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たばこ塩産業 塩事業版  2008.8.25

塩・話・解・題 41 

東海大学海洋学部非常勤講師

橋本壽夫

 

耐久レースと低ナトリウム血症

 

 今月は暑い季節に行われた北京オリンピックをテレビで見ながら、熱帯夜の夜遅くまで連日眠られぬ夜を過ごした。世界的に減塩が叫ばれている今日では、体内で塩が足りなくなるなんてありえない。しかし、ハードな耐久レースではしばしば足りなくなる。特に高温で長時間行なう激しい屋外競技種目では、多量の発汗や水の飲み過ぎで低ナトリウム血症を起こし、危険な状態になることがある。

運動と低ナトリウム血症

 塩の摂り過ぎが問題とされている中では、血液中の塩分が薄くなる低ナトリウム血症が起こることはありえない。血清中の塩分は腎臓によって約140 mEq(0.82 %)に維持されている。何らかの影響で血清ナトリウム濃度が135 mEq以下になった状態が低ナトリウム血症で、逆に145 mEq以上の状態が高ナトリウム血症である。
  運動によって起こる低ナトリウム血症が最初に認識されたのは、1981年に南アフリカで行われた90 kmレースに参加した2人のランナーについてであった。その後、1985年のカナダ鉄人レース、トライアスロンでも5例が報告された。最近ではもっと短い距離のマラソンでも意外に多く起こっているという。
 血中の塩分が低いために起こる低ナトリウム血症の兆候は主として中枢神経系の機能不全として表れる。血清ナトリウム濃度が急速に(2-3時間以内)大きく低下すると、症状は明らかになる。頭痛、吐き気、嘔吐、痙攣、無気力、失見当、反射運動の低下が見られる。重症で急速に進んでいく低ナトリウム血症の合併症では発作、昏睡、脳損傷、呼吸停止、脳幹ヘルニアが生じ、死に至ることもある。重症の低ナトリウム血症は、ナトリウム補給と体内の過剰な水を利尿で排泄させ、有効なナトリウムを再配分させることにより治癒される。しかし、低ナトリウム血症を急速に治すことは危険であることも認識されている。低ナトリウム血症にならないようにするには、水を飲む量を適量に抑え、ナトリウムを含んでいる水を飲むことだ。

ボストン・マラソンのランナーで低ナトリウム血症

 2002年のボストン・マラソン参加者の低ナトリウム血症について調査された結果が2005年の米国医学雑誌に発表された。マラソンでランナーが死亡し、命にかかわる病気になる原因として低ナトリウム血症が背景にあると言われ、それをボストン・マラソンで確かめるためであった。参加者の64%に当たる488人についてレース前後に体重を計り、終了時に血液を採取し、レース中に飲んだ水の量や尿の量をアンケート調査で詳しく調べた結果を整理したものである。その結果を1に示す。体重増加が大きいほど低ナトリウム血症の危険率が高く、体重増加が一番高いグループでは100%低ナトリウム血症になる危険率を示している。水の飲み過ぎが低ナトリウム血症の主たる危険因子であると考えている。

マラソン競技における体重変化と低ナトリウム血症発症の危険率

運動による低ナトリウム血症を予防するには

 運動に関連した低ナトリウム血症の発症で体液とナトリウム収支の役割を評価するために、多くの耐久レース参加者の血清ナトリウム濃度と体重の変化を整理した結果が2005年に発表された。前述のボストン・マラソンも含めて、最近行われた他のマラソンや鉄人トライアスロン、自転車レースを合わせた8件の耐久レースで参加者2,135人のデータを集めて整理している。その結果を図2に示す。全員についてレース後の血清ナトリウム濃度に対する相対的な体重変化()の分布を示している。これら2つの変数間には負勾配を持つ有意な一次関数の関係がある(p<0.0001)。したがって、減量が大きくなるにつれて血清ナトリウム濃度は上昇している。

マラソン競技における体重変化と血清ナトリウム濃度の関係から低ナトリウム血症を予測

 2,135人をレース後の血清ナトリウム濃度に基づいて4グループに、レース後の体内の水分状態に基づいて3グループにそれぞれ分け、マトリックスとして表1に示した。123人の参加者(全体の6)がレース後に128.9135 mEqの血清ナトリウム濃度で、生化学的な低ナトリウム血症と診断された。そのうちの69%は水分過剰(36)か正常水分(33)のいずれかであった。これらの参加者の6人には症候があり、その内の3人は水分過剰で、1人は正常水分で、2人は-3.3-5.3%も体重を減らしていた。

