8(Dash-8)で那覇空港から約1時間のフライトで到着できる。

DHC-8

39人乗りのプロペラ機であるが最新鋭でもあり、快適なフライトであった。
今回の訪問では、村役場の沖山吉人氏に案内をしていただいた。改めて感謝をしたい。 氏の案内で路線と車両の残っている場所を案内していただいた。
路線のほとんどは道路の拡張、舗装によって消失しているが、何ヶ所かは残っていた。
まず工場近くの南丸山支線の終点の集積所で、ポイントも残っていた。振り返って見てみると工場の裏をぬけていた線路のあとがのぞまれる。

続いて、島の在所にある「ふれあいセンター」の「郷土資料館」に保存されている車両を見に行った。ここには雨宮製SLの2と日本車両製DLの8、そして客車や貨車が立派な屋根の下に展示されていた。これであれば台風のメッカのこの島でも大丈夫であろう。 車両は多少錆が生じているものの、おおむね良好な保存状態のようです。この島であればいたずらをするような不心得ものもいないでしょうから、今後も島の人達によって大切にされていくのではないでしょうか。

2

8

客車

木製台車

手積み貨車

機械積み貨車

次に西港を案内していただいた。西港は文字どおり島の西側にある港であるが、サトウキビよりつくられた糖蜜をはこび出す港として使われており、線路が港まで伸びていた。 現在でも珊瑚礁の岩の上に港へとくだっていた線路が残っている。また西港へむかっていた西線のあとは遊歩道となっており、その跡をたどることが出来る。

西港へ下る線路跡

左のアップ

西線跡の遊歩道を
車で走る

南支線の第2集積所付近の道路を横切る付近にも線路が残されている。 線路から工場方向を望むと線路跡に植えられている樹木ぞいに工場が見える。

北線の在所から外れて少し行った所の第18集積所付近にも線路が残っている。
またそこからしばらく北線跡を進んだ場所には、草むらの中に貨車が残されていた。

北線の線路跡

左と同じ場所
在所方向を望む

道路脇に残されていた
貨車

さて、再び在所に戻って、機関区のあった場所へ行く。
機関区の建物は現在も残っていて使われているそうである。機関庫の回りはヤードのあった雰囲気がよく残っている。周囲には犬釘や連結器のリンクなどが落ちている。
そして、機関区の前には4両の機関車が残されている。

機関区

機関区

機関区

残された機関車

事務所だったのか?

犬釘が残っていた

製糖工場方面を望む

沖縄の権藤製の1号、加藤製の2号、酒井製の3号、日本車両の7号である。
残されているといっても、南国の太陽と塩気のため赤錆びてまさに残骸である。 機器類やメーカープレートなども残されている。
当時の機関車が残されていて、今回見ることが出来たのはうれしいことではあるが この車両達はあまりにも哀れである。何等かの形で手入れをして保存してあげることは出来ないのだろうかと思う。
No.1

No.2

No.3

No.7


製糖工場の積み降ろし施設の有った場所へ行ってみた。写真中央の安全第一の看板のところがそうらしいのだが、現在ではすべてトラック対応になっていて、線路の有ったことを示す痕跡は残っていない。

最後に島の北東部に残っている北線の第9集積所跡である。民家の前に残されている。

これらの線路跡が偶然に残ってしまったものなのか、故意に残されたものであるのかよくわからないが、この島に鉄道の有った歴史を語る重要な証人なのであるから、末永く残っていることを祈っているとともに、保存されている車両がいつまでも良い状態を保っていることを願ってやまない。
最後に忙しい中、島内を案内してくださった沖山吉人氏と、アレンジをしてくださった南大東村商工会の西浜尚登氏に感謝をし終わりにしたいと思います。

(1)鉄道廃線跡を歩くV 宮脇俊三編 JTB


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