よさこいと兵隊 (05.04.08)
ペギー葉山の「南国土佐を後にして」が流行したのはもう40年あまり前だが、当時大評判になった歌なのでご記憶の方も多いと思う。
昭和33年NHK高知放送局のテレビ開局記念公開番組「歌の広場」で、ペギーが歌ったこの歌が爆発的な人気を
呼んだのがきっかけだった。
ペギーはもともとジャズ歌手なので、やや民謡調のこの歌を歌うのには気が進まなかった
ようだ。ところが歌ううちに会場全体が熱気に包まれて、全員の大合唱となった。後にペギーも「あれほど驚いたこと
はない」と述懐しているが、ペギーにもNHKにも思いがけない反響だった。
もちろんペギーの歌唱力とこの歌のフィーリングがピタリと
一致して、心に染み入る雰囲気をかもし出したからなのだが、実は聴衆がこれほど熱狂したのには、もう一つの理由がある。
この歌は戦後、歌詞を少し改編してはいるが、元の歌は「よさこいと兵隊」の曲、歌詞の殆どそのものであり、県民の
多くが愛唱している郷土の歌なのである。戦後若者たちは、折にふれ集まっては酒を酌み交わし、この歌を合唱した。
「南国土佐を後にして」の歌には、挙って合唱するに相応しい県民のこの想いがこもっている
のである。それは、
去る昭和14年、日中戦争の激化に伴い新編成された第40師団(通称「鯨」兵団)に所属し、
高知で編成された歩兵第236聯隊(鯨236部隊)は、爾後終戦に至るまで多くの犠牲を払いながら、広大な中支・南支方面を転戦した。
その戦塵の中で兵士たちの心を癒したのが、この「よさこいと兵隊」の歌である。
それは兵士たちの
暫しの憩いの時に自然に生まれ、彼らはこの歌に望郷の思いを托して、露営の焚火を囲んで合唱した。
戦陣の長期化に伴い順次交代帰還した兵士たちが、この歌を郷里に広め、いつの頃からか私も口ずさむようになった。
元の歌詞を覚えている限り記してみる。(間違いあればご指摘願う)
《よさこいと兵隊》 鯨部隊作詞・作曲
(1)
南国土佐を後にして 中支に来てから幾とせぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
〜土佐の高知のはりまや橋で 坊さん簪買うを見た〜
(2)
月の露営で焚火を囲み しばしの娯楽の
ひと時を
俺も自慢の声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
〜みませ見せましょ浦戸を開けて 月の
名所は桂浜〜
(3)
くにの父さん室戸の沖で 鯨釣ったという便り
俺も負けずに手柄をたてて 歌うよ土佐の
よさこい節を
〜言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳
ぎよる〜
よさこい よさこい
いつの頃からか、武政英策(愛媛県出身・故人)作曲ということになっているが、メロディは全く元歌通り。
単に編曲に過ぎないのだが、一体なぜそうなったのだろうか。私は認めない。
郷土の先輩たちが異郷の戦陣にあって、
遠い故郷を偲び父母を慕う魂の歌なのだから。そして、散華した英霊への手向けの歌なのだから。
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