表1 レース後の血清ナトリウム濃度[Na+]4段階と水分状態3段階に基づいた2,135選手の分類
カテゴリー 高ナトリウム血症 正常ナトリウム血症 生化学的低ナトリウム血症 臨床的に重症な低ナトリウム血症 合計
水分過剰
n 11 151 44 25 231
 [Na+]グループ% 4 9 36 81 -
 体格指数グループ% 5 65 19 11 -
 小計% 0.5 7 2 1 11
正常水分
n 100 680 41 6 827
 [Na+]グループ% 37 40 33 19 -
 体格指数グループ% 12 82 5 1 -
 小計% 5 32 2 0.5 39
脱水症
n 158 881 38 0 1,077
 [Na+]グループ% 59 51 31 0 -
 体格指数グループ% 15 82 3 0 -
 小計% 7 41 2 0 50
合計
n 269 1,712 123 31 2,135
合計% 13 80 6 1 100
体格指数グループ%の数字は水分過剰、正常水分、脱水症として分類される選手の%であり、液量の変化はそれぞれ0%以下、-3%〜+0.01%,-3%以上と定義。[Na+]%の数字は高ナトリウム血症、正常ナトリウム血症、生化学的低ナトリウム血症、臨床的に重症な低ナトリウム血症として分類される選手の%であり、ナトリウム濃度はそれぞれ>145, 135-144.9, 129-134.9, <128.9 mEqと定義。合計%の数字は2,135選手の%。 (PNAS 2005;102:18550-5)

 31人の参加者(全体の1)がレース後に128.9 mEq以下の血清ナトリウム濃度を示し、臨床的に重症な低ナトリウム血症と診断された。これらの参加者は全員水分過剰(81)か正常水分(19)のいずれかで、脱水症の者は誰もいなかった。これらの参加者のうち18人は水分過剰で、4人は正常水分であった(図2参照:数が合わないのは重なりがあるためと思われる(訳者注))。したがって、運動に関連した低ナトリウム血症性の脳障害症候と診断された24人の内の大部分(75)が水分過剰で、5%だけが正常水分であった。
 これらのことから運動に関連した低ナトリウム血症が起こるのは、(1)運動中に過剰の水を飲むか、(2)抗利尿性ホルモン分泌が不十分に抑制されて体液が過剰になるか、(3)浸透圧的に不活性な循環ナトリウムまたは浸透圧的に不活性なナトリウムを内部貯蔵(骨に貯蔵)から移動できないか、である。参加者は運動中に水を飲み過ぎないことにより、運動で生ずる低ナトリウム血症を避けられる。
 子供の頃、運動中にあまり水を飲まないようにと注意されていた理由がこれで分かった。最近では、発汗で体温上昇を抑えるためにむしろ水を飲むように指導されている。しかし、飲みすぎると血液中のナトリウム濃度が低くなって低ナトリウム血症を起こす可能性があるので、水だけでなくナトリウムを含めた他の電解質や糖を補給できるスポーツ飲料が開発され、多く飲まれるようになってきた。

運動はヒトの塩味嗜好を増す

 発汗で多くのナトリウムが失われると大変なことになることが分かった。失われた塩を補うために生体防御機構の働きで生理的に塩が欲しくなることが考えられる。それを実験的に確かめた報告がある。見出しはM. Leshemらが発表した論文の表題である。汗には約0.3%の塩分が含まれている。様々な運動で実験した結果では、男性の発汗で約27.532.1 mg/kg/hのナトリウム損失がある。この数値から体重70 kgの男性では1時間に1.932.25gの塩が汗で失われることになる。
  実験では、男子学生で運動前と運動後1時間にトマト・スープに塩を加えて、好みの濃度の塩味にすることにより塩味嗜好を評価した。運動直後では、スープを旨くするために加えられる塩の量は、運動前の基準値や運動をしないコントロールと比較して約50%増加した。図3はその後の様子を示している。塩味嗜好の増加は運動後12時間でも、また翌日になっても残っている。このように遅れて起こる嗜好の増加は、運動後に遅れて起こる飢えの増加によるためではないか、と考えている。

運動前後で好みの塩分濃度変化

 動物では、塩についての増加した嗜好はナトリウム損失やナトリウムを体内に保持するホルモンの活性によって引き起こされる。ヒトでも運動によるナトリウム損失に対しての生理学的な調整には同様の手順が取られている。
 スポーツにおける塩の重要性は、過酷な競技であるトライアスロンやマラソンで認識された。水の飲み過ぎで発症する低ナトリウム血症では意識障害や死に至ることもある。ほどほどに塩分と水分を補給しながらスポーツを楽しもう。