奈良比丘(ならひと?)殿

Kodak DCS760    ULTRON 40mm F2    F2.8   auto

この名も万葉仮名で、奈良比等のことだろうと思うのだが、「比丘」では「ひと」とは読めそうにない。しかし神社がわざわざ比丘尼の控え室を造るとも思えぬので、「びく」でもなさそうである。奈良比等なら万葉集4223番に矢張り家持の作品がある。

「安乎尓与之 奈良比等美牟登 和我世故我 之米家牟毛美知 都知尓<於>知米也毛」。(波流能由伎による)。この歌は久米広縄(ひろつな)が都にいる妻を愛しんで作った歌に応じたものである。家持が越中国司の守(かみ)を勤めている期間、広縄は国司の掾(じょう)の職にあった。詰まり、二人は上司・部下の関係で、同時期に富山にいた訳である。

広縄の歌と歌意は次の通り。「このしぐれ いたくな降りそ 我妹子(わぎもこ)に 見せむがために 黄葉(もみぢ)取りてむ」降り注ぐ時雨よ、そんなにひどく降ってくれるな。いとしいわが妻に見せるため、この見事なもみじを折り取っておきたいから。これに対する家持の上の歌が、「あをによし 奈良人見むと 我が背子が 標(し)めけむ黄葉 地(つち)に落ちめやも」あの奈良の都の人が来て見るためにと、あなたが標(しめ)を結ったと云う黄葉が、どうして土に散り果てることなどありましょう(新潮日本古典集成 萬葉集五による)。

「標を結う」とは縄などを張って印をつけることを意味する。注連縄も元々はこの意味なのであろう。なかなか部下思いの家持の姿が浮かび上がって来る。広縄の妻に対する情愛は、まことに櫛田神社に似つかわしいではないか。